番外編 その目の意味を知る


「皇帝陛下! 皇女様がいらっしゃいました!」


 ウキウキとした兵士の声で、私は思わず立ち上がった。


「もうおやつの時間か」


 問えば、ピリピリとした空気が一瞬で緩んだ気がした。


「はい、『おやつ』でございます。陛下」


 答えるトウミは嫌にニコニコとして、少しだけ癪に障る。

 宰相とではなく、祖父の顔になっているのだ。


 扉越しに、リーナとリュウホが話ながらやってくる声が聞こえる。

 ウキウキとして楽しそうなやりとりに、ジリと胸の奥が音を立てた。


 扉が開かれ、リュウホに乗ったリーナが現れた。


「みなさん、おやつのじかんです」


 リーナが溌剌とした声で言いながら、私の前にやってきて、カゴを突き出した。


「はい、とうたま」


 カゴの中には、沙其馬シャーチーマーがたくさん入っている。

 沙其馬は小麦粉と卵を混ぜた生地を油で揚げ、蜜で固めた菓子だ。

 黒糖の蜜で固めるのは、レアン一族の調理方法である。


 私は亡き母を思い出し、目を細めた。

 母はレアン一族出身で、トウミは母の兄である。母の故郷の味なのだ。


 カゴに手を伸ばさない私を見て、リーナは不思議そうに小首をかしげた。


「皇女殿下、皇帝陛下に一番大きな物をとってあげてくださいませ」


 トウミが柔らかな声で、リーナに願い出る。

 リーナは破顔すると、カゴの中を覗きこんだ。


「いちばん、おおきいの・・・・・・これかな? こっちのほうがおおきいかな?」


 真面目な顔をして選ぶ姿が愛おしい。

 そんなリーナを見るトウミの視線は、慈愛に満ちあふれ温かかった。


(ああ、幼い頃、トウミは私をあんな目で見ていたなーー)


 不意に思い出し、懐かしさがこみ上げる。


(あの頃は気がつかなかったが、あれは愛だったのだ。今ならわかる。私も同じ目でリーナを見ているのだから)


 リーナはカゴの中のひとつを選ぶと、私に向かって突き出した。


「はい! これでしゅ! きっとこれがいちばんおっきい」


 たどたどしく話すリーナを抱き上げる。


「キャ!」

 

 リーナが叫ぶと、リュウホが私の膝に手をかけてガウガウと吠え立てる。

 なにを喚いているかわからないが、きっと抗議で間違いない。


 私は横目でリュウホを見くだすと、ニヤリと見せつけるように笑って口を開いた。


「リーナ、食べさせておくれ」


 私が強請ると、リーナは困ったような顔して、それでも私に沙其馬シャーチーマーを差しだした。


「はい、とうたま、あーん」

「あーん」


 口の中に、黒密の香りが広がった。甘さとともに、香ばしさも混じる。ガリと菓子を噛みしめる。


(ああ、母上からもこうやって、菓子をもらったことがあった)


 脳裏に巡る幼い頃の温かい日々。香りと甘さに結びついている記憶は、少しだけほろ苦い。


 思い出を噛みしめるように味わうと、リーナは小さく微笑んだ。


「とうたま、おいしい?」

「ああ、美味しい」


 私が微笑めば、なぜか周囲がため息をつく。


 リュウホは、足に力を込めて、一層けたたましく吠え立てた。


「とうたま、もう、おろして?」


 リーナに問われて、私は首を傾げた。


「なぜだ?」

「みなさんも、おやつのじかんだからでしゅ!」


 リーナが「もう」と小さくむくれる。


「このままでよいではないか。皆、ここへ並べ」


 私が命じると、トウミは困ったように笑った。


 周囲に緊張が走り、唾を飲み込む音やざわめきが聞こえる。


「とうたま! みんな、困ってるよ!」

「そうなのか?」


 私がトウミに問うと、彼は苦笑いをして前に並んだ。

 しかし、その表情からは困惑以外に慈しみの感情が読み取れる。


(誰に向けた顔なのか――)


 私は不思議に思い、トウミを見るが、トウミはにこやかに微笑んで仰々しく答えた。


「いえ、皇帝陛下、皇女殿下から菓子を賜れるとはありがたき幸せにございます」


 トウミはそう頭を下げて、両手を差しだした。

 その手にリーナが沙其馬(シャーチーマー)をオズオズと置く。


 トウミは菓子を掲げたまま後ろにさがる。


 すると周囲の者たちは後に続いた。私たちの前に、ズラリと官僚たちが並び、頭を下げ両手を掲げた。


 それは壮観なほどだ。


 リーナは彼らを見てゲッソリしたように小声で呟く。


「・・・・・・いったい、どうしてこんなことに・・・・・・??」


 そんなリーナが愛らしく、私の目元も口元も緩む。


 そして、思う。


 私もトウミと同じ目をしていのだろうな――。



 了


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