第31話 レッセ子爵


 緊張した様子で見守るアルベリックたちの目に、遠く騎馬の影が映ったのはそれからすぐあとのことだった。


 隊列を組んで街道を進んでいるため、一見したところ正確な数はわからない。


 だが、その事実こそが、彼らがまぎれもない正規の訓練を受けた兵士であることを表していた。身につけているのも量産品ではあるようだが、盗品や密売品ではないきちんとした工房で作られた揃いの装備である。


 鮮やかな赤に染められた革鎧は、派手好きの貴族の私兵と見てまず間違いない。

 あるいは、領地の治安維持や魔物の駆除を主な任務とする領軍か――国の予算から維持費の出ている領軍ではあるが、装備の選択に関しては領主の権限の範疇である。


「……アンジェ」


 近づいてくる影から目を離さずに、クロエがアルベリックに声だけを投げる。


「最悪の場合、広域殲滅こういきせんめつ魔術であの兵を皆殺しにするか、転移の魔術で僕たちだけこの場から離脱するか――どちらを選ぶ?」


 二つの選択肢を口にしながらも、彼が両方の魔術の準備をしていることをアルベリックは少しも疑わなかった。


 ただ、どちらも選びたい選択肢ではなかった。クロエもそれは承知の上で、アルベリックが下すべき決断を、あえて問いという形にして突き付けたのだった。どんなに言葉を取りつくろったところで、最悪の場合には嫌でも決断しなければならないのだ。


 アルベリックはまだ遠い騎馬の影を見つめながら、きつく拳を握り締めて口を開く。


「転移は却下だ。私たちがこの場を離れれば、あの兵士たちがクレナ村の住民に危害を加えようとした時、誰も助けに入れなくなる。あの兵士たちと、クレナ村の人々の命――数としては大差ないのだろうが、死ぬのであれば自ら戦うことを選んだ人間が先だ」

「……了解」


 クロエがあえて感情を排した声を返す。可能か不可能かでいえば可能であったとしても、大勢の人間の命を奪うのは決して気分のいいものではなかった。


 それでも、いざとなれば実行をためらうつもりはない。それは実際に手を下す自分以上に、重い決断をアルベリックが強いられているのがわかったためだった。たとえ実行するのが自分であっても、責任も奪った命の重さも一緒に抱え込むのがアルベリックという人間だ。


 できれば使わずに済むことを祈りながら、クロエは複雑な魔術の構築を続ける。その横で、アルベリックはまばたきもせずに近づいてくる影を見つめていた。


 触れられるほどの距離に立つデュシェスが目に入り、アルベリックは低い声で告げる。


「……いざという時は、ティアーナとクリスの身を一番に守ってくれ。私は自分の身は自分で守れるが、二人まで守りきる自信はない……」

「アンジェさん……!」


 クリスティアーナが憤然ふんぜんと言い返しかけたが、最後まで続けることはできなかった。


「一瞬だ――あの集団が私たちに危害を加えようとした場合、一瞬で向こうを皆殺しにする決断を下せなければ、私たちの中に犠牲者が出ることになる。それこそ最悪の場合には――クロエの殲滅魔術に私たちが巻き込まれかねない」


 重苦しい感情を帯びたアルベリックの言葉に、クリスティアーナは絶句する。ヘレナに呼ばれ、馬車を降りてきていたエレンも同様だった。


「……歩く兵器かい。あんたたちの出自が気になるけど……聞くのも怖くなってきたよ」


 正直すぎる感想をエレンが洩らす。その鼻白んだような表情に、アルベリックはわずかに苦笑をのぞかせた。

 昏倒こんとうした――あるいはうめき声を洩らしながら倒れている男たちを、手際てぎわよく縄で縛り上げているグラハムも同様だった。


「むしろ大量破壊兵器……って、洒落になってないっすね。アンジェ様のアイディアとクロエ様の構築能力が合体して無敵というか、もはやオーバーキルというか……」

「喋ってないで手を動かしてくださいね。一人でも逃がしたら面倒なことになりますし」


 ぶつぶつと呟くグラハムに、同じ作業をしているヘレナがにっこり笑って告げる。


「それに、大丈夫ですよ。どんな目的で軍を動かしたかは知りませんが、まともな判断力の持ち主なら、その行動が表沙汰になればどれだけ厳しい追及を受けることになるか――最悪自分の地位を失うことにもなりかねないと理解できるはずです」

「……その言い方だと、全然安心できないんすけど」


 げんなりした顔で言い返すグラハムに、ヘレナはあら、と口元に手を当てる。


 その間にも路上の騎影は近づいてきて、隊列の先頭を進む兵士の顔もはっきり見て取れるようになっていた。冑を深く被っているため表情は定かではないが、極端に興奮や緊張しているといった異常は見受けられない。


