21回目の悪行

冬野瞠

或る男の曰く

 20回の善行で天国へ、20回の悪行で地獄へ行く。

 俺が生まれ育った国の国教では、生前の善行と悪行の数によって、死後に行く世界が分かれるとかれている。天国では永遠の安らぎが、地獄では永遠の苦しみが、それぞれ約束されているのだと。というわけで、ほとんどの国民は善行を積むことに熱心だ。

 俺も死後の世界での望みを叶えるため、週末には自発的に教会へ通い、聖職者のありがたいお話をふんふんと聞き、そして。

 せっせと悪行を重ねていた。



 俺の望みは地獄にちることだ。

 地獄に堕とされた人間は、灼熱の炎によって全身を焼かれ、生前に犯した罪の罰として苦行を科され、永遠の苦しみと痛みに肉体をさいなまれるのだという。

 想像するだけで全身がぞくぞくと震え、頬がひりひりするようだ。この世で体験できるすべての極限状態を遥かに凌駕するスリルが、地獄では俺を待っている。既に死んだ後なのでいくら苦しんでも死ぬことはない。なんてエキサイティング。なんて刺激的。地獄に堕ちた自分を想像すると、いつもうっとりと恍惚状態になってしまう。

 皆がなぜこぞって天国に行きたがるのか俺には理解できない。そこでは何もかもが満ち足りて、争いはなく、心地好い音楽と美味しい食べ物と優しい人々が笑い合って永遠に過ごすのだという。何だそりゃ? そんな退屈極まりない日々を永久に送り続けるなんて、最悪すぎて反吐も出ない。天国なんてクソ食らえだ。

 死後の世界を選ぶために重要なのは、何が善行で何が悪行にあたるのか、聖典には書かれていないということだ。よっぽどの行為でないと数のうちには入らないのではないか、と俺は教会での説法を聞くうちに考えるようになった。善行なら人命を救助するとか、悪行ならその反対、とかだ。

 地獄に行くためなら、俺は何だってやった。

 幼少の頃から物を盗んだり、学校で上級生を殴ったりするのは日常茶飯事。親は神妙な顔をして何度も俺を教会に連れていったが、そもそも教義を信じているからこその素行の悪さなのだから、逆効果と言うほかなかった。

 成人してからはもう、好き勝手に色々なことをやった。肩が触れただけの通りすがりの男に大怪我を負わせる。澄ましたツラをした金持ち連中から詐欺で莫大な金銭を巻き上げる。 いつしか俺は犯罪組織の親玉になっていて、他の古株組織に目をつけられていた。新興勢力にはありがちなパターンだ。

 指折り数えて20回目のでかい悪行。俺の最期の悪事は、その古株組織の襲撃だった。

 相手もうちの奴らも、同じくらい死んだだろう。埃だらけになった空間で、とうとう俺も敵対する人間に取り押されられた。お互い躊躇せずに拳銃を突きつける。ほぼ同時に引鉄ひきがねが引かれて、銃声が重なった。

 最期が相討ちなら悪かないだろう。やっと死ねるのか、と慣れ親しんだ硝煙の匂いを感じながら考える。待ち望んだ永遠の苦しみがどんなものか、薄まる意識で楽しみに思った。



 気づいた時には、俺はどこかへ一列になってぞろぞろと歩いていく人々の群れに加わっていた。それでああ死んだんだなと分かった。前方には無駄に凝ったどでかい装飾の門がある。あそこで天国行きか地獄行きかを決めるのに違いない。

 俺のすぐ前にいるのは聖人君子みたいに柔和な顔をした初老の男だった。こういう奴が無事天国に召されてクソつまんねえ日々を過ごすんだろう。死んだ後もこんなのと顔を合わせるなんて御免だから、そこは住み分けってやつだわな。

 門の傍らには、荘厳な雰囲気を纏う人間の姿をした何かがたたずんでいた。羽根こそ生えていないが、いわゆる天使そっくりだ。色素の薄い豊かな髪は長く垂れ、伏せたままの睫毛は金細工のよう。こいつが死人の行く先を選り分けているようだ。

