嘘告白は今日という日に。

コカ

嘘告白は今日という日に。



 一月は居なくて、二月は逃げる。そして三月は去っていくのだと誰かが言っていた。

 要は正月からこっち、この三ヶ月はあっという間に過ぎてしまうと言う意味なのだろうけど、私はなるほどと、昔のヒトは上手いことを言ったモノだと手を叩いて納得してしまう。

 なんせ、三月は足早に過ぎ去って、あれよあれよと昨日で最終日。もう数日経てば春休みも終わり、いよいよ高校二年生としての新しい一年が始まろうとしているのだから、前年度はあっという間の一年間だったなと、そう思うわけだ。

 月並みだが、いろいろなところでこの言葉をよく耳にする。楽しい日々は過ぎ去るのも一瞬だと。――だからかもしれない。

 思い返しても、この一年間は本当に素晴らしいモノだった。思い出をたくさん残そうと張り切った、そんな私自身の頑張りもあるけれど、それになんだかんだと付き合ってくれた彼の功績も大きい。

 だから、あっというまに過ぎ去った日々だったと感じるのであれば、まんざら間違いでもないのだろうね、私が心から楽しんだ結果、光陰矢のごとしなわけだろうから。

 まぁ、肝心の彼は、いやいや付き合ってくれたのかもしれないけれど。なんて、せっかくの春休みに、ぼんやりと欠伸をする彼の顔を見やる。


 「欠伸するほど退屈なら、べつに誘わなくて良かっただろうに」


 私は、隣を歩く彼に、少し意地悪な声色で言葉を投げかける。

 もう辺りは夕暮れ時で、どんな気まぐれだろうか、朝から電話で『今日はヒマか』なんて聞いてくるものだから、――昨日は遅くまで部屋の片付けをしていた都合上、ベッドに入るのが遅くなってしまい、いつもは起きてる時間なのだけど、今日ばかりは高いびき。でもスマホが鳴るのだから仕方が無い。反射的に出てしまって、もちろん寝ぼけ眼で電話をとってしまったわけで、しかも相手は彼だ。突然のお誘いに布団をはねのけて起き上がったのは内緒である。


 『ひまっ! 』


 思わず声が裏返ってしまい、しかもはねのけた布団で、脇に積んでいた段ボールが音を立てて崩れた。


 『どうした、大丈夫か? 』


 すごい音がしたぞ。

 少しだけ彼の声に焦りの色が見えたけど、まさか部屋中段ボールだらけだなんて言えないからさ。それに、中身が少なかったぶん派手に転がっただけで、何でもないさと電話越し、私は誤魔化すように笑った。

 それが彼にどう伝わってしまったのか、待ち合わせ場所でその顔を見るまではわからなかったのだけど、


 『汚部屋』


 会ってそうそう、この一言なのだからたまらない。しかも、イタズラっぽく笑ういつものニヤけ顔。

 今はたまたま部屋がそうなだけだし、いつもはキレイにしているんだ。どこかの誰かさんが急に遊びに来ても良いようにと、趣味が掃除と言えるくらいにはこまめな清掃を心がけている。

 でも、それならどうして今だけは散らかっているんだ。彼にそう聞かれたなら、途端に私は応えるすべをなくしてしまうのは明らかだからね、下手な事は言えやしないさ。

 だから、春休みもそろそろ終わるこの時期に、しかも個人的には大忙しな毎日に、せっかく予定を空けてあげたのに、なんて心にもない事をまるで呪詛のように呟いてみせた。

 だけど、結局それがウソなのはバレバレだろうね。

 なんせ私ときたら、見るからに背伸びして買った洋服を着て、遅刻はダメだと大急ぎで駆けてきて、そして、待ち合わせ場所に居る彼に向けて、嬉しさを堪えきれなかったのだから。


 『似合うじゃん』


 それに加えてこの男のことだ。いつものように平常運転で、これまた平然と、それでいてさらりと歯の浮くような台詞を言うのだ。出来るだけ平静を装ってはみたけれど、こんな交通事故のような不意打ちは卑怯千万。上がる口角はそう易々と抑えきれるものではない。


