はじめましての距離
黒月水羽
初めは向かい合わせ
「はじめまして」
そう穏やかに笑った大人の男性は須藤孝と名乗った。須藤の隣に座る年上の少年は須藤奏斗と。
親子らしいよくにた表情で挨拶されたが、私はしどろもどろの返事しか出来なかった。
母はそんな私をみて不思議そうな顔をした。どうしたの? 調子悪い? なんて見当外れなことをいう母の脇腹を小突いてやりたい衝動をなんとか堪える。
人見知りする方ではない。同世代と比べてもしっかりしている方だと自負している。それでもこの状況には戸惑いしかないし、簡単に受け入れてはいけないと理性と警戒心がうなり声をあげている。
しかし、悲しいかな私よりも気持ちが若き乙女である母には私の葛藤など何一つ伝わっていなかった。
思春期まっさかりの女子中学生にいきなり高校生の兄と血の繋がらない父ができる。そんな衝撃的な事件がいままさに起こっているというのに、私の渾身のSOSはやっぱり母には伝わらない。
こういうところが離婚の原因だったのだと母は理解しているのか、理解していたとしても今さら変えられないのか。
私は心のなかで嘆息して須藤さんと奏斗さんに向き直る。
家族連れでにぎわうファミレスでこの空間だけ気まずい空気が流れている。
といって母だけは全く気まずさを感じていない。黙り込んだ私を小首をかしげて見つめている。その子供らしい仕草にイラッとした。私よりも大人なんだからもっと機微とかデリカシーとか常識とか色々学んで欲しい。
それに比べて私の困惑を理解したうえで待ってくれる須藤さんはなんて大人なことか。そう好感を持ちそうになって危ない、危ないと我に返る。
母の友人として紹介されたら受け入れられたが、そうではない。母の再婚相手。未来の父親、兄候補である。そんな簡単に心を許すには問題が山積みすぎた。
探るように須藤さんをみる。
穏やかな笑みをうかべた見るからに良い人そうだ。それだけに悔やまれる。なんで再婚相手なのか。近所に越してきた人だったら挨拶も世間話も普通にできたのに、父になるかもしれないというだけで警戒心が沸き上がる。
欠点をあげ連ねてやろうという意地の悪さでじっと観察するが、着ている服も髪型もだらしないところがない。母の話ではシングルファザーだという話だから、きちんと家事をこなしているのだろう。
好感度があがりかけたところでいや、まだだと気持ちを引き締めた。家事をきっちりこなしていたのは実の父も同じ。むしろ潔癖の嫌いがあったので母より細かかった。そういうところが大雑把な母とは合わなかったのだろう。
今度は須藤さんの隣に座る奏斗さんを値踏みする。
高校生と聞いていたが、着ている制服は私も知っている進学校だった。それだけで好感の方にふりきれそうになったメーターを押し戻す。
まだ早い。須藤さんと同じく柔和に笑っているけれど、もしかしたら演技かもしれない。猫を被っているだけかも。ともはや無理やり悪いところを作り上げるほど必死だった。
相手には悪いけれど、ホイホイと義理の父と兄を受け入れるわけにはいかなかった。だって他人だ。血も繋がってないし、今日はじめてあった。今までどこに住んでいたかも、なにが好きかも知らない。時たま階段ですれ違うアパートの住人よりも知らない。
娘の私からみても母はお気楽すぎて、ころっと詐欺に騙されそうだ。これが結婚詐欺じゃないと誰が証明できるのか。私は母を守らなければいけないし、自分の尊厳も守らなければいけない。赤の他人にいきなり土足で家にあがりこまれてたまるものか。
警戒心あらわに須藤さんと奏斗さんを値踏みしていると須藤さんが小首をかしげた。その仕草が妙に柔らかくて戸惑った。父はふにゃふにゃの母と比べて鉄でできたみたいに固い人だったので、大人の男の人が柔らかな仕草をするのは違和感がある。
「もしかして、娘さんに説明してなかった?」
「えーしたわよ。ここにくる前に、ねー?」
「それは直前にしたってこと? 僕は時間をかけてゆっくり話して、娘さんが再婚に肯定的だったら会おうっていったよね?」
須藤さんの言葉に私は驚いた。柔らかくて穏やかな雰囲気から母と同タイプだと思っていたが、第一印象よりもしっかりした人のようだ。
