最後の忍
すえもり
最後の忍
動乱の二十世紀に人類が別れを告げ、新たな世紀に突入して三ヶ月。新時代の幕開けを祝うイベントの熱も冷めてきた頃だ。俺は過去の遺物――とある田舎の廃屋にいた。
人が住まなくなってから一体どのくらい経つのか、肋を晒しているような姿の古屋。天井に空いた穴からは夜空の星さえ見える。
自然の力に押し戻されていく廃墟には、春の夜にふさわしい甘い草花の息吹を含んだ空気ではなく、生い茂る雑草の青臭さと土臭さとが充満している。
好きでこんな荒れ果てた場所に来ているわけではない。大学の廃屋同好会のメンバーでもなければ、映画サークルのロケハンをしているわけでもない。
気配を消し、神経を研ぎ澄ませ、手にした
まだ原型を留めている座敷の、障子紙が破れた箇所から、庭木のあたりを微かに動く人影を捉えた。瞬間、人影からノーモーションで放たれた銀色の軌跡を間一髪のところでかわす。凶器は、皮一枚ぶんだけ首の外側をすり抜け、背後の柱に突き刺さった。
なんつう腕だ。
少なくとも十メートルは離れているというのに。
敵ながら惚れ惚れする腕前に感嘆している暇はなく、間髪を入れず飛来する第二、第三の刃が、ほんの一瞬前まで俺の脳天があった場所に襲いかかる。しゃがんで避ける間も、相手の影を目で追っていた俺だったが、頼りない新月の明かりのもとでは、すぐに見失ってしまつた。
素早さで相手に敵わないことは、この二十年と数ヶ月の修行の間に痛いほど思い知った。だから、相手がやられっぱなしの俺に苛立った時が反撃のチャンスだ。それまで、あの刃をかわし続けなければならない。
俺か、あいつが倒れるまで、この命がけのかくれんぼは続く。生き残りを賭けた戦いを勝ち抜いたほうが、二十一回目の誕生日を迎えられる。それが千年もの間守られてきた、
二十一世紀にもなって、こんな残酷な風習がまだ残っているところが日本にあると聞けば、警察は黙っちゃいないし、テレビ局やら出版社やらがこぞって集まってきそうなものだが、柳月家の名を知る者は、今この世にたった二人。俺とあいつ――従妹の
そして今夜、どちらか一人だけになる。
ところで、現代の忍びは手裏剣や撒菱などは使わない。もちろん現代でも有用な場面はあるのだろうが、そもそも簡単には手に入らない。代わりにナイフや拳銃を使う。拳銃を手に入れるツテがない今はナイフのみとなる。
主な仕事は情報収集で、つまるところスパイだ。暗殺も請け負うが、この平和なご時世、依頼は滅多に来ない。普段は登録している探偵事務所から回される仕事で食べている。
ナイフの腕は、護身以外にほとんど役立つことはない。しかし忍の誇りをかけて、日頃から鍛錬するよう親から厳しくしつけられた。
息を潜めて物陰から外の様子を窺っていると、すぐ近くでわざとらしい足音が聞こえた。
「
静のハスキーな声に、微かに苛立ちが混じっている。そりゃ、二時間もやっていれば、さすがに飽きてくる。
「俺も、そう思ってたとこだよ」
姿を現した瞬間に狙われないよう、最大限の注意を払いながら庭に出る。艶のある黒髪ショートカットのボーイッシュなスタイルは、幼い頃から変わらない。あまり発育のよろしくない、小柄で凹凸の少ない体型だが、睫毛の多い切れ長の瞳は、見るものの庇護欲をそそる危うさを持っている。その両手には、俺が手にしているものと同じナイフが握られていた。
視線が交差する。ほぼ同時にど地を蹴った。四本のナイフがぶつかり合い、火花を散らす。
しかし勝敗はすでに決まっている。俺が勝手に決めた。静が知れば絶対に許さないと分かってはいるが。
だって、惚れた人に殺されるなら本望だろう?
相手には生きていてほしいと思うものだろう?
かつては、映画や漫画の中で恋人のために喜んで命を差し出す人物の気持ちが全く分からなかったが、今はわかる。理屈で説明できるものではない。
あとはどうやって本気のフリをして戦い、負けるかだ。運が良ければ、俺のために涙を流すあいつを見られるかもしれないな、なんて甘い考えを抱いていたりする。泣いてくれなかったらどうしよう。
なんで惚れちゃったかな。でも可愛いんだよな。
軽やかに身を躍らせる静の動きには、無駄ひとつない。俺が互角で戦えているのは、同じ技を叩き込まれてきたからで、腕のリーチが少しだけ長く、刃を弾き返す力が少しだけ強いからだった。
実力は完全に静の方が上だ。
疾く重い一撃を弾き返す。骨と関節に衝撃が響くほどに鋭い。身体の延長のように自由自在に刃を扱う静は、その先端に千年の重みを乗せている。
あのまま心臓を貫かれてしまえば良かった。それが出来ないのは、身体に染み込んだ鍛錬と、どうしても最後に伝えたい言葉があったから。
急に肉薄され、一度は避けられた突きをかわせず、俺はバランスを崩した。後方に下がろうにも、そこには松の木があるのがわかっている。
静は顔色ひとつ変えず、ナイフを俺の首元めがけて突き出した。先端が、月光を反射して冷たく光る。目が合った。いま言うしかない。
「好きだ」
静は、目を見開いて、ぴたりと動きを止めた。
「卑怯な手だね」
「いや、これは作戦じゃない。そうだとしても、こんな手に引っかかって躊躇ったらダメだろ」
俺がナイフを手放すと、静は唇をぐっと噛んだ。
「拾って。今すぐ」
「俺は、本当ならもう死んでるはずだからな。遠慮なくやってくれ」
静の手は震えていた。静は俺と違って、まだ人を殺めたことがない。だから躊躇しているのだ。
「迷ってる間に、やられちまうぜ?」
「……そうね。こんなんじゃ未熟だ」
静の顔から、殺気が抜け落ちた。
「静?」
「私はまだ、進には勝てない。決着は来年の今日につけよう」
「え?」
静はナイフを捨てると、呆けた顔で立っている俺の胸ぐらを掴んだ。顔が近すぎて目のピントが合わない。ほんの一瞬、唇に何かが当たる感触があった。
「またね」
あれから、静と俺の戦いは今年で二十一回目を迎えるが、いまだに決着はついていない。こうなったら次の世代が決着をつけてくれたらいいとさえ思っているが、静はそれを許さないのだった。子どもには、こんな残酷な運命を背負わせたくないと言う。そりゃ、俺も兄弟で争って欲しくなんかないから、まあ、これでいいのかもしれない。
最後の忍 すえもり @miyukisuemori
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