二十一夜塔

鱗青

二十一夜塔

 緑深い山麓に囲まれた村はおれが旅した西国の中でも大変に評判が悪かった。

 理由は単純。

「来たぞ、共だ!」

 今宵は二十一夜。縦に断ち割られた蒼い月のしたたるような夏の夜。村の出入口に集まり松明を掲げた男達が口々に叫ぶ。土と下草の匂いに彼らの体臭が加わり、むせてしまう。

 夜目よめの利く己には田畑と森の境目に四尺程の大きさの毛むくじゃらの塊が続々と現れているのが見渡せる。

 四、五…十はいない。であれば…

 急場で組み上げたやぐらへりに黒袴の片脚をかけ、下の男達に合図を告げる。

「皆の者、手筈てはず通りだ!」

 オウ!男達が頼もしいときの声を上げ、得物を手に塊に向かっていく。それに対して塊達は二本の足で立ち上がり、しゃがれた咆哮を辺りに響かせた。

 狼鬼。戦国の終りからこの地の周辺を荒らし蹂躙している化物。そのしょうは凶暴にして残忍。狼と人の中間の姿をし、鋭い爪と牙で人といわず牛馬といわず切り裂きむさぼる忌むべき存在。

 高所から戦闘を指揮する己にはよく見える。他人と争った事がほとんどない農民とはいえ、自分の家族や隣人を奪われた憎悪が彼らを獰猛な兵に変えたのだ。男達の奮闘を確認しほくそ笑む。

 よし、全員指示通り刺草いらくさを縫い付けた着物を着ているな。鎌やなたすきくわには魚の目玉を潰して塗り付けてある。これなら勝負はついたも同然。

 目算通り、耳まで裂けた口からよだれを垂らしながら突進してきた狼鬼共は男達の得物に傷を付けられると苦しみもがいて地面に倒れ、瞬時に黒い肉塊と成れ果てる。反対に男達を攻撃しようにも、着物に仕込まれた刺草に跳ね返されるようにその爪は彼らに届かず宙を薙ぐ。

 己は頭の後ろでまとめた総髪を撫ぜた。自身の出番は無さそうだ。

 狼鬼は日光の下では生きられず、新月の闇に乗じて移動する。人間の集落に狙いを定めると、月齢の始まりと同時に襲撃を企てる。

 まず女を盗む。片端から根こそぎにし巣の中で孕ませ、こどもは母親のはらを食い破りうまれる。それはすぐに成体へと変貌し人間を襲う。悪夢のような再生産が繰り返されるのだ。集落はまたたく間に全滅。そして次の村へ…という具合に狼鬼はむれを増減しながら移動を続ける。襲来と退散の激しさはさなが蝗害こうがい

 勝負がついた。

 狼鬼の全滅を目視し、皆をねぎらおうと櫓を降りた。一番体が大きな男が屈託ない声をかけてくる。

「お疲れ様です。丁度くす様のが来やしたぜ」

 己は楠本くすもとみぎわ。数えで十三。若いが侍の風体なりをしているので、村人はもじって楠様と呼ぶ。

「はて?一体誰の事」

「楠様ぁ!」

 怪訝な顔をする己を見つけ、寄りあつまった群衆から餅で作った恵比寿のような人影が手を振った。

「何だ八十吉やそきちか」

 丸い顔がにこりとすると福々しさが一層際立つ。潰れ薬缶の丸刈り頭、驚いた鹿のようにつぶらな瞳。主人の許へ駆けつけた犬よろしく団子鼻だんごっぱなを鳴らしている。今年十六になると聞くが育っているのは相撲取りのような体格だけで、中身は童子わらべの純粋さ。