須藤さんの言葉に母は子供みたいな顔で首をかしげた。
「私が孝さんの説明をするよりも直接あった方が早いと思って」
その言葉に私はあきれ果てた。たしかに早い。又聞きよりも人となりはわかる。しかしだ、相手はもしかしたら義理の父親になるかもしれない相手だ。友達の友達がいい子だから今度会わせるね。みたいなノリで紹介されたって困る。それも十分に困るのに、義理の父となればさらに困る。
これには須藤さんも私と同意見だったらしくあきれた顔をしていた。奏斗さんは穏やかな笑みを崩して苦笑い。ちょっと仲間意識が芽生えそうになった。
「物事を深く考えないのは恵美子さんの悪いところだよ」
「ちゃんと考えてるわよ! だって子供には父親はいた方がいいでしょ!」
ね? と私に母は問いかけてきたが、私にはすでに血の繋がった父がいる。だから義理の父などノーサンキューである。
父と母の夫婦関係はうまくいかなかったが、私と父の親子関係にはこれといった問題はなかった。離婚してからも月に一度、都合が会えば数回会い、スマートフォンで気軽に母に対する愚痴を吐き出すほどには仲がいい。むしろなぜ父についていかなかったのか不思議なくらい関係は良好だ。
「私にはちゃんとお父さんいるし、母子家庭でも全く問題ない」
私がキッパリと言いきると母が目を見開いた。そんなこと言われるなんて一ミリも考えていませんでしたという顔だ。娘の私でもあきれ果てたのだから須藤さんも奏斗さんも呆れを通り越して表情がひきつっている。
「えっでもほら、いまならカッコいいお兄ちゃんもついてくるのよ?」
「いきなり血の繋がらない兄とか気まずいでしょ」
こちらは思春期まっさかりの女子中学生だ。義理の兄ができましたなんてクラスメイトにしれたら何を言われるか、想像するだけでめんどうくさい。噂好きのクラスメイトはあることないこと捏造して面白おかしく話を盛るだろう。相手がさわやかな好青年ならなおさらだ。
「えっでも、寂しくない?」
「寂しいのはお母さんでしょ」
父と母が離婚した当初は正直いって寂しかった。私は父も母も大好きだったのでどちらか選べと言われたときは選べなくて泣いた。そんな私をみて母親と一緒の方がいいだろうと折れてくれたのが父で、そんな父は離婚した後も私の話をちゃんと聞いてくれるし養育費も払ってくれる。こんな優良物件見つけておいて母はなんで離婚なんてしたんだ。そんな怒りを覚えるほど父は私にとって理想の父だった。
でも、それでも母も好きなのである。能天気でマイペースで大雑把で子供っぽくて、残念な大人としかいえないけれど私のことを産み育て可愛がってくれる母には違いない。
「お母さん、私だけじゃ寂しいの?」
私が聞くと母は言葉を失った。自分でも思ったよりも泣きそうな声がでて、こんなはずじゃなかったのにと唇を噛み締める。
ショックだった。父がいるのに新しい相手と再婚しようとしているのも、私がいるのに私だけじゃ寂しいというのも。母にとって私も父もどうでもいいみたいじゃないか。
「だからちゃんと話あってといったんだよ」
泣きそうな私におろおろする母をみかねて須藤さんはため息をついた。涙目でみれば優しい顔で私をみている。隣の奏斗さんも眉を下げて、心底私を心配しているようだった。
これは演技ではない。演技だったら騙されても仕方ない。そう開き直れるくらい二人の空気は柔らかい。
「この子の母親はこの子が物心つく前に亡くなってね、この子は母親という存在を知らないんだ」
須藤さんはそういって奏斗さんの肩に手をおいた。奏斗さんは平然としているが私は言葉が出てこない。
親の死。それは私には遠い出来事すぎて、いや、遠い出来事であってほしいから想像すらしたことがないことで、奏斗さんの気持ちも奥さんに先立たれた須藤さんの気持ちも想像するのが怖い。
「母親がいなくてもこの子に寂しい想いはさせないように育てよう。そう決意して今までやってきたんだけど、君のお母さん、恵美子さんにあってからもし母親がいたら。そう考えることが増えたんだ」
そういって須藤さんは目を細めた。それは優しくも悲しい瞳だった。
