第30話 決着と軍団


 一方、バーナビーを相手にしているアルベリックのほうには、まったく余裕と呼べるものがなかった。


「……くっ!」


 叩きつけられる一撃一撃が重く、防ぐだけで精一杯だ。

 反撃に転じるどころか、体力を削られて刻々と不利になっていっているのが自分でも理解できた。


「魔術師にしては腕も立つ――惜しいな、こんなところで散らず腕を磨き続ければ、いずれは白金級の冒険者も夢ではなかったろうに」


 切れるような笑みを浮かべながら、バーナビーは感情の響きを感じさせない声を出す。

 不気味なほど剥離した表情と声にアルベリックの背筋がぞくりと冷える。同時に、バーナビーの手の剣がアルベリックの喉元にひらめいた。


 全身が凍り付くような感覚とともに、手首だけで剣を跳ね上げて喉元を守る。

 しかし、それも単なる誘導に過ぎなかった。バーナビーの本当の狙いは、がら空きになったアルベリックの胴体だったのだ。


「――っ!」


 横なぎに振るわれた剣を、アルベリックは飛び退いてかわそうとするがもう遅い。

 衣服に施されている防護の付与と、その下に着ている防護服の耐刃、耐衝撃性能の高さを信じて身を硬くすることしかできなかった。


 しかし、いつまでたってもアルベリックの身体に衝撃が――それを越えた痛みが届くこともなかった。


 アルベリックを背後から抱き締めるような形で、差し入れられたデュシェスの剣が相手の攻撃を受け止めていたためだ。

 かなり不自然な体勢にもかかわらず、デュシェスの剣は小揺るぎもせず刃を止める。


「……ほう」


 面白がるとも、不快を表すともつかない声をバーナビーはらす。

 直後、彼はデュシェスの目を見返したまま剣を引く。受け止めるために入れていた力が行き場を失い、デュシェスがわずかに体勢を崩したところで鋭く短剣を突き出す。


 その刃が狙ったのは、いまだにデュシェスの腕の中にいるアルベリックの顔面だった。


「――っ!」


 息を呑みながらも、アルベリックは指先一つ動かそうとはしなかった。


 デュシェスが手の届く距離にいながら、自分に傷を負わせることなどたとえ天地がひっくり返ってもあり得なかった。むしろ、下手に動けば彼の行動を妨げることになる――心からそう思ったがゆえの行動で、結果からいえばその判断は正しかった。


 バーナビーの剣が届く寸前、デュシェスはアルベリックの身体を片腕だけで抱き上げてくるりと入れ替わったのだ。

 アルベリックの顔を狙っていた刃は、デュシェスの背中の装甲にあえなくはじかれる。


 彼が身につけている黒のロングコートには、アルベリックの乗馬服と同様の防護の付与に加え、魔物の素材をふんだんに使った装甲も仕込まれている。

 その下の軽鎧も合わせれば、下手な板金鎧よりもよほど高い防御力を有しているのだ。


 思いがけない手応えにバーナビーが目を見開く。同時にデュシェスはアルベリックの身体を腕の中から解放し、アルベリックは素早くその場から離脱した。残念ながら今の自分の実力では、バーナビーには太刀打ちできないと冷静に判断してのことである。


「デュシェス――頼むぞ!」


 最後に一言、複雑な内心を押し隠して声をかける。デュシェスはうなずきもしなかったが、その瞳には不敵な笑みとともに、やる気の炎が燃え上がるのが見て取れた。


 身体の大きさからは想像もできない、猫科の猛獣のようなしなやかな動きで彼はバーナビーへと接近する。ほとんど身体が触れそうな距離は、むしろバーナビーの手にする短剣に有利な間合いだった。


