最終話

 エドガー様は花屋で花を選んでいるところだった。どの花がいいかと問われ、なんでもいいのだと返すと困ったような顔をした。『女性のなんでもいいは難しいから』と花屋さんが笑う。


 一緒に帰宅することにしたのだが、ふと思いたち、坂を駆け上り、一足先に家に入る。


 そうして扉を閉め、玄関で待機する。


「……?」


 エドガー様がなんだかわからない、と言った顔で扉を開けた。


「おかえりなさい!」

「……ただいま」


 そういうことか、とつぶやいてエドガー様は私に花束をくれた。なんでもない日に、生きるために不要なことをする。人生には、そういったものが必要なのだと思っている。


 遠隔勤務とはいえ、エドガー様は王宮まで毎週報告に行っている。何もわざわざ花火大会の日に呼びつけなくてもと思うのだが、まあ私の知らない細かい仕事があるのだろう。


「いつもより遅かったですね」

「花火の日は道が混むからな。もう少し早く出られれば良かったんだが、いかんせん話が長くて……まあ。しかし成果もある」


 エドガー様はほんの少し得意げな顔をした。お土産は花だけではないらしい。


「王族の酒蔵から酒をかっぱらってきた」

「わっ!」


 エドガー様は荷物の中から箱を取り出した。リボンが掛けられた木箱には、王室御用達の印が施されている。


 かっぱらった、と言うのはもちろん言葉のあやで。正しくは非公式の、個人的な臨時の褒美ということだった。


 木箱の中にはビロードが敷き詰められ、クリスタルの瓶が収められている。表面に施された彫刻は琥珀色の酒と相まって宝石みたいだ。


「うわー、綺麗な瓶ですね」


 これだけでも花瓶になりそうだし、ほかの安いお酒を入れて気分だけ高級感を味わうのもいいかもしれない。なんでも、食べ物のおいしさは雰囲気によって左右されると言うのだから。


「世間では瓶だけ使いまわして中身が偽物と言う事もままあるそうだが、王家に納品されたもの。その心配はないだろう」


「ありがとうございます! 早速今夜開封します」

「間違っても直で飲むなよ。薄めて飲むんだ。一日、一杯まで」


「うーん。それでは、新しいワインもあけます」

「複数の酒を同時に摂取するのはやめなさいと言っただろう。どちらかにしなさい」


「ええー?」

「えー、じゃない」

「お祭りですよ?」


 まあ、今は一年中お祭りみたいなものなのだが。


「健康管理も私の仕事だ」

「では、飲み過ぎないようにおつまみを所望します!」


 エドガー様は私の要望に応えるため台所へ向かったのでその後ろをついていく。そう言えばなかなかうまく出来たんですよ、と煮込んでいた鍋の蓋を開けて力作を披露しようをしたのだが、なぜか中は空っぽだった。


 綺麗さっぱり、まるで洗った後かのように、何も入っていなかった。


「あれ……」


 私は確かに、ビーフ、いやタコシチューを作ったはずだった。キッチンの小窓が開いている。


 何かが入ってきたのか、はたまた鍋の中に何者かがいて、出て行ったのか? 顎に手を当てて考えるが、わからないことはわからなかった。この世界は謎に満ち溢れている。


「今日の夕食はどうする?」


 エドガー様は私がまだ料理をしていないと判断した様だった。まあ、消えたシチューのことは後回しでいいだろう。花火の時間がせまっているのだから。


 夕食には送られてきた鹿の燻製を使う事にする。台所にあるものだけでちゃっちゃと夕飯を作ってくれるなんて、ときめきが止まらない。


 なんとかギリギリ、花火大会の開始までに夕食の支度を整えることができた。屋上のテーブルに大急ぎで配膳をする。


「食事の前に。これが今回の報告書だ」

「熟読させていただきます」


 紐で綴じられた冊子を受け取る。無理やり嘘に嘘を重ねて書いた報告書。虚偽と偽装にまみれたそれは、後世の役には立たないだろうけれど──まあ、いいか!



 お疲れさまでした、と乾杯をする。


 屋上からは花火が見える。この日のために、なんと二人がけのブランコを設置したのである。


 海岸沿いは今頃人でごった返しているだろう。のんびり出来るのはこの家の住人だけの特権なのだ。


 生ぬるい夏の終わりの風が頬に吹き付ける。グラスの中で氷がからん、と音を立てた。


「幸せだなあ〜」


 思わずそう呟くと、エドガー様が足でブランコを揺らした。その心地よい揺らぎに身を任せる。


「それなら良い」


「はい。これでエドガー様がもっと素直で行動力があってシャキッとしてたらもっと幸せなんですけど」


 なーんてね。冗談ですよと口にしようとした時、唇に柔らかいものが当たった。


 グラスが手から滑り落ちる。


 花火がどーん。ぱちぱちぱち。ひゅるるるる、どーん。音は聞こえるけれど、そっちを見ている余裕はまるでなかった。


「……へっ」


「割れてない。流石に丈夫だな」


 エドガー様が落ちたグラスを拾うのを呆然と眺める。えっ? もしかしなくても偽物だったり? 第二の人格? 何者かに操られている? いや、それをするなら怪しいのは私か。


「……えっ? え、ええ〜と、その」


 落ち着け私。まずは深呼吸して、爆発しそうな魔力を抑える。次に、脳内の妄想の引き出しから「次のステップに進んだ時はどうするか」を思い出そうとする。なんだっけ。えーと。もう無理、全くわからない。心臓がばくばくして、体中を熱い血が駆け巡る。


「魔がさした。反省している」


 エドガー様は私がジタバタしている間に、テーブルに戻ってしまった。


「いえ、いつでもいいんですけど……でも……でもやっぱり不意打ちとか、ズルいのでは!? 予告してくれてもいいじゃないですか!?」

「よく言われる……が寝ている時に仕掛けてくる方がズルくないか?」


「知ってたんですか!?」


 まさか私の破廉恥行為がバレていたとは……やっぱり、エドガー様って若干姑息で、腹黒で、つかみどころのない人だ。というか、起きてるならその時に反応してくれればいいのに。


「ま、まあそこはお互い様と言うことで。仕切り直しにもう一度……」


「ほら、そろそろ一番大きい花火が打ち上がるぞ」

「話を逸らさないでくださいよ〜!!」


 といいつつ、私はまんまとつられて夜空を見た。確かに、一番大きな花火が上がっていたので非常に嬉しい気持ちになった。

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おしのび聖女の業務報告書 辺野 夏子 @henohenonatu

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