第34話 旅は続く


 二日後、アルベリックたちは回復した村人たちの経過を見て問題ないと判断し、クレナ村を出発する運びとなった。


 アンジェリカ姫の不在が、王宮で取り沙汰されるようになったのも一因だ。

 レッセ子爵とのやりとりはごく一部の者だけが知るところとなったが、彼の処分となにを行ったのかは公にしないわけにはいかなかった。


 かなり大幅に事実を端折はしょって、私欲を満たすために勝手に領軍を動かして、領内の村を一つ消滅させようとした――そこに居合わせたアンジェリカ姫に不敬をはたらいたことが、彼の罪状として公表されたのである。


 ただ、そこに尾ひれがついてくることまでは、アルベリックも想像していなかった。


 兄王子の病を治す方法を探す王女が、奇病の流行っている村を訪れて治療手段を探しているところで、先走った領主が病もろとも村を滅ぼそうとした。病ではなく実は呪いで、その原因となった物品をたまたま手に入れた王女が、呪いを他の領への嫌がらせに使おうとした領主に狙われた――等々、真偽の入り混ざった噂が王宮を中心に飛び交ったのだ。


 その結果、なぜかアンジェリカ姫の知名度と名声が跳ね上がることとなり――


「……もう少し、ゆっくりしていられると思ったんだがな」


 村をあとにして走る馬車の中で、やや未練がましく窓から後方を眺めながらアルベリックが恨めしそうに言った。

 隣に座るヘレナが、宥めるような笑みを浮かべてまぁまぁ、と声を投げる。


「仕方ないですよ。ゆっくりしてたら、頼んでもいないのにやってくる迷惑な方々に囲まれて身動き取れなくなりそうですし……アンジェ様は会いたいですか、そういう方たちに?」

「……会いたいわけがないだろう」


「ですよね――そんなことになったら、村の皆さんにも迷惑がかかりますし。だったら早急に逃げ出すのが、一番穏当な解決手段じゃありませんか?」

「わかってる……ただ」


 残りの言葉を、アルベリックは軽食として用意された干し果実とともに呑み込む。

 同時にヘレナが発した声に、思わずアルベリックは果実を喉に詰まらせそうになった。


「もう少し、ティアーナさんと一緒に過ごしたかった……とか?」

「ぐ……っ!」


 気管に入りかけた果実を、目を白黒させながらアルベリックは食道に移動させる。

 なんとか吐き出すことも喉に詰まらせることも避け、呑み込んだ果実が胃袋に収まったところでアルベリックは涙目でヘレナをにらんだ。


「な、急になにを……ティアーナのことなんて、私はなにも言ってないだろう!?」

「でも、一緒にいると楽しそうにしてらっしゃいましたし……ああいうタイプの女性って、今までアンジェ様のそばにおられなかったでしょう?」

「……それは、否定しないが」


 ヘレナの台詞の後半に対し、アルベリックは肯定する言葉を口にする。


「貴族の女性とも、高位神官の女性とも全然タイプが違ったからな……なんというか、発想が基本的に力任せというか、とにかく行動あるのみというか……」

「色々と考えすぎるきらいのあるアンジェ様と、足して割ったらちょうどよさそうですよね」

「……まったくだな。私もあれくらい、迷わないで行動できたらいいんだが」


 アルベリックの声に羨望せんぼうとも憧憬どうけいともつかない思いがにじむ。それを感じ取って、同乗していたエレンがなにか言いたそうなそぶりを見せるが、ほんの一瞬だけ早くクロエが面白くもなさそうな口調で言い放った。


「これ以上、アンジェが迷わず行動するようになったら、こっちの身がたないんだけど? どれだけ自分がためらいもなく無茶してるか、ちょっとでいいから自覚してくれない? 今回だって、何度自分から危険に突っ込んでいったか……」

「いや、それとこれとは……」


「別なわけないだろ。他人の命がかかってたり、本気で困ってる人間を見たら迷いもなく行動するのがアンジェだろ? 最終的に解決できればいいっていう、発想の脳筋っぷりじゃあティアーナといい勝負だよ。頼むからもう少し考え方を人類に近づけてくれない?」


 言外に発想が人類未満と言われ、アルベリックの顔に不満の色が広がる。


「……そこまで言われるほどか? 私だって、ちゃんと勝算があるかどうか考えてから行動してる……時だってあるぞ、一応」

「そこで付け足してる時点で、普段はできてないって白状してるようなもんだろ!」


 語気を強めて言い返すクロエから、アルベリックは視線をらして遠くを見やる。

 ヒュームはそんな二人のじゃれ合いにも似たやりとりを、目を細めて眺めながら他人事のような口調で言った。


「ティアーナ嬢は療養も兼ねて、しばらく村に滞在すると言っていましたが……主目的は回復した村人の経過観察でしょうね。なにかあった時、治癒術の使い手がいるのといないのとじゃ大違いでしょうし」


