私が「小説」を書かなくなった理由。

飯田太朗

誕生日

 四月四日は誕生日だ。

 誰のか? 私に決まっている。

 祝うか? そんな暇はない。

 仕事だからだ。〆切がある。


 私は小説家だ。それなりに人気の。連載は三本抱えている。書き下ろしの原稿が一本。計四作の小説を書いている。同時進行で、だ。どれも原稿用紙四百枚前後の量だろう。字数で言おうか? みっちり埋めれば十六万字だ。実際は十万字くらいだろうな。それが四本。まぁ、大したことはないさ。


 ……そう、大したことはないはずだった。


 酒を飲む。ウィスキーだ。ジョニーウォーカーのダブルブラック。ピート臭が好きなんだ。時刻は午前十時。朝から飲んでる。飲まないといけないのだ。


 デスクに向かう。今時の小説家はVR空間に飛んでそこで自分が書いたものを「実際に」見て聞いて確認するらしいが私は古式ゆかしいタイプなので現実世界でキーボードを打つ。これでも昔は、小説投稿サイトに登録して電脳空間で執筆を行っていたものだが……今はやめた。セキュリティの問題、ということにしているが、人と人との交流が面倒なだけだ。


 椅子に座る。キーボード。手を構える。キーボードの上にかざす。

 手が、震える。

 ……駄目だ。絶望する。今日も駄目だ。文字を打てない。書けない。つまり、原稿が仕上がらない。


 日付を確認する。

 〆切まで後三日。三日しかない。七十二時間。原稿は、と言えば、二十%程度の進捗。酒で騙し騙し書いてきたがもう限界らしい。いや、諦めるのは早いか。私は再びキッチンへ行き、ダブルブラックを呷る。アルコールが舌を、喉を、胃を、焼き尽くす。それから冷蔵庫を開ける。


 先日業務スーパーで買った家庭用サイズのバニラアイスがあった。これはウィスキーに合う。私は手に取る。スプーンを出して、箱を抱きかかえながら食う。ウィスキーで流し込む。頭がフラフラしてくる。


 今度こそ書けるか。


 そう思って再びデスクに向かう。手は震えない。よし。そう思ってキーに指を置く。すると。


 ふるふる。ふるふる。


 指が震える。試しに打鍵してみる。狙った通りの文章を打つのに二秒。それもキーを目視で確認しながら。ブラインドタッチができなくなってもうどれくらいだろう。


 知人を思い出す。知人の作家。〆切前になるとトイレに籠りながら執筆するらしい。理由は吐くから。嘔吐するらしいのだ。ストレスで。胃液と涎でどろどろになった顔を拭いながら執筆するらしい。


 あるいは。


 他の知人の作家は、肋骨が疲労骨折したらしい。ずっと同じ姿勢でいたからだ。異常は感知していたらしい。とにもかくにも痛かったそうだ。だが編集部が「どうしてもこの原稿を上げてほしい」というので無理をして働いた。結果、二週間の入院。


 あるいは。


 音楽家の知人がいる。彼は音楽家なのに作曲の〆切が近づくと耳が聞こえなくなるらしい。ストレスで。仕事に難儀するようだ。いくつもの補聴器を持っている。日常使い、仕事用A、仕事用B、仕事用C……。


 あるいは。


 画家の友人がいる。彼も問題を抱えている。絵の制作が終盤に差し掛かる頃。最も忙しくなるタイミングで失明する。原因は心因性の視力障害。休めばよくなるが、完全に元通りの生活を送れるようになるまで二週間かかるらしい。一つの仕事の度に二週間の静養。


