ウソも方便

妻高 あきひと

金魚が鯛に

 朝陽を浴びて遠くの田んぼを走るキツネの毛が光った。

山すそにある金魚寺にも朝がきた。

和尚の宴鬼はこの寺にきて十年になる。

前任の僧は借金をつくり、寺の阿弥陀仏まで質に入れたあげく夜逃げした。


宴鬼は先年女房を悪性の風邪で亡くし、今は独り者だ。

寺には他に黙念という小僧が一人いるだけだ。

黙然は二年前にここに来た。


 宴鬼と黙然の二人で切り回しできる程度だから寺は大きくはない。

本堂の横手が庫裏、反対側の横手には黙然が住む小屋がある。

小屋といっても小さな通夜や集まりができる広間があり、厠もある。

本堂の裏手は墓地になっている。

檀家はそこそこだが、武家はなく、町人と百姓だけだ。


先代の坊主のせいで一時は廃寺かとなったが、本山が宴鬼を送り込んできて何とか廃寺は免れた。

なので宴鬼は好きなようにやっている。


 黙念が白い息を吐きながら境内を箒で掃いていると、町医者の赤毛がやってきた。

赤毛は別名で本名は田所だが、数年前に金を儲けるために新しい薬をつくり、試しに自分で何度か飲んでいるうちに髪が赤くなった。

すぐに飲むのはやめたが赤毛は元に戻らず、今では”赤毛さん”と呼ばれている。


「おはよう、和尚はおるかい」

「おはようございます。本堂でお勤めをしております」

手に風呂敷包みを提げている。

赤毛は本堂に入っていった。


しばらくすると宴鬼が顔を出し、黙念にいった。

「茶と湯呑みを三つ持ってきておくれ」

黙念が持っていくと二人は机をはさんで何やら手に持ちながら話し込んでいる。

広げた風呂敷には枯草が置かれ、そばには小さな紙袋や本が置いてある。


宴鬼が赤毛にいう。

「おかしなものを使ってはおるまいの。お前さんのその赤毛もそのせいじゃったからの、あれは自分じゃからえかったが、もしも侍じゃってみい、とっくに首が無くなっておるぞ。

ましてやうちの寺の名を使うとなれば、こちらもより慎重にならざるを得ん。

本当に大丈夫なのか、自分で試したのか」


赤毛がいう。

「ああ、大丈夫じゃよ、今度はいける。近所の者にも試した。評判はいい。ちょうどえかった黙念よ、これを茶と一緒に飲んでみい」

「いきなり飲めとおっしゃられましても、それは何ですか」

「わしが五年かかってやっとつくった腹薬じゃ。下痢、腹痛、便秘、とにかく腹が尋常でないとき飲めば必ず効く。


これはの黙念よ、お前の先行きにも大きな光りを与えてくれる薬じゃぞ。これで儲けて寺が大きくなれば檀家も増えるし、寺にも人手がいってお前は偉くもなれるし、本山とは別に金魚寺そのものが末寺をもてるようになるやもしれん。

そうなればお前も僧正にもなれる。まあ、良いから飲んでみい」


黙然が不安そうに宴鬼を見ていった。

「飲んだらどうなりましょ」

宴鬼がいった。

「死にはせんじゃろう。飲んでみよ。髪が赤くなってもお前は坊主じゃからどうということもなかろう」

黙然は黙ってしまった。


赤毛がいう。

「わしの赤毛のこともあるし気にはなろうが、まあ飲んでみい、元はみな薬草じゃ、この前と違っておかしなものは入っておらんで」

「しかし赤毛の元も薬草を集めて煎じたものでしょう。今は坊主頭でも髪が伸びれば赤くなります。和尚様わたしはイヤです」


赤毛がいう。

「今度はあれとは違うというておろうが、赤くはならん」

「なら今度は青くなるんかの、青髪ならよいではないか、死んだら弔ってやるで飲んでみい」

宴鬼は面白半分らしい。


黙然は仕方ないので飲んでみた。

少し苦いが別になんともない。

赤毛がいう。

「特段何もなかろう。元々は薬草じゃからの、それをあれこれ混ぜ、秘中の秘であるものが入れてある。混ぜ方と最後に混ぜるものがミゾじゃ。腹の様子がおかしくなれば、何にでも効く」


「これをどうされるのですか」

宴鬼がいう。

「これをの、我が寺の古来よりの秘薬であると謳っての、売り出すのじゃ。何もなしに売り出しても売れぬ。なのでわが寺の名を借りようということじゃ。わしが言うのもなんじゃが、今の金魚寺は大したことはないが、歴史は長い。元をたどればゆうに千年は超える。寺も昔からここにあったわけではない。そもそもは、この向こうの山の中深く分け入った森の中にあったのが、三百年前に世の衆生を救わんとお釈迦様のご意向を受けてここに出てきた」


