ソロ冒険に往く理由【KAC20219】

amanatz

ソロ冒険に往く理由


一人、山を往く。



なだらかなハイキングコースを歩くときは、緑に囲まれた自然の美しさを、ゆっくりと堪能する。

ゴツゴツと険しい峰を乗り越えていくときは、全身を使い、むき出しの危険に身を晒すことで、自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じられる。

頂上を制覇したときの、世界を見下ろす達成感、征服感もまた、他ではなかなか得難い経験だ。



山を往く間は決まって、自分自身が自分自身から解放されていくような、不思議な気分になる。高揚感に近く、かつ透徹してもいる。集中しているとも言えるし、リラックスしているとも言える。

ただ歩いているだけで、余計な意識が内へ内へと引っ込んでいくのも、大きいのだろう。俗世のこと、嫌なこともすべて忘れていられる。何にも代えられない、一人だけの愛おしい時間。



時には、あえて決まったコースを逸れ、谷筋に分け入ってみる。

もちろん、危険だ。全神経を集中させて、足元をはじめ、周囲に気を配る。少しずつ、少しずつ、未開の地を分け入って進んでいく。これはもはや、『冒険』と呼んだほうが良いだろう。

褒められた行為ではないかもしれないが、この『冒険行為』こそが、今の自分の存在意義であるとさえ思える。そんな、かけがえのない、とても大事な時間なのだった。



しかし、山に登ったなら、いつかは山を下りなくてはならない。

下界の現実に、身を戻さなければならない。

とても憂鬱で、下っていくのに足は重くなる一方だが、仕方がない。



市街地に戻ってきた。

辺りはすっかり夜の闇の中で、静寂に包まれている。

人工的な街並みが静かなのは、山の夜の静けさとはまるで異なる不気味さがある。無機質で、違和感に満ちた沈黙だ。



街灯もひとつもついていない、誰一人歩いていない、真っ暗な街。

一人、ただ歩く。自分以外には動くもののない、途方もない孤独感に襲われながら。

これだから、下界は嫌なんだ。

容赦なく、冷酷な現実の状況を突き付けてくるから。



この街にも、生き残りはいないらしい。



諦めのため息をつく。

もはや、何ヵ月も、ちゃんとした人間には会っていない。

絶望的だということなのはわかっている。仕方ない、受け入れるしかない。でも、やはり、気分はしんどい。ただ生命の気配の消えた街に一人でいると、だんだん頭がおかしくなってしまう。

さっさと物資を補給して、早く山へ戻ろう。



と。

少し先で、何かが何かにぶつかるような音がした。

小さな音でも、無音の市街地には野犬の遠吠えのように響き渡る。



聞こえたほうへ駆け出してみる。点灯しない信号機の角を曲がると、果たしてそこには人間がいた。

……しかし、うつろな足取りで、汚れきった衣服で、うぅでもあぁでもない唸り声をあげていて、その頭部は原形を留めていなかったが。



やっぱりか。

生き残りじゃなくて、死に残りだ。



「ごめんな。成仏させてやりたいんだが、今はあいにく持ち合わせがないんだ」



相手は聞いているわけがないので、完全に独り言だ。それでも、呟かずにはいられなかった。

せめてもの対応をしておかなければ。

「死に残り」に近付く。ホラー映画とは違って、別に襲ってくることはない。触るのはよくないが。

ぎりぎり無事な首もとを見る。そこには、数字の羅列が記載されていた。



「『0020219』、と」



わりと若い番号だ。おそらく、だいぶ初期からこの街に住んでいたんだろう。愛着があったからこそ、逃げ遅れてしまったのかもしれない。いたたまれない。



「『呼び出し』、メモ」



何もできない、何もしてやれない歯がゆさと不甲斐なさに腹をたてながら、中空にメニュー画面を開く。



「感染者確認。時刻、座標は現時点。番号は……」





この仮想空間に、ウイルスが侵入してから、もう半年が経過しようとしている。

すでに住人たちは、別サーバに避難した。残っているのは、感染し頭部がバグってしまったために離脱手続きが行えない「感染者」アカウントと、自分のような運営アカウントだけだ。



そして、ユーザーアカウントの強制書き換えを行う権限は、今の自分は持ち合わせていない。データベースの主要部にもログインできないから、フリースペースに哀れな感染者の情報を書き留めておくだけしか、できないのだった。



あまりにも無力で、嫌になる。



早く山に戻りたい。一刻も早く。

こんな、どうにもならない状況の下界に、どうにもならない状態の自分がいても、仕方がない。感染者に遭遇するのも、まっぴらだ。



とっとと準備を整えて、山に戻ろう。あの山に。

半年前、登山中にどこかでうっかり管理者権限カードを落としてしまった、あの山に。

定期アップデートができなかったからセキュリティホールが発生してウイルスを呼び込んでしまい、その後感染が拡大しても、個別対応もロールバックも、碌々対応ができなかった、すべての原因となった、あの山に。



早く、見つけないと。

道沿いか、もしかしたら谷底か。

多少の危険は顧みず、冒険してでも、見つけ出さなければならない。それだけが、今の自分の存在意義なのだから。

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