 時々、思う。


 我々創作者は何故こんな苦しい思いをしなければならないのか。

 苦しんで苦しんで産んで、それが何になるというのか。

 顔も名前も知りやしない誰かの娯楽。読み終わればその辺に捨てたり、売り払ったりする娯楽の制作。


 そもそも、創作なんか。


 小説なんて読む必要はない。

 音楽だって聴く必要はない。

 絵だって眺める必要はない。


 なくても困らないのだ。死ぬわけじゃない。誰かの命を救うわけでもなければ、誰かの腹を満たすわけでも、よい眠りにつかせるわけでも、いい女を抱かせるわけでもない。本当に、無駄なのだ。


 我々は無駄のためにこんな苦労を強いられているのだ。

 私は、酒を飲み、肝臓を壊し、ほとんど依存症のようになりながら。

 知人は、トイレで胃液と涎まみれになりながら。

 肋骨が疲労骨折しても書かされ続け。

 ストレスで難聴や視力障害が出て。


 家畜なのだろうか。我々は創作というエサを与えられた家畜なのだろうか。

 時々そう思う。我々は自由に、見えるらしい。実際私もそう思っていた。システムエンジニアとして働いていた時、小説は書いて当たれば一攫千金、外しても一円の損もないと、そう思って書いていた。このペンが描くのは自由だと、そう信じていた。会社という鎖から解き放たれ、自分の足で歩き自分の行きたいところに行ける。そう思っていた。


 実際はどうだ? 


 あるのは産みの苦しみばかり。

 これが例えば、女性だったらどうだろう。

 赤ん坊生産工場。望まぬセックスを強いられ、望まぬ妊娠をさせられ、望まぬ出産をさせられる。


 冗談だと思うだろう? 過剰な表現だと思うだろう? 


 でも、先程の友人たちの例を見て欲しい。彼らがやらされているのはある意味「望まぬ妊娠」「望まぬ出産」だ。金という鎖で縛られ、これをやらないと生きていけないだろうと脅され、仕方なく自分が作れるものを、健康、時間、魂をかけて産みだす。そうして作り出されたものがどうなるのかといえば、一瞬で消費者に食われて終わり。次の流行が来る。それに乗れなければ、一円の価値もない作家として捨てられる。


 我々は何なのだろう。何故こんな苦労を強いられるのだろう。


 デスクを離れる。VR装置へと向かう。


 エンジニアをやっていた頃からの装備だ。およそ一般人が持つことができないようなハイテクコンピューターを家に置いている。VR装置を使って、そのコンピューターにアクセスできる。自分だけの電脳空間。


 そこで何をするのか。

 プログラミングだ。プログラム式の記述は頭の中が空っぽになっていい。VR装置のおかげで特にタイピングができなくてもサジェストで正式な記述をしてくれるようになっているから酔っ払いでも安心だ。


 私はVR装置の中に入る。


 一瞬の光。脳が電子空間に繋がれる感覚。


 次の瞬間、目の前には、いくつかの残骸。

 宝石のハマっていない指輪。

 ドットで描かれた雲。

 女の裸体。正し四肢と首はない。

 山羊の骸骨。

 細胞を拡大したような物体。

 全部組み立て途中の、私のプログラムだ。


 うち一つの完成が間近だったので、私はプログラム用のソフトを開いて式を入力していく。キーボードはない。私が指を打ち付けたところがキーになるからだ。

 

 時間にして、どれくらい経っただろう。


「それ」は出来た。歪な形。液体のように不定形。しかしコアがある。このコアを起点に、自由に変形できるようになっている。


「それ」が訊ねる。


 マスター。


 思念のような声。私は答える。


「何だね」


 次は確かな「声」になる。


「お名前を入力してください」

「お名前、か」


 私は少しの間考える。


「じゃあ……『お父様』と呼べ」

「承知しました。……お父様」


「今日は君の誕生日だ」

 私は両手を広げる。それを真似するように、「それ」は両手を……両手のように見える触手を……広げる。

「誕生日おめでとう」


 すると「それ」が真似をして来た。


「誕生日おめでとうございます。お父様」


 私は笑った。そう言えば今日は私の誕生日だ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

私が「小説」を書かなくなった理由。 飯田太朗 @taroIda

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