怠け者のブランチ
かどの かゆた
怠け者のブランチ
起きると、八時半だった。
リビングの方から、母親が食器を洗う音が聞こえる。
俺は、八時半という時刻が嫌いだ。学校や仕事が始まる時。自分は何をやっているのだろうという気分が、いつもよりずっと強まる。
カーテンの閉じきった自室は、薄暗くて埃が舞っていた。枕元にはスマートフォンと、帯のぐしゃぐしゃになった漫画。ニートになりたての頃はひたすら漫画やゲームを楽しんでいたが、最早それで全てを誤魔化せる段階は過ぎていた。
あれだけ好きだったこの漫画も、今では読もうとするだけで疲れてしまって、満足に楽しむことができない。体力の低下を感じる。一日中寝たままの生活を送っていれば、そうなるのも当然だった。
起き上がってみようか、と思う。
意志とは裏腹に、心も身体も、これ以上動くのを拒否していた。
いっそ死んでみるか、と思う。
多分俺は死んだ方が世のためなのだと思うけれど、やっぱり死ぬのは怖かった。
どうしてこうなったんだろう。俺の何が悪かったのだろう。
必死に勉強して、無理して良い大学に入って。そして、自分の無能さを思い知った。賢さもコミュニケーション能力も、全てが欠如しているのが俺だ。
始めたバイトもすぐに辞めさせられた。単純な作業をし続けるのがどうしても苦痛なのだ。中学や高校の頃に馬鹿にしていた成績の悪い奴らよりも自分の方が仕事ができないということに気付いて、愕然とした。
それで結局オンラインゲームに逃げて、留年して。その上逃げた先のゲームすら辞めてしまった。俺が一日中ゲームをしたところで、本当に上手い人には全然追いつけなかったのだ。
そうやってどんどん逃げ先を失って、自分で自分の首を絞めて、俺は結局二十七歳になった今も実家で息を潜めている。
考えれば考えるほど、苦しくなるだけだった。
俺は八時半という時刻から目を逸らし、また布団を頭から被る。そして、これ以上余計なことを考えられないよう、意識を手放した。
起きると、十一時だった。
母親はもう、パートに出かけている頃だろう。
今度こそ、起き上がるか。
「……起き上がって、どうなる?」
口が勝手に動いて、自分のことを嘲笑する。
でも、起き上がらないと。
「意味なんか、ねぇよ」
起き上がって、食事をしないと。
「お前に何かを食べる権利があるのか?」
でも、死にたくない。だから起き上がるんだ。
「どうして死にたくない?」
死ぬのは怖い。
「どうして怖い?」
死んだらもう、何もかも終わりだからだ。何も出来ないし、未来もない。
頭の中でそう答えると、俺はまた笑った。
「なんだよ。死んだって別に、今となんら変わりないじゃないか」
俺は、死んでいるのと同じだった。俺の生に、意味などなかった。
結論が出て、俺の心臓がきゅっと固く縮まった。天井を見つめていたら、瞳が潤んでいくのが分かった。
「どうして悲しむ?」
本当は、気付いているから。
「何に?」
俺が動けば、何か変わるかもしれないってことに。
でも、これ以上傷つくのが怖いから、俺は起き上がれないんだ。この世には俺にとって怖いものが多くて、あまりにも多すぎて。ちっぽけな勇気や気まぐれでは、この身体は動いてくれないんだ。
起き上がれ。
起き上がれ、起き上がれ。
起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ、起き上がれ。
起き上がれ、俺。
「……はぁ」
そして、俺は布団から出た。
立ち上がって、リビングへ行くと、ラップされた食事が食卓に並んでいた。母親が残していってくれたものだろう。
酷く情けない気持ちになりながら、ラップを外す。
朝食とも昼食ともとれない食事。作業のように目玉焼きを口へ食べ物を運び、俺は今日も生きることを選択した。
結局あれだけ頑張って起き上がっても、何も変わりはしないし、誰も褒めてはくれなかった。
苦しいなぁ、と思うのは、きっと甘えなのだろう。でも、それが俺の素直な気持ちだった。誰か分かってくれる人が居ないかな、と思う。多分、これも甘えだ。
でも、でもさ。
誰かが優しく「頑張れ」って「結果なんて残さなくて良いから自分のペースでやってみて」って。そう言ってくれるなら。
俺は一度目の「起きなきゃ」で、起き上がることが出来る気がするんだ。
気がする、だけかもしれないけど。
怠け者のブランチ かどの かゆた @kudamonogayu01
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