NIGHT SHOW
ノイロ・ユウラ
*
白い道路照明に浮かび上がった真夜中のハイウェイが緩いカーブを描きながらどこまでも伸びている。道路の左右には黒水晶のようなビル群が建ち並んでこちらを見下ろしている。
『本日もコレが最後の商品となりました。ご覧くださいこの太い脚。北海道オホーツク産タラバガニ1ケースのご案内です!年末大特価……』
車載テレビの音量を落とす。さっきまで助手席で泣き続けていたサトミはそのまま眠りに落ちたようだった。
テレビでは何の変哲もない通販番組が流れている。それを横目で確認して俺はひとまず運転に集中する。
時刻が夜明け近いだけに対向車線を走るのはトラックの列だけだ。先導車も後続車もいない。ただハンドルを握っているだけの単調なドライブだが、俺の目は冴えている。ほんの数時間ほど前の緊張の余韻が未だにバンの車内に充満しているのだ。とにかくやるべき事はやった。全ては終わったんだ。俺は自分に言い聞かせて、ひたすら滑らかに車を走らせる。
「廃品回収?何もこんな時間に来るこたぁないだろうに」
守衛が白い息を吐きながら訝しげに車内を覗き込んでくる。夜空を衝かんばかりにそそり立つテレビ局。その巨大な社屋に下敷きにされて押し潰されたかのように扁平な地下駐車場の入り口でバンが止められた。
「いや、明日にしようとも思ったんですけどね。何せ年末でウチも大忙しなんですよ。前から頼まれてたんで、後回しにするのもねぇ。こっちに用事があったんでついでに寄ったんスけど」
「ふーん。ま、いいか。どこ?」
「あー、映像部のアンドウ……いや、ヤマザキ……」
「ホウ。ヤマザキさんね、映像部長さんが直々に倉庫整理たぁ、ここも人材難なのかね……行っていいよ。あ、この札つけて」
守衛が引っ込み、ウィンドウがキュルキュルと上がる。ゆっくりと駐車場内をひと回りして、人目に付き難い奥まった一画に車を停める。
助手席のサトミが目深に被っていたキャップを脱いで髪をかき上げた。サイズが合っていない作業着の裾を折り返す。
「ヤマザキって……?」
「ああ、昔の仕事相手だ。へぼプロデューサーだったヤマザキがまさか部長になっているとはなぁ」
鞄を持ってドアレバーに手を掛ける。車を降りる前に一寸、思い留まる。
「ここで待っててもいいんだぞ。来ても特にやる事はないし」
「今更、何言ってるの。私がおじさんを巻き込んだんだし、一緒に行くよ」
サトミの意思は固いようだ。それなら仕方ない。彼女にとっても一つのけじめなのだろう。
バンから降りた。地下駐車場内は地鳴りのような空調音が耳に付く。サトミが後部座席から台車を降ろした。キョロキョロと辺りを見回している。
「そっちはお客さん用の出入り口、業者はコッチだ」
通用口と記された味気ない鉄の扉から局内に入り込む。昔と何ら変わらない裏方用の煤けた廊下、その突き当たり。エレベーターに乗って上階へ向かう。
『宗教団体 天光』は近代に入ってから成立した新興宗教団体だ。教祖『天地神 翔悟』は仏教、神道、キリスト教を融合させた統一宗教を標榜し、近年、関東圏を中心に急速に信者数を増やしている。
天光は非常に厳格な教義で知られている。特に徹底した『清貧の思想』と『カリキュラム化された修行・儀式』は狂信的で、それが元で生活を破綻させた信者も少なくない。政財界との繋がりも強く、黒い噂の絶えない集団である。
俺達が乗り込んですぐエレベーターは停まった。階数表示は一階。エレベーター内の空気がにわかに張り詰める。
すぐに扉が開いた。乗ってきたのは若い男だった。一目でADだと分かる眠そうなその男は、こちらを怪しむ素振りなどついぞ見せずに三階でエレベーターを降りた。降り際に「オツカレサマッス」と軽く会釈したのが印象的だった。
「ねえ、夜中なのにまだ人がいるの」
サトミは不安げな表情を浮かべている。
「そうだよ。テレビ局は二十四時間営業……」
「大丈夫かな」
「まぁ、今日は特番があるから皆それに付きっ切りだろう。流石に映像が調整室まで送られてたら手が出せないけどな……ほら、もう着くぞ」