「私は生きる術を教えることは出来る。息子に愛もそそいでいる。けれどこれは本当に正しいのか、不足してはいないか? 間違ってはいないか? 息子にとって最善か? そんなことを一人で考え始めたら不安で仕方なくなった」
子供は夫婦二人で育てるものだ。喧嘩しながらも、離婚して夫婦じゃなくなってからも父と母は私をそれぞれの形で育ててくれる。
けれど須藤さんにはそうして支えて相談に乗ってくれる相手がいない。いざというとき安心して任せられる相手がいない。
「もし僕になにかあったら。そんなことも考えるんだよ。妻の時も突然だったし、人生なにがあるか分からない」
「僕の方はそんな真面目な理由じゃなくて、今まで男でひとつで俺を育ててくれた父が子供以外に目を向けて、恋愛したいっていうなら応援したいなって」
重く堅苦しい空気を壊すように奏斗さんが明るい声を出す。教室で恋ばなでも始めそうな雰囲気だったけれど、言葉を選んでいるのは伝わってきた。自分の大切な父が誤解されないように。どうにかしようとしているのがよく分かる。私だっておバカで間抜けな母にあきれてはいたが、他人にけなされたら腹が立つ。
たしかに空気読めないし、アホでドジなんだけど、そう文句をいっていいのは私だけなのだ。
そんな気持ちが奏斗さんにもある。もしかしたら私よりも。男一人で高校生まで奏斗さんを育て上げるのには色々な苦労があったはずだから。
「学校じゃ誰が好きだとか、誰と付き合っただとか、そういう話題にかかないのにさ、子供が生まれたから、大人だからって恋もできないっておかしな話だと思うんだ。父さんに好きな人が出来たなら僕は幸せになってほしい。僕のことなんて気にせず」
奏斗さんの言葉に須藤さんは泣きそうな顔をした。なぜか母まで涙ぐんでハンカチをとりだし目元に押し当てた。須藤さんを差し置いて本格的に泣き出すなよと私はあせる。
「それに母親がいるってどんな感じかなって。一人っ子だから兄妹がいるっていうのも気になってさ。僕としてはこの話、悪い話じゃないんだ」
だから、ごめんね。と声にならなかった言葉が聞こえた気がした。
別にあなたは悪くない。あなたのお父さんも悪くない。今は素直にそう思えた。
「私だってお母さんが本当に再婚して幸せになれるなら応援したい」
複雑だけど。どうしたって私の父親は血の繋がった本当の父で、目の前にいる須藤さんと奏斗さんを父や兄だと思えるかは分からない。最後まで他人という感覚が抜けなくて傷つけるかもしれない。
でも母が、どうしても母が好きな男性と再婚したいというなら私はそれを止められない。私は母に弱い。最後はいつもお母さんは仕方ないなと許してしまう。親子の立場が逆だなんて言われることもあるけど、それが私と母の関係だった。
「私はね、これでも自分が母親としてダメダメな自覚はあるの」
母は涙声だった。
「離婚するとき、君じゃ子供は育てられないって言われたわ。きっと不幸にするって。私、そんなことない。私の大事な娘だもの! って答えたの。でもあなたと二人きりの生活が始まったら、あなたに苦労ばかりかけててどんどん不安になった」
母なりに頑張ってるのは知っていた。母はわざと可笑しな行動をとってるわけでもないし、わざと失敗してるわけでもない。本人はいつだって真剣で、真面目だ。それが私や周囲、父とはまったく噛み合わなかった。それだけの話で、母はいつだって私を育てることに全力だった。
「同じシングルだからって色々話すようになって、相談していくうちにね、あなたにも必要な気がしたの。身近で相談できる人。私よりもしっかりした人」
母は涙でうるんだ瞳で私を見つめた。
「お父さんと連絡取り合ってるのも知ってるけど、あの人も忙しいでしょ。あなたのこと大好きだからなるべく会うようにしてるけど、離れてるとどうにも出来ないこともある。あなたはもう中学生で、そのうち高校生になる。子供のあなたよりもぬけてる私なんかに相談できないような悩みや問題にぶつかるかもしれない」
