第14話 最終話 未来への遺産
大川は大阪市内中心を弛まなく流れている川である。春には両岸の桜並木が美しく、花見の絶好の場所となる。夏には日本三大祭りの一つである天神祭が行われ、5000発の花火を楽しむ人手でにぎわう。昔から大阪に密着した悠久の河川である。
会場を抜け出した俺と小川女史は、その大川沿いを歩いていた。広がる河川敷は市内道路の高さから一段階低い位置にあり、街の喧騒から切り離された感がある。
「――しかし、あの二人が、コンジェニ界の重鎮だもんね」
小川女史の感想が言外に納得がいかないように聞こえるのは、彼らの経歴の偉大さと日常生活の言動に大きなギャップがあるからに他ならない。
「いや、でもあの遊び心?が、彼らのレジェンドたる由縁だと思うな」
日頃からなんとなく思っていたことが口についた。
「あれだけの余裕があるから、いい医療ができるんじゃないかな」
二人で歩く道沿いの川面が、陽光を反射して眩しい。
「男の人って、いつまでたっても少年だものね」
少し先を歩いていた小川女史が、俺を振り返って口をとがらした。
「まあ、ね」
なんとなく俺は相槌をうった。
「…ハタナカくんもそんなとこあるし」
少し非難めいた口調を感じて、あわてて俺は先を行く小川女史を追いかける。
「え、そうかな。自分ではわからないけど」
「あ、遊覧船」
続く言葉をはぐらかすかのように、小川女史が視線を川の方に向けた。
大川沿いに大阪市内を観光する船がゆっくりと進んでいく。インバウンドが多く、盛況のようだ。甲板に出た人たちがこちらに向かって手を振った。
「おーい」
恥ずかしくてなんとなく見守るだけの俺とは反対に、小川女史は元気よく乗客たちに手を振った。
「小川さんの方こそ、子どもっぽくない?」
俺の突っ込みに、
「そうかなあ、そうかもね」
ペロリと下を出す感じで答えて、更に大きく手を振っている。
船の乗客たちも、ここぞとばかりに手を振り返す。妙齢の女性が反応してくれたら嬉しいこと間違いない。美人は人種に関係なく、得だな――。
――なんてぼんやり考えていたら、
「うわっつ!!」
目の前にいつの間にか小川女史の顔があった。川辺にそよぐ風に混ざって、吐息までが感じられる――気がする。
「ち、近っつ!!」
「なに、近くて悪いの!?」
思わず、嬉しさ半分驚き半分、照れくささ半分の(あ、足して100%越えてしまう!?)動転した気持ちから口走った言葉を、見事に捉えられてしまった。
「そういえばハタナカくんてさ、いつもあの2人といっしょだよね」
「あ、あの2人?」
「そう、あの2人。金髪君とジャイアン君」
ああ、柳と権田か――。確かにその通りかも…。それが?
「なんか、うらやましいよね。仲良くて」
いや、別に。仕事一緒だからツルんでるだけだし――。
「一生懸命、3人で子どもたちを助けようと毎日がんばってるもんね」
いや、仕事ですから――。
矢継ぎ早に出てくるセリフに、答えようか、内容どうしようか、プラス心の中で自分自身に突っ込んでいるうちに、次々にセリフが小川女史の口から出るので、俺の言葉は発せられることなく、文字通り言葉にならず、傍から見たら、おそらくウーウー唸ってるだけの変な人のようにちがいない。せっかくの2人の散策の瞬間に、俺は何をしてるんだぁ~、とまたまた心の叫びを認識する自分が悲しい。
「本当にうらやましい」
「え、で、でも小川さんもそうでしょ!?」
ようやくひねり出したセリフは、意味不明。何年か前にはやった某塾講師の『今でしょ?』みたいな、フレーズだ。
(うえっ、気の利かないセリフを吐いた変な男になってしまった!)
