番外編 七月七日
「アンゲリーナ様、湯加減はいかがですか?」
声をかけられ、アンゲリーナは元気よく答えた。
今は、七月七日の夕食後である。
「気持ちいいです」
「姫様、今夜は髪にも香油をお塗りしましょう」
アンゲリーナは不思議に思う。
「どうして?」
「今夜は、乞巧節(きっこうせつ)なのですよ」
「きっこうせつ……? たなばた?」
「そのとおりでございます」
アンゲリーナは首をかしげた。
正式に皇女と認められてから、初めての七夕である。
しかし、皇家の有職故実が記されている本には、皇族が乞巧節の儀式をするという内容はなかったはずだ。
「なにか、することがあるの?」
アンゲリーナの問いに侍女達はニコニコとと微笑む。
浴槽から上がったアンゲリーナの体を拭きながら、マルファが説明をする。
「皇族としてのお務めではございません。皇帝陛下とキリル殿下が姫様のために用意をなさったんです」
「とうたまとにいたまが?」
「はい」
目の前に広げられたのは新しいドレスだ。
アンゲリーナのことを考えて作られたのだろう。ユール国風のデザインである。
濃紺のドレスには、五色の糸で刺繍がほどこされている。
とても豪奢なドレスで、アンゲリーナは驚いた。
(すごく、きれい……。だけど、儀式でもないのにこれは贅沢すぎるわ。おとうたま……)
内心思いつつ、髪を乾かし、ドレスをまとう。
そして、ホウセンカで爪を染めた。
「わぁ……! かわいい!」
アンゲリーナはミンミンと過ごした前世の七夕を思い出し、心がウキウキしてくる。
「みなさまがお待ちですよ」
マルファに促され、アンゲリーナは家族の食事室へと向かった。
「とうたま、にいたま、ありがとう!」
アンゲリーナは食事室のドアを、元気よく開いた。
すると中で待っていたキリルとフェイロン、炎虎姿のリュウホが目をまん丸にして息を呑んだ。
「にいたま? リュウホ?」
アンゲリーナの声を聞き、リュウホはピョンと跳び上がった。
「リーナ、かわいい! リーナ! かわいい!!」
リュウホはゴロゴロとのどを鳴らしながら、アンゲリーナにすり寄った。クルクルとアンゲリーナ周りを回りながら、体をこすりつける。
用意された濃紺のドレスには、銀糸で天の川あしらわれ、真珠で彦星、アクアマリンで織り姫を表している。
裾には五色の糸で七夕の伝説が物語として綴られていた。
豪華絢爛、意趣に富んだ美しいドレスである。
また、それを着るアンゲリーナも磨き上げられ、いつもより一層美しい。
その様子を見て我に返ったキリルもアンゲリーナのもとへやってくる。
「本当に天使のようだね、リーナ」
キリルが眩しそうに目を細め微笑んで、アンゲリーナもつられて微笑む。
フェイロンは言葉もなく、アンゲリーナを見つめ硬直した。
珍しくリュウホの邪魔すらしない。
「とうたま? どうしたの?」
アンゲリーナが不思議に思い声をかけると、フェイロンはハッとして、涙ぐんだ。
「いや。綺麗だ。リーナ」
しみじみと父に言われ、アンゲリーナは照れくさい。
「……ファイーナにも見せてやりたかった……」
ぼそりと呟く小さな声に、キリルも無言で頷いた。
「さあ、こちらに色々用意したんだ!」
キリルの案内でアンゲリーナは食卓に着いた。
円卓の上には、様々な花の形をした小麦粉でつくられた菓子が置いてある。
「かわいい、巧果(チャグオ)!」
「母上も好きだったんだ。乞巧節の日は、必ずみんなで食べたものだよ」
キリルが答え、アンゲリーナは目をキラキラとさせた。
下町でも巧果は食べられたが、いかにも手作り風と言った形も大きさもまちまちな物だった。
しかし、今並んでいるのは、美しい型で作られた洗練せられた菓子だ。
「かあたまも好きだった……」
記憶にない母のことを、ひとつでも知ることができるのはうれしいのだ。
「そして、これをリーナにやろう」
フェイロンが差し出したのは、艶やかな小箱だった。
小箱の表には北斗七星の螺鈿細工が施された、とても高級そうな箱である。
