はりぼての宇宙旅行
厠谷化月
はりぼての宇宙旅行
グレン海軍中尉とウィリアムズ空軍少尉の二人は戦後新設された宇宙開発局月探査部部長のマグワイヤー大佐に呼び出されていた。
「ワンフー基地を知っているかね。もっとも前世紀の遺物だがね。」
マグワイヤー大佐が目の前の二人に聞いた。二人はかぶりを振った。
「月の裏側にあるワンフークレーターに建設された有人基地でね。戦前には三十人程度が駐在していたそうなんだ。君たちにはワンフー基地調査団に入ってもらいたい。つまり、月に行ってもらう。出発は再来週だ。」
「大変名誉なことです。ぜひ引き受けさせていただきます。」
とグレン中尉。
「そんなに急ぐ必要があるんですか?」
とウィリアムズ少尉。
「そう。君たちには大急ぎで言ってもらいたいの。」
マグワイヤー大佐はそう言ったものの、本人は呑気なもので、煙草を吸いだした。
「我々の月周回衛星のカグヤ-ⅩⅠがワンフー基地からの電波を傍受したんだ。一日に一回、決まった時刻に基地から映像が発信されるんだ。」
大佐は封筒から写真を取り出して二人に見せた。写真には五人の男女が肩を組んで写っていた。
「彼らを救出しに行くわけですね。」
グレン中尉が顔をあげて言った。
「そう。彼らは大戦の一番の被害者なんだから助けに行ってあげないといけないの。」
「しかし、なぜ彼らは百年近く置き去りにされていたんですか?」
ウィリアムズ少尉が聞いた。
「戦争が始まったころはNASAが救出しに行こうとしてたんだけどね、レーザー衛生が宇宙船を焼くものだから成功しなかったみたい。その後はたった三十人のために莫大な税金を使うな、そんな金があるなら一発でも多くの銃弾を作れ、っていう世論に押されて諦めたみたい。戦争が激化してからはもちろんそんな余裕があるわけがないし。」
戦争によって月に取り残された悲劇の宇宙飛行士たちの話をしているにもかかわらず、当の大佐は他人事のように煙草をふかしていた。
「しかし、どうしてもう少し早く言ってくださらなかったんですか?調査団の他のメンバーとの顔合わせもありますし。」
ウィリアムズ少尉が困った顔をした。
「それはもう済んだよ。」
「どういうことですか、大佐。」
「調査団は君たち二人。ね、顔合わせは済んだでしょ。」
ウィリアムズ少尉とグレン中尉は驚いて顔を見合わせた。大佐は煙草を灰皿に押し付けて席を立った。
「じゃあ、そういうことで。」
大佐は片手を振って部屋を出て行った。二人は今日会ったばかりの飄々としたマグワイヤー大佐を信頼できなかった。
「アリアンロッド号より管制室へ。機体、乗員ともに状態は正常。航路の誤差は修正可能範囲内。これより着陸準備に入る。」
通信席のグレン中尉が言った。
「こちら管制室。了解した。機体は月の裏側に入るため通信は断絶する。幸運を祈る。」
「アリアンロッド号、了解。」
操縦席のウィリアムズ少尉がいくつかのボタンを操作した。着陸態勢に入り、減速が始まると、エンジン音が大きくなった。
「本当に僕らが月に行くとは思いませんでしたよ。」
ウィリアムズ少尉は窓の半分以上を覆う白い天体を感慨深げに見ていた。
「技術自体は戦前に確立されていたし、資料が残っていればいつでも行けるさ。」
「でもこの船もすぐ完成したじゃないですか。こういうのって年単位でやっていくものじゃないんですか?」
「大戦のおかげでえらい迷惑被った人がいるんだ。終戦を迎えたのに彼らを待たせておいたらダメだろう。」
自身も大戦で家族を亡くしたグレン中尉の言葉に熱が入った。
「それにしても早すぎませんか?任命されたのも二週間前ですよ。」
「言われてみれば確かに早すぎるな。」
そういったきりグレン中尉は考え込んでしまった。帰るまでには随分時間がある。それまでの暇つぶしに、答えのない問いを考えておくのはピッタリだった。
だんだんと月に近づいていき、ようやく若干の重力が感じられるようになった。
「そろそろ時間だな。第三画面に流すよ。」
グレン中尉が言った。席から見て右側の画面が点くと、そこにはいつも通りの五人が映っていた。
「しかしよく飽きないものだね、毎日毎日。」
グレン中尉は半ば呆れたように画面を見ていた。
「しかし、長期間の自立運用を見据えて造られたとはいえ、よく彼らは百年近く生きていられましたよね。」
「カグヤの衛星写真によればヘリウム採収プラントや核融合炉らしい建造物も見受けられるみたいだし、案外地球(こっち)よりも平和に過ごせたんじゃないのかな。」
ワンフー基地からは毎日決まった時間に映像が送信されていた。内容は月の環境から基地での喧嘩までいろいろあったが、二日として同じ内容が流れてくることはなかった。基地での生活は相当話のネタに富んでいるのだろう。
地平線ならぬ月平線の彼方から直方体の人工物が見えてきた。遥かなる旅路の折返し地点、ワンフー基地だった。アリアンロッド号はさらに減速し始めた。基地にさらに近づき、その大きさを実感できるようになってきた。