おそるおそる上目づかいにみると、小川女史は川沿い向こうに林立する高層ビル群に視線を向けながらこう言った。
「ほんと、馬鹿だよね」
えっ、えーっつ!! ば、馬鹿!? 俺たち3馬鹿トリオってこと!? たぶん、今の俺は目を白黒状態。慌てて食べたでっかいアンパンが喉につまって目を白黒させているシチュエーション!? いや、アンパンこの際関係ない、意味わかんねー。確かに、俺たち馬鹿だけど、なんかいい雰囲気? って感じてた俺はやっぱり馬鹿!? そ、そうかー、馬鹿か…。
「そうだよねー、俺たち馬鹿だよな…」
思わずつぶやいた俺のセリフに今度は、小川女史が反応。
「えっ!? ハタナカくんたちが馬鹿!?」
一瞬のきょとんとした表情の後に、そこには大爆笑する小川さんの姿があった。
「…あー、苦しい」
二人してようやく、川沿いのベンチに座ったものの、依然体を折って、小川さんが笑う姿を茫然とみる俺――。
「ああの、俺たち・・・馬鹿、ではないんですか・・・?」
よくわからずどもり+丁寧語キャラになった俺の問いに、さらに爆笑を重ねている。
「ホント、ハタナカくんって、天然よね~」
涙を拭きふき、ようやく顔を挙げた小川女史と目を合わせる。
「もう、何言おうとしたか忘れちゃった」
「いや、俺も話の流れがわからな――」
「こらーっつ、そこ、イチャイチャするんじゃないーっ!」
出し抜けに割り込んできた大声に俺のセリフはかき消えた。
(なにをー、だれだぁっー!! この蜜月の時間を邪魔する奴はぁっー!!)
憤怒のあまり三角眼になってるであろう炎の視線を、視点も定まらないまま振り返った俺の目に、金色の色彩が飛び込んできた。あ、あれは――。
(くぉのおっ!! 柳かっ!!)
自慢の?金髪を揺らして、少し離れた橋上から身を乗り出してなぜだか両手を振っている。
「や、や、柳ぃー」
目を剥いて声を絞り出した俺に向かって
「俺もそこ行くわー」
能天気な声を出して身を欄干から引っ込めると、奴が橋の上をさっと走りだすのが目に入った。
「お、小川さん。もう、行きましょう。なんか柳のやつ勘違いしちゃって、しかもここに来るとか来ないとか、い、いや俺的にはいらないシチュエーションなんだけど…」
しどろもどろになりながら、俺は小川さんの手を引っ張り、無理やり立たせて
(おおっ、手ぇ暖かいっ!)
い、いや、とか喜んでいる場合ではなく――。
「あれえ、奇遇だなあ」
素っ頓狂な野太い声が後ろで下かと思うと、さっと日が陰った。こ、この姿形の大きさはまさか――。
そこには(予想通り)権田の巨体があった。
「あ、小川センセ、たこ焼き食べます?」
両手に袋をぶら下げた権田が片方の袋を目の前に差し上げた。確かにたこ焼きのにおい。。。
「お、お前らぁ~」
さすがの俺も事ここに至ると状況が呑み込めた。
「お前ら、いつから――」
「いやあ、会場出たらさ、二人が病院方向に歩いて行くのが見えちゃって」
すでに河川敷に降りてきた柳が、どこ吹く風となく説明を始める。
「そうそう、小腹が空いたから河川敷でたこ焼きでも食おうかなあ、とか思ってたら」
権田がすかさず後を引き取って話し出す。
「二人が仲良くベンチに座ってた、てわけよ」
「ハタナカくんも隅におけないなあ」
「なあ、俺たちは男二人で寂しくたこ焼きだぜ」
「石神先生たちのおかげで、会場は大盛り上がりだったけど」
「結局iPSの最新治療の報告もなんかうやむやになっちゃって」
「よっぽど、お二人さんが手を繋いでいるシーンの方が気になるよなあ」
あ、そういえば…。視線を落とすとまだ俺と小川女史は手を繋いでいた。
「お、い、いやこれは」
慌てて手を離そうと(する前にもう一度しっかり握ったりして)あたふたする俺のアクションにベンチに座ってた小川女史が立ち上がってニンマリ。
「えー、いいでしょ。手をつないでで」
むしろ強く握られたうえに、柳と権田の目の前に、繋いだ手を持ってきたのは、俺の白昼夢か???
