ペチュニアとナポリタン

「おい、なんでお前がここにいるんだ!!」


男性の怒号に一同はその場に固まった。

涼子は今、トイ・プードルのチョコちゃんを

抱っこしながらお花屋さんとそのご両親に

囲まれ、剣呑けんのんな場面に出会でくわしていた。



――――なぜこんなことに……――――



事の起きる約一時間前。


涼子は公園のベンチでホットラテを

飲みながら高く澄み渡った空を見上げて

いた。


用事のない休みの日はカフェでテイクアウトをして公園へ向かう。ベンチに座りラテを

飲みながら空の動きを見て過ごす時間を

好むようになった。


専門学生の頃は、友達と朝から晩まで

遊ばないと、休みを満喫した気分になんて

ならなかったのに。


涼子は送別会の日から、一週間ほど経った

今もお花屋さんへお礼を言えていなかった。

何度かお店の前を通ってみても、接客に

追われていたり、熱心に作業していたりと

声をかけるタイミングを逃し続けていた。


「早くお礼を伝えたいなぁ……」


独りごちた後ラテの最後の一口を飲み終え、

ベンチから立ち上がろうとした。


「こら!待って……あぁっ止まれ……!」

遠くから妙に焦る声と同時に、

茶色い何かが涼子の前を横切った。


トイ・プードルだった。


え?リード取れちゃってる!

咄嗟に涼子は駆け出した。

あぁ…!道路に出ちゃう!

危ない!

球児のように滑り込み、トイ・プードルを

キャッチした。


ゼェッ……ゼェッ……

久しぶりの全力ダッシュに呼吸が乱れる。

トイ・プードルも突然のことに固まっている。

負担のないように保定をして抱え込んだので

怪我はなかった。


よかった……。涼子は安堵の声を洩らした。


「すっすみません!!大丈夫ですか!?」


飼い主らしき人物が息を切らして

涼子のもとへ駆け寄る。


「あの!!ほんとに事故に繋がると危ない

んで、気を付け……て……」


涼子は目を丸くした。


「……あ!トリマーさん……!」


「お花屋さん……?」


目の前にはあのローズブーケを手掛けてくれたお花屋さんが息を乱しながら大きな袋を

抱えて立っていた。


「すみません……。リードの金具が壊れて

しまって…事故になってしまう所でした。

助けてくれて有り難うございます」


突然の巡り合わせに、涼子は頭が真っ白になる。

あの、えっと……と口籠ってしまう。


お花屋さんの抱えた袋を見ると、中には

お花が沢山包まれているようだった。



「えーと……すごい量のお花ですね?」



「これから、実家に届ける予定なんです。

その子も実家で飼ってるトイ・プードル

なんですよ。お散歩頼まれたついでに

買い物しすぎちゃって……」


涼子の腕に抱かれたままの、トイ・プードルは尻尾を高速にふっている。また走り出した

そうにウズウズし始めている。


「よかったらこの子抱っこしていきましょうか?リード壊れちゃってるし、荷物多そう

なので……」


お花屋さんは、一瞬躊躇ったあと自分の

荷物、壊れたリード、トイ・プードルを

見回して、照れ臭そうに、お願いします。

と頭を下げた。



お花屋さんの実家はここから10分も

かからないらしい。

公園を抜けて、整備された歩道を共に歩く。


早くお礼を伝えなきゃ、と涼子が話を

切り出そうとしたとき、


「そういえば、前回のブーケ喜んで頂けた

でしょうか?」


お花屋さんのほうから不安げに尋ねた。


溜め込んでいた言葉が溢れ出てきた。


「……すっごく喜んでくれました!!

あんなに優しい笑顔になっているのを、

私は初めて見たんです。お花の持つ力とか、

作り出せる技術の凄さを実感しました……

ずっとお花屋さんにお礼を伝えたいと思って

いたんです」



いきなり語りすぎた?引かれたかも……。と

お花屋さんの表情を窺う。


その顔は喜びを噛み締めているような、

少し目を潤ませているようにも見えた。


「うわぁ~……それ、めっちゃ嬉しい……」


先ほどまでの丁寧な口調ではなく、本音が

漏れだしたような言葉だった。


微笑む口元の八重歯がとても可愛らしかった。



「みっくん!遅かったじゃない!

