いつか、尊いが世界を救う日まで

あさぎり椋

第1話

 『尊い』が人類を救うエネルギーとなる。

 その画期的な学説は各界で論争を巻き起こす――ことは無かった。提唱者たるオオギヤ博士は、お前アホかと見向きもされないまま、学会の鼻つまみ者になった。


 尊い推しがいるから今日も生きられる、などと言う人々が増えて久しい。

 素敵なアイドル達が人々を癒す毎日。推しの輝きに浄化された希死念慮は数知れず、彼らが産み出す経済効果は国家政府も無視できないほどだ。

 神を崇め、敬う心もまた『尊い』だ。それは国家の礎となり、悲惨な戦争の原因ともなった。

 すなわち、『尊い』とは何か。国家、世界、惑星レベルで劇的なパラダイムシフトを起こし得る、不可視のエネルギーだ。もしこれを、電力や化石燃料のごとく使用できれば――エネルギー枯渇問題など、場末の地下アイドルのように吹っ飛んでしまうに違いない。


 郊外に位置する『オオギヤ研究所』。そこで女性研究者のエモウは、死んだ魚のような目をしてパソコンに向かっていた。

 ディスプレイには、二次元の美少女の静止画が大写しになっている。マウスをカチ、カチと鳴らすたび、画面下部のテキストが次々と切り替わり、合わせて美少女の表情が喜怒哀楽にコロコロと変わる。

 ノベルタイプのギャルゲーである。


「……チッ」


 エモウは何度目か分からない舌打ちをした。

 何が悲しくて、仕事場の研究所で男向け美少女恋愛ゲームをやらないといけないのか。画面の中でピンク髪のポニテ妹キャラが「にゃん☆」とか言うたびにキーボードへし折りたくなる。

 こんなことがしたくて三ヶ月前、ここに就職したわけではない。給料は悪くないのだけが救いだ。

 エネルギー研究の権威で、『オオギヤ博士のオギャ理論』で知られるオオギヤ博士に憧れ、彼の研究の助けとなるべくやって来た。夢はでっかく、ネイチャー誌にでも載ってやるんだと思ってた。


 それで想像できるか? エモウが就職した矢先、その博士がトイレで転んで頭打って「『尊い』はエネルギーになるぞい!!」とか言い出して。

 気付けば、研究所の中が二次元三次元問わずあらゆる『尊い』と言われがちなキャラ・人物のポスターやらフィギュアやらで埋め尽くされて。


 『外的刺激による尊さが臨界点Lを越えた時、興奮したニューロンより発生する神経伝達物質から取り出されるエネルギーは莫大なものとなり云々……』


 いわゆる尊さエネルギー研究に全人生を費やすことを宣言された。

 かくしてエモウはそれに付き合わされ、あらゆる『尊い』を研究させられる日々が始まった。日夜アイドルのブルーレイを鑑賞し、尊いの欲張りセットたるギャルゲーを毎日プレイさせられる羽目になっている。

 それは苦行であった。


「どうせ最終的に主人公に惚れると分かってる女オトシて何が面白いんだよこれ……」


 根本的に、エモウは恋愛ゲームが苦手だった。練りに練られた可愛いキャラクターと彼女らが織りなすシナリオは、全て作り物だ。何の感慨も沸かないし、まして尊いなんて感情は湧いてこない。それは乙女ゲーでも一緒だった。カッコいいキャラクターも所詮は二次元。

 ウ~ンと伸びをして、凝った肩を揉みほぐす。傍らの男性アイドルのポスターが目に入るも、これだって自分にはどっか遠くのイケメン集団でしかない。入れ込んだところで虚しいだけだ。尊い、尊いと言って何十万も貢ぐファン達は異様に映る。


 ぐぅ、とおなかが鳴った。

 出勤して昼までギャルゲーやってる人生ってどうなんだ。今頃、大学時代の友達は流行りのカフェでランチとでも洒落込んでいるだろうか。器量も顔も良い娘だったし、今ごろカレシの一人や二人マワしてんじゃねーかな、などと思う。

 ……あの娘、すっごいかわいかったなぁ。


 その瞬間、警報装置がけたたましく所内に響き渡った。


「なにっ!? 地震!? 火事!?」


 初めて聞く警報だった。いそいで辺りを見渡すも、特に異常が見当たらない。

 慌てふためく私の前に、オオギヤ博士が隣の部屋から猛スピードでやって来た。


「尊さエネルギーじゃ!!」

「わぁぁぁっ!」


 目の前に現れたのは――である。鉢の底にキャスターが据え付けられ、植物の思念波によって自動走行する。

 我が研究所長たる、オオギヤ博士その人だ。


「いきなり出てこないでください! びっくりするわ!」

「なんじゃ、まだ慣れんのか」


 博士は『尊さエネルギー』の研究のため、その記憶と精神を観葉植物に移植した人物であった。曰く、尊さというものを最も効率よく受容できる存在は『カップルの部屋の隅に置かれた観葉植物である』という理論を実践するため、こんな姿になってしまったのだ。

 水やり仕事もお給料の内です。


「って、そんなことはどうでもいいんじゃ! 今、臨界点Lを越える尊さエネルギーを感知したぞ。なにをしとった?」

「こ、このギャルゲーを……」

「おぉ、『銀河皇帝に転生した俺が指揮する宇宙艦隊は美少女しかいないみたいですよ?』か! なるほどSF、SFとな……」


 お前の存在の方がよっぽどSFだと言いたかったが、辞めておいた。出会った当初はイケオジだったのに、ホントどうしてこんな姿に。

 そのギャルゲーも実にくだらない陳腐なSFモノで、尊いなどという感情は抱きようが無かった。

 一体、なにを感知した?


