東京シカバネスウィングス

佐久良 明兎

東京シカバネスウィングス

 私たちはこの東京ハイイロ桃源郷パラダイスで、共にあぶれることなく幸せになろうと誓った。

 桃の苑の中でもなく、銀の剣をかかげる代わりに、夜遅く人のいなくなった大学のテラスで割り箸を振り上げて。



+++++



「除霊がしたい」


 至極深刻そうな面持ちで、右手に持った二本の箸をたっぷりのドレッシングがかかったシーザーサラダの上へ今にも取り落としそうになりながら奴は呟いた。毎度だけど、フォークを使えよ。


「じゃあ、すれば」


 それが奴に対する私の答え。この返答に対して、奴は箸を振り上げ憤然と抗議する。


「オレを誰だと思ってんだただの霊感が強いだけの男だぞ除霊なんかできるかバーカバーカ!」


 馬鹿は貴様だ。

 という思いを込めて、私は思いっきり親子丼のタレがかかったご飯の上に箸をぶっ刺した。

 死者に捧げる御膳。


「怖いんだよ! 怖いだろちきしょおぉぉ! お前には分からないだろこの辛さがってか分かってたまるかばか!」


 素直に全然分からない。というか分かってたまるかばか。

 ……毎度のことだが、静かに食事(少なくとも叫ばないで普通の声量での会話希望)をしたい私はさっきと逆に奴へ抗議する。


「夕飯を静かに食べられない奴は悪霊に取り憑かれてしまえ」


 奴は目を丸くして大げさに飛び退いてみせる。


「なんておどろしいことをいうんだ!」

「『恐ろしい』の間違いじゃないのか」

「うるさいー噛んだだけですー」


 子供のようにぶーと口をふくらませた後、不意に奴は真面目な表情に戻り、私の目を見つめた。


「聞いてくれよカラスちゃん」

「なんだい小鹿くん」


 ふいー、とレタスをつつきながら、奴は物憂げに台詞をため息と一緒にはき出した。


「この大学に漂ってる気は異常なまでに淀んでる。立地条件もあるんだろうな、しかも色々なエネルギーが集まりやすい場所だから。だから余計に霊も集まってくるんだ。なぁ、どこまでもここの気は淀んでんだよ。大学は、……東京はさ」