 ごく普通の任務だと思っているのか――表情を隠すのに慣れているのかは不明である。

 だが、これなら最低限の意思疎通はできるはずと、アルベリックは心の中で警戒の度合いを一段引き下げる。


 その直後――兵士たちの列の後方から飛んできた声が、わずかに緩んだアルベリックの気持ちに冷や水を浴びせた。


「そやつらを逃がすな! 怪しい呪いの道具を使って、この村の人間を全滅させようとした容疑者だ! 呪いの道具も忘れず押収しろ! そんな危険なものがこの領内に出回っては、この村と同じ壊滅的な被害を受ける恐れがある!」


 きんきんと耳に突き刺さる声が、もはや捏造ねつぞうといっていい域に達した言葉を一方的にまくしたてる。


 その言葉に露骨な不快感を見せたのはクロエ一人だった。グラハムはうへぇ、と言いたげに顔をゆがめ、デュシェスはいっさい表情を動かすことなく、ヘレナはその童顔に貼り付けたような笑みを浮かべたままだ。


 エレンの顔に浮かぶのは、怒りよりもむしろ呆れの表情だった。それ以上に濃いのは兵士たちに対する同情の色で、同じものがクリスティアーナの瞳にものぞいていた。


「……呪い、だと?」


 アルベリックは声の方向を見つめたまま、眉尻をほんのわずかに上げてみせる。

 発した声はそう大きくはなかったが、周囲に満ちる馬蹄の音や馬のいななきにも負けず、奇妙なほどはっきりと響き渡った。


「ずいぶんとまた、妙なことを言う――この村の住人がかかったのは呪いなどではないぞ? いったい誰からそんな話を聞いたのか知らんが、とっくの昔にその情報は消費期限切れになっている。そんないい加減な情報をもとに、領軍を動かしたのか? そもそも、この村で奇妙な病に似た症状が広がっていると知っているのは、私たちを除けばそこにいる犯罪組織の連中だけのはずなのだが……?」


 含みを持たせた口調で言って、アルベリックは武装解除した上で一人残らず縛り上げられた男たちを見やる。


「そういえば、この連中はクレナ村で広がっている症状の原因を、呪いの品のせいだと信じ込んでいるようだったな。その呪いの品を手に入れるために、所持者を拉致らちしようとしたり家に押し入ったりするくらいだ……まったく、人にも家にも被害がなかったことだけが、不幸中の幸いだと言うべきだろうな」


 アルベリックはそう言って肩をすくめる。その仕草は、整った容姿のため非常に様になったが、後ろ暗いところのある人間にはこの上ない挑発ともなった。


「――この、小娘が!」


 癇癪かんしゃくを起こしたような声とともに、周囲の騎馬を押し分けて一人の男性が出てくる。


 実際に押し分けたわけではなく、強引に出てこようとする男性の行く手をふさぐ兵士たちが移動した結果、自然と前が空いた形である。


 止めようとするそぶりを見せる者もいたが、下手に制止しようものなら狂犬のごとく噛みついてくるのは明白で、黙って道をける者のほうが多かった。


「そもそも、貴様らが呪いの道具を奪い返したりするから、こんな辺鄙へんぴなところまでわざわざ足を運ぶ羽目になったのだぞ! 身の程を知らん平民ふぜいが――私の役に立つために自ら進んで献上するくらいのことはできんのか!」

「……うわー」


 我慢できなくなったようにグラハムが平坦な声を洩らす。四十代半ばと見える男性の傲慢ごうまんな態度に、呆れるのも通り越してもはや感心するしかないようだった。


「すげー、ここまで絵に描いたようなテンプレ悪役、絶滅危惧種として保護しなきゃ。しかも自分から、呪いの品を奪わせましたよ~って自白するとか……いやもう、頭の中になにが詰まっているのか真面目に見てみたいんすけど。おがくずかな、空気かな……?」


 ごく小さな声のため呟きは誰の耳にも届かない。ただ、すぐ横に立つヘレナがなにか呟いていることだけ悟って、やや呆れたような目をグラハムに向けた。


 その間にも、赤毛を丁寧に撫でつけた男性はますます興奮した様子で、つばを飛ばして怒声を叩きつけていた。


「なんだ、その人を馬鹿にしたような態度は! この領内の遺跡から発見された道具なのだから、私のものと言っても過言ではなかろうに! まったく、どいつもこいつも気の利かない奴ばかりだ……なぜ私が、私の領内で発見されたものを、わざわざ裏で手を回して入手するような真似をしなければならんのだ!」


 まくしたてる男性を見る一同の目が、アルベリックを除いてグラハム同様に呆れの表情を色濃く含んだものへと変わる。

 唯一、真面目な表情を崩さず、アルベリックは男性に向かって問いを放った。


「この村で起きていること――病のような症状が広がっていることを、いったい誰から聞いたのか教えてはくれないか? なぜ呪いだと誤解しているのかも――私たちも、この村に来るまでは呪いだと思っていたのだが、よく調べてみると呪いの品は無関係だとわかった。だから、勘違いしても不思議はないのだが……なぜ、呪いの道具を手に入れようと思った?」