「えー、なななによ、ユキちゃん、そその手は」
動揺した柳が、ファーストネームで小川女史を呼ぶ。
「お、おい権田」
見遣った巨漢の相棒も、口をあんぐりと開けて、いざ放り込まんとして楊枝に刺したたこ焼きが空中で止まったまま。
「行こ、ハタナカくん」
引っ張られて軽く走り出した小川女史に続いて俺も走り出す。
お、お~い、待てよ~
柳の慌てふためいた声が風に吹き消されていく。
慌てた権田が転んで、たこ焼きが地面にばらまかれる――。
――まるで映画のワンシーンじゃないか。
繋いだ手に、なびく髪、天使を追いかける俺。
待っているのはハッピーエンドに違いない。
「よっ」
「きゃっ」
急に止まった小川女史(と手をつないでいたためぶつかりそうになった俺)の目の前に人影が現れた。いや、進行路に突然出現した人が俺たちの足をとめたという方が正解か。
(挨拶するということは知り合い?)
そして、俺は三度目を剥いた。
爽やかな!? いや創ったクールな雰囲気を醸し出す笑顔でそこには石神遼一が立っていた。
*
――結局。
「おーい姉ちゃん、ビールお代わり」
「あ、こっちは梅チューハイね」
「白ワインだ」
そう、我々は職場近くの居酒屋になだれ込んでいた。
突然の、いやあの時点でほぼ予想されたであろう石神遼一の出現と、追いついてきた柳と権田。そしていつの間にか、誰がどう連絡を取ってどう集まったのかわからないまま、小児循環器内科・麻酔科・ICU・手術室のドクター・ナース入り乱れての大宴会に状況は様変わりしていた。店はもはや貸し切り状態。
「いやあ、しかしこれからは手術も最新のテクノロジーっちゅうやつにかわっていきますなあ」
すでに焼酎を飲み過ぎて赤さを通り越し赤黒くなった顔面と酒臭い息をまきちらしながらCEのひげオヤジが話し出すと
「確かに、今日の学会発表聞いてると、腕もさることながらニューマテリアルが予後を変えていく未来が僕には見えましたよ」
ICUきっての理論家吉田Tドクターが、こちらは負けじとビールをあおりつつ青い顔をして生真面目に返事をしている。
「えー、手術内容が変わっちゃうんですかあ?」
ぷうっと頬をふくらまして手術室のウサギちゃんこと中村美雨が隣の権田を肘でつついたが、権田はせっかくのアイドルのちょっかいに気付かず必死でパスタを掻き込んでいる始末。
「いや、手術自体は何も変わらない」
クールな青味がかったレンズの入った伊達眼鏡のエッジを光らせて石神が断言する。
「今も昔もオペはアートだ。そして手術室は――」
「シアター、術者はアクターです」
声を揃えた合唱のように俺と柳ががなりたてた。
「そう、与えられた舞台を最高の舞台にしなければならない義務が、我々心臓外科医にはある」
満足そうに頷いて石神が立ち上がった。
「そしてそれを冷静な目でサポートするのが我々循環器内科医だ」
続いて村下医師もダンディーな口髭にビールの泡をつけたまま立ち上がる。
二人の視線がクロスして、二人が同時に頷くとおもむろに二人とも隠し持っていたマイクを取りだした。
「あ、いつものやつ――」
病棟ナースかだれか若い女性の声が聞こえたとたんに
♪ 必ず手に入れたいものはぁ~
二人の酔っ払いミドルのデュエットが始まった。昔の外科医と内科医のドラマソングらしい。なかなかぴったりな選曲。
「ねえ、ねえ」
気がつくととなりにICUのアンジーこと大谷さんが座っていた。
