第13話 TGA その6

 動と静。石神遼一と西本廣文のオペを表すならこれほど言い得た言葉はないであろう。同一手技のオペ時間は石神が圧倒的に早い。西本のオペはゆっくりだ。しかし丁寧。弱った心臓にとって、早く手術が終わる方が良いのか、遅くとも丁寧かつ正確な修復が良いのか。早くて丁寧、これが言うまでもなく一番であるが。手術には緩急がある。急ぐところは急ぎ、ゆっくりすべきところはゆっくりとする。最初から最後まで全力でする必要はない。手術手技のクォリティーを高く保持するためには全体の流れを考慮したペース配分が要求される。早さと正確性の2人がコラボレーションしたら? 偉大なるサージカルアクターたちのシアターは今開演である。


 CABG(冠動脈バイパスグラフト)のデザインのファクターにfeeding artery(血液供給血管)をどこから持ってくるかという問題がある。長期開存性を期待するならば左右の内胸動脈を用いることが多い。他には橈骨動脈グラフトや胃十二指腸大網動脈グラフトなどがある。

「小児の将来性を考えて内胸動脈は――」

「ないな」

石神と手を洗った西本は術者と前立ち(第一助手)のポジショニングで簡潔なやり取りをしていた。

「では静脈グラフトですか」

二助手の位置にいた柳が二人に問うた。もしよく使う大伏在静脈グラフトを用いるならば柳が採取しなければならない。

「いや、開存性が悪い」

ニベもない西本の答えに質問を発した柳をはじめ周りの見学者達がざわめいた。

(動脈も静脈もグラフトとしないならば、何を?)

さすがの石神も怪訝な顔をしている。

 周囲の雰囲気を察してか手元から視線を上げた西本がマスクの下の口元をニヤリと歪めた。どうやらニンマリと笑ったようだ。


「――iPSを使う」

一瞬静まり返ったオペ室内に漣のように興奮が伝播した。まだ見ぬiPS細胞によって作成された血管がある――? しかし…。 

「し、しかし患児の細胞摂取や遺伝子操作などのインビトロプレパレーション(試験管内準備)は全くされてませんが。このような状況になると予測もしてなかったので…」

皆を代表して小児循環器内科の荏原医師が西本に言った。

「必要だったら心カテのときに心筋細胞を採取して培養していたのですが…」

「昨日まで学会に参加していた」

突如西本が話し始めた。学会、我々も参加した第80回日本心臓血管外科学術集会のことであろうか。西本が講演会をしていた、あの学会。

「儂も話させて貰ったが、世界の名だたる施設からiPS関連の医師や研究社も招請されており、会の後に懇親会があった」

(それで――?)

石神の視線が話の先を促す。

「ヨーロッパのとある国、阪都大学と技術交流している施設から参加していたドクターKが面白いものを持ってきおった」

「面白いもの、ですか?」

 患児の頭側、麻酔科側から術野をのぞき込んでいたドクターサワシタがオウム返しに呟くと、西本はウインクして顎でオペ室の入口を指し示した。

「ほれ、もう到着じゃ」

 タイミングよくオペ室のスライドドアが開くと、3人の男たちが入ってきた。真ん中の1人が黒いアタッシュケースを持っている。

「彼がドクターKじゃよ」

「アロー」

紹介された真ん中の大男が挨拶をした。マスクと帽子の間にブルーの虹彩を持つ瞳が見えた。

「ドクターニシモトに要請されて特別に使っていいという許可をもらってきました」

 意外と流暢な日本語で話しながらドクターKは二重の鍵を開放しアタッシュケースの蓋を開けた。そこには衝撃緩衝材にくるまれたガラス瓶が数本入っていた。

「ネオネイトのレフトコロナリーね」

ドクターKが1本の瓶を選んで西本の眼前に差し出した。一斉に皆の視線が集中する。瓶の中には、そう白色透明に近い細い環状の組織が5本液体の中に浮かんでいるのが見えた。