「ほんの一瞬だが、きみの脳内は間違いなく尊エネルギーの臨界点に達していた。あとはこれを――」

「……博士」

「新型受容器の調整を急がねばな。あとはアレをああしてこう――」

「博士ッ!!」

「ん、ん、なんじゃ!?」


 たまらず、エモウは大声で怒鳴った。


「一体全体なんなんですか心臓に悪い! それライターのオ○ニーもいいとこの超クソゲーですよ! なにが尊いだバカバカしい! 毎日毎日こんなんばっか! 私もーやだー!!」


 感情の堰がぶっ壊れ、たまらず品の無い言葉がぶちまけられた。もう勢いで辞職しちまおうか。

 興奮していた博士もさすがに戸惑ったか、感情の見えない草でありながら動揺しているのが分かる。


「す、すまん……。いやしかし、間違いなくエネルギーは発生していたのだが」


 エモウも段々と落ち着きを取り戻し、取り乱した自分を恥じる。深呼吸をしながら、博士の懸念を考えた。

 ゲームが原因でないなら、いったい何がエネルギー発生の原因となったのだ。もうこの仕事やだな、という負の思考。私に比べ友達は幸せにやってんだろな、という僻み。

 あの娘かわいかったなぁデヘヘ、という下心――


「うぉっ! また鳴りおったわい! どこかで何かが尊くなっておるようじゃ……」

「なんで?」


 またエモウの声量に劣らぬクソデカ警報。

 壊れているんじゃないだろうか、このシステム。そう思ったら、いよいよここでやってることが意味分かんなくなってきた。

 つーかそもそも、推しが尊いってこういうことじゃなくね? エモウは思った。おそらく、尊さとは自分で見出すものだ。探せと言われて無理やり探すものじゃない。そんなの、こっちから願い下げだ。


 すると二度目の警報で、もうひとりの女所員――アイル先輩がやって来た。


「なんだか賑やかだね。尊さを感知したようだけど?」


 中性的な顔立ちの先輩は、寝癖でボサボサ頭のままの白衣姿だ。そんなでも絵になるのだから美人ってのはズルい。

 仕事の時間に明らかに寝てた感――サボってたのだろう。


「こりゃ、アイル。お前さんも尊いの原因を調べんかい」

「あぁ。マスター・コンピュータの感知履歴を全部洗えばいいかい?」

「いや、この部屋だけでいいわい。観葉植物の勘が、この部屋が尊いと言っておる」

「へぇ……」

 

 博士の言うとおりなら、原因はエモウなのだろう。部屋のフィギュアやポスター、無機物の類が勝手に尊くなるわけないのだから。


「キミ、何をしたんだい?」

「せ、先輩っ……!?」


 猫にそうするように、アイルはエモウの顎をうりうりと撫でてきた。どこで覚えたテクなのか、これがハチャメチャに気持ち良い。博士にとは違う意味で、洗いざらい何でもぶちまけてしまいそうになる。


「キミの存在自体が尊いと言えばその通りだからね。まぁ警報が勘違いするのも無理はあるまい」

 

 あぁ、だめだ。こんなの続けられたらバカになっちゃう……♡

 とろけきった私の思考回路は、もはやこんな研究所に一秒だっていたくない、くらいのレベルに達していた。

 尊いやら警報やら、どうでも良くなってくる。


「先輩、もうこんなクソみたいなとこ辞めて二人でどこか行きません?」

「えっ?」

「私、先輩とならどこにでも付いていきます。……ううん。二人じゃなきゃ、やだ」

「ワガママな娘だな。まぁ、ここがクソだってことは、あたしも否定しないけどね」


 二人は見つめ合い、しばし想いを確かめあった。

 そこに余計な言葉はいらなかった。


「行く当て、仕事、お金、身の振り方……考えることはいっぱいあるよ?」

「大丈夫です。先輩となら、何だって乗り越えられます。少なくとも、ここより低い場所なんて無い」

「エモウ……」

「先輩……」


 突然、博士――観葉植物がガタガタガタガタと震えだした。

 同時に、またも警報がけたたましく鳴り響く。


「ここ、こ、これが――尊さかッ――ありがとうございますッッッ!」


 その瞬間、博士の唱えた臨界点Lを遥かにぶっちぎる尊エネを受容した博士は、鉢植えごと粉微塵に吹き飛んだ。人間ならば耐えられたが、観葉植物の身では『尊死』を免れることはできなかった。ゆくゆくは全人類を観葉植物と化し、尊エネのみで生きる世界を築こうと考えていた博士にとって、貴重なデータが取れた。

 ちなみに彼の記憶と精神はデータ化してあるので、ぶっちゃけほぼ不死身である。


 お互いの想いに気付いた二人の女は、手を取り合って研究所を後にした。もう、こんなクソみたいな場所に戻ってくることはないだろう。

 かけがえのない愛が生み出す、尊エネルギー。

 それが電力に代わって人類社会を救うことになるのは、もう少し先の話である。


 おしまい。

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