第33話 宴


 その後、レッセ子爵が引き連れてきた領軍の司令官に、捕らえた子爵と犯罪組織の男たちを護送する役目をまかせて、アルベリックたちは馬車のそばに――約二名の人間を除いて――集まって休憩を取った。


 村人の治療を終えて戻ってきたヒュームも、ぐったりと疲れ果てた様子で合流する。


 実際、七十を超える数の病人に、手持ちの魔力回復薬を使い果たす勢いで平癒の術をかけ続けていたのだから当然だ。途中からはクリスティアーナも術を覚えて、二人で分担できるようになったとはいえ数が数である。


 術への理解が深いヒュームのほうが、効率的に治すことができるためもあって、結果として八割以上の病人を彼一人で治療することとなったのだ。


「……魔力回復薬の飲み過ぎで、お腹がたぷたぷになっているような気がします」


 馬車の側に置かれた野外用のテーブルに突っ伏して、ヒュームはぼやくように言う。


 実際のところ、魔力回復薬の主成分は魔術によって作り出された水で、どれだけ大量に飲んでも腹に溜まるということはない。だが、気分的なものまではぬぐえず、似たような経験のあるアルベリックとクロエが苦笑いして顔を見合わせた。


「ご苦労だった、ヒューム――今回は、ヒューム一人にいささか負担が集中しすぎてしまったきらいがあるな。本当に大変だったと思う……ありがとう。王城に戻ったら、しばらくゆっくり休んで養生してくれ」

「……病で療養中のはずの人に言われると、なんだか複雑な気分になりますね」


 馬車の中で着替えているクリスティアーナをはばかるように声をおさえ、ヒュームは笑みを含んだ口調で告げる。


「それに、休息が必要なのはアンジェ様も同じでしょう? かなり無茶をした上に、目の前で人死にが出て精神的に衝撃を受けたと聞いていますよ?」


 テーブルに半分もたれたまま、顔だけを上げてヒュームはアルベリックを見やる。

 乱れた髪の間からのぞく濃藍こいあいの瞳がやけに色っぽく、しかしその色気はアルベリックに対してはまったく効果を発揮しないものだった。


「……大丈夫だ。人死にを見るのは、これが初めてというわけでもないしな」


 それに無茶と言えるほどの無茶はしてないぞ、とアルベリックは不満そうな顔になる。


「腕っ節で成り上がった犯罪組織の頭と一対一を繰り広げるのは、立派な無茶って言うんじゃないでしょうかね? しかもそのあと、領軍を勝手に動かした子爵の前に出て挑発をくり返したんでしょう? いくら証言を得るためとはいえ……自棄やけを起こして総掛かりで襲いかかられたらどうする気だったんですか?」


「その時は……クロエの広域殲滅こういきせんめつ魔術で、まとめて吹き飛ばすつもりで……」

「そうやって大量の人死にを出して、また気にむのがオチじゃないですか。まったく、私があなたの兄だったら、その頭に一つ拳骨を落としているところですよ」


 溜め息混じりに言ってヒュームは身体を起こす。その顔を呆れたように見やって、クロエが冷ややかな言葉を投げやった。


「肝心な時にはアンジェの側にいなかったくせに、ずいぶん好き勝手言うんだな。まぁ、いたところで肉盾くらいの役にしか立たなかったろうけど……」

「そうですよ。それに私には私のやることがありましたし……そりゃ領軍が来た時にはもう治療は終わってましたが。でも魔力を使い果たして、へろへろの状態で駆けつけたって足手まといにしかならないじゃないですか」


 肉盾になれるかどうかさえ怪しかったですよ、とヒュームは堂々と胸を張って言う。


「威張って言うことか……でも、だったら村のほうはもう心配ないんだな? 病気がまた流行したりすることはないと考えても?」

「ええ、それなら大丈夫です」


 自信ありげにうなずいて、ヒュームはアルベリックに感謝めいた視線を送る。


「アンジェ様が作った高濃度アルコール――でしたっけ? あれで病原体を殺す感覚が掴めましたので、清潔化の魔術に術式を組み込んでみたんですよ。それで病人の寝起きしていた部屋や寝台、着ていた服なんかを徹底的に清掃して回ったので……」

