桜羽アザミの不敵

クサバノカゲ

運命の曲がり廊下

「――高校いったら、アザミにだって素敵な出会いがあるかもよ」


 廊下を歩きながら、私は母の言葉をぼんやり思い出していた。正直すこしは期待していたんだ。運命の相手とか、一目見ただけで……だとか、そういうこともあるかも知れない、なんて。


 でも、入学式の日に同級生たちを一周り見まわしただけで、自分の考えの甘さを思い知った。そう、先月まちがえて購入したバニラ味のプロテインなみに甘すぎた。やはりプロテインはプレーンに限る。


 開け放たれた廊下の窓から、春風が吹き込んで高めのポニーテールを揺らす。すれ違う男子生徒たちが、そんな私をこっそりと、あるいはじろじろと見つめてくる。以前はそういう周囲の不躾な視線が嫌だったけど、もう慣れた。


 長らく「恋人にしたい女性有名人ランキング」のトップに君臨し続けた元アイドルで女優の荒牧アラマキユリ――本名・桜羽サクラバユリ。それが私、桜羽アザミの母親だ。


 そんな母の若かりし頃、つまり「国民的アイドル」時代と顔もスタイルもそっくりだと言われ続けていれば、もの珍しさに視線が集まるのもしかたないのだろうと思えてくる。私だって、すれ違う散歩犬がスヌーピーそっくりだったらじろじろ見るもの。


 だからいちいち気にはしない。まあ正直あそこまで可愛くも細くもないとは思うけど、そもそも私は彼女――母のことがとても好きなので、似てると言われるのは単純に嬉しい。そんなことより今は、胸躍るような出会いがほしいのだ。


「……はぁ……」


 ため息ひとつ。このままじゃあ、私の青春はずっと灰色のまんまだ。ぼんやりとそんなことを思いつつ、廊下の角を右に曲がったその瞬間――。


「ウホオッ!」


「……えっ?」


 角の向こう側から、ゴリラが猛烈な勢いで襲いかかってきた。


 不覚だった。完全に油断していた。相手は巨体で、しかもこちらが曲がる前から助走をつけてのタックルだ。いつもの私なら事前にその気配を察知できたはず。


――などと自戒している余裕はもちろんない。なぜゴリラが学校の廊下で襲いかかってくるのかなんて疑問も後回し。


 相手は体勢を低くしてボディを狙ってきていた。購買部の紙袋を抱えて左腕が封じられている私は、その一瞬に最適解を導き出して。


「とう!」


 掛け声とともにゴリラの肩に右手をかけつつ跳躍、その頭上に片手倒立していた。バニラ味プロテインの威力の発揮しどころだ。大丈夫、制服のプリーツスカートのすそがめくれ落ちる前に、そのままの勢いで背後へひらり着地したから。


 おおおおお……!


 周囲に居合わせた生徒たちのどよめきと、いくつかの拍手が耳をくすぐるけど、それどころじゃない。彼らのためにもこの凶暴なゴリラを無力化しなければ。


「とりゃ!」 


 私は背後のゴリラに、振り向きざまの後ろ回し蹴りを放っていた。遠心力でポニーテールが弧を描く。


「ウホッ! ちょっと待っ……」


 無防備な後頭部を狙ったはずの一撃は、すでに振り向いていたゴリラが掲げた前腕のガードに阻まれていた。丸太を蹴ったかのような衝撃が骨まで響く。そしてなにやら人語めいたものが聞こえた気がする。


「待ってくれ!」


 だがゴリラが人語を話すわけもないので黙殺。蹴りを戻すと見せかけて、膝の屈伸を利用し無防備な横腹に追撃を放った。 


「俺が悪かったって!」


 しかしそれを読んでいたかのように、相手はガードと逆側の掌で私の上履きのつま先を受け止め、そのまま掴んで離さない。


 そこでようやく私は、そいつがゴリラではなさそうなことに勘付いた。というかまあ、普通に男子生徒だ。黒い学ランと高校生離れして逞しい体躯のせいで、ゴリラに見えてしまっただけの模様。


「頼むから俺の話を……」


 けれど襲いかかってきた時点で非は彼にあるし、ゴリラでないなら回し蹴りの際にスカートの中を覗かれた可能性もある。やはり許しがたい。


 私はホールドされた上履きからするりと足だけ抜いて体勢を直すと、意外に端正かつ精悍な相手の顔面に向け、風を切り裂く貫手を放っていた。


「――ふうん。きみ、なかなかやるじゃない」


 一瞬の沈黙の後、言った私の前髪は、寸止めされた彼の正拳の圧で舞い上がって、はらりと元の位置に戻る。


「あんたもな……」


 私の貫手の先端を眼球から1センチの位置で見つめ、頬を引き攣らせつつ彼は応じた。


――クロスカウンターの寸止め。悪くない決着だ。


「いやほんと、悪かったよ。どうしても購買のチキンカツサンドが食いたくてさ」


 タックルの弁明を聞きつつ、返してもらった上履きに足を突っ込み、とんとん爪先で床をたたいてフィットさせる。


 彼――同学年で二つ隣のクラスの藤堂ダイゴくん、いわく。授業中の居眠りに端を発する教師の説教が昼休みになだれ込んだため、チキンカツサンド購入に危機感を抱き廊下を全力疾走していたところ、私と鉢合わせてしまった……ということらしい。


 衝突するくらいならせめて抱きかかえようと咄嗟にタックルの体勢をとったそうだが、ほんと、つくづく相手が私で良かった。……ちなみにチキンカツサンドは私がさっき購入した3個で売り切れていたので、全力疾走も無駄な足掻きである。


