きみの物語になりたい

夢月七海

きみの物語になりたい


 二〇二〇年四月十一日。今夜も、俺はある町の駅前に来ていた。

 都会ほど華やかではなく、かといって田舎ほど自然豊かではない、中途半端な町だ。


 ここで、俺はいつもナンパをする。試行錯誤して、人通りの多い場所よりも、こういう人が少なめの方が意外と成功率が高いということが分かってきた。

 一人を一途に愛し続けることは出来ないと悟ってから、むしろ気が楽になり、これからは不特定多数と一夜限りの関係を繰り返すようになった。爛れた生活ではあるが、俺自身は幸せだと思っている。


 さて、誰にに声を掛けようかと見回した時、目についたのは、木にもたれ掛かるように立つ一人の女性だった。白いブラウスに水玉のスカートを履いていて、明るい茶色の髪がふんわりとしている。

 彼女は、特に何もしていなかった。角度によっては黄色く見える瞳は、ぼんやりと半開きで、何も映していないようだった。


「ねえ、何してんの?」


 右側から声を掛けてみると、彼女はゆっくりとこちらを向いた。とろんとした目が、深呼吸するように静かな瞬きをする。

 正直、手応えらしきものは何にもなかったが、明確な拒絶の意思もない。俺は、わざとらしい困ったような苦笑を浮かべつつ、もう少し食い下がってみる。


「今、暇?」

「暇……と言われれば、そうかも、しれない……」

「食事とか、どう?」

「…………うん、いいよ」


 たっぷりと沈黙があったものの、彼女は頷いた。

 俺は、心の中で「いいのかよ」と拍子抜けつつ、それを表に出さずに、「いいバーがあるんだよ」と言いながら、彼女を案内した。


 バーの中、彼女は終始静かだった。数杯のカクテルを飲んだ後、思い切ってホテルに誘ってみたら、彼女は「いいよ」と頷いた。

 そのまま、いつものホテルへ行く。


 月の上を歩いているかのような足取りで、彼女はラブホテルの一室を横切り、窓際のベッドに座った。赤い照明を見上げて、大きな欠伸をする彼女に断りを入れて、バスルームへ行く。

 殆ど、水を頭から被る形でシャワーを浴びて、風呂場から出ると、彼女はベッドの上で横になっていた。


「え? 寝たのか?」

「……」


 その顔を覗き込むと、彼女はしっかりと目を閉じて、寝息を立てていた。ちゃっかり、布団を首まで被っている。

 あまりに気持ち良さそうなので、起こす気にはならなかった。俺も寝てしまおうかと、彼女の横の枕の上に頭を乗せた。目を閉じて、アルコールが残る体と心をそのままに、じっとしている。


「――『石田さん……石田さん、すみません、石田さん?』」


 何の前触れもなく、真横からそんな声が聞こえて、俺は思わず体を起こした。


「――三度目の呼びかけで、石田さんはぼんやりとパソコンを眺めていた目を、ようやくこちらに向けた。」


 声は、間違いなく隣の彼女から聞こえている。寝言のようだが、その割にははっきりしている。その上、彼女の声が、起きていた時とは全く違う、中性的なものに変わっていた。

 呆気に取られている俺をよそに、彼女は長々と、文章を朗読するように寝言を続けていた。ある会社員の先輩に対する独白のようだが、何故そんなことを言い出したのか訳が分からない。


「――二人の髪を揺らして過ぎ去っていった。」


 そう言い終わった後、すうと彼女は黙り込んでしまった。

 俺は戸惑いつつ、「なあ、」と彼女に呼びかけながら、肩を揺すった。しばらくして、彼女がぽやっと目を開けて、こちらを見た。


「今の、何だったんだ?」

「……今のって?」

「なんか、すごく長い寝言を言ってたぞ。石田さんがどうのこうのって」

「……ああ……」


 納得ついでに彼女はまた欠伸をする。むにゃむにゃと口を動かしながら、やる気がなさそうに返した。


「あの物語は、『春風ひとつ、想いを揺らして』ね……」

「は?」

「タイトルを付けるなら、の話よ……」

「悪い、最初から説明してくれ」

「……そうね、まず、私の物語を、話さないとね」


 欠伸を繰り返して潤んだ瞳で、彼女は俺を見上げた。

 そして、ゆっくりと、正確に話し始めた。


「今よりも昔、神に守られた土地がありました。しかし、その土地は、突然の災害によって失われてしまいます。神は、殆どの力と記憶を失い、どこにも結び付くことが出来ず、時空を絶えず漂い始めました。元々、土地にいる者の思考を読み取ることが出来る神は代わりに、あらゆる時空の、有象無象がとある事象について考える、あるいは俯瞰的にある事象が観察された物語を受信することが出来るようになりました。これらの物語は、決して忘れることはありません。そして時々、眠りについた時、受信したての物語を、周波数が合ったラジオのように、口から漏れ出てしまうのです」