「……それは、殺菌もしくは消毒というんだ」


 呆れと驚きを半々に顔にのぞかせて、アルベリックはそれだけを口にした。

 思ってもみなかったらしく、やや苦みをおびた笑みが二つの表情に取って代わる。


「そうか……そうだな、清潔化の魔術があるんだから、それに細菌を殺すイメージを乗せるだけで消毒も殺菌もできるんだ。わざわざアルコールを用意しなくても……」


 ぶつぶつと呟いているアルベリックを、着替えついでに身体を拭いてさっぱりした様子のクリスティアーナと、その手伝いをしていたヘレナが、馬車から降りてくるなり不思議そうな表情で見やる。


 問いかけるような視線に、クロエとヒュームはそろって肩をすくめてみせた。

 そこに、領軍の兵士が子爵たちを護送して去るのを見届けたデュシェスと、村の中央の広場で、ちょっとした宴会並みの料理を作っていたグラハムが戻ってくる。


「夕食の準備ができたっすよ~! 村の人たちにも手伝ってもらったんで、病気の治療が終わったお祝いも兼ねてちょっと豪華にしてみたっす!」


 底抜けに明るい表情で手を振るグラハムを、つい先程まで馬車の中で休んでいたエレンが苦笑を浮かべて見やる。


「さっきまでの真面目な顔はどこへ行ったんだか……でも、あっちのほうがあの兄ちゃんには似合ってるね。なにより、美味い料理を食わせてくれるってのがいい」


 エレンの言葉に同意するような表情が、その場の全員の顔に浮かぶ。グラハムは勝ち誇るとも、やや不本意そうともつかない微妙な顔つきになった。


「ええ、腕によりをかけて作ったっすよ! 護衛騎士としてより、料理人として高く評価されてるのを喜んでいいのかどうかわかんないっすけど……美味いもんを食えるのは誰でも嬉しいからいいってことにしとくっす!」


 開き直ったようなグラハムの発言に、アルベリックたちは顔を見合わせて笑う。

 緩んだ空気の中、謝意を含んだ視線をグラハムへと向けて、アルベリックが全員の気持ちを代弁するように口を開いた。


「もちろん、護衛騎士としての働きにも感謝しているぞ。ただ……やっぱり、美味いものを作ってくれる人間に対する感謝の念は、他のなによりも大きいものだ」


 人間食わないと生きていけないからな、と言ってアルベリックは視線を巡らせる。


「せっかくグラハムが用意してくれた食事が冷めないうちに、いただきにいくとしよう。村の者の様子も気にかかるし――私たちが行かないと、村人たちも勝手に始めているわけにもいかず、空きっ腹を抱えて待つ羽目になるだろうからな」




 村の広場に移動すると、アルベリックの言葉通り村人たちは料理に手も付けず、彼らの到着を心待ちにしているところだった。

 ヘレナが視線で問うと、ヒュームはうなずきで広場の消毒が済んでいることを示す。


 広場には集会所から持ち出してきたと思しきテーブルもあり、アルベリックたちは下にも置かぬもてなしでテーブル席へと案内された。他の村人は各自の家から運んできたテーブルか、あるいは地面にいた獣の皮に座って食事を取る形だ。


「本当に、此度はありがとうございました……おかげで、この村は病で滅びることがらも、ならず者や領主に滅ぼされることがらも救われましだ!」


 地面に這いつくばる勢いで頭を下げて村長は礼を言う。かろうじて平服するのだけは止め、その勢いに圧倒されかかりながらもアルベリックは平静な声を返した。


「いや……結果としてそうなったというだけの話だ。ティアーナがエレンのもとへ向かわなかったら、その途中でたまたま私たちと出会わなかったら、この村の窮状を知ることも領主や犯罪組織の手から守ることもできなかったろう。村長はティアーナをいち早くエレンのもとへと向かわせた、自らの先見せんけんめいを誇るといい」


 アルベリックの言葉に村長は目を丸くする。その後、熊のような体躯たいくを丸めて照れた様子を見せる村長に、ヒュームがさらりと言葉を投げやった。

 村で備蓄していた酒はすべてアルコールにしてしまったため、手元の杯の中身は水だ。


「……で、村長としてはどこまで狙っていたんです?」

「ヒューム……?」


 戸惑った声をアルベリックがあげる。その目が村長へと向けられるのと、村長の口元に浮かんだ笑みの種類が変わるのは同時だった。


「驚いたな……まさか、見破られていたとは思わなかったよ」


 なまりのかけらもない、別人のように綺麗きれいな言葉遣いでシュルーク村長は言う。


「人をよく見るのも神官の仕事のうちですよ。でないと、相手の悩みや抱えている問題を共有することはできませんからね――それに、あなたの訛りはこの地域特有のものではあっても、いささか露骨すぎるように思えましたし」