 『たまたま手に取ったのがこれだっただけさ』


 彼の前でくるりと背を向けて、我ながら可愛くない。着ていくものが決まらなくて半べそをかいていたくせに、それでいて遅刻ギリギリとなったくせに、こういう物言いしか出来ないのだから。

 でも、彼には何かしら私の言わんとせんところが伝わったのか、もしくはそんなヘタクソな言い訳を、いったいどういうふうに曲解して受け取ったのか、その日はとても優しくて。

 まぁ、優しいのはいつもの事だけど、なんというか、言葉を選ばなければデートのような、もっと図々しく言えばまるで恋人同士のような1日だった。

 もちろん、私たちは恋仲ではない。出会ったのは小学生の頃で、それこそ軽く5年以上も前だけど、あれだな。分かりやすく言えば、私の片想いというヤツさ。

 転勤族の親のせいで、物心つく頃には引っ越しに次ぐ引っ越し。めまぐるしく変わる人間関係や環境の変化にもう嫌だとなっていたところを、ちょっと優しくされたくらいでコロリ。まったく自分でも笑ってしまうくらいに簡単で単純なヤツだ。

 当然、彼のほうから好意の矢印は飛んできやしない。そりゃそうだ。私はお世辞にも可愛いといわれる人間ではないのだから。よく言えばサバサバした、悪くいえば人間味の薄い性格で、幼少期から転居ばかりだったからだろうけど、いまいち素直に周りと馴染めない。

 そんな私だから、それこそ何年も前に『お前はさ、なんかこう、すげぇ気が合うんだよな』という、漠然と “ 友達 ” 認定されているわけで。

 まぁ、キライって言われるよりは遙かにマシだし、それに、彼は運動も勉強も出来るクラスの中心人物だからさ、私からそれ以上の関係になろうと働きかけたりはしなかった。それこそ何度も恋敵から釘を刺されてきたという事もあるしね。


 ――私は、隣を歩く彼の顔を盗み見る。


 はじめて出会った頃には、すでにイケメンの片鱗があったが、最近は特に顔立ちが男らしくなってきたと思う。

 対して私はというと、酷い癖っ毛でスタイルも貧相な、それこそ見るからに不景気そうなヤツである。

 こんなのが、隣で楽しそうにしているのだから、彼に思いを寄せる数多の少女達が面白く思わないのは当然。それに、引っ越しの多かった私だからね、女子間に起きるイザコザの面倒さは骨身にしみている。だから、基本的には私から彼に話しかけることは無かったのだけれど。


 ――彼は、ああいう性格だから、そんなことお構いなしさ。


 だから私は苦労したもんだ。ただ彼の隣に居るだけなのに、


 『ブスのくせに』


 だもんな。陰口ならもっと小声でをオススメするよ。こちらとしてもいよいよ聞き飽きたしね。


 『勘違いしないでよ』


 これも、数え切れないほど聞いた。そっちが邪推しているだけさ。とは口が裂けても言えないけれど。

 ただ、


 『彼も趣味悪いわね』


 正直これにはカチンときた。

 別に、彼は私のことをなんとも思っていないのだから趣味が悪いという言葉はおかしいだろう。……でも。

 でも、確かにそうだと思うところもあったから、私は反論できずに、ただ胸の中に悔しさという名のしこりを残しただけで、その場は終わってしまった。


 ――何度も言うけれど、私の見てくれは贔屓目に見ても良くはないからね、かたや他校の女子生徒からも告白されるほどの彼だ。そんな彼の評判が落ちるくらいなら、スッパリと離れようと考えた時もあった。


 その時は、半ば愚痴だったと思えるんだけど、『キミの迷惑になるくらいなら』云々と彼の隣で呟いたんだ。そしたら彼が『そんなの気にするな』って言ってくれたから、ホントに真剣な顔で、『そいつらが何をどう言おうと、俺たちには一切関係ないだろ』って怒ってくれたから、それ以来、間違っても恋仲ではないからね。だけど私も女の子だよ。特別感は残しておきたかったからね、恋人に次ぐ親しい間柄という意味を込めて、その日から私は彼の親友を名乗り続けている。