「もしかしてこれは」

石神の呟きにドクターKがウインクしながら答えた。

「そう、世界初のiPS細胞によるアロコロナリーグラフトです」

「本当に完成していたのか」

荏原医師が呻いた。

「勿論抗原性は皆無です。ただまだ治験の段階なので――」

ドクターKの話を引き継いだのが、一緒に入ってきた残る2人の男のうちの一人だった。

「儂が急遽倫理委員会を開催して、使えるように通してきた」

誇らしげに言ったのは

「総長!!」

権田と俺の声が重なった。

「久しぶりだな、コンジェニチームの若き諸君」

そう、以前関西医療センター名物ゲートキーパー氏の血縁であった患者を手術したときに大いに関与したセンター最高責任者の林総長であった。

「まったく、いつもこのチームには騒ぎがつきものだな」

皮肉な口調を取りつつも総長自身も軽く興奮しているように見えたのは俺だけだろうか。

「しかし、最高のチームですよ」

もう1人の男が大柄なドクターKの影から現れて微笑んだ。

「あ、村中先生」

「出張から帰ってこられたんですか」

荏原医師と小川女史が口々に叫んだ。

「ま、実は出張先がこのiPS細胞による心血管臓器を作成する会というワーキンググループへの参加だったからねえ。ハイリスクジャテンのあとのCPRという情報を聞いて、ドクターKと西本先生と総長とすぐに連絡を取ってこちらにとんぼ返りしてきたというわけだ」

聞きなれた低音バスの声音が心地よくオペ室に響いた。

「ふむ。これで役者はそろったか。サワシタ、ハタナカ、柳、権田。関西医療センターコンジェニチームの正念場だ」

いつになく真剣味の増した石神の横顔がニヤリと笑った。

「このオペに俺たちの、いや関西医療センターの将来がかかっている」

オペ室内が静まり返った。とてつもないプレッシャー。

「この場のチーム一人一人の働きが少しでも妥協したら即アウトだ。そして何よりもこの小さな患児の命がかかっている」

 静かに石神はマスクの影から辺りを見回した。それぞれのスタッフがそれぞれの持ち場で息を飲んで石神を見つめている。誰も微動だにしない。

 そして石神の引き締めたであろう口元の右の口角ががマスク越しに微かに吊り上がったのが見えた。

「――だが、この緊張感がなんとも、心地いい」

 西本廣文も無言で頷いた。

 麻酔科の仲田医師、吉田J医師。経食道エコーを持った小川女史とその隣の荏原医師。見守るICUのオオガ医師と吉田T医師。そして村中医師とドクターK、林総長。

「いつでもいけまっせ」

人工心肺前に座するヒゲおやじが掛け声をかける。

「こちらもOKです」

直介の國生さんの凛とした声が響いた。

「よし、iPSグラフトLADバイパス手術開始します」

荘厳に両手を左右に掲げた石神のコールの下本日2回目の手術が開始した。


                *


「――ここで、会場のみなさんに報告したい一例がございます」

少し騒めく会場がこの一言で静まり返った。

「ここまで他科の臨床スタディの報告を重ねて参りましたが、ここ数年の日本、ドイツ、アメリカとの提携から長年の基礎研究を踏まえて、先日ついに我がコンジェニ分野においても臨床応用への第一歩を踏み出しました」

再度会場がどよめき始めた。そう、念願の臨床応用。iPS細胞の。最後の難関と言われた小児対象、臓器は心臓。いわゆる小児心臓『コンジェニ』分野においてだ。

「過日、新生児ジャテン手術を見せていただきました。手術手技は素晴らしかった――」

ここで壇上の演者は一度言葉を切り、目を瞑った。

会場が固唾を飲んで次の言葉を待っている――。

「術前より低形成コロナリーと半月弁逆流を有しており、術前からそのリスクを危惧されていたが状態を考えるとオペに踏み切るしかなかった患児でした」

ふむふむと、聴衆は脳裏にTGAの病態を描きながら聞いている。

「ルコン・パシフィコ変法を駆使して行われたジャテンは非の打ち所がなかった。しかし、術中にレフトコロナリーの壁内走行がわかった。それを加味しての吻合だったのだが…」

名だたる日本中の小児心臓外科医たちが前のめりになって話にくらいついていた。

「ICUに帰室後、アレストとなった。コロナリーのキンクであろう。すぐさまオペ室に取って返したが、残る手技はトランスロケーションしたばかりのhypo plasticなコロナリーへのバイパスしかない。果たしてフィーディングアーテリーは?」

もしや、ここで? 一様に会場の面々が次の言葉を期待するのがわかった。

「そう、残された唯一の道は――世界初のiPS congenital coronary artery bypass grafting: IC-CABGだったのです」

