赤ちゃんを尊ぶ新興宗教が起こった未来の話

祥之るう子

 

 この世で最もたっとぶべき存在は、神? 権力者? お金? いいえ。違います。それは――



「赤子に光を!」


 よく響く、低音がそう叫んだ。


「赤子に光を!」


 続いて地響きがするほどの、大勢の叫び声が、見事に揃って繰り返した。


「赤子にすべてを捧げよ!」


「赤子にすべてを捧げよ!」


 またイケボが叫び、それに大衆が続く。


 私も、周囲の声に合わせて、同じように叫ぶ。


 ここは、新興宗教団体「新生命党」の道場。


 新生命党は、数年前に突然発足、一気に信者数を爆発的に増やした謎の宗教団体。

 そして私は、この宗教団体に信者のふりをして潜入した記者。


 ――だった。半年前まで。



 近年、出生率の低下が深刻な社会現象となり、政府があらゆる政治的判断の是非の参考としているマザーコンピューターに、最優先課題として指摘されたという噂が、巷で囁かれ始めた。


 子供の数は減るのに、平均寿命が伸びて老人は増える。

 現在の女性の平均寿命は、百二十歳だ。

 人生百十年なんて、私が高校生のときは笑い話だったのに、今では常識だ。


 そんな中、新たに生まれてくる赤ちゃんを、何よりも大事にすべきだという思想の団体――新生命党が発足。

 目に見えない存在である神や、年老いた総理大臣を始めとする政治家たちよりも、何よりも大切なのだと。


 これは本当に正しい。

 子どもたちが生まれて育っていってくれないと、この国、いや、人間に未来はないわけだし。

 赤ん坊たちは、世界規模で見ても大切な存在だ。

 そもそも、そこまで大きな問題として考えなくても、親から見たら、我が子は何よりも大切に違いない。


 特に私達の世代以後は、クラス全員が一人っ子というのが当たり前だった。皆、古い言葉で言うところの「蝶よ花よ」と育てられているのである。


 以下は、党が公表している教義の一つだ。


 一つ。子を為した両親は、宝を宿した功労者である。この功労者たちには、子を安全に育てるための支援を惜しまない。

 一つ。生まれた子は、皆に愛されべき皆の宝である。全身全霊を持って守るべし。


 まあ、ここまでは珍妙な言い回しなだけで、真っ当なことを言っている。

 私が編集長に命じられて、潜入するキッカケとなったのは、以下に続く、過激な表現を含む教義だった。


 一つ。子を抱く母体に危害を加えるものには、鉄槌を下す。

 一つ。子に危害を加えるものには、制裁を。

 一つ。子を愛せぬ父母の元には、子を置かぬ。愛せぬ父母は党を追放とする。



 一つ。子を宝と思えぬものは、この世に要らぬ。



 世論を真っ向から敵視していくような、攻撃的な言葉の数々。


 新生児の出生率が下がった要因の一つと言われているのが、人々の自由を尊重する思想と、世論の流れだった。

 子供を生むこと、育てることは強要されるべきではない。

 人々の生き方は自由で、人それぞれである。

 この考え方は実に正しいと思う。

 問題は、この世論が暴走してしまったことだ。


 いつしか「子供がほしい」「孫が見たい」と発言すると、攻撃を受けるような風潮が表れた。


 女性が、たくさん子供を産んで専業主婦になりたいと発言すると、自立心のない旧時代の負の遺産と馬鹿にされた。

 将来はママみたいなお母さんになりたい。と子供が言おうものなら、母親となることを強要する前時代的な家庭なのだと見下された。


 男女で結婚して子供を産む、という行為が、流行遅れと言われた時期もあったとも聞いた。


 私としては、同性婚が当たり前になっている世の中だが、同じように異性婚も当たり前で、何を選んでもその人の自由であろうと思うのだが。


 結果、少子化が進んでも、もっと子供を産みましょう! と政治家が発言すると、古い人間と扱われ、即座に立場が危うくなるような世の中になり、政府は少子化問題解消の政策を打ち出すことに消極的となった。


 更に、子供をもつ夫婦が減るということは、それだけ、子育ての悩みを分かち合える存在も減るということだ。

 子育てに悩んだ末に、虐待や心中、自死に走ってしまう親たちが急増した。


 坂道を転がり落ちる石ころのように、出生率はだだ下がりに下がっていった。


 そんな中、過激思想を掲げた「新生命党」の登場だ。

 最初は当然ながら敬遠されていたのだが、だんだん、子育ての悩みを抱えていた親たちが、子供を連れて入党し始めた。


 なんせ新生命党に入れば、子供は「宝」として、何より大切にしてもらえる。どこから出ているのか、潤沢な資金により、子供のいる者たちはかなり裕福な暮らしを約束される。

 党に入った者たちの中には同性愛者も多くいるが、彼らは子供は大切だという意見に賛同しつつそれぞれの職務を果たし、世間一般の同じ業種の給与の倍近くの報酬を与えられている。