ワンフー基地からの誘導信号によって、難なく着陸することができた。二人は宇宙服に着替えて月面に降り立った。月は灰色で、やっぱり石でできていた。とてもチーズには見えなかった。基地も月面と同じように灰色だった。
そこは基地の玄関ともいうべき場所だった。物資搬入用と人用の大小二つの気閘があった。二人は小さい方の気閘へ向かった。
「百年もたったのだから気閘が壊れていてもおかしくありません。空気が噴き出すかもしれないので、飛ばされないように構造物に掴まっていてください。」
「掴まったぞ。」
ウィリアムズ少尉が気閘の扉を開けた。基地からは勢いのある空気ではなく、暖かな光が漏れ出していた。飛ばされないように力んでいたグレン中尉は拍子抜けしてしまった。
「壊れていないのか。」
グレン中尉は残念そうに言った。
「壊れてないんだから喜んでくださいよ。」
ウィリアムズ少尉が諫めた。
二人は気閘に入って外側の扉を閉めると、壁に「気圧調整中」のランプが灯った。しかし彼らの気圧計の数値は変わらなかった。
「やっぱり壊れているんじゃないか。」
グレン中尉は少し嬉しそうだった。
「喜んでいる場合じゃないですよ。」
ウィリアムズ少尉はまた諫めた。
「扉を開けますから掴まっていてくださいね。」
「おう。」
ウィリアムズ少尉が扉を開けたが、ここでも空気が噴き出すことはなかった。基地の内部も真空だということである。扉からはまっすぐに廊下が伸びていた。電灯が点いており、向こうまで見渡すことができた。
「こんなところで生活しているなんて信じられません。」
「奥のほうの区画に引きこもっているんじゃないか?」
「でもあれ…。」
ウィリアムズ少尉が廊下の先を指した。そこには開いたままの気閘があった。奥の区画の気圧も保たれていないということだ。二人は顔を見合わせた。
「まさか幽霊だなんてことはないよな。」
グレン中尉が気味悪そうにいった。
「宇宙時代に幽霊だなんて。ありえませんよ。」
「じゃああの映像はどうやって説明するんだよ。」
それっきり二人は黙り込んでしまった。二人は一つずつ部屋を見て回った。彼らが恐れていた幽霊も、ミイラ化した死体も、それどころか基地にいたはずの人々の私物すら見つけられなかった。
二人はこの奇妙な基地の最後の部屋にたどり着いた。「放送室」と書かれた扉を開けると、たくさんの画面や操作盤が並ぶ調整室に出た。調整室の奥にはスタジオがあった。受信していた映像が撮影された場所のようだった。そこには人はおろか、遺体もなかった。調整室の画面にはいつもの五人が映って何かを話している様子が映っていた。しかし向こうには無人のスタジオが照らされているだけだった。
「そろそろですよね。」
ウィリアムズ少尉が恐る恐る聞いた。
「もう受信しているぞ。そっちに送ろうか。」
グレン中尉の声は震えていた。
「結構です。」
ウィリアムズ少尉は即答した。グレン中尉の宇宙服の内側画面には、中央室の画面と同じ映像が流れていた。グレン中尉は震える足でスタジオに入っていった。
「あれ?」
調整室のウィリアムズ少尉が間の抜けた声をあげた。
「中尉、映ってますよ。」
「え、俺がか?」
「ええ、いつもの五人と一緒に。」
「うわあーーーーー。やめろ、成仏してくれえええ。」
グレン中尉は動きにくい宇宙服でこれでもかと言うほど手足をジタバタと振り回した。
「落ちついてください、中尉。そのあたりでカメラの方に進んできてくれませんか?」
ウィリアムズ少尉に指示された通りに歩き出した。映像ではどこまで歩いても、五人の背後に居続けるグレン中尉の様子が流れていた。グレン中尉がスタジオの端まで行くと、五人の後ろに宇宙服を着た巨人が経っているという構図になった。
「まさか、合成なのか?」
「そのまさかですよ。」
「じゃあ俺たちは前世紀のCGに騙されて遠路はるばる月までやってきたのか。とんだ無駄足だったな。」
落ち着きを取り戻したグレン中尉が言った。
ウィリアムズ少尉は操作盤の「主電源」と書かれたボタンを押した。調整室の画面が落とされ、映像は送信されなくなった。
アリアンロッド号が月の表側に入り、地球との通信が回復すると、グレン中尉はワンフー基地が無人だったことを報告した。
「そっか、無人だったんだ。」
グレン中尉の報告を聞き終えたマグワイヤー大佐が言った。マグワイヤー大佐はあまり驚いていない様子だった。
「大佐はご存じだったんですか?」
「知らなかったけど、もしかしたらとは思っていたよ。ワン・フーってのは『伝説』の人物だからね。」
マグワイヤー大佐は悪びれずに言った。宇宙船の二人は異口同音に悪態をついた。
「それからお二人さん、チーズは買ってきてくれた?」
二人の言葉を意にも介さず、大佐は言った。
はりぼての宇宙旅行 厠谷化月 @Kawayatani
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