 まったく見上げたものです、とヒュームは感じ入った様子で首を振ってみせる。

 その姿はやや芝居がかっていたが、アルベリックは気づかずにほのかな笑みを口元にのぞかせてうなずいた。


「……そうだな。また、会いたいものだが……」

「会えますよ、きっと」


 ヘレナがためらいもなく声を返す。アルベリックの怪訝けげんそうな表情に、彼女はにこりと害のない笑みを浮かべて続けた。


「ティアーナさんはこれからも修業の旅を続けるそうですし、アンジェ様も王宮の外へ出る機会は少なくないでしょう? だったら、きっとどこかで巡り会うこともあるはずです……お二人の縁はその程度には強固なものでしょうから」


 どこか予言めいたヘレナの言葉に、アルベリックは目をしばたたかせたあと、花が開くように顔全体で微笑んだ。


「そうだな! お互い生きていれば、どこかで巡り会うこともある――そう信じよう」


 横目にその顔を見やっていたクロエが、そっと視線を外しながら声だけを隣に座るヒュームへと投げやった。


「そういえば、病気の原因になったあの動物――あれ、森に放したんだって?」

「ええ。〈殺菌〉の術を使って、身体の内外の病原体を殺してからですが……他にも生息している様子でしたし、気休めでしかないんですけどね」


 ヒュームは特に気負いを見せることなく言って、軽く肩をすくめてみせる。


「病気の運び手となったことはあの動物の責任ではないですし、今後は人間のほうが気をつければいいだけです。あとは、レッセ子爵のようにあの病を悪用しようと考える人間が出ないことを祈るばかりですが……」


 いかにも敬虔けいけんな神官の顔をして告げる、ヒュームの口元に人を食ったような笑みが浮かぶ。


「仮に出たとしても、すでに治療法は確立していますからね。私が他の神官の前で、患者を治して見せさえすれば一発で解決します。やらかしたほうは、レッセ子爵――ああ、もう子爵ではないんでしたっけ――もと子爵と同じ末路をたどるだけですね」


 わざわざ丁寧に言い直すあたり、子爵に対して思うところがあるのを隠そうともしないヒュームだった。クロエは特に気にした様子もなく、そうかとうなずきを返す。


「ま、あの動物に罪はないもんな――というか、本当に病の原因になった動物は、とっくに死んで皮だけになってたわけだし」

「それで助かった部分もありますけどね。もし生かしたまま村に連れ帰って、うっかり逃がしでもしていたら……被害者の人数は倍じゃきかなかったでしょうからね」


 そうなったら倒れた村人の看護をする者もなく、食事や排泄はいせつの介助もできず、下手をしたら相当数の村人が命を落とす結果になったかもしれない。

 ヒュームが口にする仮定の光景に、アルベリックは思わずぞっと背筋を震わせた。


「それが現実にならなくてよかったな、本当に……今回の件では、死者が出なかったことが最大の幸運だった。あとは……あの皮膚の変色が、できるだけきれいに治るといいんだが」


 アルベリックが思い浮かべているのが誰かは一目瞭然だったが、あえて追及はせずにヒュームは笑顔で言葉を投げ返した。


「それなら大丈夫ですよ。あれよりひどい火傷の痕でも、年単位で時間が経ってさえいなければ治癒術で治すことが可能ですからね。ちゃんと元通りの綺麗きれいな肌に戻りますよ」


「……なにか、誤解されてるような気がするんだが?」

「なにが誤解なんでしょうか……私は別に、特定の誰かのことについて言っているつもりはありませんよ? あの道に倒れていた子供も、ちゃんと元通りの肌になるといいですねぇ、と。そういやあの子、女の子でしたよ――気づいてました?」


 にこにこと上機嫌そうな笑みを浮かべてヒュームは告げる。その眼力と神経の図太さに、アルベリックは呆れを通り越して感心した様子だった。


「よくわかったな……見た目じゃ絶対にわからなかったろうに」

「恐るべきは女好きの勘か。まさかとは思うけど、治療にかこつけて妙な真似はしていないだろうな? いくらなんでも、それは犯罪どころの騒ぎじゃ――」


 クロエが向けた疑惑の視線と言葉に、ヒュームは見るからに慌てた様子でぶんぶんと激しく首を横に振ってみせた。


「いや、ないですよ! なんでよりにもよって、そんな疑いをかけられる羽目になっているんですか、私!? そもそも治療には、ティアーナ嬢がずっと同席してましたよ!?」


 必死の形相で否定するヒュームに、クロエは口元をわずかに緩めて悪かった、と告げた。


「けど、そんなに必死に否定するとかえって怪しまれるぞ。なにか後ろ暗いことがあるんじゃないかって……」

「幼児に手を出す犯罪者と思われるのって、けっこう真剣に人生の危機だと思うんですがね。私の趣味嗜好はともかく……抵抗できない相手に無体をはたらく恥知らずと同列に見られるのは、さすがに我慢できませんよ」


