骨になるまで愛して ~破滅的な師匠へ、獣骨の弟子は幾度となく愛を告げて~
雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞
骨になっても愛して
「あたしの弟子になるか、少年」
降りしきる雨の中、
枯れた
その瞬間から、俺は心に決めたのだ。
きっと。
きっとこのひとに、ふさわしい男になろうと。
「もし、俺があなたを、愛してもいいのなら、弟子にしてください」
「
そうして、俺は彼女の弟子になった。
骨のバケモノ、人外と
当代最高にして、魔法薬の権威、偏屈モノの大魔女アムシャ・ニカイアの、最後の弟子に。
§§
「美味しいお茶が飲みたい。
「師匠、愛してます」
「秘蔵のブランデーを入れてくれ、たっぷり甘ったるいやつがいい」
「愛しています、師匠」
「……少年は、本当そればかりだな。あたしはそれほどでもないよ」
彼女は俺の言葉を鼻で笑い飛ばすと、また次の命令を伝えてくる。
それは身の回りの世話から魔法薬の調合に使った器具の洗浄、家事炊事に至るまで、どこまでも雑務でしかないことばかりだった。
だから、ほとんどなんの進展もなく、一年目は過ぎていった。
「少年の作るご飯は美味しい。とくにやたらスープが美味い。
「愛情を込めることです」
「なにか特別な調味料を使っているのだろう。いまのうちにゲロったほうがいいのではないかね? 魔法薬に応用したい」
「愛です」
「少年はめげないなぁ」
二年目も、終始こんな感じだった。
師匠は一日の多くを魔法薬の研究に費やし、ひとと会うことも
「そもそもね、あたしは人間というやつがそれほど好きではない。人類総体には、まだ見切りをつけていないけれどね。そんな思想が感染するのは忍びない、あんまりあたしに近づくなよ?」
平然とそう
だとしたらあの日、彼女が俺を拾ってくれたのは。
ひとえに俺が、人間の姿をしていなかったからだろう。
師匠は多分、人間が嫌いだった。好きではないと嫌いには、天と地ほどの開きがある。
俺は、彼女に嫌われたくなかった。
「愛しています」
「そう思うのなら邪魔をしないでくれ。しなだれかかられると手元が狂いそうだ。あー、まったく、あんなに小さかった少年はどこへ行ったのか」
「愛だけが大きくなります」
「図体が大きくなっていると言ってるんだよ、あたしは!」
五年が過ぎた頃。
ようやく師匠は、俺が触れても怒るだけになった。
この頃には、ようやく彼女が好む、破滅的な味わいのお茶を
……正直、その良さというのは解らなかったが。
「心からお慕い申し上げています」
「いいかい少年。そう思うのなら手を動かしてくれ。今日中に調合を全て終わらせないと、明日から食べ物を買う金すらない……!」
「貧乏な師匠も愛しいです」
「あたしはまだ、贅沢な暮らしがしたい……!」
悲鳴を上げながら、ふたりで魔法薬を山ほど作ったのは、十年目のことだっただろうか。
あのとき人間は大きな戦争をしていて、傷をたちまち癒やしてしまう師匠の薬は、どんなものよりも高く取引されていたと思う。
……どうして、あんなに師匠はお金を持っていなかったのだろう?
「喜べ少年。あたしはすこし、世俗へ旅立ってくる。そのあいだ命の洗濯をしておくといい」
「師匠のそばに居る間だけ、俺は生きてます」
「……少年は、ひとり立ちできそうにないなぁ。あたしだって、いつか枯れて、朽ちて、死ぬんだぜ?」
「だとしても、俺は――」
「そんな少年のことは、嫌いだよ」
そうして師匠は、丸一年帰ってこなかった。
戻ってきたとき、彼女は大怪我を負っていて、そのまま寝込んでしまった。
俺にはただ、その傷のために薬を作ることと、身の回りの世話を焼くことしか出来なかった。
嫌われたことが、ただただ辛かった。
「あれからどれくらいたっただろうな、少年」
「十五年です、師匠」
「まだあたしを愛しているのかい?」
「十五年、ひとときも変わりません」
「……最近は愛しているとは言ってくれないじゃないか」
「愛しています、どんな言葉を尽くすより」
「少年。それでもあたしとおまえは違うものだ。魔女と
十五年連れ添って。
それでも彼女の意見は変わらなかった。
いつの間にか師匠は俺より小さくなっていたし、
「馬鹿か、少年が大きくなったのだ」
……変化はいくつもあったけれど、本質はなにも変わらなかった。
師匠の怪我は治らず、俺は命じられるまま、いくつも薬を作り、彼女はそれを口にした。
いつの間にか、ここを訪ねる人間はいなくなっていた。
「あたしは……罪を犯した。それは許されないものだ。嫌うものだからと、犠牲にしていいわけではない」
「なにがあっても、俺は師匠について行きます」
「人は死ぬ。誰かに死期を早められることもある。そして、あたしもいずれ死ぬ」
「師匠は死にません。けど、もし、そのときは」
「――まったく、度し難いにもほどがあるぞ、少年」
彼女はどうしようもないものを見る目で笑っていた。
その頃には、もう彼女はかつての姿が見る影もなく。
美しかった枯れた紫陽花色の髪も抜け落ち。
肌は皺に被われ、頬はこけて。
「師匠は、俺が嫌いですか」
「さてね。……少年は、いつまであたしのそばに居るつもりだ」
「いつまでも、おそばに」
「あたしが死んだらどうする」
「一緒に死にます」
「ダメだ。少年となんて、一緒に死んでやらない。そんなことは許さない」
「師匠……」
「だが、もし。もし少年が、本気で待ち続けるというのなら――」
それが、生きた彼女が口にした、最後の言葉だった。
師匠と出逢ってから、二十年の月日が経過していた。
俺は。
俺は……それでも、彼女を。
「愛しています、師匠」
「――まさか、本当に待っているとは思わなかったよ、この馬鹿弟子が」
さらに一年の月日がたった。
俺の前に、師匠が立っていた。
生前の姿ではない。
俺と同じ――骨だけの姿だった。
「まあ、あたしは成長しないがね」
「どうして」
「おいおい、大魔女アムシャ・ニカイアは魔法薬の第一人者だぜ?」
死を
肉のなくなったされこうべで、カタカタと笑った。
「正直に言えばね、ふさわしくなかったのはあたしの方だったのさ。少年の生きるスケールに合わせるには、これだけの時間と金が必要だった」
「それは」
「言ってみろ、少年。この二十一年間、一度も変わらなかった想いとやらを」
「愛して……愛しています、師匠」
「――ああ、あたしもだ」
ゆっくりと近づく師匠の頭骨が、俺の骨へと触れた。
カチカチと、歯がぶつかり合い、彼女は照れたように口元を押さえた。
「まったく下手すぎる。これじゃあなにもしらない乙女のようだ」
「そんな師匠も、愛しています」
「……ずっと少年、おまえのそういうところがあたしは苦手で」
いまは、大好きだよ――と。
彼女は柔らかく、どこまでも優しく微笑んでくれたのだった。
それは、これまで見たどんな師匠より、魅力的な笑顔だった。
俺たちは、これからやっと、生きていく。
いつまでも、もはや
骨になるまで愛して ~破滅的な師匠へ、獣骨の弟子は幾度となく愛を告げて~ 雪車町地蔵@カクヨムコン9特別賞受賞 @aoi-ringo
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