母はハンカチを握りしめた。その仕草をみて気づく。父と離婚して、シングルになって自分がなにも出来ないのだと打ちのめされたのは母だった。不安な姿を見せないように明るく振る舞っていたけれど、心のなかではずっと不安だったのだ。母には私にとっての父のように相談して、信頼できる相手がいなかった。
「あなたをちゃんと育てられるか不安だなんて誰かにいったら、今度こそあなたを取り上げられる気がしたの。私はね、母親としてはダメダメだと思う。あなたの方がしっかりしてるもの。でも、私はあなたがいないと生きていけないの」
ハンカチではなく私の手をにぎりしめる母に私は泣きたくなった。
ここはファミレスで、周囲にはたくさんの人がいて、前の席には今日始めてあった人が座っていて、泣くのはとても恥ずかしいのに胸がぎゅうっと苦しくなって、喉と目の奥が熱くなる。
「だから再婚するの?」
「孝さんとならあなたのことをもっと幸せにできると思ったの」
「お母さんは? 幸せになれるの?」
私の問いに母は驚いた顔をした。そんなこと聞かれるとは思っていなかった。そんな反応に私の胸がはち切れそうなほどぎゅーっと締め付けられる。
「なれる。あなたがいるんだもの」
こういうところが憎めないのである。自分で自覚しているくらいのダメダメ大人なのに、母親として私を愛することだけは上手なのだ。
「お母さんのいうとおり、お母さんだけだといつかものすごい失敗しそうだもんね」
「うっ……」
自覚がある母は目をそらした。それが完全に子供の仕草で私は笑ってしまう。
「でもいいんですか、うちのお母さんで。もっと素敵でしっかりした人いっぱいいると思いますけど」
「ひどい!!」
母はショックを受けた顔をしたけど、これは必要な確認だった。須藤さんも奏斗さんもとにかくしっかりしているのは今までの会話で分かっている。子持ちバツイチの母より若くて家事もできる女性を見つけられるに違いない。
「僕が求めているのは新たな家庭を築ける相手というよりは、足りない部分を補いあえる相手」
「足りない部分……?」
「僕も息子も物静かでね、家のなかは人がいても妙に寂しいんだ。君のお母さんがいたら毎日にぎやかで楽しいだろうなと」
母をみる。たしかに、母がいたら話題にはつきないし物静かとは程遠い生活になるだろう。それは良くも悪くもなので、なれている私はともかく赤の他人である二人が受け入れられるかは分からないけど。
「わかりました。とりあえず、母とお付き合いすることは認めます。けど、再婚はまだ認めないので、本気なら私を納得させてください」
腕を組んで胸をそらす。今日あったばかりの年上にする態度としては間違いだろうけど構うものか。これくらいで動じられるなら、これからうまくやっていけるはずもない。
私の態度をみた須藤さんと奏斗さんは目を丸くして、それから笑い出した。
「娘というより父親みたいだ」
クスクス笑う二人。私の発言に瞬きを繰り返す母。最初とは違うなごやかな空気ではあるものの、私はまだ気をぬかない。だってこれは私にとってとても大事な選択で、なによりも
「私の大切なお母さんの幸せがかかってるので」
妥協なんて許されない。だからどうにか私の不安をなくしてほしい。
「それは僕も一緒。父の幸せがかかってる」
穏やかに、それでいて好戦的な視線をよこした奏斗さんに私はニヤリと口許をあげた。奏斗さんの気持ちはよくわかる。奏斗さんも私の気持ちを分かっている。会ったばかりの他人だけど自分を必死に育てようとしてくれた親が大好きだということは共通しているのだ。
子供を思う親。親を思う子供。どっちだって譲れない。だから家族という関係は複雑で面倒で、一筋縄手はいかない。
「とりあえず、お仕事は?」
堂々と探りをいれ始めた私に須藤さんは吹き出した。その顔をみていると上手くいきそうな気がしたけれど、こういうことは焦ってはいけない。時間をかけてじっくりと。
探り探りの距離は少しずつ埋めていけばいい。いつの日か開いた距離がゼロになったそのときは、かけた部分を補いあう家族になるのもいいかもしれない。
はじめましての距離 黒月水羽 @kurotuki012
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