 普通はもう少し隠そうとするものですからね、とヒュームは涼しげな顔で杯を傾ける。


「まして村長という、外部の人間と接することの多い立場なら……年齢の若さで低く見られるのを避けるためにも、それなりの言葉遣いをするのが当然です」

「訛りを丸出しにしていると、『この田舎者が』って最初からめてかかってくれるから楽なんだよ。なにしろ、この領は領主がアレだから……上のほうは比較的マシとはいえ、地方の小役人なんかは立場を利用して、美味い汁を吸うことしか考えてない奴らばっかりで」


 シュルーク村長はがりがりと頭を掻いて苦笑する。掻き上げられた髪の下から現れた顔は意外に端整で、髭を剃って身なりを整えれば充分美男子と呼べそうだった。


「とはいえ、そこまで狙ってやったわけでもないんだがな。村人の症状が呪いによるものか、他の原因があるのかもわからなかったから、とりあえず症状の出ていた神官様に助けを呼びに行ってもらって――運が良ければ、その症状を見て原因の特定ができる人間がいるんじゃないかな、くらいの気持ちで」


「……ティアーナ嬢を、村から逃がすという意図はなかったと?」


 追及というよりはからかうようなヒュームの物言いに、村長は苦笑を深めた。


「まぁ、その意図がなかったとは言わんよ……もし死人が一人でも出れば、神官様の力不足を責め立てる奴が出ないって保証もなかったし、そうなった時に村の連中が暴走するのを制止する自信もなかった。なんせ、この若さだもんでな……」

「ああ、村の中にも言うことを聞かない人間がいるわけですね?」


「言うことを聞かないくらいなら可愛いもんだ。腕ずくで人に言うことを聞かせるのが大好きな、脳味噌まで筋肉でできてるような連中が厄介でな……今回、あのならず者どもに情報を流していたのも、おそらくそいつらだ」


 村長の眉間にしわが寄る。しかしヒュームが問いを投げるより早く、彼は人の悪い笑みを浮かべてあっけらかんと言い放った。


「けど、そいつらは病が広がり始めた途端、さっさと村を見捨てて逃げ出したからな。戻ってきても針のむしろだろうし、前みたいに好き勝手はできないだろうさ――戻ってこれなくて、どこかで野垂のたれ死にしても別に惜しいとも思わんし」


 一応、周囲をはばかるように声を低めながらも堂々と言い切る村長に、アルベリックはわずかに口元を引きつらせる。

 そこに、湯気の立つ皿を載せた盆を持って、グラハムが明るい声とともに現れた。


「はいはい、お話はそこまでで――これからは食べるほうに口を使ってくださいっす! ちょっと時間はかかったけれども、その分出来映えには自信があるっすよ!」


 どんどんとテーブルの上に置いた皿には、こんがりと香ばしく焼き上げられた肉が山と盛り付けられている。

 あたりに漂う匂いには、肉と油の焼ける匂いの他に香草の香りも入り混ざっていた。


「香草と香味野菜を腹に詰めて焼いた豚の丸焼きっす! 中まで完全に火を通すには時間がかかるんで、表面から削ってきたっすけど――肉汁と油をかけながら焼いたんで、旨みも香りもばっちり閉じ込められてるっすよ!」


