第3話 最終バスの黒い犬
「あんた、ついていたぜ」
最終バスのランプが遠くなった。私は今夜、昔なじみの店で舞台に立っていたが、これは暇を持て余しての腹話術ではない。
「あいつは案外、間が抜けているんだ。奇跡を起こすのは、自分の魔力だけだ、と高を括っているからな、そこが落とし穴さ。あれで単純な心を持っているのさ」
「おれの言った通りだったろ?」
丸いブリキ板に停留所の名前が書かれていて、その下の長方形のブリキ板には時刻表がついている、あれだ。
あれが、わたしに向かって話し出したのだ。長距離バス。始発までまだ四時間はある。
「まあ、おかげで助かったのかな」
「あんた、ついていたぜ」
夜もますます深まってゆく。
「あんた、ついていたぜ」
さきほどわたしが乗っていた最終バスの最後尾では、黒い犬が足を組んで、新聞などを広げていた。
「ごきげんよう」
そして、ひと眠りしたいわたしにしきりに話しかけるのは閉口した。
「なにか、いい話はないかね」
皿のような眼をくるくるさせて、こちらへ目くばせをしてくる。
「おれはひとつ、あんたにいい話があるんだが」
裂けた口から、真っ赤な舌と真っ白い牙がぎらぎらとのぞいている。
ひと眠りしたいわたしはなにも言わず手を振って、手のひらから白い花をひとつ、咲かせて犬に投げてやった。
すると、犬のおしゃべりがぴたりと止んだ。
「ふしぎだ」
そうして今度はひとりでしきりに言うのだった。
「かような魔力に、わしの取引を受けぬわけがあったということか」
わたしは眠りに落ちたと思っていたのだが、気が付くともとのバスの停留所に寄りかかっていただけだった。
「ほら、おれの言った通りだったろ?
あいつは最終バスにいつもいる。
そうして取引を持ちかける。
そいつに乗ったら最後だ、あんたは願いの代わりに姿を変えられてしまう。
たとえば、」
バス停なんかにね。
「恩に着るよ」
わたしはやれやれ、と、次の町へ向けて歩き出した。
ひと眠りしたかったのはやまやまだが、夜が明けたら考えることにしよう。
夜 倉沢トモエ @kisaragi_01
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