「でも、あんた気配消してただろ。そうでなきゃあ、こっちから避けてた」


「……あー……」


 私の父は武術家だ。母の主演映画のアクション監修をしたのが縁らしい。そんなわけで私は、幼いころからあらゆる武術の英才教育を受けてきた。そして、他人からの不躾な視線に耐性なかったころの私は、人目を避けるべく、習った武術の応用で足音や衣擦れなどの気配を消して過ごすようになっていた。


 視線を気にしなくなったのと、気付かれずに接近して驚かせてしまうということも何度かあって、最近は意識してやめているのだが、ぼーっとしていたせいで以前の癖が出てしまったらしい。


「まあ、そんなことよりも」


 そして今度は私が、彼の全身を不躾に眺めまわす。身長は180センチ超。太い腕と分厚い胸板は、見せるためでなく実戦用の無駄のない「武装」としての筋肉だ。私の父のそれにそっくりだから、間違いない。


「折り入って、お願いがあるのだけれど」


 舐めるような視線に困惑しながら頬を染めていた彼へと、私はそう切り出した。


「ウホッ?!」


 どうやら、動揺するとゴリラっぽい声が出る癖があるらしい。可愛いな。


「あのね。今日はじめて会ったきみに、こんなこと言うのおかしいかも知れない。でも、運命って本当にあるんだなって……」


 彼の瞳をまっすぐ見つめて、私は真剣に言葉を紡ぐ。遠巻きにした生徒たちがひそひそと話しているのが聞こえたが、どうでもいい。


「お願いします! 私の!」


 真っ赤になって目を逸らす藤堂くんに、私は胸の奥からわきあがる熱い想いを言葉へと変えて、生まれて初めての告白を叩きつけた。


「ライバルになってください!!」


「ごめん!! あんた……さ、桜羽さんはめちゃめちゃ可愛いし、できれば付き合いたいって思う。ただ、言ったらどうせ笑われるだろうけど、俺には『最強』になるって夢があるんだ。だから、そういう恋愛的なものにうつつを抜かしてる暇は……」


 目を逸らしそこまで喋った藤堂くんは、ふと何かに気付いたようにこちらへ視線を合わせてきた。


「……はい?」「……はい?」


 そして二人の疑問符がハモる。


「あのごめん、もう一回いいかな。いま、何になってくださいって言った?」


「だーかーら。ライバルになって、と言ってるの。好敵手と書いてライバル。強敵と書いて『とも』じゃなくライバル。わかるでしょ、放課後に手合わせしたり、休日に決闘したりする関係!」


 彼の顔前に拳を突きつけながら、私は噛んで含めるように言葉を並べる。それこそが、私の求めていた出会いなのだ。すると、彼が浮かべるきょとんとした表情は、次第に不敵な笑みへと変わって行った。


「――ああ、いいぜ」


 よし! 彼の快諾に、私は突きつけた拳の親指を立て満面の笑みを返す。


「だが、俺は女だからって手加減しないぞ」


「手加減とかしたらコロス」


 当たり前のことを言ってくる彼に釘をぶっ刺し、それからひとつ、どうしても言っておかなくてはならないことを私は、続けた。


「ところで、『最強』ね……」


 その言葉を聞いた彼の表情が、すこし揺らぐ。きっと、これまでにたくさん笑われてきたのだろう。それでもなお公言してみせる。


「私を馬鹿にすんなよ。きみが真剣に目指している夢を、笑うわけないじゃない。というか、そのくらいでないと私のライバルは務まらない」


 彼は私の顔をまじまじと見詰めて、それからすぐ何かに気付いたように真っ赤になって高速で目を逸らす。ほとんどの男子、あと一部の女子も、私の顔を至近距離で見るとこうやって「やばい」という感じで目を逸らすのだけど、なんなのだろう。さすがにちょっと失礼じゃないかな。まあ、これも慣れたけど。


 あとついでに言うなら、私の父親はその『最強』を目指して数年前から海外に武者修行の旅に出たままなんだよね。だから私に言わせれば、藤堂くんのはまだまだ甘い、バニラ味の『最強』だ。


「ただ、少し待ってくれないか。まずは学内最強の男、三年の鬼瓦先輩を倒してからだ」


「そのひとなら先週、校舎裏に呼び出されて迫られた時に倒したけど」


「ウホッ、マジか。だから先週からずっと休みなのか……って、じゃあ今の学内最強って……」


「あ、チキンカツサンドいっこあげる」


「ウホッ、マジか! ってなんで3個も買ってんだ」


「食べるために決まってるでしょ」


「ウホッ、マジか……」


 そこで、昼休みの終焉を告げる予鈴が鳴り響く。遠巻きのギャラリーたちはそそくさと教室に戻っていく。


「じゃあまたね。これから、よろしく」


「お……おう」


 互いの拳をコツンと触れ合わせ、私たちもそれぞれの教室へ歩き出した。窓からの春風がまたポニーテールを揺らす。舞い込んできた桜の花びらを正拳突きの所作でつかまえて、ふと見上げた青空。


 そこに、昨年末で女優業を引退し、いまや父を追いかけ異国の空の下にいる母の華やかな笑顔が、ふわりと思い浮かんだ。


――ねえ、お母さん。私にも素敵な出会い、あったよ。


 さてと。昼休み終了まで残り5分弱、チキンカツサンド2個いそいで食べなくちゃ。 



(おわり)

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桜羽アザミの不敵 クサバノカゲ @kusaba

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