影の誕生
koumoto
影の誕生
荒野を、歩いていた。どこまでも続くような、果てしない荒地。空は暗夜。星ひとつない黒の天蓋。自分の身体が発する明かりだけを頼りに、ただ歩いていた。なぜ歩くのかもわからないまま。ひとりきりで。
自分の身体は白かった。手も足も白い。全身が白い。自分の顔は見えなかったが、それが白いのもわかっていた。眼も鼻も口もない、白い輪郭。同類である白い影を、自分ではない他者である影を、たくさんたくさん見てきたから。
そう、かつては自分はひとりではなかった。周りに大勢の同類がいた。数えきれないほどの人数だった。地平線の向こうまで、同類の列が続いていた。みんな白く、表情はなかった。だれもかれもが同じに見えた。ただ歩いていた。荒野を、粛々と、どこかに向かって。自分も、波に呑まれるように、押し流されるまま一緒に歩いていた。空は暗夜。いつまでも暗夜。どこまでも荒野は続いていた。
そのうち、同類が脱落し始めた。歩くのをやめた白い影が、目につくようになった。倒れたまま、起き上がらない。動かない。足を引っかけて転ばないよう、跨いで通りすぎた。少し進んでから後ろを振り返る。やはり、倒れたまま動かない。起き上がらない。
「死んだんだよ」
隣を歩いている白い影が、教えてくれた。無感動な声。声音さえもが白かった。
そうか、死んだのか、と理解した。理解はしたが、納得はできなかった。なぜ、死ななければならないのか。なぜ、歩かなければならないのか。なぜ、見捨てなければならないのか。納得できないまま足を動かし続けていた。
同類はばたばたとくたばっていく。後ろを振り返ると、白い
「がんばれ」
隣を歩いていた白い影が、そう言い残して脱落した。短い言葉と長い沈黙が、その白い影の死を伝えた。そう理解した。納得はできないが、理解した。振り返らずに、歩き続けた。荒野はなおも続いている。暗夜の空はなにも語らない。どこに向かっているかもわからない。憑かれたように、ただ歩き続けた。
そして、気づけばひとりきりだった。
自分も早く終わりたかった。目的地に着けば、終わるのか。終着点さえ見つかれば、この歩みは止められるのか。なぜ歩くのかわからないまま、なぜ止まれないのかわからないまま、自分の死を目指していた。
「死にたい」
暗夜の空の下で、孤独にそう呟いた。だれにも届かず、風のなかに消えるはずだった言葉。それなのに、風のなかから答える者がいた。
「いいや。きみは生まれるんだよ」
声に戸惑い、俯いていた顔をあげると、いつのまにか自分の隣に、赤い影が連れ添っていた。手も足も赤く、全身が赤く、眼も鼻も口もない、赤い輪郭。血のように赤い他者。自分と同類なのかはわからなかった。
「おめでとう。きみは生き残った。偶然がきみを選んだ。数えきれない死を逃れて、きみは最後まで歩き続けた。ただひとりになるまで、脇目も振らず必死にね。間もなく洞窟が現れるだろう。きみはそこで、いのちになるんだ」
「いのち?」
赤い影の言うことは、よくわからない。目的地があるなら、それは終わりではないのか。それは死ではないのか。そこに着けば、自分はようやく死ねるはずではないのか。
「われわれは、みんな途中なんだ。終わりなんてない。終着点は、死ではない。きみは種だ。きみは生まれるんだ。生まれたきみは、そこでまた歩くことになるだろう。どこにたどり着くかはわからない。偶然がきみを生かすかもしれないし、すぐに倒れて死ぬのかもしれない。きっとそれもまた、終わりではないのだろう」
赤い影は
どこまでも続く荒野に、果てがあった。赤い影の言うとおり、そこには洞窟があった。暗夜の空よりもなおも暗い。黒い闇が、井戸のようにうずくまっていた。
「さあ、見送りはここまでだ。この先はひとりで進んでくれ。そして生まれるんだ。いのちとしてね」
立ち止まった赤い影をその場に取り残して、自分は洞窟のなかに足を踏み入れた。奥へ奥へと進んでいく。いつからか、水が足を浸し始めた。進むごとに、水位は上昇していく。自分が黒に染まっていくのがわかった。見えなくても、自分の色の変容を感じた。黒い影になって、そして生まれるのだ。なんらかの偶然の導きによって。
「ぼくは、生まれたいのかな」
頭まですっかり水に浸かりながら、そんな疑問がなおも浮かぶ。生まれる前の自分にも、生まれた後の自分にも、答えはどこにもないのかもしれない。溺れることを受け入れるように、自分を浸していく運命に身を任せた。
終わりのはずだった死が自分を迎えて、ぼくは生まれた。新たな荒野に。影として。
影の誕生 koumoto @koumoto
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