高氏、偏諱を賜う【KAC2021 お題『尊い』】

石束

高氏、偏諱を賜う(たかうじ、へんきをたまう)


 実弟の直義が部屋に入ってきた時は、丁度、気に入りの脇息を抱えてのうたた寝が心地よくなってきたところだった。

「兄上」

「……なんじゃ」

 あえて不機嫌な声色で返事をしたのに弟はまるで堪えた様子がなかった。

「名前の事です」

「……なんじゃったかの?」

 寝起きと寝入りの間を行ったり来たりで、今ひとつ頭が回らない。

 直義は少し眉を上げたがそれ以外の反応を見せずに仔細をかみ砕いた。

「名を改めたいと願う者がおると先日申し上げました。鎌倉幕府が倒れ御一新なった上は、得宗からの偏諱(へんき)たる『高』の字を改めたいと」 

「改めればよかろう」

 くわと欠伸をする。その欠伸が終わるのを待ってから、直義がため息をついた。

「できません」

「何故(なにゆえ)」

「肝心の兄上が『高氏』のままだからです」

「……」

 元弘三年旧暦六月。のちの室町幕府初代将軍『足利尊氏』、鎌倉御家人中の名門・足利家の当主にして、『元弘の乱』で六波羅探題を陥落させ討幕の殊勲第一等とされる彼は、この時点まだ足利氏と名乗っていた。


◇◆◇


『偏諱』という風習がある。

 諱とは忌む名であり人の実名である。かつて人の名とは直接呼ぶのをはばかる程に秘されるものだった。名はその人そのものと結びつき、その人への尊崇を示す行為として名を憚った。中国では先祖、親、貴顕の名を憚りその文字を避けて名付けを行った。日本においては本質はそれに倣いながらもやや様相を異にし、先祖、親類の上位者、主君の名の一部を自らに名づけて人の過去や現世における関係性を示そうとした。所属勢力の上位者、たとえば主君に元服の烏帽子親になってもらい、さらにその一字を与えられるなどというのはその最たるものだろう。

 いずれにしても。名とは人の霊的本質と分かちがたく結びついているという考えが根底にあって成立する風習である。

 

 そして高氏の「高」こそは、第九代得宗(北条氏惣領の家系)であり第十四代執権として鎌倉幕府の終焉まで実質的支配者であった北条高時より与えられたものだった。むろんこれは彼一人ではなく、同世代の多くの有力御家人が「高」の字を与えられている。

 高氏の実弟直義にしても高時の偏諱を与えられて「高国」と名乗っていた。ただし彼は兄に従って鎌倉幕府に反旗を翻した時点で河内源氏の通字である「義」を用いた「直義」に改名してしまっている。

 高氏にしてみれば、「高」の字の話がでるたびに「いつまでもぐずぐずしているから」と責められているような気になった。

「…………」

 頭も要領もいいこの弟が高氏は少し苦手だった。嫌っているのではない。うっかり口にした言葉をぴしりとやり込められやしないかと、顔を見るたび、おそれに似た気持ちをいだくのだ。

 今回もまた少し言いよどんでいると、側仕えの命鶴丸が高氏の傍らにそっとひざを折り、耳元に来客をささやいた。

 高氏は意外な名前に思わず声を漏らした。

「なに? 北畠中納言どのが」 


◇◆◇


 急な呼び出しで参内することになった。正式な使いではなく内々でということだが、呼び来た相手が「あの」北畠親房である。ある者は後醍醐帝の寵臣といい、ある者は否、帝からは遠ざけられて寧ろ大塔宮に近しいという。元弘の争乱時には影もなく、建武の新政以降に忽然朝廷に復帰したこの当代きっての碩学が実際何を考えているかなど、誰にもわからない。

 高氏はこの人物の、人を、あるいは自分自身でさえも高いところから無関心に見下ろしてでもいるかのような物言いが、実はあまり得意ではなかった。人に担がれるままに必死で走ってきて今も目の前のことに精一杯な自分を、なんとなく低くみられている様な気がするからだ。勿論、面と向かって確かめたりしないが。

「足利どのは」

 だからだろうか。先に行く親房からの問いかけに一瞬反応が遅れた。「は?」と我ながら間抜けな声が漏れる。

「名詮自性という言をご存じあろうか」

「はあ」と高氏はいぶかしげに問い直した「仏語でございますな」

 さよう。と高氏の反応は一顧だにせず、親房が言った。

「名がそのものの本質を表すこと。または、本質に名が相応しいこと――その程度の意味にござる」

「はあ?」と高氏は相槌を打った。これは高氏がまだ高時の偏諱のままなのをあてこすられているのだろうかと思い……思い直した。親房が屋敷内での直義との会話を知っているとは思えない。