「ハタナカくん、飲んでる?」
「え、ああ飲んでる飲んでる」
ジミーちゃんみたいな返事を間抜けにもしてしまう。普段からICUでよく会話しているが、お互いプライベートな格好で話すのは久しぶりだ。相変わらず美しい――。
「なんか、慌ただしい1年だったね」
手に持ったカクテルグラスを回しながら大谷さんが俺の目を覗き込んだ。
――そう、色んなことがあった一年だった。初めてのコンジェニオペを目にした驚き、子どもたちの命―小さな心臓の拍動をを目の当たりにする感動、ぶっ倒れそうになりながら立ち続けた長時間オペ、仕事の合間の仲間たちとの他愛もないやりとり、科を越えて一丸となって立ち向かった難症例――。
「――ハタナカくん?」
我に返った俺の目の前に大谷さんの不思議そうな顔があった。
「あ、ご、ごめん。ちょっとボーっとしてた」
「こらあ、過去を懐かしむにはまだ早いぞぉ~」
「少年、老い易く、私たちもまた然り――」
突然のだみ声と意味不明のスローガンの乱入。こ、この勢いは――
「ジャーン!!」
「そう、西に飲み会があれば」
「顔を出し」
「東に合コンがあれば」
「着替えて3分」
「オペ室が誇る大輪の花」
「クレオパトラか」
「楊貴妃か」
「はたまた浪速の小野小町と言えば」
「わたくし室岡と」
「草阪の」
ここで二人の声が重なった。
「オーロラビューティーナーシーズ!!」
≪出、出たぁ~、オペ場の番人、室岡ナース&草坂ナーシーズ!≫!
大谷さんのフローラルの香りに(いつの間にか)引き寄せられてきていた柳と権田も仰け反るド迫力の割り込みぶり!!
(し、しかも登場シーンが無駄にパワーアップしているっ!!)
――さすがの大谷さんも唖然。俺も茫然。
「ん、もう。他人行儀なんだから、ハタナカちゃんは」
室岡ナースがもはやパワーショベルと化したヒップを強引に大谷さんと俺の間にねじ込ませてくる。
「はうっつ」
一瞬ではじかれた大谷さんのジーンズに包まれたスレンダーかつ程よくボリューミーなヒップが俺から離れて行く――
(ああっ――、大谷さんっ)
「あら、柳ちゃんにジャイアンじゃない。久しぶりー。駆け付け三杯ね。どぉぞー」
ビール瓶を口にラッパ飲みに突っ込まれた柳が、まるで名画のスローモーションのように仰向けにぶっ倒れる。
「じゃ、そ、そういうことで――」
こういうときは巨体に似合わず素早い権田が後ろ向きに後ずさった。
が、役者は一枚も二枚もオペ場の番人たちが上だった。
「あらん、遠慮しないで、スペシャルカクテルを飲んでね」
二人に、見た目普通の鮮やかなオレンジ色のカクテルを差し出された権田は、条件反射的に受け取って飲み干していた。
「あ、ありがとうございます、おいしいっすね、このカクテル――」
お礼を最後まで言う前に
「あら、タバスコ1本しか入ってないわ」
「その前に私たち二人が飲んでいたカクテルを混ぜたものだけど」
矢継ぎ早に繰り出されたカクテルの正体(二人との間接キ○付き――)に、
『うごぇええ――』
権田戦死。ヤマトを見送る沖田館長の気持ちで心の中ですかさず俺は敬礼を送る――。
し、しかしこの方向性なきパワーの次の矛先は勿論…。
「ちょっとぉ!! いくら先輩だからって冗談じゃないわよ」
おおっと! この啖呵は!
おののいた俺の頭上から美しくも張りのある声が響いた!
(お、大谷さん!!)
