二十一夜塔
鱗青
二十一夜塔
緑深い山麓に囲まれた村は
理由は単純。
「来たぞ、狼鬼共だ!」
今宵は二十一夜。縦に断ち割られた蒼い月の
四、五…十はいない。であれば…
急場で組み上げた
「皆の者、
狼鬼。戦国の終りからこの地の周辺を荒らし蹂躙している化物。その
高所から戦闘を指揮する己にはよく見える。他人と争った事が
よし、全員指示通り
目算通り、耳まで裂けた口から
己は頭の後ろで
狼鬼は日光の下では生きられず、新月の闇に乗じて移動する。人間の集落に狙いを定めると、月齢の始まりと同時に襲撃を企てる。
まず女を盗む。片端から根こそぎにし巣の中で孕ませ、
勝負がついた。
狼鬼の全滅を目視し、皆を
「お疲れ様です。丁度
己は
「はて?一体誰の事」
「楠様ぁ!」
怪訝な顔をする己を見つけ、寄り
「何だ
丸い顔がにこりとすると福々しさが一層際立つ。潰れ薬缶の丸刈り頭、驚いた鹿のようにつぶらな瞳。主人の許へ駆けつけた犬よろしく
「自慢の握り飯をこさえて来たか」
「うん。
茄子と油揚げの味噌煮の鍋も携えてきたらしい。ぷくぷくと愛らしい手に柄杓を構え、
「
「でけえ図体して度胸の方はからっきしだもんな」
「どうです楠様も?」
突き出された煮物は湯気を立てていたが、やんわり辞する。
「今は食欲が湧かぬ」
「そう言っていつも食いませんねえ。そんなじゃいつまで経ってもチビのままですぜ」
「できた女房だ。いつ
周りの連中が手を叩く。八十吉は赤くなって湯気を吹き、今度は人間の形をした桜餅になった。
「
鯉口をパチリと閉じ、己の様子を心配げに見守る八十吉に何でもないと首を振る。
「つくづくあべこべの
その言葉に己と八十吉は
つまり八十吉の正反対。
「通してくれ、怪我人だ!」
「俺は違う!化物になんかならねえ‼︎」
「黙れ!そう言った野郎は皆狼鬼になって、家族や仲間を見境なく食い殺したんでねえか!」
私は一喝。
「黙れ!」
若者は棒を呑んだように固まる。額の上に不揃いな傷穴があり、出血が激しいが止まりかけている。血潮に潰された表情は心なし凶暴に見える。
己はその前に跪き、深く息を吸い込んだ。臭いを探る。兆しがあるかどうか…
寂。
「…違う。狼鬼の匂いはしない」
己以外の全員が
狼鬼の厄介さは凶暴性ではない。噛まれた男はやがて狼鬼へと変貌するのだ。この村は月齢一夜目に襲われた。私が到着…というか倒れているのを村外れに住む八十吉に救われ、力を貸す
己は狼鬼の弱点を心得ている。その上鼻が利く為、人間と狼鬼の判別さえ出来る。村人は口々に
「御免なさい楠様。俺ら臆病で…」
「お前は優しいのだ。それに二人の時は下の名で呼べ」
八十吉の沈んだ顔が明るくなる。
「もう遅いね。
「頼む。己は
「分かった!」
弾むように家の中に入っていく八十吉と別れ、井戸端へ。先程は
悲鳴が聞こえた。八十吉⁉︎
取って返し、開け放しの引戸に飛び込む。
「もう一人いたのかよ」
嗄れた声を聞くまでもなく、獣と男臭さの渾然一体となった臭いが鼻っ柱を叩きつけてきた。
「狼鬼の親玉か」
村を狙う狼鬼は
「
己は腰の得物に手が伸びた。が、狼鬼は口元を大きく歪めて八十吉の着物の上半分を一瞬にして破り開く。己は動けなくなった。
「
「卑怯な…」
「卑怯上等!こちとら
狼鬼は舌なめずりしながら八十吉の剥き出しの胸を
「こいつの体良いなぁ。胸もあるし尻も出っ張ってる。女なら犯して孕ませてやるんだが…」
がぱあ。音を立てて
「
己は袂から袖を一気に
「何のつもりだ小僧。ははあ、俺様に
己は
「袴が汚れてしまうのでな──貴様の血糊で」
「言うてくれたな小僧。
狼鬼の牙が八十吉の肩肉に
しかし。
「な、なんだ?お前、どうして⁉︎」
己も狼鬼と同じものを嗅いでいる。常と変わらぬ八十吉の匂い。
「八十吉には既に己の手が付いている。貴様
己の腕が一瞬で太く
相手は声も出ずに腰が砕け、八十吉を放して尻餅をつく。
己は熊手のような手から爪を出した。刀より頼れる自前の刃。
「聞いた事があるぞ。俺達狼鬼は人間を
尻を地面に付けたまま
「やれやれ、そこまで知っているとは」
「貴様、いや貴方様は我等の上に立つお方では⁉︎それが何故仲間を」
己は溜息を漏らす。
「…辞世の句の一つも詠め」
「う、裏切りも」
「八十吉、大丈夫か」
「こ、怖かったよぉ汀ぁ」
八十吉は獣の姿の己に
あの日。山向こうで狩人に撃たれてしまい血を流しすぎた為に人化できずにいた己は、この村の畑の中で
そのつぶらな瞳は化物の毛皮の下に潜んだ
その印として八十吉の肌に牙を立てた。そしてその結果、己でも知らなかった狼鬼の特性の一つを知った。
「汀…床に、入る…?」
己は頷いた。八十吉の
「──馳走になる」
そう。己は知った。
肉を
今宵も己は、己の恋人を
二十一夜塔 鱗青 @ringsei
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