 根気よく問いかけるアルベリックに対し、男性はその言葉遣いや口調そのものが気に入らないと言いたげに声を荒らげた。


「女のくせに生意気な口を! 誰から聞いたかなど関係なかろう! 領内で起きたことをつぶさに知ることができなくて、なにが領主か! それくらいの情報網を持たずして、領主など務まらんのだ! 女子供にはわからんだろうが――時には汚れ仕事を引き受ける人間も必要なのだ! 生意気な口を叩くくらいしか能のない小娘には想像もできんだろうがな!」

「……うわー。うわー」


 あからさまな嘲笑を浮かべて言い返す男性に、グラハムは平坦を通り越して棒読みに近い口調で呟く。

 もはや突っ込みどころしかない、とぼやく彼に、身体強化の作用でその呟きを拾ったデュシェスがぼそりと言う。


「弱い犬ほどよく吠えるというが……あれと比べては、犬に失礼といえるだろうな」

「そうですよ、犬のほうがよほど賢くて可愛いです。犬に謝ってください、デュシェス様」

「……悪かった」


 笑顔を崩さぬままきっぱりと言い放つヘレナに、デュシェスは即座に謝罪する。

 気の抜けたやりとりを交わしながらも、誰一人として油断する者はなく、兵士たちの動きに気を配っていた。兵士たちもまた、アルベリックたちが男性――領主であるレッセ子爵に危害を加えることがないよう、神経を尖らせている様子だった。


 しかし両者の間に漂う緊張感にまるで気づく気配を見せず、レッセ子爵はさらに語気を荒らげて言った。


「だいたい、病だと! そんな話は聞いてないぞ――この役立たずどもめ! 病のように人から人へと伝染する呪いだなどと、嘘を言いおって! 呪いでないというなら役に立たんではないか! 病に似た症状を引き起こす、便利な道具が手に入るはずだったというのに……」


 憎々しげな目を子爵が向けたのは、縛られて地面に転がっている男たち――その中に混ざるバーナビーとクランドの両名だった。


「高い金ばかり取ってろくな情報もよこさない、せっかく奪った呪いの道具も一日も立たんうちに取り返される、なんだ、この無能どもは! やはりゴロツキ同然の犯罪者など、最初から当てにすべきではなかった! 今回まとめて処分してしまおうと考えた、私が正しかった!」

「……処分?」


 子爵が口にした穏やかならぬ言葉に、アルベリックは軽く眉を上げる。


「そうだ。この連中も、大分態度が大きくなってきたからな――呪いの道具さえ手に入れることができたら、村の人間ごと証拠隠滅しょうこいんめつのために始末するつもりだった! 貴様らもだ! こちらには村を襲った賊どもを片付けるという大義名分があるからな! たまたま村を訪れていた人間が、不運にも巻き込まれたという話も別に珍しいものではあるまい!」


 レッセ子爵の顔に広がった笑みは、アルベリックが浮かべた不審がるような表情をひるみと勘違いしてのものだった。


「こんなちっぽけな村一つ、地図から消えたところで誰も困らん! それで自在に病に似た症状を引き起こす道具が手に入るのなら、充分な黒字といえるだろうよ――呪いだと知らなければ、防ぐ手立ても治す手立てもないのだからな! 目障りな隣の領地にでも放り込んでやれば、さぞかし面白いものが見られただろうに!」


「……まさか、意図的に呪いを――病を広めるつもりだったのか? 治す手立てもわかっていないのに?」


 愕然がくぜんとしたアルベリックの声に、レッセ子爵はそれがどうした、と言わんばかりに肩をそびやかせた。


「そんなもの、向こうで考えればいいことだろう。私の知ったことではない。だが――病でも別にかまわないのか。原因さえわかっているなら、それを同じように利用して奴の領地に痛手を与えることができる……」


 子爵はぎらついた目をアルベリックに向ける。その口から出たのは、相手が無条件に自分に従うものと信じて疑わない声だった。


「病の原因はわかっているのだろう? さっさと教えろ! 私の役に立つという名誉を与えてやろうというのだ――ひれ伏して感謝してもいいくらいではないか! 貴様のような下賤な小娘が……いや、見てくれだけはいいのだから、素直に教えるようなら私の側女として生かしておいてやってもいいぞ?」


 子爵の声と視線に粘ついた別種の欲望が混ざる。視界の隅に映るエレンには目もくれず、アルベリックの美貌を舐めるように見ながら、子爵は下心丸出しで言葉を続けた。


「その生意気な口の利き方も、私が直して立派な淑女にしてやろう……それに、貴様が素直に言うことを聞くのであれば、他の連中も命だけは助けてやってもいい」


 むろん魔道具で逆らうことができないようにさせてもらうが、と彼は上機嫌な声で告げる。


 アルベリックは無言で子爵と周囲の兵士を見返す。その目にはどんな感情も浮かんではおらず、ただ冷静に戦力としてどの程度の脅威か確認しているだけだった。


 やがて、小さく息を吐いてアルベリックは口を開く。なおも身勝手な言葉を吐き出し続けようとする子爵の声を遮るように、アルベリックが口にしたのはまったく温かみのない、非人間的とさえいえる冷え切った声だった。


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