 あざけるような光を瞳にのぞかせて、バーナビーは下からすくい上げるように短剣を閃かせる。露出したデュシェスの喉元を、容赦なく短剣が切り裂く――はずだった。


 それより早く、ひるがえったデュシェスの手に握られた剣が、バーナビーの手にする短剣を弾き飛ばした。


「な……っ!?」


 物理法則を無視したようなデュシェスの動きに、バーナビーは知らず声をあげる。

 それを可能としたのが精密な身体制御と、骨身に染みつくレベルで身につけた剣技だと彼が理解することはなかった。


 短剣が手から弾き飛ばされた瞬間、バーナビーはその手を懐へ差し込んでいたのだ。


 デュシェスとの実力差を瞬時に悟り、あと数手もたずに詰むと判断した彼の次の行動は、懐に隠し持っていた魔道具を作動させるというものだった。


「……っ!?」


 魔道具の効果で、デュシェスの視界が溶けたガラスのようにぐにゃりとゆがむ。


 それは精神や神経に影響を及ぼすのではなく、あたりの光の進路を狂わせることで確実に相手の視界を奪う効果のある魔道具だった。

 周囲の男たちも巻き込まれていたが、気にかけずバーナビーは素早く逃走をはかる。


 が、その一歩目を踏み出そうと力を込めた足が、泥で満たされた深い沼にでも落ちたように太股までずぶりと地面に沈んだ。


「な……っ!」


 あげかけた声を呑み、バーナビーは反射的に周囲を見回す。その目に映ったのは、歪んだ景色の中に浮かぶ魔法陣と、その後ろに立つアルベリックの姿だった。


 驚愕に見開かれたバーナビーの目に、鮮やかなみどりの瞳の色がはっきりと焼き付いた。

 しかし、アルベリックにも決して余裕はなく、バーナビーの動きを封じて逃走を阻止するのが精一杯だった。


「――よそ見はいけねえなぁ、お嬢ちゃんよぉ!」


 嘲りを含んだ声とともに、後ろから振り下ろされた剣をかわすため、身体能力と集中力の大半をついやすこととなったのだ。


「ちっ、ずいぶんいい反応するじゃねえか――まぁ、うっかり殺さずに済んで良かったのか。せっかく高く売れそうなとびきりの別嬪べっぴんだってのに、手が滑って死体にしちまったなんて言ったらもったいないにも程があるしな!」


 獰猛どうもうな獣のようにクランドは歯をき出して笑う。先の一撃には生け捕りにする意志などまるで感じられなかったが、本人の言うように単に失念していただけなのか、思った以上の実力を脅威に感じてなのかは不明だった。


「にしても、本当に見れば見るほどいい女じゃねえか。ちょっとばかり若すぎるが……その分長く楽しめると考えることもできるしな」


 舌なめずりをするような下品な声と視線に、ぞわりと生理的な嫌悪感が湧くのをアルベリックは感じる。


「なんなら、売っ払わねえで俺の女にしてやってもいいか? こういう小生意気な面した女を自分好みにしつけるのも、それはそれで楽しそう――だっ!」


 言葉と同時にクランドは手にした剣をアルベリックに振り下ろす。狙いこそ肩口ではあったが、その勢いからは容赦も手加減も感じられなかった。間違って即死させたとしても、やっちまった、と悪びれもせずに笑うだけなのだろう。


 アルベリックは素早く身を屈めてクランドの剣をかわす。頭をかすめた風圧が純金の髪とそれを束ねるリボンをなびかせる。


 しかしアルベリックは眉一つ動かさず、冷ややかな視線と声をクランドへ投げやった。


「なにを寝惚ねぼけたことを言っているんだ? その提案自体願い下げだが、他人を自分の思い通りにしつけられると思っている時点で、相当頭がおめでたくできているな。そんな器量も力量も持っていないだろうに――身の程を知らなさすぎていっそ笑えるくらいだぞ」

「……ああ?」


「その残念な頭でも理解できるように言うなら――よほど奇特な趣味の持ち主でもない限り、ほとんど山賊と変わりない小汚い男に魅力を感じる女性などいない、ということだ。近づきたくもないくらいだぞ――自分では自分の匂いに気づきにくいと言うが、そこまでの悪臭を漂わせてよく街を歩けるものだな」


 ふん、と鼻で笑ってアルベリックが言い放つと同時に、クランドの顔が憤激ふんげきに染まる。


「なんだと!? 舐めんじゃねえぞ、このクソアマ――!!」


 大振りに剣を振り回すクランドの目に狡猾こうかつな光が宿る。アルベリックが危険を察して大きく飛びのくのと、それまでとは別人のように鋭い一撃が放たれたのは同時だった。


 完全にはかわしきれず、ひらりと宙を舞った乗馬服のすそが断ち切られる。


 あと一瞬でも身をかわすのが遅ければ、膝のあたりにその一撃をもらっていたのは確実だった。アルベリックは冷たい汗が背筋を流れ落ちるのを感じる。


「……ちっ、すばしっこいアマだな。今のをかわすか」


 笑みのかけらもない声をクランドが洩らし、アルベリックの引き締まった顔を見てにやりと嘲笑めいた表情を浮かべた。


「さっきまでの威勢はどうしたよ、お嬢ちゃん? それに、女をしつけるなんて簡単なもんだぞ? いいお薬があるからな――薬漬けにしてたっぷり可愛がってやりゃあ、どんな女でも素直に言うことを聞くようになるって寸法さ」

