かいまちがい

井ノ下功

引っ越しは楽じゃない


 春といえば花見に卒業式に入学式にと風物詩は数多ありますが、その内のひとつに“引っ越し”というものがありましょう。新居に移る方、あるいは実家に戻る方、色々いらっしゃるのではないでしょうか。


 さて、ここに皆様と同じく引っ越し準備に追われる俊太という男がおりました。


「いや、悪いな結城」

「構いませんが、手間賃はいただきますよ」

「はいはい、一杯奢りな。じゃ、行ってきます!」


 結城は慇懃無礼だけど面倒見のいい後輩。彼に留守を任せて、買った物を自分で部屋に運び、次の買い物の間にセッティングしておいてもらう作戦です。幸か不幸か、すぐ近くにお値段以上の家具屋がありましたから、配送料をケチったわけでした。

 さぁ体力自慢の俊太、さっそく両手をいっぱいにして帰ってきて、荷物を解くが早いか、


「あ、LED一個足りなかった」

「何やってるんですか」

「次にまとめて買ってくるよ! じゃあ、設置はよろしく!」


 結城に後を任せて二度目の出立。

 今度は忘れずにLEDを買ってきて、


「あ。台所の換気扇フィルター忘れてきた」

「どうせまだ買う物たくさんあるんでしょう?」

「うん、まだまだまだ、だな! じゃあ行ってきます!」


 換気扇フィルターを見に行って、ふと俊太は気が付きました。そうだ調理器具を一切買っていなかった。包丁、まな板、まな板スタンド、それにお玉とフライ返し。それからフライパンと大鍋、小鍋。調理器具の多さに目を回しそうになりながらようやく部屋に戻って、ふと思い出します。


「あ。また換気扇フィルター忘れてきた」

「何しに行ったんですか?」

「まぁほら、調理器具も必要だし!」


 今度こそ。換気扇フィルターをいの一番にかごへ入れ、お次は細かな家電です。アイロン、トースター、電気ケトル……他にもいろいろあったけれど、さすがに持ちきれなくって一旦お預け。


「で、次はレンジ!」

「それも自分で運ぶんですか?」

「もちろん!」


 無事に電子レンジを運び入れて、これで家電は終わり――かと思いきや、


「先輩、ドライヤーは?」

「あー忘れてた……」


 今度はドライヤーを買いに行って、その目にひょいと飛び込んできたのはホームベーカリー。俊太は無類のパン好きで、うっかり誘惑に負けてしまいました。


「で、ドライヤーを忘れてきた、と」

「はい……」

「犬より悪くないですか?」

「もう一回行ってきます!」


 ドライヤーを買いに行ったついでに、歯ブラシやらタオルやらも一揃え求めました。

 その時はたと気が付きます。


「テーブルとか収納ケースとかカラーボックスとかも買わないと」

「運べます?」

「何回かに分ければ……」


 そういうわけで、組み立てが必要なカラーボックスのたぐいの運び入れに五往復。

 体力自慢の俊太も少しずつ疲れが出始めました。それもそのはず、エレベーターを使っているとはいえ、これでもう十二往復したのですから。

 けれどまだまだ引っ越しは終わらない。


「そういえば先輩、カーテンはいいんですか?」

「よくないでーす」


 またこのカーテンというやつが重くていけない。これにもまた二往復。


「風呂の椅子とかは?」

「あっ、あと洗濯のカゴとか!」

「俺カーテン付けときますねー」

「サンキュー! 行ってくる!」


 なんて言って下まで行って、ふとお腹が空いたなぁと思いまして。また間の良いことにランチカーが停まっている。魔が差した俊太は昼飯を二人分買って一度戻り、それを平らげてから再び出陣して、


「洗濯バサミを忘れてきた言い訳はそれだけですか?」

「うっす。……結城、米粒付いてるぞ」

「失礼」


 洗濯バサミを買いつつ少し物色したら、ふと皿を買っていないことに思い至りました。

 が、何が何枚必要なのかが分からない。結城に聞いてみようとしたのですが、昼飯の時にスマホを置いて、そのまま置きっぱなし。無駄に買うのは嫌だったので、一旦戻ることにして。


「普通どれぐらい買うもん?」

「基本的なの二枚ずつくらいで充分じゃないですか?」

「じゃ、そうするか」

「メモ作って行ったらどうです?」

「いや、大丈夫!」


 そう言って走りながら、俊太の頭の中では欲しい皿の枚数と残りの予算の金額がぐーるぐる。花見でどんちゃん騒ぎをする酔っぱらいのように踊り狂っているのでした。


「これで、食器類は揃った?」

「たぶん。あ、でも先輩、ボールとかそういうのって、パンを作るなら使いますよね」

「そうだったー!」

「やっぱりメモ作ったほうが……」


 ここまで来たらもはや意地。俊太はぐらんぐらんする頭を抱えてもう一度。


「これで良いかな……」

「あの、スミマセン、先輩」

「どした?」

「カラーボックス組み立ててたんですが、ちょっとミスって、ネジを曲げちゃって……」

「あー」

「あとごみ箱がないです」

「そうだった。じゃあ、ネジとごみ箱だな!」

「ごみ袋もお願いします」

「了解!」


 ごみ箱に細かいものを放り込んで運び、ようやくおしまいか。

 と思いきや。


「そういえば先輩、ベッドって買わないんですか?」

「あ」


 一番大きな物を忘れていたのでした。

 さすがにこれは配送してもらうほか無くて、俊太は配送票に住所を書きこんでいきます。ところが、


「えーっと、あれ? 205……は実家の部屋番号だな」


 あれこれやっているうちに、元々よくない頭の中がどんどんこんがらがってきて、数字がなんだかよく分からなくなっておりました。下一桁は同じ「5」だったから、「○05」であることは確かなのだけれど階数が3だったか4だったか5だったか。

 困り果てた俊太。ですが今度はしっかりスマホも持っておりましたから、結城に電話して聞いてみたところ、


「なぁ結城、俺がエレベーター降りるのって何階?」

『ええと、確かこれで21回目です』



   おしまい


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