そう、吹っ飛ばされた大谷さんが柳眉を逆立てて番人たちに宣戦布告をしていた。
見上げる俺の上には大谷さんのスレンダーかつ豊かな胸が怒りに震えている。
(な、ナイス)
この光景に心からの喝采を送ろう――。
「なによ、この女」
「ちょっとばかし顔がよくて」
「スタイルがいいからって」
「いい気になってるわ」
番人たちの瞳孔が二人揃って見開いた――
「ゆ・る・さ・なぁい!!」
「ちょ、ちょっと暴力は――」
我に返った柳が止めに入る。体の後ろから隠した上腕を振りかぶる室岡ナース。
(こ、これは伝説のドラゴンフィッシュブローかっ!?)
手に汗を握った俺たちの前に現れたのは…
「ちょっとあんた、これで勝負よ!!」
「えっ!?」
驚く柳の前に並々と黄金色の液体を注がれた大ジョッキが、どん!とばかりに置かれた。
「先に倒れた方が負けよ」
自信たっぷりの室岡さんの鼻息に、あわてて振り返った俺の目の先には
「望むところよ」
なんと、雄々しくも受けて立つ大谷さんの姿があった。胸の前で不敵にも腕組みをして仁王立ちしている。押し上げられた胸が自信にみなぎっている。
(おおっ! 女神さま!!)
部屋中の男子が一斉にそのこ神々しさに釘づけになった。
「――ちょっと、ハタナカくん――」
いつの間にか大谷さんの胸先まで顔を寄せていた俺を大谷さんが睨みつける。
同時に
「痛ててて――」
後ろから耳を引っ張られて俺の顔は大谷さんの胸前から遠のいた。
「ちょっと、ハタナカくん――」(怒)
同じセリフを聞かされ、振り向くと小川女史が目を三角に怒らせながら微笑んでいた――。
「こっちで飲みましょうか――」
あ~れ~。。。
「いいのう、若い者は」
CEヒゲ親父が惚けて野次を入れる。
♪ これからあいつを、今からソイツを
♪ 殴りにいこうかぁ~
相変わらず内科・外科部長の調子のよい歌声が鳴り響いていた。こうして宴会の夜は更けていく――。
*
―― いつしか、酔ってしまった。お酒にも、雰囲気にも。生まれながらにして大きな病気を背負った子供たちを救う、それこそが俺の目指していた『道』だ。この世界に入って、その術を身につけてきたつもりだが、中には救えない子もいた。圧倒的な技術を持つ石神先生を始め、絶対的な診断を下す村中先生、大きな手術を担う麻酔科の先生たち、手術後の急性期を乗り切るためにあの手この手で細やかな治療を続ける集中治療医たち。それをサポートするCEさんや看護師の人たち。多くの人たちの思いが結集して患児の命を救っていく。そのピースの一つとして、いや少しでも役に立つことができていれば、本望だ。こうして時には酒を喰らい、仲間たちとストレスを発散し、そしてまた一瞬の気も抜けない世界へ飛び込んでいく。
一体、俺たちのゴールはどこにあるのだろうか。一人の命を救う間に、この世界では多くの命が散っていくのも事実である。だが、目の前のことに集中すればいいのだと思う。こうして助かった命がまた、次の新しい命に繋がっていくのだから――。
♪ どれくらい感謝したって足りないから
あなたを全心で見つめ返す
太陽の光を浴びて輝く
夜空の月がそうしてるみたいに
ハスキーな女性の歌声が聞こえてきた。大谷さんか、いや小川女史か――。
♪ 雲の空 隠れるように彷徨う私に
光をぶつけてくれたね
ひとりきり閉ざした心こじ開け
私のすべてを受け止めてくれたんだ
俺たちの仕事に、見返りはない。そう、誰だってお礼を期待して全力を尽くして
いるわけではない。もしかしたら自己満足の世界かもしれない。出来ることがもっ
とあるのに、自分ができるのはここまで、と知らず知らずのうちに線を引いている
のかもしれない。しかし、そうならないようにみんながそれぞれを奮い立たせてい
る。疲れもする、落ち込みもする。人為的なミスもする。しかし何より、子どもた
ちが退院する時の笑顔が、俺たちを勇気づける。元気になって外来にきたついでに、
手術室に、ICUに足を運んでくれる親子がいる。年賀状やお礼の手紙を送ってくれ
