ゴールという名の始まりを

藤咲 沙久

愛しています、心から。


 学生時代からダラダラと同居し続けてる弟、隆央たかおが言った。

「まあ、彼女さんも待ってるんじゃない? 兄貴が家出るならこの機会に俺も初花かのじょと住もうかな。あと俺のアイス食わないで」


 彩月さつきとの馴れ初めから知る会社の後輩、長谷川はせがわが言った。

「お二人が出す、ひとつの結論として考えればいいんじゃないでしょうか。ところで頼まれてた書類お渡ししますね」


 そして俺は彩月に言った。

「まあそろそろ、俺らも結婚しとくか」


 回答として得られたものが、この頬に残った紅葉型である。





 結婚という言葉に、女の方がこだわってると思ってた。する気もない男と付き合い続けるのは無駄だとか何とか言うのも聞いたことがある。だからプロポーズすれば喜んでくれるとふんでいた。

「言葉より先に手が出たことは謝るわね。ごめんなさい」

「や、それは普段から……ナンデモナイデス」

 その結果がこれだ。こうして今、お冠な彩月の前で正座をして俯いている。弟には見せられん姿だった。

 ただ彩月は手こそ出る気の強い女だが、何も腹を立てる理由は理不尽でないはず。たぶん。そうだった気がする。いやたまに違ったかも。今回はどうなんだ。

志央ゆきおくん。どうしてあんなに雑なプロポーズに至ったか、まずはお聞かせ願えるかしら」

 (雑とはまた、バッサリ切られたもので……)

 真面目な気持ちではあった分、凹むのが本音だ。ここはひとつ、ビシッとバシッと俺の本気を伝えるべきだろう。出来得る限り男前の顔を作ってみた。正座のままだけど。

「大前提としてさ。俺は彩月がすげぇ好きだし、結婚するならお前だなぁと思ってたわけで」

 言いながら視線をあげると、目が合った彩月は微笑んでくれた。いつも通り美人で優しそうな顔に見える、平手打ちの後でさえなければ。

 先を促すように小さく頷かれたので続けるしかない。

「俺らも三十じゃん。付き合って八年経つ。周りに既婚者も増えてきたし、彩月としても気にしてる頃合いかなと」

 ますます笑みが深くなる。こうなってくるといっそ怖い。やっぱり怒っていることには変わりないわけだ。嘘はつかず、かつ何を言うかを慎重に選ぶ必要があった。

「とりあえず、ちゃんと関係を着地させとくか、みたいな……」

 選べ……たのか自信がなくなってきて、どんどんと声が小さく消えていく。

 俺だって軽々しく結婚なんて言ってるわけではないんだ。愛と誠実さの証明、そういうもの。彩月とならこれからもずっと一緒にいたいと思うから、こういう選択をした。

 考え方としては間違ってないはず、だろ?

「じゃあ志央くん。私からの意見を返させてもらいます」

「ハ、ハイ」

 反射的に背筋を伸ばす。ここで態度を間違えてはいけない、そう俺の直感が言っている。俺のことをジッと見つめてから彩月は静かに口を開いた。

「結婚を恋人同士がたどり着くゴールか何かだと思ってる? 大間違いよ、ちょっと大袈裟な通過点でしかないんだから」

 ここで一度、彩月が大きく息を吸う。なぜそんなことをしたのかはすぐにわかった。この後彩月は、

 俺は気合いを入れて聞き取るとこに必死だった。

 重ねて言おう、必死だった。

「互いの家族も含め家族になるって、色んなことが無関係では済まされないわけ。しかも志央くんは長男。私と志央くんの親は十歳違うんだから連続で長期間介護がくる可能性もある」

 すうっ。

「お金の管理は価値観の相違と直結するし、私は仕事を辞めたくないから家事の分担も必要ね。子供については考えてる? 責任は平等、でも産むのは私、そこも忘れないで」

 すうっ。

「あとは付随する手続きの多さと面倒臭さを知ってるかしら。職場で旧姓を通したとしても書類によって名前を使い分ける不便さが加わるだけで、苗字が変わる方は負担が倍ほどあるのよ」

 すうっ。

「そこまで全部、全部、ぜーんぶひっくるめて、私と新しく戸籍作る覚悟あるのかって聞いてるの!」

 最後の方はさすがに苦しかったのか、言い切ってからぜえぜえと胸を喘がせていた。圧倒的な酸素不足で頬が赤らんでいる。瞳もうっすら濡れて見えて、ここだけの話、ちょっとドキドキした。

 しかしすごい。何て言うか、すごい。全面的にすごい。そんな風に思って見上げている俺をどう感じたのか、彩月は先ほどまで怒らせていた肩を頼りなく落とした。やっちゃった、そんな声が聞こえてきそうな仕草だ。

「どうせ、可愛げもなくて、その上結婚に対して重たい女だと思ったんでしょ……」

 まあ確かに、プロポーズの際に並べ立てるのが一般的とは言えない話ではあっただろう。現実的という意味であまりに生々しい。そう、現実的だったんだ。

 彩月は結婚という形式の部分ではなく、その先を見ていた。

「……逆にって、言ったら変だけど」

「なによ」

「そこまでの内容と言葉、スッと出てくるもんじゃねぇだろ。彩月、具体的に色んなこと調べて考えてくれてたんだな……って。ちょっと今感動してる。俺も覚悟しようと思えた」

「え、え?」

 一瞬きょとんとしてから、その表情のままでじわりと赤くなっていく彩月。親の年齢まで出したんだ、想定していたのが俺との将来じゃないとは言わせない。

(重たいだなんて、そんなまさか)

 むしろ彩月が真剣に考えてくれていて、こんなにも嬉しい。嬉しく感じることが俺の答えだ。先ではなく今のことしか見えてなかった俺だけど、やっぱり結婚するならお前だと変わらず思えるよ。

「俺さ。まだちゃんと考えられてないこととか、わかってないこと、たくさんあるとは思う。頼りないとも思う」

「そ……そうよ、志央くんは少し頼りない。結婚したら丸く収まって終わりみたいなこと言うんだもの。思わず叩いちゃったじゃない」

 愛と誠実さの証明。たぶん、それも間違ってはなかった。不足があると気づかせてくれる。気づいてほしいと怒ってくれる。そして隣を歩こうとしてくれる。そんな彩月からの愛と誠実を俺は今、受け取ったのだから。

「わかってる。まずはお前と新しいスタートを切る為に必要なこと、教えてくれねぇかな。それから改めて、ちゃんと結婚を申し込ませてほしい」

 そろそろとか、とりあえずとか、もうそんな言葉は使わないから。そう言って真っ直ぐに彩月を見つめる。応えるように彼女はようやく笑顔を浮かべてくれた。涙ぐんではいたけど、それも含めて今度は本物の笑みだった。


 ゴールなんかじゃないと彩月は言う。でも、恋人としては確かに終着点なんだと俺は思った。ただそれが同時に、スタートでもあるというだけなんだ。

 そしてそのスタートラインにはさ、彩月。お前と一緒に立っていたい。

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ゴールという名の始まりを 藤咲 沙久 @saku_fujisaki

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