尊い命

こざくら研究会

尊い命

 あぁ、記者さんですか。えぇ、えぇ、聞いてますよ。振り込んで貰ったので間違いなく話しますよ。

 彼ですか。えぇ、そりゃひどいヤツでしたよ。捕まってる間にも、えぇ、多数の投書が来ましてね。人間じゃねぇ、人殺し、お前が焼かれろ、死ねとか、罵詈雑言だらけでしたよ。まあ全くその通りですが。ポストから溢れ出るもんで、もういいかと思って捨ててましたがね。

 あれは例の大火災の時でした。彼は当時、あのマンションに行ってたんです。しかも行ってたのは友人の家にですよ。それで知っての通り、あれは付け火だったと言われてますけれど、まだ犯人が捕まっていないんでしたっけ。とにかくごうごうに燃えた訳ですよ。その時友人の家に居た彼が何をやったかですよね。

 何でも高校の時の同窓だったんだそうですが、それであんな結末だとは、わたしだったら願い下げですね。

 焼けて崩れて、火が迫っている時、彼は一時、友人を助けようとしたんですが、これもたまたまその光景を見ていた逃げる途中の人間の話しな訳ですが、彼はその友人を、これはまた酷い、見捨てた訳ですね。

 人が言うにはどうやっても助けられたそうなんです。友人を瓦礫から救いだし、それでいて肩に担ぎまでしたんですから。だけれど彼はその友人を放り投げた。これも目撃者が居たって訳ですな。

 彼がなんでそんな事をしたかって? それは犬ですよ。犬、犬。友人より、自身が連れて来た、犬を代わりに助けたんだそうですよ。犬を優先して、友人は蒸し焼きになったそうですな。

 何でも彼がその友人に会うのは数十年振りで、それまで彼は、家族も親類も全部死んで、飼い犬と一緒に、独りぼっちで暮らしていた訳ですな。それがその飼い犬と友人の家に遊びに行った時に限ってその火事ですわ。

 その友人もたまたま、町で出くわして、声を掛けたら子供の頃の知り合いだったという事もあって、驚いて家に招いたと、そう言う訳ですわ。それがその友人に見殺しにされるとは、いやはや、とんでもなく惨い事ですな。恩を仇で返されるとは、こう言う事を言うんでしょうな。

 そいつも体を悪くして、さして仕事にも行かない金払いの悪いヤツでしたよ。犬を相手に二十年近く一人暮らしなんぞ、しとりましたら、そりゃ人の心を失うもんでしょうよ。まさに犬畜生ですわ。まったくとんでもねぇヤツですよ。

 で、火事の事があって、保護責任者遺棄罪とかなんとかで、捕まったんですわ。で、主人がいず、金を払うものがいない訳で、ここからは出て行って貰う事にしたんですが、犬は犬で引き取り手もなく、怪我をしているもんで、しかも主人以外には、そりゃ吠えるのなんの、あの犬も主人に似たんでしょうな。怪我してそんなので、保健所に預けられたのちに殺処分ですわ。

 主人は主人で刑務所から出て来れば、遺族に謝るなり、なんなりするべきでしょうが、人の心がないんでしょうな。友人の命より犬の命が大切なのか、犬の死を悲しんで、よりにもよってこの部屋で自殺した訳ですよ。

 全く、人の尊い命を何だと思ってたんだか、わたしにはさっぱりわかりませんよ。

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