第25話 佐藤武史 あの兄の弟
※ 第六部第二章ぐらいの話になります。
×××
来年のポスティングに向けて、良い成績を残しておきたい。
具体的には各種タイトルと、沢村賞を取りたい。
そう言った武史に対して、樋口は普通に頷いた。
「特に気負わなくても取れると思うが」
実際に樋口の言うとおり、ライバルとの差はそこそこある。
「けれど勝率とか真田に負けてるし」
「お前、沢村賞の選考事項知ってるか? そもそもルーキーイヤーで取ってただろうに」
そうは言われても、興味のないことには調べようともしないのが武史だ。
お前はそれでもプロの先発ピッチャーなのか、と言いたくはなるだろう。
かつて沢村賞は、新聞記者投票によって、その受賞者が決定していた。
だがその公平性を揺るがす大事件が起こったのが、もう半世紀ほども昔となる1981年。
誰がどう考えても受賞するに決まっていた江川卓が、おそらくは記者の個人的感情から、選ばれなかったことがある。
これが大問題となって、元プロの先発投手を主体とした沢村賞選考委員会へ選考委員が変更。
その後には時代に伴う先発ピッチャーの求められる役割も変化したため、選考基準も変わってきている。
現在の選考基準は主に八つ。
・登板数 25試合以上
・完投試合数 三試合以上
・勝利数 13勝以上
・勝率 五割以上
・投球回数 規定投球回を満たす
・奪三振 150個以上
・防御率 3以下
・クオリティスタートの占める割合 六割以上
なお基準が最初に示された時は、以下のような感じであった。
・登板試合数 25試合以上
・完投試合数 10試合以上
・勝利数 15勝以上
・勝率 六割以上
・投球回数 200イニング以上
・奪三振 150個以上
・防御率 2.50以下
もちろんこの全てを満たさなくても、受賞することはある。
逆にこの全てを満たしたからといって、受賞できるとは限らない。
なにしろサイ・ヤング賞と違って、両リーグを含めた中からただ一人だけ。
年によっては選出されない場合さえあるのだ。
これらを元に考えれば、武史が確実に最有力候補だということは分かる。
「登板数はトップ、完投数はぶっちぎりでトップ、勝利数トップ、勝率は真田の方が上、投球回数もダントツで、奪三振数は言うまでもなく、防御率も完全に一位で、クオリティスタートは全試合達成」
ただ一つの弱点としては、武史は野球界で受けが悪い。特にOBの受けがものすごく悪い。
誰もが知っていて当たり前、と勝手に球界の人間が思っている人間を、武史は知らないからだ。ついでに球界の常識も知らないし、それを言われても聞かない。
だいたい樋口が言えば、ちゃんと聞くのだが。
若いからMLBにかぶれているのか、とも思われるが実はそれも違う。
知ってる選手なら圧倒的に、MLBよりNBAの方が多いのだ。
根本的に野球にそれほど愛がないため、野球だけで栄光を掴んできた人間からは、印象が
別に過去のことなど知らなくても野球は出来るし、重要なのは今のバッターがどういうバッターで、どう攻略していけばいいかということだ。
もっともたいがいはそんなことは何も関係なく、普通にコントロールだけを気をつければ、三振が凡打が取れる。
野球に価値を見出していないという意味では、最も不遜なスーパースター。
それが佐藤武史である。
「だって何を投げればいいかなんて、キャッチャーが考えてくれればいいじゃん」
ひどい言い草である。
ちなみに武史は現在のNPBにおいて、唯一の沢村賞を取ったことのある現役投手である。
上杉が戻ってくればまた話は変わるが、とにかく上杉時代が長すぎた。
七年連続を含む、九回の連続受賞。
その谷間の一回で受賞したのが武史で、その後は直史が二年連続受賞。
上杉以前に沢村賞を受賞していたピッチャーは、全員が引退かMLBに行って、その後引退かMLBでプレイしている。
「蓮池もMLB行くらしいし、来年からは真田が連続受賞かなあ」
のんびりと武史はそんなことを言うが、そう単純なものでもない。
「若い選手も出てきてるし、真田がこれだけ勝てるのは、お前に対抗心があるからだろ」
「別にそんな意識されるようなことはしてないけどなあ」
「してるよ」
完全に認識が足りていない。
真田にとっての天敵とは、佐藤兄弟であることは間違いない。
直史と武史がいなければ、真田は三回は甲子園優勝投手になれたはずなのだ。
あるいはあの時代の大阪光陰は、五連覇だの六連覇だのをしていたかもしれない。
プロ入り後の選手を見ても、あの時代の大阪光陰の選手層が、とてつもなく厚かったことは確かだ。
それが一度も優勝できなかったのは、同年代にそれ以上のピッチャーがいただけで。
