第32話 破滅と終結


「――言いたいことはそれで全部だろうか、レッセ子爵?」


 完全に感情を制御した静かな声に、レッセ子爵が感じたのは敬意のかけらも感じさせない言葉に対する反感のみだった。

 ほとんど条件反射のように満面を朱に染めて、彼は噛みつくように怒鳴り返す。


「様を付けんか! この礼儀知らずの小娘が――どれだけ育ちが悪いのか知らんが、親の顔を見てやりたいものだ! どうせ、ろくなしつけも子供にできないクズだろうがな!」

「……私の親の顔なら、子爵も遠目に見ているはずだぞ? 王宮での公式行事に一度も顔を出したことがないというのなら、話は別だが」


 アルベリックが返した言葉と、今更ではあるがその身にまとった衣服の上質さに気づき、子爵の顔に怪訝けげんそうな表情が浮かぶ。


「まさか、貴様……貴族か? 貴族の子女が、なぜこんなところで冒険者の真似事など……仮にも貴族の娘なら、大人しく家で礼儀作法でも習っておればいいものを! いったいどういう教育を施しているのだ、貴様の親は!」


「それなりに――というより、むしろ一流の教育を受けさせてもらっていると思うぞ? 学びたいことはすべて一流どころの教師陣を集めて、納得できるまで教えてもらっているからな。あまりに手厚すぎて、時々申し訳なくなるくらいだ」


 アルベリックの顔に浮かんだ淡い笑みは、時として親馬鹿といえるくらいの溺愛ぶりを発揮する父親を思い出してのものだった。


 かなり扱いにくい子供だったろうに、まっすぐな愛情を注いでくれた父親のおかげで自分は変にひねくれることもなく、のびのびと育つことができた。その愛情も含めて、必要なものはすべて与えてくれた父親には感謝の気持ちしかない。


「私の親に対してどうこう言うなら、私も子爵の親に対して苦情を申し立てさせてもらいたいものだな。よくもまぁ、ここまで見事に子育てに失敗したものだと……貴族として必要な対人技能も、人の上に立つ者としての心構えも、なに一つ身につけさせていないとは」


 アルベリックは心の底からの溜め息を吐く。挑発などではなく、本心からのものとわかる言葉に子爵は一瞬戸惑った様子を見せてから、その顔を再び真っ赤に染めた。


「なんだと! 小娘ごときが生意気に……どこの家の者か知らんが、年長者に対するまともな口のきき方も知らんのか! 子育てに失敗しているのはどっちだ!」


「相手が年下であろうと、子供であろうと、相応の敬意を持ってふるまえない人間は、貴族として以前に人間として軽蔑にあたいする。まして貴族であれば、相手がどういう立場の人間かもわからない状況で、無闇に見下すような言動はつつしむものだ。どんな形で足元をすくわれることになるかわからないのだから……それすら教えられていない時点で、子爵の親は子供の教育に失敗したとしか言いようがない」


 まるで自制のきいていない金切り声にも、眉一つ動かさないままアルベリックは淡々と言葉を重ねる。


「子爵の周囲に、そういったふるまいを注意してくれる人間がいなかったのか、いてもその注意を無視していただけなのかは知らないが――貴族として、その言動はあまりにも致命的だ。上位者の前では取りつくろっているにしても、言葉の端々に地金が見えてしまうぞ」


 いっそ忍耐深いとさえいえる態度でアルベリックは告げる。その態度に、レッセ子爵はわずかに気を呑まれたような表情を見せてから、にやりと笑って言い放った。


「……ふん、親の身分をかさに着て私を黙らせようという腹か。だが生憎だったな――ここは他の誰のものでもない私の領地だ。貴様の親にどんな爵位があったとしても、ここに貴様がいたという証拠も、貴様の身になにか起きたという証拠もなければなにもできまい」


 興奮の色もあらわに言い切って、レッセ子爵は高らかに笑う。

 アルベリックの顔に浮かんだ憐憫れんびんめいた表情にも、その周囲から向けられる冷ややかな視線にも彼は気づかないままだった。


 思う存分笑ったあとで、子爵は周囲の兵士たちに向かって大声を張り上げる。


「この不埒ふらち者どもを捕らえよ! 罪状は領主である私に逆らい、危害を加えようとした罪だ。女は生かしておいてもかまわんが、男たちは皆殺しだ! この馬鹿な小娘も、自分の軽はずみな言動のせいで仲間が皆殺しにされれば、少しは考えを改める気になるだろう!」


