尊いお方【KAC20218】

冬野ゆな

第1話

「まあまあ、こんなへんぴなところへようこそお」


 婆さんは方言特有のイントネーションで言った。

 しかし、言葉そのものはほとんど標準語と同じだ。ホッとする。


「すみません、お世話になります」

「どうぞどうぞ、おあがりになってくださいなあ」


 俺はK県山中にある小さな村に来ていた。

 俺の大学の研究室では小さな民間信仰の調査をしていて、今回はそのフィールドワークだった。


 この村――Y村では、「尊いお方」とだけ呼ばれる小さな神社を祀っている。それがこの村独自の信仰となって、いまだに生きているというのだ。いまでも年に一度、祭りという名の神事が行われているようだ。

 なんでも伝承では、この近くにある「おとろし谷」と呼ばれる谷に、巨大な怪物が現れた。村人が困り果てていたところ、たまたまやってきた旅人が、怪物のことは自分に任せろと言って向かっていった。その夜、谷からは怪物の恐ろしい唸り声が何度も響いた。翌朝、谷は静かになったが、旅人は帰ってこなかった。おそるおそる村人が見に行くと、怪物も旅人もすっかり消え去っていた。

 それから、この村では「尊いお方」を崇め、「尊いお方」のための祭りが開かれ、儀式が行われるのだという。


「おとろしっていうのは、『おそろしい』とか『こわい』とか、そういう意味でねえ」


 この伝承のせいか、田舎の村にありがちな余所者への拒否感も感じられなかった。すっかり過疎になった村だが、余所者である自分を見かけると、むしろにこやかな対応のほうが多い印象を受ける。


「『尊いお方』というのは、僧侶や山伏なんでしょうか?」

「そんなの! あたしたちにとっちゃ、神さんだから」


 なるほど、この言い方からすると落ち延びてきた貴族や侍の可能性もある。

 海のほうなら渡来神として祀られることもあるが、こんな山の中でやってきたものが神になるというのは相当だ。


「ああ、それでねえ」

「はい?」

「取材、だったっけ? 若い人がおったほうがええで、あんたも参加してやあ」


 取材ではなく調査なのだが、その申し出にはありがたく乗っかることにした。お礼を言ってから、荷物を置いて周囲の写真を撮りに出かけた。

 森に囲まれた里山は、崩れかけた家屋も見られた。ただでさえ小さな村は、周囲の森に呑み込まれてしまいそうだ。それでも村人たちは俺に対してにこやかで、祭りに参加するのか、こんな若い人が来るなんて久しぶりだ、とにこにこと笑っていた。

 これほど余所者に対して拒否感が無いのに、過疎になるとは。時代の流れだろうか。それとも、内部の者に対しては厳しいとかなんだろうか。アクセス面においては最悪といっていいから、むしろそっちが関係しているかもしれない。