間もなく目的の階層に到着した。かつて通い慣れたフロアの匂いに思わず懐かしさが込み上げる。
フロアは静まり返っていた。廊下以外のほとんどの部屋は消灯されている。俺はその中の一室にサトミを案内する。
映像部 第2倉庫――俺は電気を点けた。案の定、倉庫内は俺が働いていた頃のまま。もう二度と日の目を見ない映像や資料のダンボールが四方の壁に積み上げられている。それは長い年月を経て形作られた断崖絶壁のようだった。部屋の最奥に積まれたダンボールの一山をサトミに指し示す。
「おー。この箱まだあるんだな……これなら無くなっても困らんだろ。何個か台車に載せて、そのまま隠れてろ。三十分して音沙汰なかったら一人で帰るんだぞ。いいな」
「うん。おじさんも気をつけてね」
サトミを倉庫に残して俺は階段へ向かった。一階、二階と駆けあがる。サトミのいるフロアとは違い、この階層はまだ人の気配がする。作業着の上を脱いで片手に持つ。上がTシャツならまだテレビマンに見えない事もない。
目的の部屋はすぐに見つかった。ここは局内の聖域。配属されているスタッフは年寄りばかり。もう何年も同じ顔ぶれのはずだ。
俺はそっとドアを開けた。中には誰もいない……机の上には取り残されたようにフラッシュメモリが置いてある。中には翌朝放送予定の番組が保存されているのだろう。相変わらず、ここの連中は無用心だ。
部屋の奥には旧型ではあるが高性能なデスクトップ。これ一台で映像から音声まで編集できる優れモノだ。デジタルに弱い年寄りスタッフの為に極めて簡便な入力で半自動的に番組を編集してくれるソフトが搭載されている。勿論、最後の仕上げに至るまで。
俺は部屋に忍び込むとメモリを取って、デスクトップの電源を入れた。昔、飽きるほど見た画面が表示される。編集ソフトの再設定を始める。成功する公算は高い。下準備は入念にしてきた。それに、元々この編集ソフトを作ったのは俺自身なのだ。
よく晴れた十一月の終わり。
俺のマンションを一人の女が訪ねてきた。普段であれば話も聞かずに追い返すのだが、その女の風貌が心に引っ掛かった為に思わず部屋に上げてしまった。
古く擦れたジャージ姿、二つに結んだお下げ髪、恐らく一切の化粧をしていない顔。年頃の女性であればこの格好で出歩くのは抵抗を覚えるだろう。もっとも、そんな格好をする人々に心当たりがないわけではなかった。
女は自分を学生だと言った。俺が昔書いた論文を読んで興味を持ち、話を聞きに来たのだと。俺の事を『映像効果の神様』とまで呼んだ。見え透いたごますりだった。会話は簡単な質問の応酬から始まって、いよいよ論文の内容に及んだ。
「サブリミナル効果についてお聞きしたいんですけど」
「ああ、サブリミナルね。映像の中に一瞬だけ、六十分の一秒間とか静止画を挟む事によって視聴者に何らかの心理的な影響を与えるってモノなんだけど……正直、真に受けない方がいいよ」
「でも、論文には効果が見込めると書かれているじゃないですか」
「捏造したんだよ。時間がなくてね」
「……実験はしてないんですか」
女は俯き、肩を震わせた。来るべき物がついに来た、そんな気がした。
「……やったよ」
「やっぱり、あなたのせいで!」
女が右手を背中に回した。次に右手が目の前に現れた時、そこには銀色に光るナイフが握り締められていた。両手で胸の下に構え、切っ先をこっちに向ける。剥き出しの刃に思わず気圧されてしまう。
「あなたのせいで皆、騙されてるんだ!」
俺は戸惑っていた。揉める事は予想していた。土下座する覚悟もあった。大金を支払う準備もできていた。しかし、まさかいきなり刃傷沙汰になるとは。
「俺を殺してどうなる!」
「……言う事を聞くなら殺しはしません。私の要求はサブリミナルについて世間に公表する事です。皆の洗脳を解いてください」
女の頬を大粒の涙が伝った。
「お前は天光の信者だろう。本当に申し訳ない事をしたと思ってる……だが、信じてくれ。さっきも言った通り、サブリミナルの効果は証明できていないんだ」
