後編

 あの日から私達の関係は少しだけ変わった。今日両親居ないからなんてありふれた言葉で家に招いて自分の部屋にあげることが増えたり。意外だったのは西塔が普通に私を求めてきたこと。「これからかっこいい言葉を三つ言うから一つでも気に入ったら脱がせる許可を貰いたい」くらい言われてもおかしくないなと思ってたのに。一応告白してきたなりに私のことが気になってはいるらしい。

 嬉しいっていうかおかしいと思った。私の恋人が西塔じゃなかったとしたら絶対に嬉しいと感じるだろうに。私の知ってる西塔は九割が謎の言葉を口にして得意げになってるような奴だから、不自然に距離を取ったと思ったら急にがっついて来たり、私に「自分で考えろ」と叱られるまでしたいことや触りたいところを一つ一つ許可を取ってくる姿が、やっぱりどうにも変だった。まぁそれも慣れたけど。慣れるまで結構時間がかかった。


 だけど私達のこんな話は誰も知らない。下の名前も知らない同性と付き合うなんて正気じゃないと思われるに決まってる。名前くらい訊けばいいんだけど、向こうが訪ねてこないのでなんか意地を張ったまま今に至る。

 西塔と付き合うようになってから、意味の無いことをしてしまうことが増えた気がする。共通の友人も居ないことも手伝ってか、わりと真面目に交際しているにも関わらず名前を知らないという奇妙な事態を引き摺っていた。

 私は楽天家じゃないので自分が多分同性愛者であることを人に伝えて来なかったし、そもそも誰かを好きになったことなんて無かったから告げる必要もないと思っていた。だけど、たまに誰かに知ってもらいたくなる。私のことなのか、西塔のことなのかは分からない。でも多分、私のことを。知っておいてもらうことに意味なんてないはずなのに。


「ゾンネンリィリル」

「意味は?」

「無い」

「だよね」


 そうして私達は今日も通学路を歩く。来年の今頃、私は社会人で西塔は大学生だ。一緒にこの道を歩くのはあと半年くらい。この日常が終わる頃に私達の関係も終わるのかなって漠然と不安に思っていた。いや不安というか、もう少し他人事っぽいニュアンス、そう、気になっていた。西塔も西塔なりに結婚して子供を作って、何かの機会にこの道を歩いて「そういえば女の子と付き合ってたこともあったっけ」なんて思う日が来るなら、それって結構悲しいなって。

 だから、西塔が「卒業したら一緒に暮らそう」って言ってくれたときは驚いた。何が言いたいって、私達の関係は終わらないのだ。ただ、西塔の現状出来る最大限のプロポーズじみた言葉を聞いても、なんと私の気は晴れなかった。そこで気付いた。私はこの意味も無けりゃ形も無いような、ふわふわとした日常をきっと愛していたんだって。

 もちろん、これからも西塔とは一緒にいる。同棲についても嬉しい。親の説得は考えたくない懸念事項だけどそれは今は置いといて。こう見えても将来の見通しは結構明るかったりする。

 でも、この道を同じ用途で歩く事はなくなる。それは絶対だ。たったそれだけの事が妙に私の心に訴えかけるのだ、寂しいと。


「山田は、すぐに意味を求めようとする」

「うん。ようとするっていうか求めてるよ」


 西塔は少しむすくれた顔でそう言って、だけどすぐに表情を戻して前を見た。出会った頃よりも少し大人っぽくなった横顔は、それでもしっかりと西塔だ。日毎に綺麗になっていく西塔だけど、隣に私がいることを確認するようにちらりと向ける視線は今も昔も変わらない。多分、これは死ぬまで変わらないことの一つだと思う。私達がずっと一緒にいれれば、の話だけど。


 最近の私は色々と意識の改革が進んだと思う。意味の無いものに執着するって、かなり大雑把にまとめてしまえば愛ってやつなんじゃないかって。

 きっと私は西塔と出会って歩き続けたこの道が好きで、もっと言うと帰路に着くこの時間が好きだ。私達の生活はこれから変化する。一緒に暮らすようになって帰り道が変わって、帰宅する時間が変わっても。きっとこの時間とこの道を特別に思い続けるのだろう。


「大切なものが増えてくのって、なんか面倒だな」


 私の呟きを西塔は聞いていたと思う。一瞬はっとした顔をして、だけどすぐにいつもの余裕のある表情に戻った。こいつはこんな風に、なんでもできますよって顔で日々を過ごしている。そして事実大体のことはこなせるんだからすごい。西塔に余裕がなくなるのは、私が知っている限りでは私に触れるときくらいだ。


「今からそんなことを言っているようでは先が思いやられるな」

「そう?」

「そうだ。これからもっと増える。一緒に暮らすんだから」

「……そうかも」


 西塔からたまに言われることがある、愛情表現が希薄だって。本当に西塔にだけは言われたくない言葉なんだけど、私はいつだって西塔の要求や提案を受け入れるだけだからこいつがそう感じるのも無理はないと思う。そういう言葉って言えば言うほど形骸化する気がしてあんまり口にしたくないんだ。


 なんとなく、今なら訊ける気がした。私は西塔に、下の名前を教えてと言った。名前なんてどうだって良かったのか、すぐに答えようとしたけど、結局西塔は口を結んで笑った。私の表情が真剣だったことに気付いた彼女は、かっこいい言葉対決をして負けた方だけが名前を教えることにしようなんて言い出したのだ。


「え? 小学生なの?」

「馬鹿だな。小学生ですら言わないぞ」

「ヤバい自覚あるんだ」

「昔から変人扱いされてるからそれなりにあるぞ。それに私は賢い」

「変人扱いされてるのに止めないって賢くないよ」


 西塔はどうせ断られるって思ってる。当然だ、私がこんな馬鹿げたことに乗るわけがない。だから笑った、吠え面かくよ? と。


「……本気か?」

「先攻はそっちに譲るよ」

「面白い。ならばさらに、敗者は一週間は再戦を挑めないというルールも設けようか」

「好きにしなよ」


 見たことの無い顔をしている。ワクワクした子供のような顔。西塔のこんな顔が見れるならたまには乗ってやりたいところだけど、あまりにも馬鹿馬鹿しいのでこの顔を拝むのは最初で最後になりそうだ。

 そうして西塔はニヤリとニヒルに片側の口角だけをつり上げて笑い、顎に手を当てて人類にとって重要な呪文であるかのように零したのだった。


「サッヘルレイド」

「……え? そんなんでいいの?」

「なんだと?」


 軽く煽ってみると、西塔は眉をぴくりと動かして私を見た。どうしても負けたくない、というよりも負けるビジョンが見えていないらしい西塔は妙なものを見る目をしたまま立ち止まっていた。

 私も数歩歩いて足を止める。振り返って「それじゃ、私の番ね」と呟く。真剣な表情で私の言葉を待つ西塔がおかしかったけど、笑うのは後にして言い放った。


「バルキッシュジンジーグラウド」



 それから数日後、私達は昨日と同じような落ちかけた太陽を見つめて今日も歩く。あれが自分で作った造語だということと、それを私が覚えている意味について、こいつが気付くのはいつになるんだろう。

 梢からあの言葉をネットで調べまくってるって聞いてちょっと笑った。


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バルキッシュジンジーグラウド nns @cid3115

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