(っう! 高そう……)
アンゲリーナはオズオズと受け取る。
リュウホがアンゲリーナの手元をのぞき込んだ。
「なんだ? これ? 宝箱か?」
興味津々クンクンと箱を嗅ぐ。
アンゲリーナは、そんなリュウホの様子につられるようにワクワクとしてきた。
そうっと小箱の蓋を開ける。
蓋の裏には黄金の竜とオレンジの虎の蒔絵が踊っている。
なには白い絹と、黄銅できた細針と五色の糸が入っていた。
「乞巧節には、この針に通すのだそうだ」
「七孔(しちこう)の針ね」
アンゲリーナはわぁと声をあげると、フェイロンは驚いたように目を瞬かせた。
「リーナはなんでも知っているな……」
そうつぶやきアンゲリーナの頭を撫でる。
「なかを出してみよ」
フェイロンに促され、アンゲリーナは机の上に針と糸、布を広げた。
すると小箱の底には数枚の紙が入っている。
アンゲリーナはその紙を広げてみる。
そこには可愛らしい草花や動植物の図案とともに、守護のマークが描かれている。
「これなあに?」
キョトンとしてフェイロンの顔を見る。
マルファは図案を見て息を呑んだ。
「っ! それは!」
そう呟いて口元を抑える。
フェイロンはそんなマルファを見て鷹揚に頷いた。
「リーナの母が使っていた刺繍の図案だ。使うといい」
フェイロンの言葉にアンゲリーナは胸が詰まる。
「とうたま……これって、とうたまにとって大切な、かあたまの思い出だよね? 私、まだ、刺繍なんてできないし……もらえないよ」
アンゲリーナが答えると、フェイロンは顔をくしゃくしゃにして微笑んだ。
目尻に涙が光っている。
「リーナは優しいな。だが、いつかリーナが大きくなったとき、ファイーナの残した図案を使ってくれたら彼女も喜ぶはずだ」
フェイロンが答えると、マルファが言葉を詰まらせ涙を流した。
「……! 姫様、どうか受け取ってくださいまし。その図案はお母様と私で一緒に作った図案なのです。生まれてくる姫様のために、産着に刺そうとお考えで……。お体を悪くされ、願いは叶いませんでしたが……」
マルファの言葉を聞き、アンゲリーナはしみじみと刺繍の図案を眺めた。
「かあたまが私のために……」
生まれる前から愛されていた、その証拠がここにある。
アンゲリーナは図案をしみじみとさする。
母の温かさが伝わってくる気がした。
すると、リュウホが頬をペロリと舐めた。
「……リュウホ?」
「しょっぱい」
リュウホに言われてハッとする。
アンゲリーナの頬には星のしずくのような涙がこぼれ落ちていたのだ。
フェイロンは涙を零すアンゲリーナを見て、オロオロと狼狽えた。
「どうしたのだ。悲しいのか?」
アンゲリーナは微笑みながら無言で首を振る。
胸が詰まって言葉にならないのだ。
その様子を見てキリルが優しく父を諭した。
「父上。リーナは喜んでいるんですよ」
アンゲリーナの気持ちを代弁するキリルに、マルファも頷く。
頬をペロペロと舐めるリュウホをギュッと抱きしめて、アンゲリーナは顔を上げた。
そして、フェイロンに駆け寄ると、冷酷皇帝と呼ばれる父を抱きしめた。
「とうたま、ありがとう」
フェイロンは歯を食いしばり、アンゲリーナを抱きしめ返す。
アンゲリーナはそれに答えると、次はキリルに抱きついた。
「にいたまも、ありがと!」
キリルもギュッとアンゲリーナを抱きしめた。
マルファはそんな家族の姿を、涙しながら見守る。
リュウホはテーブルに手を置いて、巧果の香りをフンフンと嗅ぐ。
「なー! 早く食べようぜ! 我慢できないよー!」
からっと明るいリュウホの声が食事室に響き、湿った空気が霧散する。
「うん! そうだね!」
アンゲリーナは元気に答えると、母が好きだったという菓子を一つつまんで頬張った。
了
ななしの皇女と冷酷皇帝 ~虐げられた幼女、今世では龍ともふもふに溺愛されています~【web版・完結済】 藍上イオタ @AIUE_Iota
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