第5章 結ばれる2人~1年後~
暴力彼氏とは、たった一本の電話ですんなりと別れることができた。別れ話をした後の呆気なさに正直驚いた。
好きで好きで、どんなにひどいことをされても別れられなかったのが、嘘のようだった。別れないといけないと頭では分かっていても、それが出来なかった。それなのに彼の告白によって、いとも簡単に呪縛から解放されたのだ。ある意味、彼の手は神の手だと思う。
「京香!」
彼が車の鍵をしまいながら、走ってくる。いつものカジュアルファッションではなく、少しキレイめなフォーマルファッションだ。
「待った?」
「ううん。丁度、着いたところだった」
「そっか。行こうか」
彼が自然と手を繋いでくる。その温かい手を握り返しながら、口元がニヤついてしまう。未だに彼と手を繋げるのが嬉しくもあり、付き合っていることが実感できて、幸せな気持ちになる。
彼と二人で並んで歩きながら、横浜のお洒落な街並みを堪能する。
「今日のお店、絶対京香が気に入りそうな店だよ。付き合う前に俺が行きたいって思ってたところ」
「え、嘘! どこのお店??」
「着くまでのお楽しみ」
この前からずっとこの調子だ。実は今日、どこに行くのか知らされず、服と場所と時間だけ指定されたのだった。
私たちが付き合い始めて、一年が経つ。
今日は、二人にとって特別な日だ。
「この一年、色々とあったね」
「うん、本当に。やっと付き合えたかと思えば」
「マンガみたいに簡単には上手くいかないね」
今振り返ってみても、本当に波のある一年だった。ある意味、濃い一年だったとも言える。しみじみと感慨に浸りそうになっていると、彼が立ち止まった。
「着いたよ」
「え、ここ?」
まるで、お城のような隠れ家のような見た目のお店だった。木々で入口付近が覆われていて、妖精が今にも出てきそうな森を思わせる雰囲気だ。
「姫様、どうぞ」
彼が急に口調を変え、本当の王子様のように私の手を握り直す。私は戸惑いつつも彼のエスコートに身を任せる。お店の中に入ると、そこはかの有名な夢の国の世界観に似た内装になっていた。
「わぁ、キレイ……」
思わず、感嘆の声が漏れる。キャンドルが灯されていて、少し暗めの照明だが、温かみのある店内だ。
「いらっしゃいませ。ご予約の西野様ですね」
スタッフがすぐに出て来て、席まで案内される。私たちの他に何組かのカップルが食事を楽しんでいた。案内された席は、半個室になっていて、窓から横浜の街が一望できる場所だった。
「え、すごいすごい! めちゃキレイ!!」
あまりの夜景のキレイさに、声が大きくなってしまう。スタッフが椅子を引いて待っていたので、慌てて席につく。
「気に入ってもらえた?」
「すごい、この雰囲気好き! どうやって見つけたの?」
「それは内緒」
彼はいたずらっ子のような顔をして笑う。今回は全部、彼が決めてくれているので、驚きの連続だ。しばらくすると前菜と飲み物が運ばれてきた。どうやらコース料理で予約したらしい。今までのデートとは全く違った雰囲気に新鮮さを覚える。
昔話に花が咲いた。付き合ってすぐに事件が起きたり、お互いの気持ちが分からなくなったり————。
それでもこうして、まだ付き合っていられるのは、彼の広い心と私を想ってくれる愛情のお陰だと思っている。
「ねぇ、覚えてる?」
「うん?」
「『どんな時でも一緒に居るよ。間違いなんて誰にでもあるから』って言ってくれたよね」
「ああ。別れそうになったときね」
彼が懐かしそうに笑った。彼といると、いつも笑っている気がする。どんなに辛いことがあっても最後は笑っているのだ。
「私を救ってくれるのは、裕しかいないなって思ったんだ。ありがとう」
「どうしたの、急に」
「こういう時じゃないと恥ずかしくて言えないから」
照明が暗くて、助かった。今までにないぐらい、顔が赤くなっているから。何故だか、今日は彼に見つめられるのが恥ずかしい。
(いつもの格好より少しカッコよく見えるからかな?)
そうこうしているうちに、料理を食べ終えてしまった。少しゆっくりしてからお店を出る。このまま帰るのかと思いきや、
「今日は、京香にもう一ヶ所、連れて行きたい所があるんだ」
と言って、駐車場の方へ向かう。そのまま、行き先も分からずに、彼の運転する車に身を任せる。だんだんとキレイな街並みから街灯だけが建ち並ぶ景色に変わっていった。
「あれ?ここ……」
そこは見慣れた景色だった。いつも何かあると二人で波の音を聞きに来る場所だ。夜だからか、周りに人はおらず、静かな波の音だけが響いていた。
「少し歩こう」
車から降り、横並びで砂浜を歩く。夜風が少し冷たいが、隣にいる彼の体温を感じていて少しも寒くない。しばらく無言で当てもなく、ゆっくりと歩いた。穏やかな時間だ。
歩いていると大きな流木があり、そこに二人で腰かける。すると、彼が上着のポケットから小さい箱を取り出した。
「え?」
彼が真剣な表情で、その箱の蓋を開け、私に差し出す。
「俺がしんどい時に京香が支えてくれたから、今の俺がいる。いつも支えてくれて、ありがとう」
真っ直ぐに見つめ合う。だんだんと視界がにじみ始めた。
「俺と結婚してください」
彼が振り絞るように呟く。箱の中には、月の光でキラキラと光る指輪が入っていた。さらに、小さなメッセージカードもついている。
私は、堪えきれずに涙をこぼす。
「もちろん……! 末長く宜しくお願いします」
涙声になりつつ、満面の笑みで彼を見つめる。
「あと、もう一つ。――——はい」
彼が胸ポケットから出したのは、一輪の花。ツバキだ。
「……?」
「今日は何の日?」
「私たちが付き合って一年記念日?」
今日は二月四日だ。付き合った日を忘れるはずがない。
だが、彼は笑いながら首を振る。
「え、嘘。違うの?」
「違くはないよ。けど、もう一個ある」
「もう一個……?」
彼の言わんとすることが表情からは読み取れない。
「ヒントは、この花」
「ツバキ?」
ますます分からなくなり、首を傾げる。
彼が得意そうな顔で答えた。
「正解は、『完全な愛の日』でしたー!」
「え、花言葉!?」
「京香なら気づくかなぁと思ったけど」
俺の勝ちだね、と彼はニヤニヤしながら花を私に差し出す。
少し悔しい。花言葉や花占いが好きで、ことあるごとに彼に話をしていた。なのに、ツバキから思いつくことができなかった。
「……負けました」
私の言葉に彼が吹き出す。私も釣られて、笑ってしまう。本当にしょうもないことが好きな私達だ。
ひとしきり笑った後、彼の手が私の頬に触れる。
「京香、ありがとう。これからも宜しくな」
「うん! こちらこそよ……」
最後まで言い終わる前に、唇を塞がれる。私はそっと目を閉じる。
波の音を聞きながら、私達は夜空の下で、いつまでもそうしていたのだった。
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