 だから、今日のこれもデートでは無い。いまさらそんなこと、彼もわかっているはずだ。

 はじめは、それならばどうしてと。わざわざ休みを使ってまで、なぜ私を誘ってくれたのだろうか、なんて考えたのだけど。――どうせ答えは単純なモノ。

 そうきっと、今日があの日だからだろう。パッと頭に浮かんだのは本当にくだらない、今日という日の特異性。でも、


 ……こんな面白い日を、あの彼がむざむざと逃すわけがないか。


 なんせ四月のはじまりは、イタズラ小僧の祭典なのだ。とくに、私みたいなのを相手にすると特に面白い、ウソつき放題のフェスティバル。

 そうなれば、休みの日は会う理由なんて作らなければどうしようもないからね。いつもみたいに私をからかえないから、だから仕方なく、持て余した暇をつぶす為の、そんな適当な相手として呼んだくらいのことだろう。

 私は、イタズラに問いかけてみる。


 「今日は、なんの日か知ってるかい? 」


 当然、彼も知っている。


 「エイプリルフールだろ? 」


 しかも、やっぱり気づいてたか。と、悔しそうな、それでいて、照れたような顔のおまけ付き。つられて私も、やっぱりそうかと吹き出した。

 はじめから、何かおかしいぞと勘ぐってはいたのだ。それこそ今日一日、彼の行動には不審な点が多かったのだからさ。

 少し残念に思うのは、私の恋心ゆえだろう。

 なんせ、ぶらりと立ち寄ったお店では、ちょっとしたファッションショー。

 イタズラに手が出せる価格帯じゃないからさ、私は乗り気じゃなかったのだけど、彼が次から次に洋服を持ってきて、毎回、今度はこれを着てくれってせがむんだ。悔しいことにセンスはあっちの方が格段に上だから、似合う似合うと騒ぐ彼の合いの手も相まって、しかも店員さんもヒマしていたのかな、一緒になって褒めてくれたもんだからね、例え見え透いたお世辞でも、柄にもなく嬉しくなってしまってさ。

 今思えば、あれもウソだったのだろう。でも悪い気はしないさ。だって彼が私に可愛いって言ってくれたのだから。

 その後の喫茶店でも、エイプリルフールだからとかこつけて、お店のヒトにカップルだなんて、彼と私はイケメンとブスの凸凹な組み合わせなのにさ、なんとまぁ下手なウソだろうかと開いた口が塞がらなかったが、そんなデタラメを並べてまで特別なメニューをごちそうしてくれたし、今だってほら、私の家まで続く道を、手なんて繋いでくれている。

 彼の温かい手なんざずいぶん久しぶりだからさ、心臓が口から飛び出しそうだよ。

 そんな私の間抜け面に、きっと彼は大満足だろうさ。今日一日かけて、全力でバカな女をからかえたのだから。

 だからだろうね。

 やられっぱなしは柄じゃないしさ。それに、終始辱めをうけた訳だし、そりゃまぁ、楽しかったけども、嬉しかったけども。

 でも、それはそれ、これはこれ。

 私もひとつだけ、半分は意趣返し。そしてもう半分は興味本位、そんな彼にとっての『ウソ』をついてみようと思ったわけさ。

 今なら相手の機嫌も良いみたいだし、別にヒドく傷つけるような内容でも無い。言うなれば、これは一種の動機づけ。エイプリルフールだからと理由をつけて、これ幸いと、こんなときじゃないと言えない事って、誰でも一つはあるからね。