『うぉぉお~‼』

西本廣文の声の最後は会場のどよめきで最早聞き取れなかった。

聞いていた俺たちもあまりの会場の反応に呆然として周りを見渡すしかなかった。

「――そう、ここまで、ここまで期待されていたiPSグラフトです」

ひとしきり会場が落ち着いた頃をみはからって西本が言葉を継いだ。

記念すべき第20回世界iPS細胞臨床臓器学会での発表だった。詳細に研究成果をワーキンググループの立ち上げから、細胞培養、臓器培養、そして動物実験を経て倫理委員会の承諾の下先日移植したジャテン手術後の冠動脈の手術まで、西本の冷静な話が続いた。会場は固唾を飲んで聞いている。

「おい、もう行くか――」

隣に座る石神に肩を叩かれた。

「とりあえずは、顛末を見届けたことだし」

 静かに石神が立ち上がり、それに続いて俺と柳と権田が続いた。権田の隣に座る村中医師と小川女史の小児循環器コンビは変わらぬ姿勢で話を聞いている。最後まで聞く様子だ。

「おい、権田。お前でかいからもっと屈んで歩かないと会場から叱られるぜ」

出口方向へ向かって立ち上がった順番と逆に、権田を先頭に聴衆でひしめき合う座席通路を歩きながら、柳が意外にも細やかな配慮をみせ、小声で囁いた。

その瞬間、俺たち4人の周囲に光が降り注いだ。

「え、な、なに!?」

「うわっつ」

「急にとまるなっ」

慌てふためく権田がかがんで進んでいた姿勢から急に立ち止まり、体を起して止まったため、後ろに続く柳と俺と見事にそれぞれの背中に激突した。

「おっと」

俺の後ろの石神は上手く激突をかわしたようだ。このあたりはさすがに反射神経がものをいうのか。

「きゃっー」

同時に俺の後ろで黄色い叫び声が聞こえたため俺たち3人が振り返ると、石神が立ち止まった通路に面する座席に腰掛けているのが見えた。その座席には若い女性が座っており、その膝の上に石神が座っている状況――。

「いや、これは失礼」

詫びる言葉と裏腹に、石神の立ち上がろうとする動作はやけにゆっくりしている。女性の黒いタイトスカートからきれいにそろえて伸ばした脚の大腿部分に手を添えて、立ち上がろうと試みているようだが、あきらかにその手触りを楽しんでいるかのような――。。。

「お嬢さん、失礼しました。このボンクラどもが急に立ち止まるので、いかに反射神経のいい私でもこのようにかわすのがせいいっぱいでした」

何か口をあけて言おうとする女性の眼前に人刺し指を立ててけん制し、

「しかし、貴女のすばらしいお膝で周囲の人に迷惑をかけることなく、はたまた私も怪我をすることなく事なきを得ました。申し遅れました、わたくしは石神遼一、関西医療センターが誇る小児心臓血管外科部門のトップサージョンです。仕事上、子供の心臓を手術するという繊細な技術を必要としますため、常日頃から些細な怪我や事故に遭わないように留意しているのですが。とにかく私が怪我をすると、関西一円の心臓手術を待っている未来ある子供たちが非常に困るわけです。それを、あなたの美しい脚が、素晴らしいクッションとなり救ってくださった。いや、これは実に奇跡だ。運命の出会いと言ってもいいかもしれない。このすらりと伸びた美脚をソフトな黒タイツで包んでいる、この心地よさと魅せる美を兼ね備えたファッション。そして私を救ってくれたという事実。実に、実にすばらしい。ぜひとも公式に(いや私的にでも)お礼を差し上げたいところですが。失礼ですがどちらかの医療関係の方でいらっしゃいますか」

――まだ右手を女性のその黒タイツに包まれた『美脚』大腿上においたまま、マジシャンのように左手でスーツの内ポケットから名刺を取出し女性の空いた手に握らせる早技は、もはや心臓手術の技術を超越したといって過言ではなかった。女性の両隣に座する中年女性と中年男性は、まさしく口をポカンとあけてその光景を見ていた。

「え、あっと――」

一気にまくし立てられた口上に圧倒された女性は反射的に自己紹介を始めていた。

「あ、あの、関西医療センター分院でクラークをしております、ミヤモトカナエと申します…。そのような高名な先生とは知らず、えっと――」

挨拶はなるほど事務職の本能であろう、ソツなく口から出たものの、視線は自分の脚に長らく置かれた石神の手に集中し(当然であろう、はっきり言ってこのような状況でなければ?ただのチカンというのが正しいと思われる)、セリフの最後は歯切れ悪く途切れている。