チョコちゃんのお散歩行ってから

中々帰らないんだもの!」


里田さとだとかかれた表札の家から

小柄なショートヘアの女性が現れた。

40代後半くらいに見えるが、快活そうで

綺麗な人だった。

お花屋さんは気恥ずかしそうに、母です。

と教えてくれた。


お花屋さんのお母さんは涼子の存在に

気づいて慌ただしく言う。


「あら!やだ!お邪魔しちゃったかしら!」


「いえいえいえ!そうゆうわけでは……!!」

涼子はあわてて訂正をする。

お花屋さんは、やれやれといった表情で

先ほどの一連の出来事を説明した。


「あらあら!チョコちゃんの危ないところを

助けて頂いたの!?有り難う~!!あんたは

もう少し注意して散歩して頂戴よ?」


はいはい、と嗜めるように頷くお花屋さん。

でも、なんだか微笑ましくて、仲の良い

家族なんだなぁ、と見つめていた。



お花屋さんのお母さんは双方の顔を

見回しながら、続けた。


「ねぇ、あなた達お昼は食べたの?

まだだったらうちで食べていきなさいよ~!」


「あ!私は大丈夫ですので、ここで……」


「チョコちゃんのお礼もしたいし、

遠慮しないで~」



「うちの母しつこくてすみません…。

一応飲食店やってて、味は美味しいと思うので良かったら」


ぐぬぬ、断れない性格発動……。


流れのままに、自宅のすぐ裏側にあるという

お店に向かった。

お店の前に着くと、今日は驚くことばかり

だと涼子は切に思った。


ここのお店は先週、合コンの場として

セッティングされたイタリアンバルのお店

であった。


一同がお店に入ろうとしたその時だった。


「おい、なんでお前がここにいるんだ!!」


突然、背後からの不穏な空気に体を強張らせる。

振り向くと50代くらいの短髪の男性が凄みのある表情でお花屋さんを睨み付けていた。


「店に入るなと言っただろう。勝手に

花なんか置きやがって目障りだ」


そして涼子を一瞥すると

「女に鼻の下伸ばしてる暇があるうちは

1人前なんて到底無理だな」

と吐き捨てた。



「ちょっとあなた!お嬢さんは関係ない

でしょう?失礼よ!!」



男性はふんっと鼻をならしその場を

立ち去ってしまった。


突然の嵐のような出来事に、棒立ちになっていると、うちの主人が無礼なこと言って

ごめんなさいね、と涼子へ謝罪する。


「あんなおじさんのことは忘れて、パァーと

ご飯にしましょうよ!深月みづき

気にしないでお花飾っていって頂戴よ」


お花屋さんはずっと何も言い返さなかった。

唇を噛み締めて、痛いような表情をしていた。



お花屋さんのお母さんは静枝しずえさんというらしい。

静枝さんは厨房に入り、トントンとリズム

よく野菜を刻んでいる。

涼子はカウンターに座らせてもらい店内を

見渡していた。今日は定休日とのことで、

店内には涼子達しかいなかった。

お花屋さんはあれから黙々と持ち込んだお花をお店に飾っている。


「涼子ちゃんごめんなさいね。嫌な気持ちに

させちゃって」


私は平気です!と座ったままお辞儀をしたあと、気になっていたことを尋ねた。


「あの、お手洗いに飾ってあるお花も、

お花屋さんがお手入れしてたんですか?」



「そうそう!やっぱり涼子ちゃんって先週

団体様でいらっしゃってたお嬢さんよね?」


ジュワーとフライパンからバターの溶ける

濃厚な香りが漂いだした。


「え!そうです!よく覚えていらっしゃい

ますね……!」


「なんだかねぇ、ずっとしかめっ面だったからお料理美味しくなかったかしら、って

心配だったのよ」


涼子は顔が熱くなっていくのを感じた。


「すみません!お料理はすごく美味しかったです!」


ふふふ、と静枝さんは微笑んだ。そして、

けどね、と続けた。


「嫌なことがあっても、お料理で

笑顔に出来るように頑張らなくちゃ、

と思ったのよ」


―――これがプロ意識なのだろうか―――


お花屋さんが仕事に対して真摯に向き合って

いるのはお母さんの働く姿勢を見てきたから

なのかもしれない。


「あの人もね、ああは言ってるけど深月みづきの飾ったお花捨てたりはしないのよ。ただ、お店を継いでくれると思ってた息子が別の職業を選んだことをまだ認められないのよね」