「自慢の握り飯をこさえて来たか」

「うん。おいらこれしかできねえもん」

 茄子と油揚げの味噌煮の鍋も携えてきたらしい。ぷくぷくと愛らしい手に柄杓を構え、すくってはわんに盛って男達に手渡している。

うんめえ!八十吉は母ちゃん仕込じこみの料理だけは一人前…いや百人前だ」

「でけえ図体して度胸の方はからっきしだもんな」

 揶揄からかわれても八十吉は苦笑するだけ。己は夜食を配ったらさっさと帰るぞと言付いいつけた。

「どうです楠様も?」

 突き出された煮物は湯気を立てていたが、やんわり辞する。

「今は食欲が湧かぬ」

「そう言っていつも食いませんねえ。そんなじゃいつまで経ってもチビのままですぜ」

 かんさわり思わず腰の太刀に手が伸びる。八十吉がハッと気付いて前を遮り「楠様は少食だもん!俺らの家で食うだけで十分さ」と誤魔化す。命拾いした事にも気付かない相手は口笛を吹いた。

「できた女房だ。いつ何時なんどきも夫を立てる」

 周りの連中が手を叩く。八十吉は赤くなって湯気を吹き、今度は人間の形をした桜餅になった。

巫山戯ふざけた物言いも大概にしておけ」

 鯉口をパチリと閉じ、己の様子を心配げに見守る八十吉に何でもないと首を振る。

「つくづくあべこべの取合とりあわせだぁな」

 その言葉に己と八十吉はたがいを眺めやる。松明の下でも己の栗色の髪と薄灰色の瞳は隠しようがない。異人の血が流れているのは一目瞭然。体躯は四尺そこそこの短躯だが筋肉ししむら引締ひきしまっている。つら付きは鋭く愛想がない。

 つまり八十吉の正反対。

「通してくれ、怪我人だ!」

 にわかに群衆が騒然とする。両手を縛られて戸板に乗せられた若者が担ぎ込まれてきた。

「俺は違う!化物になんかならねえ‼︎」

「黙れ!そう言った野郎は皆狼鬼になって、家族や仲間を見境なく食い殺したんでねえか!」

 私は一喝。

「黙れ!」

 若者は棒を呑んだように固まる。額の上に不揃いな傷穴があり、出血が激しいが止まりかけている。血潮に潰された表情は心なし凶暴に見える。

 己はその前に跪き、深く息を吸い込んだ。臭いを探る。があるかどうか…

 寂。

「…違う。狼鬼の匂いはしない」

 己以外の全員がほうと息を吐く。縄を解かれた若者が拝むのを背中に感じつつ八十吉をともに櫓を離れた。

 狼鬼の厄介さは凶暴性ではない。噛まれた男はやがて狼鬼へと変貌するのだ。この村は月齢一夜目に襲われた。私が到着…というか倒れているのを村外れに住む八十吉に救われ、力を貸すまでに女全員を奪われ十人以上の男が狼鬼に堕とされた。

 己は狼鬼の弱点を心得ている。その上鼻が利く為、人間と狼鬼の判別さえ出来る。村人は口々にまことに良いをしたものだと褒めそやす。

「御免なさい楠様。俺ら臆病で…」

「お前は優しいのだ。それに二人の時は下の名で呼べ」

 八十吉の沈んだ顔が明るくなる。

「もう遅いね。とこ敷いとこうか汀?」

「頼む。己は水浴すいよくをしてくる」

「分かった!」

 弾むように家の中に入っていく八十吉と別れ、井戸端へ。先程はあやうかった。人間の血の匂いはきつすぎる…

 悲鳴が聞こえた。八十吉⁉︎

 取って返し、開け放しの引戸に飛び込む。

「もう一人いたのかよ」

 嗄れた声を聞くまでもなく、獣と男臭さの渾然一体となった臭いが鼻っ柱を叩きつけてきた。

「狼鬼の親玉か」

 村を狙う狼鬼は鏖殺おうさつしたと思っていた。目前にいる相手…八十吉を背後から羽交い締めにしている狼鬼…は背丈も横幅も全滅した狼鬼達に比べて段違いに大きい。

頭領おかしらと呼んでくれよ。もっともお前らのお陰で今じゃたった一人になっちまったがな」

 己は腰の得物に手が伸びた。が、狼鬼は口元を大きく歪めて八十吉の着物の上半分を一瞬にして破り開く。己は動けなくなった。

一分いちぶでも動いてみな。このなますにしてやるぜ」

「卑怯な…」

「卑怯上等!こちとらケモノだ。チビの癖に侍の袴なんか穿きやがって」

 狼鬼は舌なめずりしながら八十吉の剥き出しの胸をまさぐる。女のように豊かな乳房に毛むくじゃらの太い指が這い、柔肌に食い込む。八十吉の顔が恥辱に染まり、己と目をあわす事も出来ず高い声で呻く。

