果てを探して。

夕藤さわな

第1話

「あの空はどこまで続くのかしら」


 妹のリルが、窓の向こうへと小さな手を伸ばした。ベッドに横になったままでは、空にはもちろん、窓のガラスにだって届かない。

 疲れたのだろう。リルはそっと腕を下ろした。


「お兄ちゃんは知ってる?」

「知らないなぁ。親方たちにも聞いてみたけど、知らないってさ」

「いつか見に行きたいな」

「リルが元気になったら、連れて行ってあげるよ。……そのためにも薬、飲もうか」


 俺が差し出したスプーンを見て、リルは眉間に皺を寄せた。でも、覚悟を決めるとぎゅっと目をつむって、パクリとスプーンをくわえた。


「……苦い」


 しばらくして漏れた文句に、俺はくすりと笑った。


 ***


「ありがとうございました!」

「いやいや、こちらこそ楽しかったよ。たまには荷物以外と一緒の旅も悪くない」


 馬車の荷台から飛び降りて、俺は正面へとまわり込んだ。

 二頭の馬を操る御者はトカゲの頭をしている。体の大きさは人間族よりも一回りか二回り、大きい。

 蜥蜴族リザードマンの御者に手を振って別れ、俺はあたりを見回した。


 さっきの御者同様にトカゲの頭をしている者もいれば、猫やら狼やら鳥やら虫やら……俺が見たこともない生き物の頭の種族もいる。

 家は俺が暮らしていた辺りの造りと似ている。木で骨組みを作って、乾くと白くなる土を塗って壁にするのだ。

 灯かりはランプに火を灯すんじゃなく、夜光花やこうかを利用していた。家の壁や屋根に張られたロープに巻き付いて、夜光花はぐんぐんとつるを伸ばす。街中に広がったつるには点々と、色とりどりの花が咲いている。

 夜になると淡く光る、拳大の花だ。


「白や黄色はよく見るけど、ピンクや青……紫色まであるよ。綺麗だね」


 斜めに掛けたカバンをポン……と叩いて、俺は歩き出した。座りっぱなしでお尻が痛い。


「宿屋を探して、まずはひと眠りかな」


 でも、保存食ばかりが続いていたから、柔らかくて温かいものを食べたい気もする。


「……どうしよ」


 悩んで見上げた看板には豚の絵と、宿泊&食事の文字が書かれていた。


 ***


「一人旅かい?」

「あー、えっと……」

「いいね、一人旅。俺も若い頃にはやったもんさ。……カギはこれ、部屋は二階に上がって右手の奥な」


 答えに困っているうちに、宿屋のご主人はさっさと宿泊手続きを進めてしまった。苦笑いでカギを受け取る。わざわざ訂正することでもない。


「食事は……?」

「一階の左手奥に入口があるよ。そこが食堂だ。上品なお食事は出ないが、うちのかあちゃんが腕によりを掛けた料理だ。味は保証するぜ」


 ハッハ、と豪快に笑う宿屋のご主人に頷いて、食堂へと向かった。


「いらっしゃい。うちの宿に泊まってるんなら割引するよ」


 食堂に入るとすぐに宿屋のおかみさんにして、食堂のシェフが出迎えてくれた。

 看板に豚の絵が描いてあったから、豚肉料理が置いてあるのかと思ったけど、そういうことじゃなかったらしい。

 ご主人とおかみさんが、豚の頭をしていた。


 案内された席に座って、隣のイスにカバンを置いて、


「ポークソテーはありますか……なんて、聞かなくてよかったよ」


 俺は小さな声で言って、苦笑いした。


「おい、人間族だぞ! 珍しい!」

「本当だ、初めて見た。……一人旅か?」


 水を飲もうとフードを取ると、正面の席に座っていた客二人が目を丸くした。蜥蜴族リザードマンに似ているけど、多分、あれは竜人族だ。祖先である飛竜の名残で、首の付け根辺りに小さな……コウモリほどの大きさの羽がある。