「おっと、これは重ねがさね失礼しました」

ようやく、というか不承不承というか、石神は女性の上から立ち上がった。最後に膝をひと撫でしたのを俺と柳は見逃さず、目を剥いて確認したが。

「あなたの脚があまりにも素晴らしいので私の、超感覚をもった掌が思わず長居をしてしまったようです。一流は一流を知る。まさしく私の手とあなたの脚の触れ合いを――」

ここで、再度我々の周囲が明るくなった。会場のスポットライトが2度目のフォーカスを狙ったようだ。一体誰の指示か――。


「そこまでだな、石神君。会場のみなさん、少し茶番がありましたが、おっと茶番として片付けるにはあまりにも美しい女性のおみ脚ですな。いや、失礼」

コホン、とわざとらしい咳払いをしてアナウンスをしたのは誰であろう、壇上の西本廣文であった。彼が、目ざとく会場を後にしようとした我々を見つけてスポットライト照射を要請したらしい。

「――と、今までお話しした日本、いや世界第一例のiPSグラフト移植コンジェニ手術チームが彼らなのです」

 我々が石神の流れるような女性接待術(平たく言えばナンパ)を目の当たりにしている間にも西本先生の話は続いており、臨床チームの紹介と相成ったらしい。しかし、スポットライトの中で女性を口説こうとする姿勢が会場の目をくぎ付けにしたのは言うまでもなく、西本の発表内容に対するざわめきとまた異なった空気が微妙に広いホールを支配していた。しかし――。

「ご紹介にあずかりました、関西医療センター 小児心臓血管外科部門チーフの石神です」

スラリと立ち上がった石神はどこ吹く風とスーツの裾を直し、スポットライトに対して45度の角度で斜めにポジションをとって挨拶を始めた。その角度がもっとも見栄えがいいということを知りつくしている。眼鏡の銀縁フレームがキラリと光り、スマートさを演出する。

「そして、彼らがチームの一員です」

床に這いつくばったままの俺たちを非情にも石神が返した掌で紹介したが、はっきり言って様になっていないのは重々承知で、会場からも失笑が漏れた。

「そして、彼女が今、関西の至宝とも言えるわたくしの繊細な技術を紡ぎだす手指を救ってくれた女性です。ミヤモトカナエさんです」

 唖然とする俺たちをしり目に、名前を紹介してもらえなかった床上の3人をさておいて、今しがた知り合った?ばかりの若き女性の手を握り、ふわりと自分の横に立たせた我らが部長の真意はいかに!?


「我々は、今、西本先生が発表されたような困難な先天性心疾患の治療に昼夜を問わず全力で取り組んでいます。今回は時代の最先端をいくiPS細胞を用いた手術を行い、幸い素晴らしい予後を得ました。これは常日頃から真摯に医療に立ち向かう姿勢の賜物だと考えております。日常生活においても、常に治療のことを考え、またその技術や道具に妥協を許さない姿勢が実を結んだと心得ています。今も、わたしは日ごろの疲労の蓄積のためでしょうか、足元がふらつき、この通路で転倒しかけたわけですが、なによりも一番に考えたのはこの私の指、そう、何物にも替えがたい心臓手術を造りだす最高の道具である、この指を守ることでした。そう、大げさに聞こえるかもしれません。しかし、もし今私が指に損傷を負った場合、この関西に在住する、またこれから出生してくるであろう、数百人の子供たちの治療が遅れる、閉ざされるわけです。いや、彼らには未来がある。この転倒しようとする瞬間に私の脳裏を走馬灯のようによぎったのは、子供たちの笑顔でした。彼らのためにこの指を守らなければならない、怪我をしてはならない――」

 会場が固唾をのんで聞き入っていた。変わらず通路状に座り込んだ我々もまた。おっと、目の端に捉えた壇上の西本先生も目を静かに閉じてゆっくりと前後に頭をゆらしてうなずいている。壇上のライトが西本先生の無毛の頭皮を見事に反射しているが…。