「こいつの体良いなぁ。胸もあるし尻も出っ張ってる。女なら犯して孕ませてやるんだが…」

 がぱあ。音を立ててあぎとが開く。唾液の糸を垂らし、狼鬼の牙が八十吉の肩に降りていく。

せ!」

 己は袂から袖を一気に引抜ひきぬき上衣を脱ぐ。袴の前を解いて落とす。白い褌だけの姿となった。

「何のつもりだ小僧。ははあ、俺様にくわれ易くする為に包み紙を解いてくれた。そういう心掛けか?」

 己はまなじりを細くして呼吸を整える。

「袴が汚れてしまうのでな──貴様の血糊で」

「言うてくれたな小僧。生憎あいにくお前をほふるのは俺ではない。お前の仲間だ!」

 狼鬼の牙が八十吉の肩肉に深々ふかぶかと突き立った。悲鳴と共に赤いすじが流れる。勝ち誇り、下卑た顔で獣がわらう。

 しかし。

「な、なんだ?お前、どうして⁉︎」

 己も狼鬼と同じものを嗅いでいる。八十吉の匂い。

「八十吉には既に己の手が付いている。貴様ごと鬼力きりき弱き新参が眷属けんぞくくだすなど片腹痛い!」

 己の腕が一瞬で太くふしくれだち、こわ毛並けなみに覆われる。痩身短躯が爆発したように膨れ、巨大な狼鬼が現れた。

 相手は声も出ずに腰が砕け、八十吉を放して尻餅をつく。

 己は熊手のような手から爪を出した。刀より頼れる自前の刃。

「聞いた事があるぞ。俺達狼鬼は人間をくらほどつよくなり魔力を、人型を保てるようになる。古参の、ほんの数人は陽の光の下でもビクともしないと…」

 尻を地面に付けたまま後退あとずさっていく相手を余裕を持って追いかける。壁際に追い詰めた。

「やれやれ、そこまで知っているとは」

「貴様、いや貴方様は我等の上に立つお方では⁉︎それが何故仲間を」

 己は溜息を漏らす。

「…辞世の句の一つも詠め」

「う、裏切りも」

 みなまで聞く気はない。両腕を振りかざし、十字に振り下ろす。一匹の狼鬼は十六に分解された。己の鬼力にあてられたそれは、血を流すいとまもなく焼けただれて灰と化す。

「八十吉、大丈夫か」

「こ、怖かったよぉ汀ぁ」

 八十吉は獣の姿の己にすがり付いて泣く。自身の中に湧き上がる安堵と、比例してたかまる欲望に体が震える。

 あの日。山向こうで狩人に撃たれてしまい血を流しすぎた為に人化できずにいた己は、この村の畑の中で行倒いきだおれてしまった。八十吉は侍の格好をした狼鬼の己を見つけ、殺す事も村の他の人間に告げる事もせず手当てしてくれた。

 そのつぶらな瞳は化物の毛皮の下に潜んだ人間おれが見えるようで、痛みに暴れる己をずっと抱き締めてくれていた。

 恢復かいふくした己は誓った。八十吉、お前をまもる。この命ある限り。

 その印として八十吉の肌に牙を立てた。そしてその結果、己でも知らなかった狼鬼の特性の一つを知った。

「汀…床に、入る…?」

 己は頷いた。八十吉の襤褸ぼろになってしまった着物を優しく脱がし、敷いてあった薄い布団に柔らかな体を横たえる。そして己も褌を解き…

「──馳走になる」

 そう。己は知った。

 肉をむ以外での人間のを。

 もつれ合いながら一つになる人間と狼鬼を、二十一夜の月が明かり取りの窓から照らす。

 今宵も己は、己の恋人をむさぼるのだった。

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