火星の掃除屋のソロデビュー

久里 琳

火星の掃除屋のソロデビュー

 今日も地上は嵐だ。

 いつもはリカルドと一緒なのが今回はじめて一人で仕事をするのだから、もっと注意しなければならなかった――と言われればその通りだ。


 リカルドとは三日前に喧嘩したまま、一言も口をきいていない。

 おかげで今日の仕事も注文オーダーを勝手にとって奴には相談しないまま出てきてしまった。あとで聞いたら怒るかもしれないが、まあいい。そろそろおれも奴の助けなしに仕事してもいい頃。さあ、ソロデビューだ。


 と、意気込んで地上に出てからもう十時間ほどになるだろうか。太陽は地平線の彼方に沈みかけている。

 おれはパイプラインの脇で無数の義手にいましめられて、身動きできないでいた。



  ***



 一瞬の油断だった。


「お前にはまだ一人仕事は無理だ。しくじったら命を落とすこともあるんだからな、軽く考えるんじゃねえぞ」


 リカルドの言葉が勝手に頭に流れてくる。

 忌々いまいましいと感じるのは、今回の事故で奴の言葉が正しいと証してしまったのと、それを覆せなかった自身を不甲斐なく思うためだ。



 見上げた空にはおぼろ月が揺れている。火星の地表を吹き過ぎる嵐はまだ収まる気配がない。視界が晴れたら解決の道筋が見つかるかもなどと根拠のない期待を抱きながら、とりあえずおれは体と足とに絡まる義手の残骸をふりほどこうとさっきから苦闘している。

 義手の元の持ち主は目と鼻の先で腹を上に向けて、まだ白い煙を上げていた。軟体動物の交尾みたいな無言の揉み合いの末に動力を落としてやったのでもう動かないと頭ではわかっていても、やはり目の端で捉えていないと落ち着かない。



 人間が生身で暮らせない火星の地上では、地表を縦横に走るパイプラインの修繕も機械頼りだ。目的により様々な形と機能を持った珍妙な合成獣キマイラみたいな自働修繕機たちが人知れず年中無休で働いている。

 彼らは調子が悪くなれば自分で判断して勝手に基地ベースに戻ってくるのだが、たまに故障に気づかない間抜けな者も出てくる。あるいは、動けなくなって立ち往生する者。

 そんなときにはおれたちの出番だ。

 普段は人間の立ち入らない荒れ野に踏み込んで、壊れた自働機ロボットたちを回収する。ときどきは彼らが落としていった破片なんかも回収してやる。おれたちはゴミ収集屋、火星の地表の掃除屋だ。




「まずは非常停止プログラムを走らせろ。できなけりゃ主電源を切るか、なんなら物理的にぶっ壊してもいい。横着して、起動させたまま回収しようなんて考えるなよ」


 事故を防ぐための心得を教わったなかでも最も基本となる注意がいまさら思い出される。

 そう言うリカルド自身がしばしば起動したままの自働機たちをトラックに回収していたのだったが。ときに人間の数倍の重量にもなる自働機は普通に運ぶと大仕事だ。相手が従順な機械であれば、自分で歩いて荷台に乗れと命じた方が楽だし早い。



 その方法で、順調に仕事は進んでいたのだ。最後の一機を見つけたところまでは。

 故障して回収待ちとなっている自働機を順々に回収して、指定された機数まであと一つというところで、パイプラインのすぐ横で異常行動をとる自働機を見つけた。理性を失ったように無意味な動きを繰り返すそいつに近づくと案の定、識別灯が黄色に光っている――回収待ちの印だ。

 トラックの荷台を開けて、そこに収まるよう指示した。自働機は人間の指示に逆らえない。これで今日の仕事は終わるはずだった。




「たまにプログラムの狂った自働機が紛れ込んでるんだ。お前にはまだ見分けがつかないだろ」


 リカルドの言葉を、おれは素直に受け取ることができなかった。

 傷害事件で少年鑑別所に放り込まれたおれを拾ってくれたことには感謝しているが、だからって先輩づらされては堪らない。十五歳まで同じ施設に育って、泣き虫でいじめられることの多かったリカルドを守ってやっていたのはこのおれだ。


 おれにだってできるさ。もうお前の手助けは要らない。声に出さずそう言って、最後の一機が荷台に上がるのに手を貸そうとしたとき――何をとち狂ったのかそいつは、おれに向けて一斉に義手を吐き出した。

 まずいことにその自働機は、対メタンガス泥棒用の戦闘タイプだった。


 なんとかそいつを退しりぞけ動きを停めることはできたものの、無数の義手におれの体は絡め捕られて、運転席に戻るどころか、立ち上がることさえできなくなってしまっていた。

 義手を剥がそうとしばらく格闘して何の成果も得られなかったおれは、あきらめて救難信号を発信した。地下都市からここまで三時間程度。問題は、背中の酸素ボンベがそれまでもつかどうかだ。