「――その倒れる私の目の前に、現れたのが、彼女の脚でした!そう、まさに女神の微笑みいや女神の美脚!キュートな黒いタイトスカートからスラリと伸びた、これまたやさしい素材かつ漆黒の深みを醸し出すタイツに包まれ、きれいにそろえられた大腿。視線を上に向けると清楚な白いブラウスの彼女の微笑みが私を捉えました。そう、私の指を、子供たちの未来を守ってくれるのは彼女の脚しかない――。まるでスローモーションのように彼女と私の間の何かがつながり、そして私はゆっくりと天使の膝上に倒れこみました。なんというソフト肌触り、若さの醸し出す弾力。ああ、黒タイツは大好きなんです――」

 ん、雲行きが怪しくなってきた。本音が出てきたか。俺は振り返り柳と目が合った。柳も少しうなずいた。

(化けの皮が剥がれるで…)

自分でも気がついたのか石神の口調のギアが変わる。

「――ともかく、私は救われました。子供たちの未来もまた。あまりの感動に私は思わず彼女の大腿の上に長居をしてしまいました。しかしこれはあふれんばかりの感謝のしるしです。純真無垢な子供たちの目の輝きが、彼女に、彼女の脚に大いに感謝しております。いや、いくら感謝してもし足りない。その気持ちが私の指先から、彼女の黒タイツをまとった美脚に伝わったと考えております。さあ、もう一度会場の皆さま、彼女の素敵な脚に、いや彼女と私の運命的なかいごうに拍手をお願いします――」

 会場は最早割れんばかりの大喝采であった。文字通りのスタンディングオベーション。

 本来の主役である舞台の西本先生も、なぜかしらハンカチで目頭をぬぐいながら惜しみなく拍手を送っている。

――すごい、本当にこの人はすごい。改めて思った。コンジェニ手術のテクニックはもとより、この会場を巻き込む圧倒的なパワーは尊敬に値する。しかも自分の欲望を正当化してそれが違和感なく人々の心に感動を与えている。柳もこれ以上というほどがないほど、唖然としている。

 今やミヤモトカナエ嬢の両脇に座する中年男女も、そして床に座り込んだ権田も、顔を赤くするほど力いっぱい拍手をしていた。


 そして、壇上の西本先生が動いた。おもむろに右手を上げ、1階から3階まで満席のホールをゆっくりと見回した。少しずつ、拍手が鳴りやんでいき、再び静寂が会場に訪れた。

「みなさん、これが、真の医療の姿です。ここに真実があります。iPS細胞が未来を変える――、確かにその通りです。しかしそれを有効に用いるためには医療者の真摯な態度、医学に対する熱い想いが不可欠です。今、私は石神君の姿にそのマインドを感じました。とてつもなく熱いエネルギーを。さあ…」

 俺は目を剥いた。西本先生が右手を差し出した舞台の先には、石神が、いた。

(い、いつの間に!?)

そして関西コンジェニ界のレジェンド西本先生と石神はがっしりと握手をした。

「さあ」

今度は石神が自分の後ろを振り返り舞台そでに左手を差し出した。

(な、なにい――!?)

 俺は三度目を剥いた。柳も裂けんばかりに眼と口をあけている。

石神が手を差し伸ばした先には、かのミヤモトカナエ嬢がいた。おそるおそるといった感で舞台中央に歩み出てくる。それを見守るレジェンドの二人(最早、石神もある意味レジェンドと呼んで差し支えないであろう…)。

 間にミヤモトカナエ嬢を挟んだ2人は左右の手で彼女と手を繋ぎ両手を頭上に差し上げた。目を白黒させたミヤモト嬢にお構いなく、二人のレジェンドは叫んだ。

「医学の未来に! ありがとう! ありがとう!」

会場は興奮のるつぼと化した。繰り返し繋いだ手を差し上げる3人を、会場を揺らすほどの拍手と歓声が包む。


「―― ある意味、さすがね。。。」

 呆れた声を出した小川女子と思わず目が合った。

「やれやれ、だね」

俺もつぶやいて、二人で苦笑する。小川女子の隣では、ビッグウェーブにやられた村中医師が滂沱の涙を流しながら、拍手を送っていた。

「行こ、ハタナカくん」

クールな中に可憐なトーンをにじませ、立ち上がった小川女子が俺の手を引っ張った。

「あ、ああ」

 突然の触れ合いにドギマギする間もなく、引っ張られるままに俺たち2人は通路を歩きだした。万雷の拍手とスタンディングオベーションの中――。



 

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