 「私さ、」


 夕日がちょうど目の高さを沈んでいく。隣を歩く彼も、少しだけ眩しそうにしながら、声のした方向へ、――私へと顔を向けた。

 お互いの視線が、ほんの数秒ほどかち合って、……私は諦めたように笑ってみせた。


 「今度、引っ越すんだよ」


 ――少しだけ、握った彼の手に力がこもった気がした。


 でもそれもほんの少しの間だけ、彼は『なんだそりゃ』と鼻で笑う。そして、あのなぁと呆れたような溜息の後、


 「ウソでもそういうこと言うなよな」


 ビックリするだろ。

 彼は頭を掻きながら、笑った。私も、『ごめんごめん』と苦笑い。


 「それで、いつ引っ越すんだよ」


 「え? 」


 「ヘタなウソだけどな」


 どうやら彼は面白がっているらしい。ニヤつきながら話を振ってきた。私もそうだなぁ。大袈裟に考えるふりをして見せて、


 「新学期がはじまる頃にはいない、かな」


 もうあと一週間もない。

 急すぎるだろ。もうちょっとこうリアリティをだな。彼はもう一度呆れたように笑うと、


 「遠いのか? 」


 「……けっこう遠いね」


 飛行機で行く距離かな。

 そういえば、転勤族の私だけどまだ飛行機には乗ったことがないな。


 「西の方か? 」


 それとも東? 


 「なんだよそれ。方角? 」


 普通、西とか東で聞くか? 彼の素っ頓狂な問いかけに、私はたまらず吹き出してしまった。

 彼も負けないくらい楽しそうに笑いながら、


 「じゃあ、バイトしなきゃな」


 「おや、遊びに来るつもりかい? 」


 えぇ~迷惑。なんて、わざとらしくふざけてみる。だって彼の魂胆は見え見えだ。


 「北の方なら冬に行ってさ、スキーがしたいよな。鍋も旨いって聞くし」


 「……そんな事だと思ったよ」


 ほら見ろと、私は大げさに肩をすくめての呆れ顔。

 大方は予想通りさ。簡単に言うと、彼は私をダシに遠くへ遊びに行きたいだけなのだ。

 普通、高校生のひとり旅なんて親はいい顔しないだろうけど、ウチの親も彼を知らないわけではないし、妙に父は彼のことを気に入っている感もある。それならばと、遠くに引っ越した友達の所に遊びに行く。向こうの親も良いって言ってくれているし、もちろん旅費は自分で出す。そこまで言えば、彼の親ならばオッケーを出すだろう。

 あとは現地にいる私をツアーガイドのように連れ回せば、私も彼には楽しんで貰おうと張り切るだろうし、煩わしい親の目も無いし羽を目一杯伸ばせるしで、結果、大満足の楽しい旅行と相成るわけだ。

 まぁ、確かに私にとっても悪い話ではない。でも、寒い時期に寒い所に来るのはどうだろうか。お鍋のおこぼれにはあずかりたいところだが、残念ながら、私はスキーをしたことがないし、それこそ、


 「雪で飛行機が、なんてのはありそうだね」


 そのまま引き返したりさ。私は意地悪に笑う。

 見るからに不服そうな面持ちで、彼は、それならどうしようかと、言葉を探すような素振りを見せて、


 「じゃあ南の方だな」


 私の一存で引っ越し先が決めれるものではないだろうけれど、


 「南なら一緒に遊べるだろ。太陽燦々のキレイなビーチで日が暮れるまで海水浴だ」


 海の家とかいいよな。

 彼が、心底楽しそうに、かき氷や焼きそばといった定番を並べてくるもんだから、もうそろそろ夕食時だ、思わずお腹が鳴りそうになってしまう。

 それに、まぁ海なら雪山よりはマシか。と、そこまで考えて、


 「でも、せめて三ヶ月前には要連絡だよ」


 海 → 水着 → ボディライン。女の子には、やらねばならないことが多いのだ。特に、好きな彼の前に立つのなら、なおさらである。しかも日ごろ不摂生な私だよ。おなか周りやおしり、太ももに二の腕、むしろ三ヶ月でも短いくらい。やっぱり半年は期間を設けてもらいたいところ。

 そんな私の様子に何を勘違いしたのやら。


 「別に、金は出すから気にするな」


 どーんと任せろ。胸を叩きながら彼がそう言うもんだから、そういうことではないのだけれど、まぁ彼らしいといえばらしいのか。どうやら私が金銭を工面するために時間をちょうだいと、そう言っていると受け取ったようで。

