エリカ
冬季中途社員採用試験のお知らせ
応募資格: 一年以上のフルタイム勤務者
店長の推薦者
店舗異動が可能であること
日時:12月1日 10時~15時※変動あり
場所:本社5階 第3会議室
持ち物:履歴書
作文
筆記用具
締切は11月15日迄
店長は人事部へ参加者の報告を
お願い致します。
*
涼子は控え室に貼り出された中途採用試験の案内用紙とにらめっこをしていた。
店長の推薦者という項目以外を涼子はクリアしていた。試験を希望する場合は
店長へ試験を受けたいと申請し
許可がおりれば試験を受けることができる。だが、挑む気にはならなかった。
店長から推薦してもらえるはずなど私では
到底叶わないことだと思っていたからだ。
しかし。
「大志摩さん、社員試験受けてみない?」
と店長から声を掛けられたのだ。店長の
「え!?私なんかでいいんですか?」
髭の剃り残しが気になるのか、顎をいじりながら話を続ける。
「うん、頑張ってるし。今後も期待できるスタッフさんだからさ。もし挑戦したい気持ちがあったら締切までに教えてね」
そう言うと顎をいじりながら国枝は控え室から店頭へと戻って行った。
信じられなかった。
自分が誰かに期待されているなんて。
プロ意識を持って仕事に向き合いたいと
強く思い仕事に取り組んでいた。
日々の積み重ねを店長が見ていてくれたことが切実に嬉しかった。
─私、少しずつ成長できてるのかな─
ぐぅぅ~~……
空腹の音が休憩の残り時間を知らせてくれる。涼子は慌てて従業員の社員食堂へと走る。
12時すぎの食堂は様々なテナントの
従業員で混雑していた。
涼子は一番安い定食セットの盆を持ちながら
空いてる席を探していた。
スーパーのスタッフ二人組が席を外すところを見つけ、空いた席へ急いで向かう。
慌てて置いたお盆が隣のお盆にコツンとぶつかった。
「あっすみません…!!」
「ごめんなさいっ」
重なった声には聞き覚えがあった。
「わわ!深月さん…!お疲れ様です!この前は有り難うございました」
「お疲れ様です!こちらこそです!それにしても縁がありますね、僕たち」
八重歯を覗かせて微笑んでいた。
涼子は心地よさを感じながら微笑みを
返した。そのまま談笑を交えながら二人は
食事を進めていった。
一足先に食べ終えた深月が問いかける。
「……しまこさん何かいい事ありました?」
「えっ!ほう見へまふか?」
最後の鳥の唐揚げを頬張りながら涼子は
慌てて答える。
「ふふ……すみません。食べてるとこ話しかけちゃって」
顔を赤くして唐揚げを飲み込んだ涼子は
ポソポソと話始めた。
「……あの社員試験を受けないかって店長に声をかけられたんです……うれしくて……」
「えっ!それはうれしいですね!しまこさんの日々の努力をちゃんと見ていてくれたんですよ」
そう、そのことが純粋に嬉しかったのだ。
自分の頑張りを見ていてくれる人がいる。
ずっと誰かに言って欲しかった言葉を
深月が口にしてくれた事が無性に嬉しかった。涼子のなかで温かい時が流れていた。
「しまこぉ〜!隣いい〜?席空いてなくてさー」
聞き覚えのある声のほうへ振り向くと
自前のお弁当を手に提げた洋子が涼子の隣の席に座った。会話に夢中で隣の席が空いていたことに気づかなかった。
「お疲れ様です。そろそろ休憩終わるので僕は戻りますね。さっきの話、応援してます!」
深月は二人に頭をさげ席を立ち、売り場へと戻って行った。
「しまこが親しげに話すの珍しいね。人見知りじゃん。昔からの知り合い?」
「いえっ違います!この前三田さんのブーケを作ってくれたお花屋さんです。あれから少し話すようになったんです」
ふーん。と洋子はにんやりとした表情でこちらを窺ってくる。
涼子はくすぐったい気持ちを隠しながらお茶を啜った。
洋子はしばらく様子を窺っていたが、いただきます、と手を合わせお弁当を食べ始めていた。ふっくらとした玉子焼きを箸で摘んでいる。ややあってから
話聞いちゃってごめん、と前置きして、
ポツリと呟いた。
「私も応援してるよ、試験」
─試験に受かったら先輩にすこしでも追いつけるだろうか─
高鳴る気持ちを感じながら涼子は答えた。
「有難うございます……!改めて店長に相談してみます」
洋子は優しい顔をして頷いた。
*
「お疲れ様でーす」
「お疲れっすー」