 その声に、兵士たちは即座に従おうとはしなかった。ためらいに似た気配が彼らの間に広がったのは、相手が子爵よりも身分の高い貴族である可能性が頭をよぎったためだ。


 子爵の命令に従って相手を害しても、その行動があとで問題になった時責任を問われるのは手を下した自分たちになる。

 間違っても、そうなった時に子爵が責任と取るなどという夢物語を信じる者は、彼らのうちの誰一人として存在しなかった。


「なにをしている! 私の命令が聞けないのか――早くしろ!」


 しかし、狂ったように子爵がわめき立てるのを見ては、彼らも行動に移らざるを得なかった。


 高位の貴族の子女に――少なくともその護衛を手にかけ、本人にもある種の危害を加える原因を作った責任を問われるのも嫌だが、子爵に逆らえばあらゆる形で直接間接的に処罰を受けることになる。


 自分一人だけのことではなく、家族の命や生活もかかっているのだ。どんなに不本意な命令だとしても、逆らうという選択肢はなかった。


 表情を消して、子爵の周囲を固める兵士たちが意を決したように武器を手に取る。


 見栄え《みば》を重視してか、剣を装備している者が大半だったが、槍や戦槌メイスを手にする者の数も少なくない。後方には魔術を使う兵士も控えているらしく、いくつもの魔法陣が空中に浮かび上がるのが見えた。


 一触即発の空気があたりに満ちる。次の瞬間、黙って立ち続けていたデュシェスが竜の咆吼ほうこうにも似た怒号を放った。


「――王家にあだなすつもりか! ならば、一人残らずこのデュシェス・ダングレーム・レーゲンスベルクがこの場で斬り捨てる!」


 びりびりと響く声は隊列の後方にまで届き、兵士ばかりかレッセ子爵までが雷に打たれたように動きを止める。

 その言葉の意味を彼らが理解するより早く、クロエが前に進み出た。拡声の魔法も使って、彼は負けじと声を張り上げる。


「クロエ・ベルハルト・シェドゥーブルもここに宣言する! 王家の血を引く者に指一本でも触れれば、我が広域殲滅魔術でちりも残さずに焼き尽くす! これを大言壮語と笑うのなら、身をもって威力を思い知らせてやるから遠慮なくかかってこい!」


 二人がそれぞれ口にした名前に、兵士たちの間に動揺を含んだざわめきが広がった。


「レーゲンスベルク……って、まさかあの侯爵家の!? しかも嫡男のデュシェスといったら砦跡を根城にしていた盗賊の一味を、百人かそこら撫で切りにしたっていう……!」


「シェドゥーブル家のクロエ!? 大魔導師ラフィネポルテの教えを受けた天才児じゃないか! 宮廷魔術師を相手取っての演習で、相手の魔術をすべて無効化してのけたっていう……広域殲滅魔術だって!? そんなもんを食らったら、骨も残さず消し飛ばされるぞ!!」


 悲鳴じみたざわめきを聞いて、レッセ子爵もようやく自分が誰を相手にしようとしていたか理解したようだった。

 周囲の兵士に劣らず血の気の引いた顔で、子爵はデュシェスとクロエを見つめやる。


「な……そんな、馬鹿な。なぜ、レーゲンスベルクとシェドゥーブルの嫡男がここに……いったいなんの用があって、私の領地を訪れたりするのだ! それだけ名の売れた貴族の子弟なら、他に行くべき場所があるのではないのか!?」

「……まだ、ご理解いただけていないようですね。レッセ子爵」


 やわらかな物言いながら、いっさいの反論を許さない口調でヘレナが告げる。


「それだけの地位と――それ以上の実力を有する者が、護衛として行動をともにするということの意味がわかりませんか? あなたが先程から小娘呼ばわりしている相手が、いったい誰なのか……それすら理解できませんか? それとも、理解したくないだけですか?」