 私は恍惚とした表情を浮かべながらふわふわの卵を頬張った。ん、美味。


「むしろ幽霊は人気のない田舎に出没するものだと思っていたけれど」

「否定はしない。でも、幾多もの人間の思いが過度に集ってしまった、ここは異常だ」


 箸でつかんだクルトンがぽろりと落ちる。だーかーら、フォークを……こいつはフォークを使ってもどうせ落とすか。


「そんなこと言ったら京都なんかどうするのさ。あそここそ昔年往来、太古から怨霊文化が築かれた怨念の渦の中だぞっ、小鹿くん」

「貴船神社は素で怖い。有名スポットだけど清水寺も案外まずい。産寧坂までおまけにまずい。化野念仏寺はマジやばい。一人で夜は絶対歩けん」


 経験済みなのかよ。

 いやいや、と奴は頭を振って続けた。


「そうじゃない。確かにあそこは怨霊日本デンジャラスだがこれとそれとは意味合いが違うんだ」


 別に京都がそこまで言われる筋合いはないと思う。あんたにとっては、だろう。

 それによくは知らないけれどきっと東京の方が京都よりはずっと。何倍も。


「家の中にいたってふわんっとまぎれこんでくるんだぜ。淀んだ気がさ。

 昔は……実家にいた頃はそんなことなかった。どうしたって侵入してくる。強い淀みが。カラスちゃんの家だってそうだろう。実家と比べて遙かに淀んでいる」


 知るか。

 親子丼の最後の一口、鶏肉とご飯をいっぺんに口に運んで、十分咀嚼してから私は返答する。


「空気清浄機を購入することをお勧めするよ」

「ファッキン!」


 奴は頭を抱えて絶叫した。


「黙れ小僧」


 眉をひそめて一蹴してから私はお茶をすする。やはり食後のお茶は緑茶が一番である。




 黒羽くろばさなえ。私の名である。

 奴曰く、カラスちゃん。大学一年十九歳。


 鈴鹿すずか未継也みつや。鈴鹿こと小鹿くん。

 未来を継ぐらしい。しかし奴が継いだのは別に要りもしない霊感だったとさ。

 同じく大学一年しかし二十歳。大学浪人ではなく、病気で高校を留年したクチだ。


 小鹿くんは大学の淀んだ気が異常なまでにおかしいと言うが、私に言わせればこいつの名前の方がよっぽどおかしいと思う。読み方によっては『未だ継がず也』になるじゃんか。


 そもそも、あれだ。

 淀んでいるのはきっと大学じゃない。



+++++



 私と小鹿くんの出会いはひどくお粗末なものであった。

 何のことはない。東京という名の毒素にやられた屍群がる戦場跡で目が合ったのだ。

 狭く広い大学構内、煙草の煙覆う掲示板前で同じ掲示物を目にしていたのが始まりだった。


 地方への逃亡。

 学生に向けた三泊四日のしがない研修旅行の掲示、ただそれをずいっと凝視していただけ。

 都会からのささやかな離脱を目論んだ案内を目にして、私たちはどちらともなく視線を絡み合わせた。ある種の必然だったのかも知れない。

 先に口を開いたのは、とても女を自分からたらすとは思えない、その異名に相応しく童顔でさらさらの髪をした小鹿くんの方だった。


「ご希望は三泊四日の逃避旅行ですか、レディ」

「ご希望は灰色迷宮からの逃走経路です、少年」


 その容貌の割に背が高い少年の顔を見上げるようにして、黒髪を一つに括りモノトーンの服を好んで纏うカラスは答えた。


「それを望むのならば」


 小鹿くんはくりくりとした目で私を見つめた。


「オレと手を組みませんか……カラスちゃん?」


 私は、その屈託のない笑顔に包まれて奴の手を取った。にや、と小鹿くんは微笑する。




 灰色の東京の街中で色をまとうことを拒み失敗したにもかかわらず、染まることを拒絶し、茶色と白のマイルドカラーであろうとした小鹿くんと、他に染められず強く黒くあろうとしたカラスは、その時初めて相まみえた。


 その夜、私たちは人気のない大学のテラスで誓いを立てた。

 この灰色の世界で幸せになるために。


 私はあの気を中和する。

 奴はあの気を察知する。

 私は屍肉を消化する。

 奴は屍肉を昇華する。

 私の闇は奴が吸い取り、奴の闇は私が吸い取る。


 白と茶色の子鹿と、漆黒のカラスは、ハイイロの東京桃源郷に宣戦布告する。

 私たちは逃げず闘い、真っ向から逃亡して、



 幸せになる。



 ……過去を問うのは、愚問である。



+++++



 お茶をすすりながら初夏の出会った頃の話をすると、自然とあの邂逅の不自然さに話題がいった。普通同じ掲示物を見ていたくらいで、お互いのシンパシーを感じ合うことはほとんど皆無である。それがまだ知り合い同士だったというならともかく。というか、どうして十二月になる今までその点に言及しなかったのだろう。


「それは君に一目惚れしたからだよ、カラスちゃん」


 お皿の下に溜まっているドレッシングをレタスにたっぷり付けながら小鹿くんは言った。

 まったく、嫌な奴に取り憑かれたものだ。


「そう、だからオレはカラスちゃんを一緒に連れて行かなくちゃいけないからね。……楽園に」


 楽園、という響きは余り好きじゃない。それだけでなんだか堕落めいた匂いがするから。でも、まあ、ニュアンスは同じだから別にいい。


「そうだ、余すところ無くカラスちゃんが幸せになるように、ずっと見張るには最善の方法がある」

「何」


 小鹿くんはあの大きな目に悪戯めいた色を浮かべながら、大仰に手を差し出した。


「結婚してくれないか!」

「一度死んだらいいと思う」


 緩慢な仕草でチョコプリンを口に運びながら私はゆったりと答えた。うーん、口溶けショコラ。


「ここはノっとけよ人としてカラスちゃん!」

「残念だったね、あたしは屍肉を漁るカラスなのよ小鹿くん」


 そしていつか君の屍肉も。


「よぅし、もしも死んだその時には、オレ様が可愛い可愛いカラスちゃんの為に栄養となってあげようじゃないかぁっ!」

「気の毒だけど不味い肉は好みじゃないの」

「ファッキン!」


 オレ様の肉は美味しいんだぞー、とか言いながら小鹿くんは不服そうにばんばんと箸を持った手でテーブルを叩いた。まったく、ここに人肉が好きな悪鬼でもいたらどうするつもりだ。


 邪淫の悪鬼。

 人の肉を食い漁りながら生きているのは、カラスでも悪鬼でも何でもなく、単純に人間の所行に違いない。例えそれが実際的なものではなかったとしても。だから東京の気が淀んでいると、小鹿くんは言う。

 カニバリズムはどこまでも隠し通す人間の最大の欲望なのではないだろうか。


 ……鹿の肉は、美味しいのかな。


「屍肉を漁っても欲しいものは得られないものだよ。屍肉も腐肉も生きている新鮮な肉には敵わないものだからね」


 あの時と同じ、にや、とした笑みを浮かべて、小鹿くんは私の髪を撫でた。


「屍肉はお好みではないですか、レディ?」

「熟したほうが美味いとは言うけれど。どうせ食すのならば、あたしは美しい生肉を食いあさるよ。あたしは、シカバネには興味がない」


 小鹿くん。あなたは未来を継ぐんだろう?


「一緒に連れて行ってくれるんでしょう? シカバネじゃない、生きた鼓動の揺らめく世界へ」

「可愛い可愛いカラスちゃん、それで君の願いが叶うのならばいくらでも」


 鈴鹿未継也はひざまづいて私の手の甲にキスをした。






 ここはハイイロぱらだいす。

 共に手を取りさあ行こう。

 シカバネ超えて、楽園へ。

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