他部署の早番スタッフ達がぞろぞろと着替えなどで控え室に集まってくる。勤務を終え
リラックスしたスタッフ達はお菓子を食べたりしながら今日の出来事などを談笑している。
涼子もタイムカードを切り、ユニフォームから私服へと着替え、もう一度社員試験の用紙を眺めていた。
「もしかして大志摩さん店長に社員試験受けないかって声掛けられた?」
商品部門アルバイトの
頷くと、そこに居るバイトスタッフ達が
どよめいた。
「ほらー!やっぱ条件に合うバイト全員に
声掛けてんだよ、店長」
え?と強ばらせた表情をなるべく汲み取られないよう平静を装って涼子は事情を訊ねた。
裕美は5年ほどアルバイトを続けていて、
内部事情も少し把握してるようだった。
「社員に中途採用されることで店長の評価があがるんだよ。大志摩さんの他にも私や別の部門のバイトの子にも声掛けてるっぽいよ。期待してるよって言ってさ。出世のために
うちら使われてるんだよ!」
「店長も声かけるの手当り次第すぎっすよねー」
近くにいた男性スタッフも裕美の会話に乗っかる。
あぁ……そうゆうこと……
浮かれてたみたい……
そうだよね、私なんか期待されるわけないんだよ。だれも見てくれてなんかない。
分かってたはずなのに……。どうしようも
ない羞恥心が込み上げてくる。
「はは……点数稼ぎってことですか……。
でも、わたし試験受けるつもりなかったんで
気にしてないです〜」
無理矢理作った笑顔で頬が痛い。心が痛い。
笑おうとすると目が熱くなってくる。
じゃあお先に失礼します。と何事も無かったように振る舞い退出した。
部屋を出た先には洋子が立っていた。
「あ、先輩……。お先に失礼します」
「試験受けるの辞めるの?また盗み聞きみたいで申し訳ないんだけど、飲み物取りに来たら、話聞こえちゃってさ」
「店長の点数稼ぎで声かけられただけなんで
別に受けなくていいかなと思って〜」
へへ、っと涼子は精一杯、おどけるような笑顔を作った。
「……あんな話、真に受けてるの?」
「あんな話って……」
ベテランの裕美が言うのだから、おおよそ
裕美の言う通りではないのか。
───日頃から期待もされてない自分の気持ちなんて、正社員で仕事のできる先輩には分からないよ──
卑屈な先入観に囚われていることに
気づきながらも払拭できない自分に更に
嫌気がさす。
涼子はこれ以上話すと泣いてしまいそうで
言葉に詰まってしまった。
これだけは言っとく。と、押し黙る涼子を
見て洋子は言った。
「大事なのは、自分がどうしたいか。でしょ」
そう言って洋子はまた店頭へと戻って行った。
バタンッ
店へと続く扉を閉じる音が強く耳に響いた。
涼子はすぐには動けず、その場に立ち尽くしていた。
扉から僅かに漏れ出してくる軽快な有線の
店内BGM。
控室から微かに聞こえてくる楽しげな
話し声。
涼子だけその場所から、くり抜かれたような感覚に陥っていた。
──だれも私を見てくれない───
*
涼子は一度店を後にしてから、帰宅はせず
ショッピングモールへと戻りフラフラと店内を巡っていた。同じ時間帯に退勤した
スタッフと鉢合わせないように注意をしながら。
またあの人と話ができるだろうか。
いや、こんなことを
相談されても困らせるだけだ。だけど。
いま、一番話を聞いて欲しいのは……。
また顔が思い浮かぶ。逡巡しながらも、
やっと決心がついてあの小さなお店へ
向かう。
『FLOWERHOUSE bouquet
《フラワーハウスブーケ》』と、書かれた
温かみのある木目調のイーゼルや、
色とりどりの花々が自分を歓迎してくれてるようだった。黒い名刺サイズの用紙に
『ネリネ』『ダリア』など手書きの白い文字でお花一つ一つ丁寧にお洒落なPOPがついている。
店内を見渡すとレジに背の高い眼鏡の
男性スタッフと接客をしているポニーテールの女性のスタッフだけだった。
深月の姿は見えなかった。
落胆しながらもせっかく来たのだから、何かお花を買って帰ろうかと花々を眺めていく。小さなお店いっぱいに飾られた花達の中に
いると花畑に入り込んだようで気持ちが
和らいでいく。
角に設置された鉢植えのコーナーにピンク色の存在感のある花が目に飛び込んだ。
思わずその花の鉢植えを手に取った。