 テーブルの上にはすでに焼いた野菜や、き火で温められたパン、塩漬け肉と豆のスープなどが並べられており、アルベリックは思わずごくりとつばを呑む。

 他の者も似たような顔つきで、アルベリックは取りつくろうように笑って言った。


「じゃあ、グラハムと手伝ってくれた村の人たちの労力と厚意に感謝して――いただきます。ああそれと、食材となってくれた豚の偉大な犠牲にも感謝して」

「……これ、病気を治す実験に使った豚だよな?」


 複雑な表情で自分の前に置かれた皿を見つめ、クロエがぼそりと言葉を洩らす。

 対するヒュームの答えは、これ以上ないほどに明快なものだった。


「ちゃんと病原体が消滅しているのを確認したから大丈夫ですよ! せっかく買い取ったのだし、有効活用しないともったいないじゃないですか」

「……まぁ、まさか王宮に連れて帰って飼うわけにもいきませんし」


 ヘレナも微妙な表情ながら、かろうじて笑みを消すことなく言葉を発する。


「どうやって連れて帰るかがまず問題だな。馬車に乗せるにも場所を取るし――いっそ、クロエに抱えてもらって転移魔術で王宮まで飛ぶのが早いか」


 黙々と料理を口に運ぶ手を止めて、デュシェスが真面目な顔で言う。その言葉の内容に、露骨に嫌な顔をしてクロエが言い返した。


「嫌だよ、なんで僕が豚を抱えて……ああ、美味しく食べるのが一番の解決手段なんだろ! わかってるよ、ちょっと気になっただけのことだから!」


 自棄になったように肉をフォークで突き刺して口に運ぶクロエを、アルベリックは苦笑をこらえきれない様子で見やる。

 その目が同じテーブルで食事をしている、エレンとクリスティアーナへと向けられた。


「……その、二人には黙っていて悪かった。私が、お――王女だってこと……」


 ばつの悪そうな表情になって告げるアルベリックに、二人はちらりと顔を見合わせてから同時に破顔した。


「確かに、驚きはしましたけど……それはどちらかというと、この国に王女様がいたとは知らなかったからで……アンジェ様が王女様だっていうのは、むしろ納得しました」


「そうだね。デュシェス殿やクロエ殿みたいな、桁違いの腕の護衛を連れている時点でただ者じゃないってのはわかるし……ああ、でもこれまでの非礼は許しておくれよ? 自慢じゃないが、専門外のことについては疎くてね。デュシェス殿なんかの名前を聞いても、即座にぴんと来るほどこの国の有名人に詳しくないんだ」


 口々に言う二人を、アルベリックは感謝のこもる眼差まなざしで見てから首を横に振った。


「非礼なんてとんでもない……身分を隠していたのはこっちなんだし、できればこれからも様付けなんてしないで欲しい。――駄目かな、ティアーナ?」


 餌をねだる子犬のような目つきで懇願こんがんされ、クリスティアーナはおろおろと視線をさまよわせてから、今度こそ非難を込めた口ぶりで言い返した。


「ずるいです、アンジェさん! そんな言い方されたら断れないじゃないですか!」

「――ありがとう」


 交替するように破顔するアルベリックを、エレンは好もしそうに見て言葉を投げる。


「じゃあ、わたしもならわせてもらうよ――にしても、まさか噂で聞いた妹姫様がうちにやって来るとはねぇ。半月前のわたしに教えても、絶対に信じることはないだろうね」


 感慨深げな様子のエレンに、アルベリックはなんとも言えない気持ちで目を逸らす。


 その目が、村人たちが座っている獣の皮の上で、兄らしき年長の少年に世話を焼かれながらパン粥を食べている、幼い子供に留まった。

 わずかに目を見開いたアルベリックの視線を追い、ヒュームがああ、と声を洩らす。


「起きて動けるくらいに回復したんですね……母親のほうはかなり重篤だったんですが、あの子はまだ症状が軽かったようで」

「……そうか、よかった」


 アルベリックは胸をふさぐ熱いものを押し出すように声にする。

 子供の顔にはまだ醜い変色のあとが残っていたが、それを忘れさせてしまうような無邪気な笑みが同じ顔に広がっていた。


 病み上がりだというのに肉を食べたがって、同席している兄を困らせている様子だ。


「まだ起き上がれない村人も多いですが、何日か養生すれば普通の生活に戻れるはずですよ。もちろん、あの兄弟の母親も……本当に、頑張ってよかったですね」


 包み込むような笑みをたたえた眼差しで告げるヒュームに、アルベリックは自然と顔がほころぶのを感じながら深くうなずいた。


「ああ。よかった――この村を、守りきることができて本当によかった」


 心の底から吐き出されたようなアルベリックの声は、村人たちの笑い声やざわめきに紛れてごく一部の者の耳にしか届かなかった。

 その一部の者の目に、深い敬愛の念があることにアルベリックは気づかなかった。


 デュシェスは肉を運ぶ口元に弧を描かせ、クロエはふんとそっぽを向きながら、ヒュームは苦笑めいた笑みを瞳に浮かべ、グラハムはにかっと笑って追加の料理の皿を置き、ヘレナは子の成長を見守る親のような表情で。


 エレンとクリスティアーナの顔には、どこか幻の生き物を見るような驚きと感動の入り混ざった気配がのぞいていた。


 唯一、心からの敬意を隠さずに態度に出したシュルーク村長だけが、騎士の礼に似た仕草でうやうやしく頭を下げたのだった。


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