る家族がいる。日々の仕事が報われるのを期待しているのではないが、そういった
ときにふとこの仕事を続けている意味が、決して間違ってないと実感できる。
♪ 誰かを頼る心、強く信じる心
きっと、あなたに出逢ったから
素直になれたんだ
愛を知って輝き出すんだ
人もみんな世界を照らしてく
夜空の月のように
こんなにも輝いてるよ 見えるかな
逃げないで強くなってく
あなたに笑って欲しいから
こんなにね 見て、光るよ
「あー、この歌好きだなぁ」
隣で大谷さんの声が聞こえた。
「あたしもー」
ICUの仲村さんも声を揃える。
「なんか、昔の医療系ドラマの挿入歌だったんじゃない」
「わかるわーこの気持ち」
室岡ナースと草阪ナースの二人もいつになくしんみり聞いている。
「青春を思い出すわね~」
「ほんと、あの頃は点滴の1本も取ることできなかったものね~」
(ま、まさかぁ)
言葉を呑みこんだ言葉が「んげっつ」
思わず目を剥いた権田の気持ちはよくわかる。今や患者の腕を持った瞬間に何本でも!!点滴を取りまくる二人のベテランにもそんな若かりし時代があったとは!!
「何よ~」
「ちょっと、ゴ・ン・ダ先生――」
「さあ、こっちに来て飲む覚悟はできてるわ・よ・ね~」
またしてもドナドナの仔牛のような目をして引き立てられていく権田の後ろ姿に俺と柳は、地球を旅立つヤマトのクルーのように敬礼を送った。
♪ 不思議だね、
笑顔の奥で泣いてた頃の
私にさよなら出来たんだ
ありがとう
だから、苦しい時には
私の光で守ってあげたい
誰かのためになりたい 誰かのために生きたい
きっと、あなたに出逢ったから
生まれ変われたんだ
本当に仲間がいるって素晴らしいことだ。つらいときもあるが乗り越えられるのはみんなのおかげだ。生命の重さは、時には一人で支えきれない時がある。でもみんながそれをわかっているから、一歩一歩俺たちは進むことができる。生を得た小さな手が虚空に精いっぱい伸ばす先には、きっと希望がある――。
♪ 愛を知って輝き出すんだ
うれしいよ
不器用な私だって、まだ小さい光だって
どうかずっと見守っていてね
いつまでも
無限に繰り返す 心に抱く想いよ
飛んでゆけ ありがとう
どうしよう、どうしたらいい?
こんなにも”誰かを愛せる”って
涙が溢れ出す
愛を知って輝いてるよ
迷わないで世界を照らしてく
夜空の月のように
こんなにも輝いてるよ
ほら、この空で
見て、
光るよ
――歌が終わってその余韻が部屋を包み込んだ。おそらく一人ひとりが自分の思いを噛みしめているのだろう。目をつぶってグラスを傾ける先生がいる、胸の前で手を組み合わせているナースがいる。部屋の端ではぶっ倒れている権田もいるが――。
「さあ」
石神がパンッと手を打ち鳴らした。
「しんみりしたところで、締めるか」
みんながいい表情をしていた。これからもこのチームで戦っていくんだ。
――コンジェニ。
小さな生命を救うべく俺たちは明日へ向かって進んでいく――。
***
§ラストカンファレンス
「ハタナカ先生、1号室の患者さんのサチュレーション下がってますっ!!」
振り向いた俺は叫んだ。
「さっきまで100%あったけどぉ!?」
「今は89%ですっ! ちゃんと拾って波形も出てますっ!」
「OK、一度ジャクソンリースでもんでみるから」
広いフロアの端から端へ俺は飛んで行った。すぐに用意された換気バックを手にして人工呼吸器から気管チューブの接続を離し、自分で用手換気を始めた。
「少し重いな。水引き足りないんじゃあない?」
担当ナースに問いかける。
「今日の目標バランスを+500ml越えているだけですけど――」
*
今、俺がいるところは関西医療センター集中治療室(ICU)。ただし成人専用のフロア。ちなみに言っておくと、着用しているスクラブ・ケーシーはブルー。これは当センターでは麻酔科・集中治療部所属を意味している。
そう、現在の俺は成人患者手術後の集中治療管理を担当する集中治療医師だ。
――なぜって?