お花屋さんのお父さんは普段の定休日ならば、市場や食材の仕入れなどで、留守にしていることが多いらしく、今回二人が顔を

合わせるのは半年振り位とのことだった。


不器用なのよね、お互い。と静枝さんは

ぼそりと、呟いて野菜とパスタを炒め始める。涼子は何と返せばいいのか分からなかった。


トマトソースと野菜の合わさる芳醇な香りを

纏った湯気が唾液腺を刺激する。


艶やかなプリっとしたパスタがダンスを

しているかのように、白く磨かれたお皿へと

盛り付けられていく。

透き通ったオニオンスライスに、

規則正しくカットされたピーマン、

脂っぽく見えないのに肉厚なベーコン、

鮮やかなソースの赤色が一つの作品のように

目に映える。

ナポリタンだった。


匂いにつられて、お花屋さんもそろそろと

カウンターの席につく。

表情はさっきよりも幾分和らいでるように

見えた。


「実は私こちらのお店に先週食べにきてたんです。お手洗いに置いてあったお花に

すごく、癒されました」


お花屋さんは誰かの心を癒せていたなら、

良かった……と安堵したように目を線にして

微笑んだ。


いただきます。と手を合わせて涼子達は、

ナポリタンを味わって食べた。



「今日はご馳走さまでした。とても美味しかったです。今度またちゃんと食べに行かせてください!」


「こちらこそ有り難うね。いつでもいらしてね!」


涼子ちゃんがいてくれて、助かったわ。と

そっと耳打ちしてくれた。


「あら、深月みづきこのお花余っちゃったの?」


静枝さんが、包まれたままのお花をいじりながら尋ねる。


「珍しいお花が入荷してたから、買いすぎ

ちゃって……あ、トリマーさん良かったら

いかがですか?」


あらいいじゃない!と静枝さんが相槌をうった。


広げられた包みを見てみると、

朝顔のような見た目の赤い花が絢爛に

咲き誇っていた。


「すごい……鮮やかな赤いお花ですね……」


「ペチュニアといって朝顔みたいな形が特徴的で赤色は珍しいんですよ!」


お花屋さんは揚々としながらお花をまとめて、涼子へと渡してくれた。



涼子とお花屋さんは二人並んで駅まで歩いている。

涼子は一人で帰れます、と遠慮していたが、

静枝さんがお花屋さんに送っていけと、

譲らなかった。


「今日は美味しいご飯と、素敵なお花まで

頂いてしまって……ほんとに、お花屋さん

有り難うございました」


お花屋さんはややあってから、


「ずっと自己紹介できてなくてごめんなさい。僕、里田深月さとだみづきです。

こちらこそ、気まずい場面に居合わせてしまったのに、嫌な顔せず付き合ってくれてありがとうございました」


「あっえっと……えーと、私、大志摩おおしま涼子です!長いのでしまこって呼んでください!」


面白いあだ名ですね、と言いながらクスクスと深月みづきさんは笑っていた。

じゃあ、ここで……。と深月みづきさんが

踵をかえした。


「あっあの!私、みっ深月みづきさんの仕事への姿勢をみて、自分もしっかり今の

仕事と向き合っていこうって思いました。

諦めずにまた頑張れそうです」


空から注ぐ光が赤く染まり始めていた。

そのせいか、振り向いた深月みづきさんの頬も紅く色付いていた。


「……僕も諦めないで頑張ります!

しまこさん、またお店で!」


はにかむ笑顔が目に焼き付く。


ギュッと、涼子は花を抱える腕に力を

籠めた。


茜色の光に照らされてペチュニアの赤が

力強さを増した。







ペチュニア(赤)の花言葉

決して諦めない

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