 それに、どうせエイプリルフール限定の与太話だからね、深く考えていないだろうから計画的にも非常に脇が甘い。


 「そんな大それたこと、言ってしまっていいのかい? 」


 私のぶんまで持つだなんて、ずいぶん簡単に言ってはいるけれど、高校生が稼げるお金なんてたかがしれている。

 それに、どうにか稼げたとしても、そのせいで高校生活に支障が出るようならそんなものやらない方がマシなのだから。


 「赤点の理由としては、いささかお粗末だと思うけど? 」


 「安心しろ。ちゃんと勉強もする」


 私のお小言から逃れるように、彼はきっぱりと言い切った。そして、『まだ先のことなんて、どうなるかわからないけどさ、』と前置きすると、一度だけわざとらしく咳払い。


 「良い企業に就職して、たくさん稼いでさ」


 それくらいになったら、お前の家に呼んでくれよ。


 「はぁ? 」


 なんで、わざわざウチに来るのさ。

 接待をご所望なら他所で頼むよ。あいにくと我が家は上流階級じゃないんでね。過剰なおもてなしは出来かねる。

 彼は、そうじゃねぇよと困ったように頭を掻いて、……二度三度と咳払い。


 「……挨拶だよ」


 「わざわざ今更かい? 」


 おはようやこんにちはなら電話でもできるだろう。

 いよいよわけがわからなくて、それでいて何だか妙に彼の落ち着かない感じが面白くて、私は失笑してしま――ったのも、ほんのわずかな間だけだった。

 だって、


 「親にだよ」


 これは卑怯だ。


 「……娘さんをくださいってな」


 ――闇討ちにも似た不意打ちだった。こんな卑怯な手を前に、私はもはや何も言えないさ。


 唯一口からこぼれたものといえば、声にならない呼吸音と、そして、唯一できたのは、彼のただまっすぐに見つめてくるその瞳から、一瞬たりとも目をそらさなかったことだけ。

 彼と二人、何度も歩いた近所の道で、今私は、思春期特有の勘違いに悩まされている。

 きっと、あの夕日のせいだろう。思わずそう思わずにはいられないほどに、彼の顔は夕日と同じ色に染まっているように見えたのだから。



                 ◇◆◇◆◇



 そのまま、どれくらいたったのかはわからないけど、私たちはどちらからともなく歩き始めた。

 一言も言葉を交わさずに、一歩ずつ家に向けて、ゆっくりと足を動かしていく。

私の体温はきっと見たこともないものになってるだろうね。それでいて、彼とつないだ手は、震えが止まらないでいた。

 相手が今、どういう気持ちでいるかなんて私にはわからない。彼は私の手を引くように、少しだけ前を歩いている。

 でも、もうすぐそれも終わり。だって私の家はもうすぐそこで、あの街灯がお別れの場所。いつもならあそこで、彼に『また明日』と別れを告げるのだから。

 街灯に照らされた彼が、足を止める。私はうつむいたまま同じように立ち止まる。

もうあとは、いつものように二三言葉を交わして終わり。

 でも、今日は少しばかりかってが違う。はいサヨナラで良いはずがないじゃないか。ここで彼の真意を問うべきだろう。今しかない絶好の機会だし、これを逃しては、きっと次なんてものはやってこない。

 だから、


 「あの――」


 「――だってよ、今日はあれだろ」


 私の一世一代の覚悟を消し飛ばすほどに、彼が絞り出すように言葉を放つのだから、所謂、出鼻をくじかれるというやつだ。完全にタイミングを逃してしまう。それに、


 「まぁあれだ、そういうことだ」


 もうすっかり暗くなった道路わき、彼が、照れくさそうに足元へと眼をそらして、


 「き、今日は、エイプリルフールだしな」


 なんていうもんだから。そういう事とはどういう事だい。思わず突っかかりそうになりつつも、怒りと戸惑いと、でも安堵感のほうが大きかったからかな、いまさら変な感じになっても困るしさ。