「人間族は滅多に自分たちの国から出てこないからな。ここには何の目的で来たんだ?」


 二人は料理の皿やら飲み物のコップやらを持って、俺の隣に移動してきた。イスに置いていたカバンを膝の上に抱きかかえると、空いたイスに一人が滑り込んで来た。

 どこの街に行っても旅人というものは……特に人間族の俺は、物珍しがられる。


「いえ、旅の途中です。太陽が昇る方角を目指して旅をしているんです」

「目的らしい目的もなく?」

「一応、空の果てを目指しています。でも、あちこち珍しいものや綺麗なものを見てまわりたいとも、美味しいものを食べてまわりたいとも思っています」


 言った瞬間、竜人族の鼻の穴から炎が吹き出した。別に焼き殺そうとしているわけじゃない。人間族が唾を吹き出して笑うのと似たような感じだ。


「アッハハ! そりゃあ、また壮大な一人旅だ!」

「さすがに空の果てについてのアドバイスは出来ないが、珍しくて綺麗なモノなら教えられるぞ」


 鼻の穴からプシュープシューと炎を吹き出しながら、竜人族たちが言った。そんなに笑わなくてもいいのにと思いながら、俺は首を傾げた。


「百年に一度、東の森の木々に花が咲くんだけどな。その花が示し合わせたみたいに一斉に、一晩で落ちるんだよ」

「真っ白な花が散るようすは雪みたいで綺麗だぞ」

「しかも、その花を食べに巨大なクジラが群れで夜の空を飛んでくるんだ。怖くなるくらい美しい光景だよ」


 興奮気味に話す竜人族に、俺は無言でこくこくと頷いた。

 俺が生まれ育った国ではクジラは海を泳ぐものだった。空を飛ぶクジラ……ぜひとも見てみたい。


「確か、予定だと……」

「三日後ですよ。竜人族さん、人間族さん」


 おっとりとした声に顔を向けると、ウサギの頭の……多分、老夫婦がにこにこと俺たちを見つめていた。


「私たちも行くつもりなのよ」

「急な岩壁を越えるか、迂回するかなんだが……今からじゃあ、迂回してたら間に合わんよ」

「あら、そうね。……私たち、オオヤギタクシーを予約しているのだけど、あなたも同乗する?」

「いいんですか?」


 俺が尋ねると、老婦人は長い耳を揺らして頷いた。


「もちろんよ。向こうで娘夫婦と合流するから、そこまでしかご一緒できないけれど」

「ありがとうございます!」


 ウサギの老夫婦に頭を下げる俺の肩を、竜人族の二人がバシバシと叩いた。


「良かったな、人間族の兄ちゃん」

「一人旅もいいけど、たまには誰かと一緒じゃないとつまんねぇもんな」


 加減はしてくれているのだろうけど、人間族よりもずっと腕力がある。かなり痛い。

 俺は苦笑いしながら、


「そうですね。俺、一人は苦手なんで」


 運ばれてきたマッシュポテト入りのオムレツに舌なめずりした。久々の柔らかくて温かな食事だ。フォークとナイフを突き立てようとしたところで、


「ぶふーーーっ!!!」


 竜人族の鼻の穴から、勢いよく炎が吹き出した。炎はまだ一口も食べていないオムレツを、皿ごと焼き尽くした。


「なら、なんで一人旅なんてしてるんだよ!」

「腹痛ぇ! やば、どうしよ、腹痛ぇ!! 人間族ってのは皆、お前みたいな感じなのか!!?」


 げらげらと笑い転げる竜人族を見つめて、俺は無言で微笑んだ。

 返せ、俺のオムレツ……。


 ***


「お腹一杯だぁ」


 俺はベッドに引っくり返ると、お腹をさすった。

 宿屋の二階にある部屋。一人分のベッドしか置かれていない、一人用の部屋だ。


 オムレツは竜人族の炎に焼かれてしまったけど、お詫びにと色々と奢ってもらった。一人ではオムレツしか食べられなかっただろうけど、竜人族の二人と一緒なら色々な料理を少しずつ食べられる。


「次の目的地も決まったし、良い夕飯だったね」


 ウサギの老夫婦とは明日の夕方、街の中央広場で待ち合わせた。


「空飛ぶクジラ……」


 呟いて、俺は勢いを付けてベッドから起き上がった。カバンから親指サイズの金属の筒を取り出して、窓へと歩み寄った。

 この宿屋は高台にあるらしい。眼下には夜光花やこうかの淡い光に照らされた、幻想的な街並みが広がっていた。


「綺麗だね、リル」


 手の中の金属の筒に、その中に入っているリルの骨に話しかける。返事はない。

 妹のリルが病気で死んで、一人きりの家に帰るのが怖くなって。衝動的に生まれ育った人間族の国を出てきたけど――。


「悪くない……選択だったかもしれないね」


 そう言った俺の声は、涙を堪えるために震えていた。

 一年以上が経つのに、まだダメなようだ。金属の筒を握りしめ、俺は拳を額に押し付けた。


 この旅が一人旅なのだと。リルはもういないのだと。いつかは飲み込まなくてはいけない。

 わかっている。わかっては、いるのだけど――。


 胸につかえた感情を、今夜も飲み込むことをあきらめて、


「そろそろ寝ようか、リル」


 俺は金属の筒に微笑みかけた。


 いつか――が、来ることを願いながら。

 同時に怖いとも思いながら。

 俺はリルを胸に抱きしめて、眠りについた。

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