 俺はスマホで写真を撮っていった。


 あらかた村の写真を撮り終えると、「尊いお方」が祀られた神社へと足を向けた。神主だという男にこれまたにこやかに案内された。


「聞きましたよ、若い方が来てるって」

「はあ、まあ」

「どうぞどうぞ、好きなだけ撮っていってください。さすがに社の中は公開できませんが」


 神社と銘打ってあるものの、祠がひとつあるきりの小さなものだった。

 掃除だけはされているようだが、あとはほとんど古びてしまっている。もっと住人がいれば、立派な社に建て替えることもできただろうに。

 俺は祠に向けて手を合わせた。

 どこからともなく、轟々と音がした気がした。


 それから宿代わりの老婆の家に戻ると、ずいぶんと豪勢なご馳走が用意されていた。


「おおっ、豪華ですね」

「そうでしょう。山菜とか魚とか、持ってきてもらったんだわあ。ささ、どうぞおあがり」

「ありがとうございます」


 手を合わせると、どやどやと村の老人たちが、酒を持って現れた。


「谷中さん、あんた、明日が本番だってのに酒なんか飲んで」

「いいっていいって。堅いこといいなさんな! ほら、坊主、おまえイケるくちか? ん?」

「え、ええまあ。ちょっとは」

「そりゃいい!」


 田舎特有の距離の近さに少し引いてしまったものの、酒が入るとすぐにそんなことは気にならなくなった。

 俺はいい気分で、村の人たちと一緒に飲み明かした。


 次の日になると、起きたのは既に午後になってからだった。

 他の村人はもう帰ったとみえて、俺は部屋に一人で寝かされていた。


「……やっべ」


 思わず勢いよく起き上がる。飲み過ぎたのか、頭がくらくらした。がらりと障子を開けて、男が一人入ってきた。昨日の谷中と呼ばれた老人だ。


「ああ、お客さん。もうすぐ祭りが始まるでよ。ほれ、準備したら連れてってやるわい」

「すみません。どうも飲み過ぎたみたいで。あなたは……?」

「ええってええって」


 俺は水をいただいてから、準備を済ませてスマホを首から提げた。

 その頃にはすっかり夕方も過ぎて暗くなっていて、俺は谷中さんに連れられるようにして家を出た。


 あたりは提灯を持った村人たちが、ぞろぞろと山のほうへと歩いていくところだった。俺たちはそれに混じって、山のほうへと歩いていった。

 神社を通り過ぎて、更に山の奥深くへと分け入っていく。

 どこまで行くのだろう。


「もうちょっとだでよう」

「がんばれー」


 谷中さんやまわりの村人に励まされ、俺は何度か村人たちの写真を撮った。

 村人たちは機嫌がいいらしく、ピースまでしてくる始末だ。もう少し普段の祭りに近い様子を撮りたかったんだが。思わず苦笑する。

 そんなことをしている間に、深い山の奥へとたどり着いた。


 開けた場所へつくと、目の前に巨大な穴が見えた。

 驚いた。

 谷というから、渓谷や下に川が流れたところだろうと思っていたが、むしろこれは巨大な穴としか言いようがない。下のほうは暗く、何があるのかわからない。巨大な洞窟の入り口のようにも見える。

 その大穴を前にして、祭壇が作られている。祭壇には神主の男がいて、神妙な面持ちで祝詞をあげていた。

 不思議なことに、俺達はその祭壇の前に突っ立っているらしい。


「大丈夫大丈夫。わしらは慣れとるでの。もし良ければ、わしが腕を持っとるからの」


 谷中さんはにこにこと笑って、俺の片腕を掴んでくれた。

 それでも足の先から恐怖がせりあがってきて、僅かに足先が退いた。からん、と足で飛ばされた小さな石のかけらが洞窟へと落ちていく。巨大な入り口に反して、その音はどこまでも響くように思えた。

 つまりこれが、怪物の出てきた谷ということだ。

 確かに怪物がいてもおかしくない。


「す、すごいっすね……」


 引きつったように谷中さんを見る。そのとき、周囲にいた村人たちが俺に向けて手を合わせて祈っているのに気付いた。

 神主の男が御幣を振り払う。


「ありがたい、ありがたい……」

「ようやく『尊いお方』が現れるぞ」

「ここしばらく旅人が来んでよう」

「いったい何年ぶりの儀式になるのか」


 何を言っているのか、しばらく理解できなかった。


「え?」


 いや、理解するのを拒否した。

 そのとき、穴の下のほうから轟々というような唸り声が聞こえた。


「え……なに……」


 もしかして、あの伝承は――。

 「尊いお方」になったのは、旅人のほうではなくて……。


「尊いお方」

「我らを導く尊いお方」

「どうかこの贄を受け取りたまえええ……!」


 村人たちの声に応えるように、俺の前にうねうねとした巨大な触手が迫った。

 それは穴の下から続いていて、俺の体を易々と空中に浮かせた。


 穴の下から、巨大な目が、俺を見ていた。獅子のような顔。髪の毛のような触手。ばらばらに牙の生えたあぎとが開き、轟音のような音を立てた。


 俺の悲鳴は深い穴蔵の中へと吸い込まれ、それがこの世での最期になった。

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尊いお方【KAC20218】 冬野ゆな @unknown_winter

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