「……そうか。お前たちには、色々と聞かねばならないことがあるようだな」


 アルベリックは限界まで冷え切った声を出す。その声に含まれたものに気づかず、手にした剣をクランドが振り上げようとした――瞬間だった。


「――ぶっ!」


 横なぎに振り抜かれた戦槌メイスの一撃が、クランドの腰のあたりを背後から打ち抜いた。

 大人の頭ほどもある金属の塊はクランドの姿勢を容易に崩し、くの字に折れ曲がった身体が真横へと吹っ飛んでいく。


「………」


 最終的に糸の切れた操り人形のように中途半端な姿勢で動きを止めた彼を、アルベリックは声もなく見送った。

 ぎこちなく視線を動かした先には、戦槌を構えて立つクリスティアーナの姿があった。


「――大丈夫ですか、アンジェさん!?」


 ゆるく編み流した白金の三つ編みを揺らして、クリスティアーナが駆け寄ってくる。


「あ、ああ……大丈夫だ」


 答えながら、アルベリックは思い出したように視線を転じる。

 その先では、デュシェスがすでに倒れて動かないバーナビーの身体を、地面から引きずり上げているところだった。


 目立った外傷はないようだが、完全に気を失っているらしくぴくりとも動かない。


 クリスティアーナの戦槌で吹っ飛ばされたクランドも、白目をむいて力なく横たわるばかりだった。気絶しているようだが、もし仮に意識があったとしても、金属の塊を易々と振り回す身体強化込みでの膂力で腰を打ち抜かれて、立ち上がる力があるとは思えない。


 その部下たちも、すでにグラハムに気絶させられて一人残らず地面に伏している。

 一人で相手取るには少々厳しい人数だったが、クロエの適確な援護があれば決して不可能なことでもなかった。


 ほっとしたように表情を緩ませて、アルベリックはクリスティアーナへ視線を戻す。


「助かった……が、ティアーナはなぜここへ? まさか、村人の治療でなにか問題でも……」


 やや不安そうな気配をアルベリックの声が帯びる。その顔を見返して、クリスティアーナはゆっくりと首を横に振ってみせた。

 発した声には、やるべきことをやり遂げたという達成感が色濃く表れていた。


「……村の人たちの治療は終わりました。全員完治して、あとは経過を見ながら体力の回復を待つばかりとなっています」

「終わったのか! ……そうか、それはよかった」


 アルベリックの声にも喜色がにじむ。クリスティアーナと目を合わせて、心底ほっとした様子で言葉の続きを口にした。


「全員に術が効くかどうか少し不安だったんだ……もし病原体が途中で変異していたら、効かない相手が出るかもしれないと思って。術の副作用も今のところは出てないようだし、無事治療が終わったみたいで本当によかった……」


 胸の奥から溜め息とともに言葉を吐き出す。安堵のあまりその場にへたり込みそうになりながらも、アルベリックは膝に力を込めてクリスティアーナに礼を述べた。


「ありがとう、ティアーナ……ティアーナの協力があってこそ、治療が上手くいったんだ。本当にどれだけ感謝すればいいか……」

「いいえ、お礼を言うのは私のほうです。私ではこの村の人たちの病気を治し、この村の人たちを救うことはできませんでした――私にできないことをやってくれて、この村の人たちを助ける手助けを私にさせてくれて、本当にありがとうごさいます」


 まぎれもない本心とわかる言葉をクリスティアーナは返す。互いに頭を下げ合ったあと、二人は目を見交わして小さく噴き出した。


「……お礼合戦はここまでにしたほうがよさそうだな。きりがなくなりそうだ」

「そうですね……」


 苦笑する二人に、その場に居合わせた男性陣はやや温もりを帯びた目を向ける。

 ――が、そのため彼らが、かすかに遠く聞こえる馬蹄の響きに気づくまでには、一瞬以上の間が空いた。


 真っ先に反応したのはデュシェスだ。彼がはっとしたように視線を巡らせるのを見て、クロエとグラハムの両名も周辺の索敵がおろそかになっていたことに気づく。


「な……っ!?」


 反射的に探知の魔術を使ったクロエと、周辺の気配に意識を向けたグラハムが思わず同時に声をあげた。


「なんだ、この数は……完全に軍隊のレベルじゃないか!」

「……レベルじゃなくて、モノホンの軍っすよ。これだけの数で規律だって行動できる騎馬の集団なんて、それ以外あり得ないっす!」


 声を荒らげるクロエに、引きつった笑いを浮かべてグラハムが言葉を投げやる。


 デュシェスが厳しい表情で村の外――領都の方向を見つめる。先程の賊に対するものよりも一段強くなった警戒の色に、アルベリックがクロエに倣って探知の魔術を使おうとした時、馬蹄の音がはっきりと耳に届くようになった。


 耳だけではなく、地面を伝って足にも、空気を通して身体にも震えが伝わってくる。


 クリスティアーナが困惑をにじませた視線を道の先に送る。同じ方向に視線を向けながら、アルベリックが使った探知の術に多数の反応が引っかかった。

 その数はクロエたちが口にした通り、軽く百は超えているとわかるもので――


「……どういう、ことだ?」


 思わず呟いたアルベリックの声は、馬蹄の響きを乗せて吹き付けてくる風にさらわれて呆気なく溶けた。


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