「……つまり、今のも、受信した物語だったと?」


 俺の言葉に、彼女は無言で頷いた。俄かに信じられない上に、聞きたいことがたくさんあったが、彼女は俺が考え込んでいる間に、再び眠り出してしまった。

 釣られるように、寝入ってしまった俺が起きた時、カーテンの向こうは朝になっていた。隣には、抜け出した後もないのに、膨らみの残った蒲団だけがあった。






   ▢






 五月十六日、俺は同じ駅前で、先月と同じ格好で木にもたれている彼女を見かけた。

 まさか、再会出来るとは思っていなかったので、すぐに話しかける。


「久しぶり。また会えるなんてな」

「ああ……うん、そうね」


 相変わらず、眠たそうに彼女は返答する。

 彼女から、また物語を聴きたいと思った。今夜はすぐにホテルに誘うと、気力のなさそうな顔で頷いた。


 ベッドの上で目を閉じた彼女は、吸血鬼の彼氏と暮らす女性の物語を語った。じっと聞き入ってしまう。時間も次元も超えたどこかに、そんな人たちがいるのだと思うと、奇妙な気持ちになってくる。

 語り終えたばかりの彼女を起こし、話をしようとした時に、彼女を何と呼べばいいのか分からずに困った。


「名前は……覚えていないよな?」

「……そうね。元々あったのかどうかも分からないわ」

「けど、呼び方がないと不便だろ。何て呼べばいい?」

「……きみ」


 彼女は、透き通るような声で一言だけ言った。


「きみ、がいいわ。貴方って意味の君。でも、文字で書くなら、ひらがな表記が好ましいわね」

「分かった。そうする」


 突然、物語の時のように饒舌に語り出した彼女に面食らいながらも、神妙に受け入れた。

 これまで、受け身でいた彼女の、初めての意思表示だった。「きみ」という呼び方にも何かこだわる理由があるはずだが、当の本人はそれを覚えていないだろう。


 それからひと月に一回のペースで、俺は彼女と再会した。

 その間、彼女は様々な物語を語った。


 一組の男女が、上手くいかなくなる瞬間を見つめていたペットの兎。

 ある病気が流行している世界での漫才師。

 漫才師たちとの同じ世界での、女子高生の昼食。

 バイトを辞める後輩を見送る先輩。

 透明人間の男と普通の人間の女のデート。

 ある夜、同じ町で起きた生と死と恋。

 雪が降る中、娘の幽霊を探す父親。

 フィギュアスケートのライバル同士の女性選手たち。


 ……それら一つ一つに、彼女はタイトルを付けていた。

 抽象的ながら、物語それぞれと響き合うような、美しいタイトルだった。


「俺も、きみの物語になりたい」


 バレンタインの夜、俳優に送られた不気味な手紙を読んだマネージャーの物語を語った後、俺は彼女にそう告げていた。

 こちらを見た彼女は、心底不思議そうに瞬きをしていた。


「……どうして?」

「物語を永遠に覚えているんだろ? そうなってほしいんだ」

「永遠なんて、ろくなもんじゃないわよ……」


 彼女は、ぽつんとそう呟いて、俺に背を向けて眠り始めた。

 しかし、俺は永遠が羨ましかった。誰とも繋がれず、留まることも出来ず、刹那を過ごし続けているからこそ、永遠という響きに憧れていた。






   ▢






「……今日で、ここに来れるのは最後ね」


 三月三十日、ふと赴いたいつもの駅で、偶然彼女と会った。今月は音沙汰がなかったので喜んでいたところ、ホテルのベッドで、そう告げられた。


「何で、急に」

「……ずっと、何かに引っ張られてきたの。大きな、力に……。それが、途切れてしまうの……。……また、いつ現れるかは、分からないわ……」


 彼女の話は、相変わらず要領を得なかったが、これが最後だという雰囲気が漂っていた。

 それを寂しく思っている間に、彼女は眠り始めていた。そのまま、突如口を開く。


「――二〇二〇年四月十一日。今夜も、俺はある町の駅前に来ていた。」


 その一言に、身を起こした。頭蓋骨を通さずに聞く声は他人のようだが、それは間違いなく俺が昔思ったことだった。

 なだらかに、彼女は俺の物語を語った。その興奮に打ち震えながら、物語がどう閉じるのかを、じっと聴いていた。


「それを寂しく思っている間に、彼女は眠り始めていた。そのまま、突如口を開く。」

「……」

「――二〇二〇年四月十一日。」

「え?」

「今夜も、俺はある町の駅前に来ていた。」

「あ、ちょっと」


 物語がループしていることに気が付いた俺は、慌てて彼女の肩を揺らした。言葉が途切れ、彼女は迷惑そうに目を開ける。


「……どうしたの?」

「いや、物語が終わらなくなりそうだったから」

「……不都合なの?」

「ホテル代がとんでもないことになる」

「……それもそうね」


 俺は内心、「そういう問題か?」と思ったが、彼女は納得した様子だった。

 無言で布団を被り直す彼女に、俺は言った。


「なあ、この物語は、俺がタイトルを付けてもいいか?」

「……ええ」

「『きみの物語になりたい』」

「いいわね、それ……」


 彼女に褒められたので、頬がだらしなく緩む。気付けばすでに寝息を立てている彼女の隣で、俺も横になって目を閉じる。

 朝、目が開けると彼女はいなくなっているのだろう。それでもいい。俺は、彼女の物語として、永遠に残り続けるのだから。
























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