 真綿まわたで首を絞めるように逃げ道を断ち、追い詰めていくヘレナの言葉にレッセ子爵の顔色がますます悪くなっていく。


「そんな……馬鹿な。まさか……本当に、王家の血を引く者が!? いや、王家だろうがなんだろうが、いなかったことにしてしまえば……」


 奈落に突き落とされたような表情で呟く子爵の言葉に、不穏な響きが混ざる。

 怯えた小動物めいた動きで、周囲の兵士に視線を巡らせる子爵を見て、いっそ完全に望みを断つ方が有情とばかりにグラハムが言葉を放った。


「いなかったことにはできません。今ここで交わされている会話は、魔道具を通じてそのまま王宮へと伝えられています。一言一句、余すところなしに」


 実のところ魔道具ではなく、グラハムと双子の弟のトーマスの間に存在する、感覚共有の能力によってである。さすがに、まだ個人で携帯できる通信用の魔道具は実現に至っておらず、馬車に積み込める大きさにするのが精一杯だ。


 しかし、この会話が王宮に筒抜けであることに変わりはなかった。領軍と子爵が姿を見せた時点で、証拠として口述筆記で記録を取るように伝えてもある。

 子爵がどう足掻こうとももう遅く、先程の台詞を口にした時点で彼の命運は尽きていた。


「貴殿が王家の一員――現王ラバグルート陛下のご息女、アンジェリカ様に対してどのような物言いを行ったか、なにをしようとしたのかもすべて記録されています。もし仮に、我々をここで消すことができたとしても――王家に対する反逆の証拠まで消すことはできません」


「いや、馬鹿な……そんなことがあるはずがない! 現王の娘だと!? そんなものがいるなどとは聞いた覚えがない! どこにそんな証拠が……!」


 目を血走らせてレッセ子爵が喚き立てる。往生際の悪いその態度に、クロエが不快感もあらわになにか言いかけるのに先んじて、グラハムがふところから取り出した巻いた羊皮紙を広げて子爵の眼前へ突き付けた。


「現在病で療養中の、アルベリック王子の双子の妹――それがここにおられますアンジェリカ様のお立場です。王家の血を権力争いの道具としてしか見られない、佞臣たちに利用されることがないよう隠されてお育ちになりました。先の継承争いを思えば、その決断もやむなきものと思われますが?」


 羊皮紙に記された、アンジェリカという名の娘をまぎれもない自身の息女として認めるという、国王直筆の文章にレッセ子爵は目を見開く。


 国王の手蹟を直に目にすることはなかったとしても、光の加減で色合いを変える独自のインクで捺された国璽を偽物だと断じることはできなかった。

 ようやく自らの取った行為の意味を理解して、へたへたと子爵はその場にへたり込む。


 その周囲の兵たちに、デュシェスがどうするかと問うような目を向ける。手にした武器を慌てて下ろし、彼らは直立不動の姿勢になって恭順の意を示す。


 クロエが人知れず息を吐き、用意していた殲滅魔術の術式を解除した――時だった。


「く……はははははっ! ものの見事にしてやられたな、役者が違うのだから当然か!」


 気絶したまま縛り上げられていたはずのバーナビーの口から、これ以上ないほど愉快そうな笑い声が出る。

 まるで別人のように、けたたましい笑い声をあげながら彼はレッセ子爵に目をやる。


「お前はもう終わりだ! 頼みの地位も権力もすべて失って、あとは良くても生涯幽閉――でなければ、処刑か毒杯を送られるかのどっちかだ! いっそ処刑されたほうが、苦しむ時間が少なくて済む分楽といえるかも知れんな!」