 最後の一機を積んでからボンベを交換しようと考えていたおかげで、いま身に着けているボンベは酸素が残り少ない。まっさらのボンベが助手席のシートに見えているものの、そこまで辿り着けないのだから仕方がない。おれにできるのは、酸素の消費を最小限に抑えることぐらいだ。

 酸素が尽きるのと救援が到着するのと、どちらが先かは五分五分というところ。



  ***



 草ひとつ生えていない地面に転がって四方を見まわした。

 見渡す限り生命の痕跡のない荒野を、パイプラインが走っている。地の底から響くような低音で、パイプの中を水やガスが流れているのがわかる。パイプラインに群がる無数の自働機たち。

 黒い潤滑油の汗を滲ませた自働機たちが黙々と働いているのは、昼に見るのも好きではないが、夜見ると一段と陰惨としている。淡い月が照らすパイプラインの迷路に黒い影が跋扈するさまはまるで、永劫の罰に服する地獄の囚人のようだ。


 いつの間にか空の月は二つに増えて、その中間に星がひとつ、蒼く光っていた。あの星へ行きたいんだとリカルドは言った。夢みたいなこと言ってんじゃねえよとおれは返した。三日前のことだ。


 あの星に人が住んでいることを不思議には思わなかった。だが人類が住んでいないと知ったのは、小学校に上がってからだ。

 なぜと訊いたら先生は、人が生きていける星はあの地球しかないのだと、目を伏せて言った。火星も本来は人の踏み込む場所ではない、と彼女が言いたかったのだとは長らく気づかなかった。おれが卒業する前に彼女は学校から消えた。クビになったのだとも、地球へ密入国しようとして捕まったのだとも噂されたが、本当のところ何があったのかおれは知らない。



 地球から火星へやってくる物好きはそういない。火星から地球へ行くのはもっと困難だ。年に二便しかない連絡船の予約は、三年先までキャンセル待ちで埋まっている。


 地球の大学を卒業したばかりのアリスがその連絡船から降り立った日を、おれは呪った。夜空を見上げて憧れるだけだった遠く蒼い星は、アリスのおかげで急に現実味を帯びて、純真なリカルドはすっかりのぼせ上ってしまった。

 奴が恋したのがアリスだったのか、それとも地球だったのかはおれにはわからない。




 はるか遠くの地平を巨大なつむじ風が舞っている。あの辺りで稼働している自働機の幾つかは使えなくなって、回収を待つ身になるだろう。人間だったら即死だ。

 こんな呪われた世界で長生きしようとは思わないが、それでもやっぱり生きている限りは死にたくないっていうのが人間らしい。それにおれには、今は生きなきゃならない理由がある。


 本当はリカルドにひどい言葉を浴びせるつもりはなかった。おれを置いて地球に行くなんて言うのが受け容れらなくて、どう返していいかわからなかっただけだ。もう一度チャンスが与えられたならおれは奴に、がんばれよと言ってやれる。応援してるぜ、おれのことは心配するな、と背中を押してやれる。ひとりでだって掃除屋はやっていけるさ、ほら、ソロデビューだって済ませた、大丈夫だったろ。


 だから何としても、この仕事を果たして、無事に還らなければならなかった。つまらない事故で奴の後ろ髪を引いている場合じゃない。

 ……そろそろ考えるのも休んだ方がいいだろう。酸素は大事にしなければ。


 静かになったと思ったらいつの間にか嵐がいで、空が晴れていた。頭上に無数の星がまたたいている。今朝までは憎かった蒼い星を、今はもう憎いと思わなかった。奴をやさしく迎えてやってくれ。

 無口な自働機たちはおれを無視して、ずっと熱心にパイプラインの保守にいそしんでいる。おれもリカルドも、こいつらに負けないぐらい働き者だった。昔は泣き虫だったくせに、ずいぶんたくましく育ったもんだ。もう地球でいじめられたりなんてこともないだろう。



 つぎ奴に会えたら、お別れだって言ってやる。とっとと地球へ行ってしまえってな。

 おれたちふたりで語らった夢は撤回だ。地表の掃除屋を独占して、大儲けして、いずれ地表に人間の暮らせる町を作ってやろうって夢。そんな夢、はじめからおれも奴も実現できるとは思っていなかった。それでもおれたちは夢を見ずにはいられなかった。そうでなければ、地下都市でしかまともに呼吸いきもできないこの星で孤児に生まれて、死ぬまで暮らすなんて堪えられなかった。

 酸素が薄くなってきた。瞼の裏に奴の姿が浮かぶ。施設にいた頃の姿だ。だが泣き虫だった奴の隣にはおれではなく、アリスがいる。それでいいんだ。

 早く奴に、地球の査証ビザを手に入れてやらなきゃな。地球生まれのアリスは、火星で長く生きられるほどタフじゃない。




(了)

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