小さい花が枝に満ち満ちと咲き誇っている。一つ一つの花は小さいのに手を取り合うかのように連なり鮮やかな色をつくり強い生命力を感じる。
「あれ、しまこさん!お買い物ですか?」
声を聞いて胸が高まった。振り向くとそこには私服姿の深月が立っていた。
萎れた花に水が染み渡るように心が癒えて
いく。
「深月さん……!えと、深月さんはどうして……」
咄嗟の出来事になるといつも思ったように
言葉が出ない。深月は仕事の後、ここで人と待ち合わせをしてると手短に話してくれた。
そして、それよりも……と涼子へ問いかけた。
「……なんか元気なさそうに見えるんですけど、大丈夫ですか?」
─なんで気づいてくれるんだろう。きっと
深月さんなら分かってくれる─
涼子はこれまでのいきさつを、他の客や営業の邪魔にならないように店の端に寄って話し始めた。店長の点数稼ぎにされたこと。
洋子から叱られたこと。試験は受けないことにしたと話した。
「こんな状況で試験受けても意味ないですよね……」
深月ならこの気持ちを分かってくれる。
そんな淡い期待を持ちながら涼子は呟いた。
少し間を置いてから深月が口を開く。
「えっと……僕もその先輩と同じ気持ちかも……。自分がしまこさんの状況だったら
試験受けます。やっぱりどうするかは
自分次第だと思うんです」
社員にならなくてもひたむきに毎日頑張ればそれでいい。プロって正社員とかアルバイトとか関係ない。そんな言葉を期待していた。
自分は深月の何を分かったつもりでいたんだろう。
「……んと、もっと……」
深月がまだ何か話そうとしていたとき
その後ろから清廉された女性が顔を出した。
「みっくんお待たせ!」
「えりかちゃん!」
ブルーベースの肌によく合う淡いラベンダー色のアイシャドウにグレージュの髪色、清楚なワンピース、手首には華奢なブレスレットを身につけていた。綺麗な女性だった。
親しげに話す2人の姿に呆気にとられているとえりかちゃんと呼ばれる女性が涼子に
気づく。
「あ!こんばんはー!お話中だったかな?
ごめんなさい!みっくん、こちらの方は……?」
「ここのお店のお客様ですぐ側のお店でトリマーさんやってるんだよ」
─お客様─
─あれ、なんか、すごく、やだ─
心がザワザワと落ち着かなくなってくる。
2人はなにやら会話をしてるようだけど、
耳に入ってこない。
─この人はだれ?─
─なんでこんな居心地わるいの─
─深月さんに親しい人が居たって当然のことなのに─
─私深月さんになにを期待してたの?─
恥ずかしさや虚しさの入り混じる感情が込み上げてくる。
「みっくんのお店エリカ入荷してるの?
お姉さんが持ってる花、エリカって言うんですよ」
話しかけられたことに気付き、涼子は先程
手に取っていた小さな鉢植えの鮮やかな花に視線を移す。
「私と同じ名前でだいすきなの〜!庭木だから切り花のショップで出会うのはラッキーですよ!」
深月も頷きながら会話に入る。
「花言葉からは想像つかないくらいの鮮やかさだよね」
「そうそう!花言葉はあまりよく思われないかもしれないけど、荒れ地でも自生してる姿が由来らしいでしょ?受け取り方は自分次第だもん。たくましい感じがして好きなんだよね、このお花!」
揚々と話をしてる2人に入り込めない涼子は
またその場から、くり抜かれて光の当たらない場所に放り出されたように感じていた。
手探りさえもできなくて途方のない気持ち。
「あの……!ごめんなさい。お金足りなくて、またの機会にします。失礼します……!」
そっと鉢植えを元の場所へ戻した。深月が
何か言っているような気がしたが、涼子は
二人の顔も見ずに会釈だけして逃げるようにその場から早足で離れていった。
涼子は悶々とした気持ちを払うように
進む足を緩めずショッピングモールへの出口へと歩みを強めていく。
拭えない感情が蔓草のように涼子に絡みついてくる。今地に足をつけてる自分は誰なのか、私はどうしたいのか、誰か教えてほしい。誰かって誰だろう……?
だって。
─だれも私を見てくれない─
涼子が売り場に戻したエリカの花が
静かに揺れていた。
エリカの花言葉
孤独 寂しさ
ラナンキュラスとトリマー おおはしカフカ @kyonkyonkyon82
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