「人は名によって吉凶あると申します。些末事にござるが、人の行く末など些末事にて如何様にも変わるもの。お気をつけあれ」

「はあ」

 雑談なのか忠告なのか、それとも何かの警告なのか。

 高氏がいぶかしんでいるうちにも二人は歩みはとどめず、御所を奥へと進み、やがて、そろって平伏した。ややもせず、御簾の向こうへ気配が現れる。

 気配の主は座るや否や、せっかちに話しかけてきた。


「高氏、よう参った――親房、ごくろう」


 後醍醐の帝(みかど)であった。

 今こそ御簾ごしであるが高氏はこの一代の覇王の貌を知っている。

 筆で掃いたような眉と鍾馗の如き髭。その間に炯々と輝く両眼。烈火のようなありかたそのままのような外見が、高氏には実はすこし怖かった。

 しかし、そんな内心を知ってか知らずか。後醍醐帝の方は高氏をひどく気に入っているらしい。

 人と人の相性というものは、いつの時代も不可思議である。


◇◆◇


 高氏は京に来るまで自分は貴顕であり尊貴であると思っていた。名門足利家の惣領として人より傅かれる立場であると、自覚していたからである。

 だが京に来て武家の身分と扱いがいかなるものかを身に染みて知った。京の民草にとっては自分も貴族も等しく貴顕であり尊貴であった。だが朝廷の貴族にとってはたとえ源氏の流れをくむ足利家の惣領であろうと、京の民草と同じく尊貴ではなかった。

 高氏をしてその事を直観せしめたのが、ほかでもない今御簾の向こうにいる後醍醐の帝だった。


 後醍醐帝は不屈の王である。

 誕生以前から存在する武家の圧力。隔絶した勢力差。幾たびもの敗北と挫折。それでも折れずただ巌の様に厳然とそびえたつ意志。そこにあるだけで人を平伏せしめ、叛意をへし折り、人心を集める。

 敵対するものを調伏する不動明王のごとき力の尊貴であった。

 高氏がなんとなく装っていたまやかしの尊貴ではない、本物の尊貴がそこにあった。 

『尊さ』とは力だ。そう思った。

 その事実は高氏の思考を一転させた。先祖から受け継いだ武家の棟梁への野心も、直義ら足利一党が願う成り上がりの意志も、遠く感じられた。

 ――とても、かなうものではない。

 そう思ってしまったのだった。


 そう思えば、足利家の尊貴とてしれたものだと納得できた。そもそも幕府の主は将軍である。得宗だろうか北条一門だろうが将軍の家臣――御家人でしかない。その同じ御家人から名前の一字をもらってありがたがっているのが足利家である。

 鎌倉の、御家人の中の、本当に狭い世界で血筋だけが尊ばれるだけの、平氏の支流である北条氏の風下にたって平伏していた、足利家なのだ。

 そこまで思って、実感した。御家人たちが高字を捨てたがるのがわかった。押し付けられ押しつぶされた過去と決別したいのだ。重荷でしかなった記憶を捨て去りたいのだ。

 高氏は「高」を捨て去った自分を想像してみた。なるほど「せいせい」した気分だった。

 どんな名前がいいかはわからないが、「高氏」よりはましな気がした。

 そんな事を考えていると、ようやく御簾の向こうから声がした。


「高氏。――六波羅にあって、よう励んでおるな」

「は。……才無き身にて」とかしこまって答える。

「ただただ懸命に。ゆき届かず申し訳ありません」

 向こうからは軽い頷きとともに苦労を共にするものとしてのいたわり気配がある。

「一新の治世、なにかもが手探りじゃ、高氏こそと頼みおく」

「御諚、身に余ります」


 そして、にわかに会話の行方が変わった。


「高氏。武家においては主の一字を与えられ名を変える風があると聞く。左様相違ないか」

「は。相違ございません」


 どうも、今日は名前の話ばかりだな。

 高氏は内心首をひねった。だが内心だったのでむろん他者にはわからない。

 帝もまた高氏の困惑には全く気付かぬ様子で言葉をつづけた。


「それゆえにである。そなたの主君は今は朕である故、朕はこの度、そなたに、わが諱の一字――『尊』の一字をとらすこととした。

 以後は『高氏』を改めて、『尊氏』と名乗るがよい」


 後醍醐帝の名は、尊治(たかはる)である。


 ――はあっ! 


 高氏の脳髄は一瞬の閃光でも浴びたかのように真白に焼けた。


「親房。久通にも左様申せ。――よいな。」

「…………御心のままに」

 そんな帝と北畠親房、二人の会話も今の高氏には届かない。


 尊氏、尊氏……足利尊氏だと!


「た、尊氏と……」


 そう口にした瞬間、高氏は思わず叫び声をあげそうになった。

 体の震えはいよいよ激しく脂汗が額に滲んだ。

 震えて伏せるその腹の内。今までは何もいなかったはずのそこに、何か恐ろしいものがのたうっているような錯覚をおぼえた。

 怖かった。身も世もなく叫びたくて泣きたかった。

 まるで、自分自身をぐるりと裏返しにされたかのような、恐ろしさがあった。


「ひ、非才のみに格別の思し召し。きょ、恐懼の極み」

 ――自分は、いったい今、何を植え付けられたのだろう?

 一刻も早く、この畏れから逃げだしたい。その一心で儀礼の文言を吐く。

「つつしみて、御一字、拝領つかまつります」


◇◆◇

 

 建武二年。関東で北条高時の遺児・時行が蜂起する。中先代の乱である。直義は敗北して鎌倉は陥落。尊氏は直義を救うべく勅許を待たずに軍を発し北条氏残党を破って鎌倉を奪還するが、朝廷からの帰洛命令を拒否。

 後醍醐天皇はこれを反逆とみなし両者の間で『建武の乱』が始まる。


 後醍醐帝と足利尊氏の関係破綻とともに新政も破綻し時代は動乱へと大きく動いた。

 御家人中の尊貴に過ぎなかったはずの若者――『足利尊氏』を一方の主役として。


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高氏、偏諱を賜う【KAC2021 お題『尊い』】 石束 @ishizuka-yugo

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