 ヒュームは真顔で言い返す。クロエも冗談の度が過ぎると思ったのか、表情をあらためるともう一度真面目な口調で謝った。

 そんな二人を好もしそうに見て、エレンは笑みを残した視線をアルベリックに向けた。


「まぁ、万事解決したからこうやって笑って話もできるわけだね。一歩間違ってたら、クレナ村は病で壊滅して、わたしは犯罪組織に連れ去られて、この国のどこかで謎の病が大流行していた可能性だってあったわけだし」

「どれも心の底から願い下げだが――特に最後の一つは、対処が遅れたら大惨事を引き起こしかねない。はっきり言って、国に対する無差別攻撃に近いくらいだ」


 真剣な響きを奥底に漂わせたエレンの声に、アルベリックは顔をしかめて言い返す。


「そういう意味では、レッセ子爵――もと子爵の罪は王家に対する不敬や、反逆などといったものでは収まりきらないくらいに重い。だが、結果としては未遂に終わったからな。意図してではなく無知と想像力の欠如によって、危うく大惨事を招きかけた――それくらいなら即時処刑ということにもならないだろう」


 それが本人にとって幸せかどうかはともかく、と続けかけた言葉をアルベリックは複雑な表情で呑み込んだ。


 大勢の人間の命と人生を危険にさらしたことよりも、自分に不敬をはたらいたことのほうが重い罪に問われるというのは納得できなかった。しかし、それがこの国の――この世界のルールであることもアルベリックには理解できた。


 小さく溜め息をついて、アルベリックは頭を振る。その内心をおもんばかるような目を向けて、エレンはあえて明るい口調で言い放った。


「それはそうと、アンジェたちも呪いのことでわたしに相談したくて、わざわざ訪ねて来たんじゃなかったかい? クレナ村の件ですっかり頭から吹っ飛んじまってたけど……」

「あ、ああ……」


 今ようやく思い出したと言いたげなエレンの言葉に、アルベリックが返したのは今一つ煮え切らない声だった。


 急展開の連続で、本来の用件が頭から抜け落ちていたのはアルベリックも同じだ。

 それに加え、自分がかかった呪いについて説明するなら、もとは男性であったことも、病に伏せっているはずの王子であることも明かさなければならない。


 ここ数日、同じ馬車で寝起きしていたことを――その際に、同性の気安さで目の前で着替えたりするのを見たことを考えると、話すのにはかなりの抵抗があった。


 ただ、本当のことを話さなければ、王宮を出てエレンを訪ねた意味がなくなる。


 それに要した時間も労力も無駄になるとわかっていて、このまま王宮に戻ることはアルベリックにはできなかった。自分一人ならともかく、同行してくれた仲間の時間や労力まで無駄にするのは我慢ならなかった。


 それでも、言葉にしようとする度に、複雑な思いがあふれてきて喉をふさいでしまう。


 だらだらと内心で脂汗をかきながらアルベリックは言葉を探す。そんな姿を不思議そうに見やりながら、エレンが再び口を開こうとしたところでヘレナがさりげなく言った。


「まぁ、フレイカの街に着くまでまだ時間はありますし……多少込み入った事情もありますので、おいおい聞いていただけますか? どう説明したものか悩む部分もありますし……」


 少しだけ申し訳なさそうな笑みを浮かべたヘレナの言葉に、エレンは特に疑いを持つこともなくそっか、とだけ返す。


 目の表情だけで感謝を伝えるアルベリックに、ヘレナは今回だけですよ、と片目を閉じてみせる動作で応えた。


 根本的な問題は解決できていないが、猶予ができただけでも意味は大きかった。


 アルベリックは目を閉じて真剣に伝える言葉を考える。クロエはなぜそこまで悩むのか理解できないといった表情で、ヒュームは逆に心からアルベリックに同情しているような顔つきでそれぞれその姿を眺める。


 御者席のグラハムだけが、完全に傍観者の体で後ろの会話に耳をそばだてていた。

 軽快に進む馬車の上で、彼の麦わら色の髪が風にあおられる。その風が大分温もりを帯びてきていることに気づき、グラハムは心地よさげに目を細める。


 同じ風がデュシェスの外套の裾をなびかせ、彼は前方に向けていた目を空に転じた。


 青水晶色の瞳に降り注ぐ光が入り、眩しげに目を細めるのと、空を横切った鳥の影がほんの一瞬だけ視界に影を落としたのは同時だった。

 車輪が地面を擦る音とともに、馬車は一路王都を目指して細い道を走っていった。

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薔薇姫はドレスを脱ぎ捨てたい 岩城広海 @tyasironeko

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