黙然はいう。

「そんなお話し、初めて聞きました。びっくりしました」


宴鬼がなおも続ける。

「金魚寺という人を食うた名も元々は釈尊宝顔山金翔善寺というのが本来の名じゃ。

金魚寺というのは、ずいぶん前の住職がお釈迦様は金魚がお好きだというて名付けたものじゃ」


黙念が訊く。

「お釈迦様は金魚がお好きだったのですか」

宴鬼と赤毛は顔を見合わせ笑いながら答えた。

「そういうことは深く聞くではない」


赤毛もいう。

「黙念も一層精進し、務めねばならんの。さもなくば仏罰が当たるぞよ」

黙然は姿勢をただし”はいっ”といい、こう尋ねた。

「ではこれからこのお薬をお売りになるのでしょうか」


宴鬼がいう。

「ああ、じゃが勝手にはできぬ。檀家の者の意見を聞く集まりを開く。問題にはなるまい。何しろ薬を売るのじゃ、売れれば銭になるし、我が寺にも相応のものが入る。さすれば寺も潤い、大きくも新しくもでき、それはそのまま檀家にとっても良きことじゃ。

名も広まれば参拝客も檀家も増え、辺りの商家も百姓も商いが増える」


「そのようなことに」

黙然は思い出した。

そういえば以前から宴鬼は赤毛とよく話し込み、赤毛が近在の山や谷、沢や野原を歩きながら草を集めていたのを思い出した。

(やっぱり大人は違う)と黙然は思った。


宴鬼がいう。

「での、黙念が寝泊まりしている小屋で薬の煮込みや調合、袋詰めをやる。なのですまんがの、薬の売れ具合がわかるまで本堂の後ろの物置で暮らしてはくれんか」

「構いません、置いてあるものは仏具や法具、座布団ですし、窓もあるし、障子を開ければ縁側ですし、厠も遠くはありませんから」


「すまんの。では薬はうちでつくろう。人手はいくらでもあるでの。すぐに総代と主な者を集めて相談しよう。もっともそれとなく言うておるでの、寺に良きことは檀家にも良きことじゃし、扱うものが薬じゃでこれほどええ物はない。おそらく反対はないと思う。根回しはすんでおるでの」


赤毛がいう。

「売るのは町の小物屋の康安堂に取りあえず売らせる。行商人なら何人も知っておるでの。それと薬の名前がまだないで、総会までに決めとかなきゃならん」

宴鬼がいう。

「ああ、一応考えておるで」

黙念が尋ねた。

「何という名でございますか」


「ソロリン」

「‥・・・  」

「そろりん・・」

「平仮名ではない、片仮名で書く、ソロリン!」


赤毛がいう。

「ええじゃないか、ソロリンか、なんとなく半端な気がせんでもないが、ええ名のような気もする。黙念どう思う」

「よくわかりません」

「それは慣れておらぬからじゃ、慣れればこれで良かったと思うようになる」


赤毛が訊く。

「で、ソロリンとは、どういう意味じゃ」

宴鬼は天井を見上げてしばし沈黙していった。

「意味は・・無い。思いつきじゃ、考えておく」


赤毛と黙然は黙った。

でも、さほど悪い名前でもないと思っているようだ。

「いずれにせよ善は急げじゃ、明後日総会を開く予定でいく。二人ともそのつもりで支度してくれ」

事の起こりは赤毛だが、この大事業の主役は宴鬼様らしいと黙念は思った。


 二日後、総会が始まった。

酒と肴も用意された。

反対はなかった。

問題は売れるか売れないかだけで、売れれば寺にも檀家にも良い話しで、寺の名も上がる。


名前も概ね良い反応だった。

「お釈迦様の腹薬ソロリンか、なになに丸などと薬らしい名前では人の胸にも響くまい。よいではないか。しかしソロリンとはどういう意味か」

といったのは寺子屋、算盤塾をやっている浪人上がりの多々良木新左衛門だ。


宴鬼が答えた。

「薬師如来様がつぶやかれる声を夢で聞いた」

全員が一瞬黙った。

すると多々良木が大笑いしながらいった。

「それでよい、薬師如来様のつぶやき、これに勝るものはない」

赤毛と黙然は顔を合わせてみなと一緒に笑った。


総代の長兵衛がいった。

「しかし、うちの寺にそんなどえらい歴史があったとはおどろいた。いやホンマに知らなかった。その元々の寺の跡はまだあるのか」

宴鬼がいった。

「無い」


長兵衛が尋ねた。

「ならウソか」

宴鬼が答える。

「ここだけの話しじゃが、これは方便じゃ。ソロリンが売れれば寺も檀家も町も潤う。お釈迦様も薬師如来様もお許しになる」


黙然はおどろいて宴鬼を見ながら、みなが怒るのではと心配した。

しかし心配は杞憂だった。

皆が口々にいった。

「それでええ、それでええ、我らが金魚寺は古くは釈尊宝顔山金翔善寺を祖とする由緒ある寺じゃ。あと五十いや三十年もすれば皆が信じておるわ。

それを裏付けるのがお釈迦様の腹薬ソロリンじゃの、世のため人のためじゃ、良いではないか」


「おお~う」

と一同叫んだ。

黙然はこれが大人の世界なんだと思った。

釈尊宝顔山金翔善寺、千年の歴史、お釈迦様の秘薬「ソロリン」が誕生した。


 数十年後、金魚寺は金翔善寺と名を替え、大僧正千鬼が法要を行っていた。

千鬼の旧名は黙然という。

広大な寺の境内にはお宮も併設され、祀られているのは宴鬼曽呂凛という神様だ。


腹の神様だが、今では身体のすべてを守ってくれる神様になっていた。

「ソロリン」は売れたようだ。


























気のせいか、しばらくすると何となく腹の様子がいいような気がしてきた。



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ウソも方便 妻高 あきひと @kuromame2010

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