「嘘よ!私には分かる!」
「嘘ではない!それに世間に公表したとして、誰が信じるんだ。天光の評判の悪さは知っているだろう。貶める為のデマだと思われるのがオチだ」
「映像がある!コマ送りにして見れば――」
「確かにサブリミナル映像は証拠が拡散されるという弱点がある。『普通の』サブリミナルならな。俺が開発したサブリミナル映像は織り込むメッセージを更に分解した物だ。人間の認識とせめぎ合って脳内で再構成できるギリギリの分解だ。コマ送りにしてもノイズとしか映らない。これを解析するのは暗号を解読するようなもんだ。開発した俺ですら不可能なんだ」
俺と女の間に重たい沈黙が横たわった。先に堰を切ったのは女の方だった。
「じゃあ、どうすればいいのよ!あなたのせいで……」
女はへたり込んだ。ナイフを取り落としてうずくまる。女の咽ぶ声が部屋にこだました。俺は思わず目を逸らし、床に落ちたナイフを眺めていた。よく見るとそれは小さな果物ナイフだった。
「……天光からの依頼が終わった後、俺はサブリミナルから手を引いた」
「……」
「天光の施設で信者達を見たからだ。皆、瞬きもせずテレビにかぶりついていた。恐ろしかった……その片棒を担いだと思うと自分が許せなかった」
「……ならどうにかしてよ!死人を崇め続けるなんてあんまりだわ」
「死人?もしかして天地神翔悟は死んだのか」
女はジャージの袖で涙を拭って頷いた。
「天地神翔悟代表は死んだ。本部はそれを隠そうとしているの」
「なるほどな……天光の求心力は教祖のカリスマに依る所が大きい」
それにしても不思議なのはこの女だ。信者なのは間違いないが、天光から他の信者達を救おうとしている。サブリミナルの効果を信じて疑わないのも奇妙だ。
「お前さん、サブリミナルの事、どこで知った。教祖の死も、なんで知ってる」
「天光の本部。私、本部の職員なの。幹部が話しているのを聞いたわ」
「本部職員か。おおかた二世信者ってとこだろう。お前の親は相当な額を布施したんだろうな……」
女は唇を噛んだまま、黙って頷いた。
「名前、もう一回聞かせてくれるか」
「私?私の名前は――」
編集ソフトの再設定が終わった。
元々構造としては単純で、撮影したVTRを編集するソフトに『自動的に特定のサブリミナル・メッセージを仕込む』という隠しコマンドが設定されているだけだ。仕様さえ知っていればメッセージを差し替える事は容易い。フラッシュメモリに収録されている番組も新しい設定で再出力する。
番組名『哲学の時代・心の部屋』。
出演者『杉山 泰生(宗教団体 天光副代表)』。
この番組は企画、制作、撮影に至るまで全て天光の息が掛かっている。当然、信者は毎回欠かさずに視聴するように厳命されているのだが、実は映像の中にはサブリミナルが組み込まれている。
メッセージの内容は「天地神翔悟を崇め、教義を遵守すべし」。このメッセージが信仰心にどれほど寄与したのかは不明だが、とにかくそのプログラムを作るのが十数年前の俺に与えられた仕事の一つだった。
しかし、たった今このメッセージは改変された。新しいメッセージは「天地神翔悟は死んだ、教義を捨てよ」。信仰心がサブリミナルで培われた物であるならば十分な効果が見込めるだろう。
時間が迫っていた。デスクトップの電源を落とし、フラッシュメモリを元の置き場に戻す。できれば映像を確認したかったがそんな猶予は端からない。
そっと、廊下に出る。数分前と違い電気が消えている。俺が作業している間にこの廊下を歩いた者がいる、一歩間違えたら見つかっていたかもしれない、そう考えると肝が冷える。
しかし、人気がないのは好都合だ。半ば駆け足で階段を降りる……あっという間に第2倉庫の前まで辿り着いた。扉を開ける。
「サトミ……」
倉庫の中にサトミはいなかった。ダンボールが載った台車だけが部屋の入り口付近に残されていた。
「おじさん!」