 「あのさぁ……」


 ……エイプリルフールは何を言ってもいい日じゃないからな。


 この言葉をグッと腹の中に押しとどめて、私は、彼の胸を思いっきりゲンコツで叩いた。

 彼の咳込む音を聞きながら、私は自宅の玄関前にある三段ほどの階段に足をかける。

 そして、ドアノブに手をかけたところで、もう一度彼のほうを見て――目が合った。


 「好きだ」


 「っ! 」


 あぁもう、こいつはまだ言うか。

 きっと今、私の顔はなかなかの熱線を放出しているだろうね。もう耳の先まで熱くてたまらない。

 夕暮れ時のあの一件『娘さんをください』からずっと、顔なんか溶けてしまいそうで、心臓なんかはバクバクと今にも破裂寸前。だというのに、彼は私のうろたえるところがよほど見たいのだろうね。またもや、エイプリルフールだからと面白がって、まったく、しつこい上に趣味の悪いヤツめ。

 だけど、何度も言うが私という人間もやられっぱなしは性に合わないからね。

 暗くて彼の顔は良く見えないけれど、私も負けじと言ってやったんだ。

 なんせ今日は、エイプリルフール。そう、思いっきり “ ウソ ” をついてもいい日なのだから。


 ……だから。


 「私も好きだよ。ばーかっ」


 逃げるように扉を閉めた後、遠くから『よっしゃぁ! 』といった雄叫びがわずかに聞こえてきたような気もするが、たぶんきっと、気のせいだろうね。


 ――そんな非日常な経験と、今日という日がよほど楽しかったからだろう。もしかすると、私の顔がいつもより締まりのないものになっていたのかもしれない。


 自室へと上る階段の途中で、母から声をかけられた。

 良いことがあったみたいね。

 私は、うん。と簡単に答えると、自室の扉を閉めた。

 そして、部屋の中に積まれた段ボールを前にして、――誰に対してかわからないけれど、呟いた。


 「言わなきゃいけないことも、言いたかったことも全部、」


 ……言えたから。


 どうしてだろう。なんて、考えるまでも無いけれど、今日があまりにも幸せで、心が浮ついていたからだろう。そんな浮足立った心を、目の前の光景が強引に現実へと引き戻してくれたようで、――最後のほうは言葉にならなかった。

 ふいに震えたスマホの画面には、彼からのメッセージが。


 『始業式は、一緒に行こうぜ』


 いつ以来だろうか、私はその日、涙が止まらなくて。しばらくの間、部屋でひとり、こぼれ落ちる涙をそのままに、彼の顔を思い出す。

 時間ばかりが過ぎるなか、ようやく涙で濡れた指先が、動いた。

 ひどいヤツかな? ひどいヤツだね。

 でも今日は、エイプリルフール。だから最後に一つだけ、私は彼に “ 嘘 ” をついた。


 『わかった』


 まったく。……エイプリルフールは何を言ってもいい日じゃないのにさ。




 その三日後、私は遠くへと引っ越した。一年前から決まっていたことだからね、それを聞いたときは酷く取り乱したけれど、今、私の心はとても晴れやかだった。

 言いたいことは言ったし、言わなきゃならないことも言った。……エイプリルフールだと嘯いてだけど。それにあの日、あれだけ泣いて、泣いて、泣いて。

 人間、思い切り泣けば、スッキリとするものだと学んだ。どこか諦めにも似た何かだけど、まぁ、私の中で一区切りついたのは確かだった。

 父が鍵をかけ、家族揃って思い出の詰まった家を後にする。タクシーの車窓から、彼の家は確かあの辺りかな。私は自然と笑みがこぼれた。


 ……本当に、大好きだよ。


 彼はきっと、私をからかっただけだろうけどね。でも、明日の始業式でどう思うかな。私の姿を探してくれるかな。少しくらいは、がっかりしてくれると嬉しいな。


 ……今までの楽しかった思い出が、あの春色に溶けていく。


 空港までは、あとわずか。通いなれた道には、とてもキレイに桜が咲いていた。



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