第48話

案の定、城は上から下までスープの入った鍋をひっくり返したぐらいの大騒ぎになり、「王都に邪竜降臨せし」と号外が飛び交い、教会には死後の救いを求める人が詰めかけた。


 しかし、精霊の導きのままに──と言うわけで、ギュスタヴはうちの国とも友好条約を結ぶこととなり、事態は収束した。


 私としては、王家の方々の面食らった顔が見れたので満足だ。ギュスタヴから『聖女は儂の友達だからいじめるな!』と釘も刺してもらえたし。


 そうして国内では「人類に友好的な竜ギュスタヴあらわる。かの者は海向こうの国を外遊し、王と聖女の婚姻を祝福し、我が国を訪れ、聖女の慈愛に触れこの国には手出しをせぬと大地の精霊に誓った」


 ……と、このような風説の流布がなされた。


 嘘でもないが、本当でもない、といったところだろうか。


 友好条約が結ばれたと聞くや否や、ギュスタヴの元には画家や小説家、新聞記者、学者、果ては夢見る少年少女たちが押し寄せ、彼は大変にご機嫌であったという。


 近々絵本が出版されるはこびになったそうだが、どうにかして私が特定出来ない絵柄にしてもらいたいところだ。


「事情聴取」を終えて、私たちはやっと自宅に戻ってくることができた。


「旅行は楽しいですけれど、家が一番ですね」

「そう思ってもらえれば、配偶者冥利に尽きる」


 エドガー様は帰国して、すっかりいつもの調子に戻ったようだった。でも、私はちゃーんとあんなことやこんな事を覚えていますからね。




「ふんふんふん」


 すっかり日常が戻ってきて、私はビーフシチューを作っている。今まで計量は適当にやっていたのだが今日こそはきちんとレシピの通りに作ることにした。


 しかし、肉屋さんにいく前にクロウさんの店でタコを押し売りされてしまったので、それを使おうと思う。ビーフシチューではないけれど、ソースが美味しければ具材がなんでも美味しいはずだ。


『店に伝わるなんかわかんねーけどものすごく切れる包丁』でスパスパと小さく切られた身を鍋に入れ、コトコトと煮込む。


「赤ワインを、っと」


 蚤の市で買ったスプーン。ピカピカに磨いたら綺麗になった。持ち手のところにちょっと気持ち悪い目玉の絵が書いてあるけれど、これはこれで見慣れたら可愛いかも?と思う。


『血を捧げよ』


 昨日飲み残した赤ワインをスプーンに注ぎ、シチューに混ぜ込む。空耳は無視をする。


『血を捧げよ』


 これは赤ワインだってば。何かまた変な生き物が襲撃してくる予感がするが、ひとまずは気にしない。


「ほら、おいしくなあーれ、おいしくなーれ」


 念じながらぐるぐるとシチューをかき混ぜる。小さなスプーンなので足りるわけもなく。流しにスプーンを置き、おたまでかき混ぜる。


『それがお前の願いか?』

「まあ、そうね」


 ひとさじすくって味見をする。うん、いい感じ。鍋に蓋をする。エドガー様が買ってきた、なんだか主婦の間で有名な陶器のお鍋はとても保温性に優れているらしい。


 火を消し、余熱で煮込む。


 その間に植物に水をやる。留守の間はお義母さんがやってくれたらしい。玄関に見知らぬ植物の芽が出ている。雑草かもしれないけれど、せっかくなので育ててみようかな。


「さてさて」


 今日は海岸沿いで花火大会がある日なので、エドガー様は急いで出張から戻ると言っていたが、まだ帰宅しない。時計を見る。もうすぐ日が暮れる。就業時間はそろそろ終わりだ。


 具体的に言うと後5分……というところで、通信機に連絡が入った。


 このタイミングは嫌がらせに違いない。


「はい、聖女管理局でございます」


 自分でもびっくりするぐらいに塩辛い感じの声が出た。


『おやおやフィオナちゃん、ご機嫌斜めかな?』


 もちろん確認するまでもない。通信はコンスタンティン王子からである。


『来月の僕の誕生日会に招待したいのだけれど』

「辞退させていただきます」


 王子の誕生日すなわちそれはエドガー様の誕生日と同じ。それは絶対に阻止したい。私はその日までにケーキの作り方を習得したいのだ。王子様のお祝いの飾りにされるなんてまっぴらごめんである。


『つれないねえ』


通信機の向こうで、からころとコンスタンティン王子は笑う。


『君は僕がエドガーに何かを意地悪をしていると思っているかもしれないけれど、それはとんでもない誤解だよ』


「……」


 『僕はただ、求めるものの対価を払ってもらっているだけ。僕が彼の力になったように、彼も僕の力になってもらう。兄弟は助け合わなくては、ね』


 遠く、夕暮れを知らせる鐘が聞こえてくる。


『あ、そういえば先日の、いや一つ前の報告書なんだけど、祝福されたワインが抜け毛に効くってこれ本当……』


「勤務時間終了なので失礼いたします」


 通信を切ると玄関の呼び鈴が鳴り、今度は荷物が届いた。


 宛名は、フィオナ・マクミラン。差出人は、エスメラルダ・リリフィッツ。箱を開封してみると、肉の燻製と一冊の冊子、手紙が入っていた。


「なになに、拝啓、親愛なる聖女さま……」


 当家の婿ダリルが単身、魔獣ガブガブを征伐しましたことをご報告いたします、と言う内容だった。


「魔獣ガブガブ、実在したんだ……」


 詳細は冊子に認めてありますが、まあ興味がなければ本棚にでも収めておいてください、とのことだ。ちなみにこれは普通の鹿肉らしい。エスメラルダ様の父と兄を食い殺した魔獣の肉をお裾分けされても困るので、ただの獣肉で心底ホッとした。


 はたしてどのくらい大活躍したのか見てやろうじゃないかと思い、冊子をぱらぱらとめくってみると、なかなかに過酷な戦いが繰り広げられたようだった。


 話はぼろぼろの半死半生になったダリル王子が倒したガブガブの背に乗せられて、領民達に運ばれて帰ってくるところで終わっている。


「えっこれ死んでない?」


 挿絵のダリル王子らしき人物はぐったりとうつ伏せになっている。確か、真っ二つになっちまえ、と呪った記憶がある。それにしてもここまで苦戦するなんて魔獣ガブガブ、魔獣を超えた何かだったのでは……。

 

 ダリル王子は怪我をしているので、身の程知らずなのはわかっているが、どうにか霊薬を融通していただけまいか。そのようなことが書かれてあった。


「仕方ないなあ」


 鹿だけに、なんちゃって。私は戸棚から作っておいた霊薬を取り出し、布で包んでワインの空き箱に詰めた。そしてそれを郵便局に持っていき、北部のリリフィッツまで送った。意外と送料が高くて、ずいぶん遠いところなのだなと改めて考える。


 テクテクと帰路についていると、花屋さんの前に人影がある。あれは、エドガー様だ!

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