「だ、黙……っ!」


 血の気の失せた顔で、それでも怒鳴り返そうとするレッセ子爵の声が、がらりと変わって虚無を漂わせたバーナビーの声に打ち消される。


「いい破滅を見させてもらった。欲を言えば、無駄に足掻あがいてその兵士たちを死なせるくらいして欲しかったが――思った以上に根性がなかったようだな」

「な……っ!」


 まるで感情を感じさせない声にレッセ子爵は絶句する。だが自分の不幸を嘲笑うかのようなバーナビーの言葉に、反射的に声を荒らげかかる。

 それを無視して、バーナビーは悠々と立ち上がってアルベリックたちに向き直った。


 きつく結ばれていたはずの縄がはらりと落ちる。思わずグラハムが目を剥いたが、バーナビーの手に握られた極薄の刃物が彼の失策でないことを証明していた。


 親指ほどの長さの刃物は、どれほど念入りに武装解除を行ったとしても見落とす可能性のほうが高いだろう。


 アルベリックと目を合わせると、バーナビーは切れるような笑みを口元に浮かべる。


「この村が炎に包まれ、阿鼻叫喚あびきょうかんちまたと化すのを見られなかったのも残念だ。しかし、それも俺の天運というやつだろう――これまでは上手くやってこれたが、俺の力量を超える相手に運悪く巡り会ってしまった、ただそれだけのことだ」


 じっとりと絡み付くような情念を奥底に漂わせながら、無味乾燥な声と表情でバーナビーはその場を動かずに告げる。


 逃げようとする気配もないのがいっそ不気味だった。破れかぶれで斬りかかってくることも考えて、デュシェスはアルベリックの側から一歩も離れない。クロエもいざとなれば魔術の防壁を張るつもりで、バーナビーの動きを用心深く見守っていた。


 刃物の所持を見落とした責任を感じてか、グラハムは隙あらば捕らえようとするように少しずつバーナビーとの距離を詰めていく。非戦闘員であるエレンの側に、戦槌メイスを持ったクリスティアーナの頼もしい姿があるのを確認しての行動だった。


 そんな一行の動向を楽しげに眺め、バーナビーは明るさを増した声で言い放った。


「俺は充分好き勝手なことをやった。人を殺し、奪い、悲鳴と怨嗟えんさを心ゆくまで聞いてきた。だったら、俺が他の人間に殺されるのも、奪われるのも自然の摂理なのだろう――が、お前たちの望み通りにだけは決してなってやらん」


 晴れやかな顔で言って、彼は手に持ったままの刃物を自分の首へと当てる。


 はっとした表情でアルベリックが口を開くより早く、薄くはあっても充分な殺傷力を持った刃がバーナビーの首の血管を深々と切り裂いた。


「――っ!」


 鮮やかな明紅色の血が噴き出す中、バーナビーはさらに何度も手を動かす。

 首から噴き出す血が地面に不規則な輪を描く。首から下を鮮血で染めながら、バーナビーはアルベリックをまっすぐに見据えて笑い混じりの言葉を投げた。


「ああ、いい気分だ――お前のような甘ちゃんにはこうするのが一番効くのだろう? お前たちが手を汚さなくても、お前たちのせいで人が死ぬぞ? ざ、まぁ、み……ろ」


 喘鳴ぜんめい混ざりの声で告げる、バーナビーの目からみるみるうちに光が失われていく。

 絞り出すように最後の言葉を口にするのと同時に、彼は自らが作り出した血溜まりの中へと倒れ込んだ。


「ティアーナ……!」


 アルベリックが呼びかける前に、すでに彼女はバーナビーに駆け寄っていった。


 衣服が血で汚れるのもかまわずひざまずき、倒れて動かないバーナビーの身体に触れて治癒術を使う。ごく淡い光がクリスティアーナの手から放たれ、いまだに血を噴き出し続けるバーナビーの喉元を照らし出す。


 が、しばらく続けて術を使ったあと、クリスティアーナは残念そうに首を横に振った。


「……駄目です。もう……すでに息絶えています……」


 悲しげな口調で告げる彼女に、アルベリックの顔にも沈痛な表情が浮かぶ。

 ここに至るまでの行いを考えれば、その死によって悲しむ人間よりも喜ぶ――将来的にはそれによって救われる人間の数のほうが多いだろう。


 それでも、目の前で一人の人間が死んだことに、なにも感じないでいることができるほどアルベリックの神経は太くできていなかった。

 軽く首を垂れて黙祷し、せめて死後は心安らかであるようにアルベリックは祈る。


 目を開けて顔を上げるのと、デュシェスが周囲の兵に向かってレッセ子爵の身柄の確保と、バーナビーの遺体の収容を命じるのが同時だった。


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