突然、背後から声が掛かった。ここ一ヶ月で聞き馴染んだ声だ。
「どこに行ってたんだ」
サトミは申し訳なさそうに目を逸らす。
「ごめんなさい。その、夜景がキレイだったから」
「夜景ってお前なぁ!遊びに来たんじゃないんだぞ。俺達は不法侵入者なんだ」
「ごめんなさい、でも本当にキレイで」
「まぁいい、ずらかるぞ」
俺は台車に手を掛けた。サトミが先に行ってエレベーターのボタンを押す。廊下の窓から一瞬見えた高層夜景はサトミの言った通り、たしかに美しかった。
降って行くエレベーターの中、小さな声でサトミが言った。
「バレないかな」
「サブリミナルについて知っているのは天光上層部と一部の本部職員だけだ。教祖が死んでソイツらもサブリミナルどころじゃないだろうし、バレないと思うぜ。それに人間には認識できないのがサブリミナルなんだ」
今回は誰とも乗り合わせずに地階に着いた。ガラガラと台車を押しながら駐車場へ向かう。まだテレビ局には何人も局員が残っているはずなのに不思議と誰の姿も見えなかった。
バンにダンボールと台車を積み込む。本来ならばゴミを持ち帰ってやる筋合いなどないのだが、怪しまれた時に「業者です」の一点張りで押し通す為には仕方がなかった。
車を発進させる。解放を目前に事故るわけにはいかない。運転は必要以上に慎重になる。地下駐車場の入り口に守衛がいた。車を側にゆっくり停めてウィンドウを開ける。
「もう用事は済んだのかい。じゃ札返してね。あれ、よく見ると助手席の人、女の子だったんだ。聖夜に女の子と過ごせるなんていいご身分だねぇ……じゃ、メリークリスマス!」
守衛を置き去りにするように発進させた。広い道路に出ると同時に、自分に手落ちがなかったか心配になるキリキリとした胸の痛みが襲ってくる。
不安を紛らわせる為にサトミに何か話し掛けようかとも思ったが、それは断念せざるをえなかった。助手席からすすり泣きが聞こえて来たのだ。
それにしてもよく泣く女だと俺は思った。
夜明け前のパーキングエリアは本当に染みるような寒さだった。
ジッと立っていると足下から冷えて堪らない。その場で足踏みをしながら自動販売機が調理を終えるのを待つ。
俺はサトミについて考えていた。彼女のサブリミナル効果の実在への確信は一体どこから来たのだろう。それに以前聞いた話が正しければ彼女は熱狂的な天光信者を親に持つ二世信者だ。幼い頃からサブリミナル映像を見せられて生きてきただろう。にもかかわらず、彼女自身には信仰心が芽生えていないのは、彼女の確信と矛盾するのではないだろうか。
自動販売機の調理が終わった。さっさと暖かい車内に避難する。俺が運転席のドアを開けると、サトミは目を覚ましていた。車内テレビをじっと見ている。ああ、もうそんな時間か。テレビには『哲学の時代・心の部屋』が映っている。
「どうだ、何事もなかったか」
「うん」
サトミはテレビを消した。俺を見て微笑む。
「ほら、お腹すいてるだろ。食堂も売店も閉まってたからこんな物しかなかったけど」
俺は熱々のフライドポテトをサトミに手渡した。サトミは不思議そうな表情を浮かべていたが、やがて一本を指でつまみ、口に運んだ。
「私、フライドポテト食べたのはじめて」
思わずまじまじと見てしまう。シートに深く凭れ掛かって目を細めている。
「しょっぱいねぇ」
そう呟いたサトミの顔を見て俺の疑問は氷解した。謎を解く鍵はそこにあったのだ。彼女が本部職員としての初任給で買ったと自慢げに語り、そして狂気的な清貧の思想に取り付かれた彼女の両親は決して買い与えなかったであろう、その分厚いレンズのメガネに。
サブリミナル効果の確信もそれで説明が付く。自分以外の家族が映像に狂わされていく様を間近で見てきた彼女の人生を思うと胸が痛む。
夜が明けないうちに何所まで行けるだろうか。俺は車を発進させた。
NIGHT SHOW ノイロ・ユウラ @neuroyura
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