玄人筋や武史自身としても、別にピッチャーとしての総合力なら、真田の方が自分より上なのでは、と思わないでもない。
しかし結局勝ったのは、直史であり武史だったのだ。
「そもそも勝也さんが帰ってきたら、また先発に戻るだろ」
「あ、上杉の兄貴、やっぱ日本に戻ってくんの? 給料高いし向こうでやってもいいだろうに」
クローザーはまだ先発よりも年俸が安くなる傾向にあるが、上杉ほどの無茶振りであれば、先発のスーパーエース級の年俸であってもおかしくはない。
だが日本にこだわるところが、やはり上杉と言えるのだろう。
樋口はどうなのか。
「アメリカなんか行きたくないぞ」
完全にそこは決心している。
ただ樋口は大卒七年目なので、FA権が発生する。
上杉がスターズに戻ってくるというなら、一緒のチームでプレイしたいと思わないのか。
ただ今のスターズは福沢がいるため、あえて樋口を取る必要がない。
もっとも樋口を取って、福沢をトレードで出すというなら、ほしがる球団は多いだろうが。
樋口は在京球団のセ・リーグにしか行くつもりはない。
なのでスターズを除外すると、レックスかタイタンズとなる。
そして樋口はあまり、タイタンズにいいイメージがない。
なんで、と武史は尋ねたものだが、樋口の口は重かった。
樋口は俗物である。
極めて俗物であるがゆえに、下界の秩序と安全と繁栄を願う。
そのためにはとうきょうに、出来るだけコネクションを築いておきたい。
プロを引退したらその知名度などを使って、さらにコネクションを増やしていこう。
それが樋口の考えている野望である。
本来ならば官僚になりたかったのだが、今となってはこの知名度を活かしてもいいだろう。
おそらく今年、沢村賞は武史が取る。
だがシーズンMVPは樋口が取ってもおかしくはない。
相変わらずレックスの投手陣の数字は凄まじく、そしてチームとしても優勝の可能性が高い。
チームを優勝させ、打撃タイトルも二つ取れそうな樋口が、MVPを取れる可能性は高いのだ。
(もう少し積極的に勝負してくれれば、三冠も取れるんだが)
そうは思いつつも、今年は狙って、トリプルスリーも取りにいっている。
樋口もまた打撃成績的には、大介がいなければ、という人間である。
首位打者は三回、出塁率も二回、取れていてもおかしくなかった。
首位打者に、30本、30盗塁、100打点という数字は、キャッチャーとしては歴代でも傑出している。
しかも樋口は、明らかにチャンスに強いクラッチヒッターだ。
そんな樋口の自分の人生は、プロを終えた後が本格開始だと考えている。
あるいは途中で怪我をして、引退が早まることもあるだろう。
その時のために、しっかりと貯金はしてあるが。
上杉が帰ってくれば、武史がアメリカに行く以上、またも沢村賞を独占しだすだろう。
ひょっとしたらまた別基準で、上杉賞あたりが作られてもおかしくない。
……いやほんと、作られてもおかしくないよ、白石賞もだけど。
ハンク・アーロン賞のように、今年一番総合的に良かった打者選出として、白石賞は作られないだろうか。
少なくともMLBで現役をしているうちは難しいかもしれないが。
打点とホームランの記録、そして日米通算の安打数が日本限定の安打数記録を超えれば、そしてついでに盗塁も多くなれば、作られてもおかしくない。
本人としては、自分の生きている間には作られたくないだろうが。
「沢村賞より謎のことやってるもんな、上杉さん」
樋口はそう呟くが、直史や武史がアメリカに行ってなかったら、ここまでとこれからを、独占できたかは分からない。
直史が、せめて大学を卒業時に、プロ入りしていたら。
案外ちゃんと成績は残せなかったかもしれない、と樋口は思う。
直史が悪いのではなく、それを活かせるキャッチャーが少ない。
今の直史ならば、自分で配球まで組み立てるだろうが、ルーキーイヤーはバッターの特徴などは、全て樋口に任されていた。
武史に関しても、MLBのキャッチャーはちゃんと活かした組み立てが出来るだろうか。
確かに武史はストレートが早いが、本当の武器はそこではないのだ。
ふつふつと、悪い予感がしてくる。
短い期間だけなら、MLBに行ってもいいのか?
アメリカにどこか、コネクションを作る機会にならないか?
そうは考える樋口であるが、やはり日本が一番と、極めて保守的な結論に落ち着くのであった。
エースはまだ自分の限界を知らない[第四部D 群雄伝] 草野猫彦 @ringniring
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