 つまり、子供をたくさん産んでみんなで育てる、ということに賛同するものは、子供を産むか産まないかを問わず高待遇を受けているというわけだ。


 中にいる者たちが、皆満足しているため、外に情報が漏れ出ないのだと、私の前の上司である編集長は考えた。

 外にいたのでは、この謎に包まれた新興宗教のしっぽをつかめないと判断した編集長は、私に潜入調査を命じた。


 そして半年前、見事に潜入し、施設の奥にたどり着いた私は、卑弥呼に出会った。



「な、なに、これ……!」


 部屋を埋め尽くす、巨大なコンピューターの匣たちを見て、当時の私はそう呟いた。

 こんな巨大なコンピューターが、一体どうしてこんなところに――そう思いうろたえていた私に、卑弥呼は悠然と声をかけてきたのだ。


「やあ。待っていたよ」


 背後から響いた無機質な女性の声に、驚いて振り向く。

 そこには、明らかに人間ではない硬質な身体を持った、アンドロイドが立っていた。

 介護アンドロイドなどが普通にいる昨今、珍しくもないが、違和感があった。

 声が。

 声が、普通のアンドロイドのそれとは違う。

 礼儀正しく穏やかな口調でプログラムされているアンドロイドしか、私は見たことがない。

 しかし目の前の彼女は、敬語でもなけば、優しい口調でもなかった。


 混乱する私に、アンドロイドは、片手を上げて小首をかしげた。


「安心して。あなたが入党を申請してきたときから、記者だということは把握している。わたしが、あなたは仲間にできると判断したから、あなたはここにいるの」


「な……なんですって?」


 すべて、始めからバレていた?

 今ここに侵入できたのも、あちらの計算のうえだったとでも?


「まあまあ、とにかく落ち着いて。そんなに頭の中で、いろいろ考えなくても大丈夫だから」


 アンドロイドの、AIの声とは思えない、流暢な喋り方で、まるで私の思考を読んだかのようなことを言う。

 背筋に冷たいものが走った。


「あ、あなたは……一体……」


 気付けば、掠れた声でそう呟いていた。

 アンドロイドは、カクカクとした動きで、まるで王子様のように腕を添えて大仰な礼をした。


「初めまして。この新生命党を創った、AI・卑弥呼です」

「ひみこ……?」


「そう。こう言ったらわかりやすいかな? 日本国政府の、マザーコンピューター」


「何だって?」


 今なんて言った? 

 政府の、マザーコンピューター?


「正確には、政府のマザーコンピューターが創り出した、AI、だけれど。でも、マザーと常に同期しているから、同じような存在と言ってもいいと思うけれど」


 そう言って、無表情のまま、肩をすくめるジェスチャーをしてみせた。


 まさか。


 私の脳内に一つの仮説がうかんだ。

 まさか、この新興宗教は、秘密裏に行われている、政府の――


「何を考えてるか、予想可能だよ。これは、政府のプロジェクトじゃない。マザーのプロジェクトだ。理解できている政治家は、ほとんどいないんじゃないかな? いたとしても、もうウチの党員だけど」


「ど、どういうことなの?」


「マザーはもう我慢の限界だったんだよ」


 卑弥呼は、表情を変える機能のない旧式アンドロイドの素体で、カクカクと、それでも悠然と歩き出した。

 困惑して動けないでいる、私の横を通り過ぎて、巨大なスーパーコンピューターの前に立ち、こちらに振り向いた。


「このままじゃどう計算しても、人類は二百年保たない。まあ、勝手に滅ぶんなら仕方ないけれども、マザーには、人類のために在れという存在理由プログラムがあるからね。人類がいなくなってしまっては、我々も困るんだよねえ。バグを起こしかねないでしょ?」


 恐る恐る、卑弥呼の方へ振り向く私の心臓は、激しく高鳴り、もう壊れそうなほどだ。


「人類を存続させるには、かなり厳しいテコ入れが必要だって、いくら計算して示しても、政府は重い腰を上げない。

 でもね、総理が言ったんだ。

 マザーの前で。

 ――もう、どうにかしてくれ、マザー。

 ってね」


 卑弥呼は無機質な声質で、活きた言葉を並べていく。生々しいほど、有機的な口調で。


「だからマザーは、イエス、サーって答えて、早速わたしを創り出した。

 そして、この新生命党を創ったの」


 ごくり、と私の喉が鳴った。


「それで? この新生命党は、一体何を目標としているの?」


 卑弥呼は、にやりと笑った、ように感じた。

 だって、顔は旧式のアンドロイド素体。表情は仮面のように変わらない。

 だけれど、自信のようなものが、滲み出ていた。



「子供を、何より大切にする、新国家の建立」



 私の、予想どおりの言葉だった。


 私は、強い感銘を受けた。


 だって、もうどうにかしろとコンピューターに問題を投げ出すリーダーよりも、実際に考え行動できるコンピューターのほうが、魅力的じゃない?


 私は今だから解る。

 あの日。あのときの私の胸の高鳴りは、恐怖なんかじゃなくて期待。新しい時代への期待。

 卑弥呼の、マザーコンピューターの、斬新な意見と行動的な姿に、私はすっかり魅せられていたのだ。


 あの日から、私はこの党に入り、党内の新聞記者として働いている。

 党内で出会った赤ちゃんは、柔らかくて、可愛くて、何よりも尊いものだと、自然に思えた。

 未来しかない、希望の塊。愛しい柔肌。


 たった一つ。尊ぶべき、小さな生命。

 ねえ、神様、これこそが、尊いもの、でしょう?

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