 俺の直前の聖人君子が裁かれる。


「あなたは生前、幼い子供の命を助け、猫の保護活動や紛争地域を援助する事業に尽力されましたね」


 けっ。絵に描いたような善人だ。胸焼けを起こしそうになっていると、次の言葉で思わず目を丸くした。


「よってあなたは――地獄行きです」


 えっ、と初老の男と俺の声が重なる。それも束の間、男の姿は一瞬で掻き消えた。おそらく、地獄に堕とされたのだろう。弁解の余地もなく。

 次は俺の番だ。天使風の相手の前に立つ。さっきの奴と会う可能性があるのは癪だが、自分は確実に地獄行きだろう。そのために人生を費やしたのだから。


「あなたは他人を思いやる心を持っておらず、たくさんの人を傷つけたようですね。人間社会における犯罪も数多く犯している。あなたは、天国行きです」

「……ッ、なん」


 で、と続けるはずだった声は形にならない。全身にものすごい衝撃を感じ、俺の体はどこか高いところへと一瞬で運ばれていく。



 訳も分からないまま、天国での極度に退屈な毎日が始まった。ここにはあまり人がおらず、どこかから運ばれてくる食べ物を一人で食って寝ているうちに一日が終わる。

 死ぬほどだるい日々を持て余していると、以前門で会った天使のような奴が巡回しに来たので、呼び止めて話しかけた。相変わらず睫毛を伏せて、無慈悲にほほえんでいる。


「なあ、あんたに訊きたいことがあるんだが」

「あなたが天国行きになった理由でしょうか」

「その通りだ。なあ、俺ぁ地獄に行くためにちゃんと20回悪行を重ねたんだぜ。それも並のやつじゃない。あんたの判断、おかしかねえか?」

「私はしゅからのお言葉を皆様にお伝えしているだけです。私は神使に過ぎませんから」

「……」

「とはいえ、納得できないご様子ですので、少々ご説明をして差し上げましょう。……あなたが大怪我を負わせた男、彼はあの足で大量殺戮をなそうとしていたのです。あなたが詐欺をはたらいたおかげで、人民の富は分配され、平等に近づきました。その他の人間の罪も、主は善行と判断なさったのですよ」

「そんなの……俺は知らねえ」


 愕然とする俺をよそに、神使と名乗った相手は鷹揚おうような態度を崩さない。


「それはそうでしょう。あなたはきっと、裁きの場であなたの直前にいた男のことも気にしていらっしゃいますね。……彼が助けた子供は15歳の時に人を殺め、未成年だからという理由で大した罰も負わずに社会復帰しました。彼に保護された猫は野放図に飼われ、各地で野生動物の絶滅の手助けをしています。彼が紛争に介入したおかげで、その国の人口爆発が起こり、飢餓と新しい争いの種となってしまったのです」


 言葉が継げなかった。それで悪行だと言われてしまったら、人間が意識して善行や悪行を重ねるのは不可能に思える。

 神使はやや悲しげに表情を崩して俺を見た。もっとも、瞼は完全に閉じられていたから、本当にこちらを見ているのか怪しかったが。


「今申し上げたのは理由の一部に過ぎません。あなた方の頭で理解できそうな事柄は、今説明したものくらいです。何が善行で何が悪行にあたるのか、人間が理解する日は来ないでしょう。永遠に。……すべてはあるじのみぞ知ることです」


 つまり、俺の人生は徒労だったというわけだ。地獄を渇望して、そのために命を燃やしたというのに。

 握りしめた両拳が震えていた。もちろん、こんなことで望みを諦める俺ではなかった。


「なあ……あんた、よく見たら綺麗な顔してるよな」


 神使がきょとんとして小首を傾げる。俺はにやりと笑って見せた。


「ここであんたを俺の好きにしたら……それは悪行のうちに入るかな?」

「それは……さあ、どうでしょう」


 驚いた神使の目がとうとう薄く開いて、冷たい、どこまでも冴えた色の瞳が覗く。

 ああ。熱い溜息が漏れそうになる。否定しないということは、今からでも地獄に行ける可能性があるってこったな。

 それなら天国ここで、悪辣に下劣に粗暴に邪悪に振る舞って、地獄行きのチケットを掴んでやろうじゃないか。

 神使の肩口をぐいと鷲掴みにする。これが人間にとっては21回目の、神サマにとっては1回目の悪行だ。

 待ってろよ、俺の地獄天国

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