――それは、また次の機会に話そう。目の前の急変(したかもしれない)患者に少し集中したいからな。
そうそう、金髪の柳は今はもうこの病院にいない。やつは生まれ故郷の九州、たしか北九州方面だったと思うが、その地元中核医療を担う病院で救急医療医をやっている。そう、よくドラマなどでカッコよくやってるコードブルーとかなんとか、超忙しいあれだ。以前学会で一度会ったが、これからも連絡取りたいよな、とか言って、結局音沙汰なく月日が過ぎてしまった。まあ、便りがないということは元気にやってるということだ。
ジャイアンこと権田は、なんと今は小児科。しかも開業医ときたもんだ。なんでも後継ぎのいない小児科のバイト医師から、あれよあれよという間に地盤を引き継いだそうだ。確かにあいつは体はでかくて迫力あったけど、子供には人気あったものな。いい小児科医になっているに違いない。こちらもこの医療センター宛てに紹介状と共に送られてきた文面で元気にやってそう、としかわからないくらいだけど。
サワシタ副部長はなんと、北陸の大学病院に単身赴任してしまった。しかも特任教授として。見事な栄転・出世劇。実力はあるもんな。しかし心配なのは一人で生きていく生活力があるのかないのか。浮世を超絶した人だったから、関西にいたときに一人で飲食店に入ったこともなかったとかいう噂。果たして生きていくことができるのか――?
――そして、石神遼一。彼はもちろん、戦い続けている。相変わらずコンジェニの世界のなかを颯爽と闊歩している。
いや、前に進んでいるかどうか、そんなことはおそらく石神遼一本人は気にしていないであろう。進み続けるしかない道だから。小さな命と、それを包む親の愛情は未来しか見据えていない。ならば、道は一直線だ。時には失敗もある、紙一重で失った命もある。その一方で石神遼一を始めとするチームの力で乗り越えることのできた困難もある。弱さを決して人に見せない彼の本当の気持ちは誰にもわからない、と思う。
ドクターサワシタ、柳、権田、そして俺・ハタナカヨウイチ。西日本が誇る巨大総合病院を舞台に石神遼一の旗のもとに同時期に集い、コンジェニチームを組んでいたことは俺の誇りである。いや一時代を担っていたという方が正しいかもしれない。絶えずチームは結成され、解散して、また結成され…続いて行くから。その時代時代にニーズを合わせながら。これからの時代は再生医療、遺伝子医療、そして人工知能(AI)の台頭が必須となるだろう。しかし、その中でもシアターを舞台とした生身のアクターの本質も問われるはずである。いやむしろその存在感がクローズアップされるのではないだろうか。いかに科学が進歩し、医療がオートメーション化されたとしても、そこに人間が介在する場面はきっとある。医療は科学だけではない。人間学、といっても過言ではない
スポットライトを浴び、オーケストラの指揮者として華麗にかつ無心にタクトを振る一人の小児心臓外科医の姿は、孤独であり雄大である。いつどこででも瞼を閉じればそのイメージが浮かび上がってくるはずだ。
コンジェニは終わらない――。
CONGENI!!(コンジェニ) 二ノ前 宏 @1mae
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