─メゾンひまわり1階ーC号室

あいる

第1話─光のほうをむいて咲く

 幼い恋だった、ままごと遊びの延長線上にあった二人の恋は、波打ち際で作った砂の城のようにいとも容易たやく壊れた。

 引き潮だったのか、満ち潮だったのかそんなことはどうでもよくて、その夜から窮屈だったベッドは私だけのものになった。


 その時、既にお腹の中に小さな命が芽生えていて、私は困惑した。


 たった一人で産み育てることなんて出来ない。


 そんな日々でも、朝はやってくる、雲の切れ間から太陽の光は溢れ、部屋にその輝きを送りこんでくる。


 ◇◇◇


「近ごろ、お兄ちゃん見かけへんけど、どないしたん」


 ドアに鍵を掛けようとする私の背中に投げかけられた言葉に、返す言葉さえなく。

 振り向くことも出来ずに立ちすくむ私の両眼から、涙が溢れるのを止められなかった。


「おばちゃんに話してみい、とにかくうちに入り」


 故郷に住むばあちゃんのように優しい声で、管理人の北村さんは私の背中を撫でながら部屋へと促した。


 小さくて丸いちゃぶ台、古めかしい箪笥、茶色の仏壇、招き猫。

 私の部屋と同じ間取りながら、フローリングではないこの部屋は昔ながらの二間続きの和室だった。

 畳の香りなのかどこか懐かしく、育った町と同じような匂いがする。


「とにかく、お茶入れるわな、そこにおせんべい入ってるし食べへんか」


「あ、大丈夫です」


「若い人の、その大丈夫がよぅわからへんねん、お腹すいてへんからいらへんとか、しょっぱいもんが嫌いやからいらへんとか言うてくれたらわかりやすいねんけどな」

 そういいながら、北村さんは笑った。


「すみません、今はお腹すいていないからいらないです」


「はい、よく出来ました、そう言えばええねんで」


 椿の絵が描かれた漆塗りのお盆から、ちゃぶ台へと載せられた湯のみからは香ばしい香りがした。


 少し呼吸を整えて私は打ち明けた。

 同棲していたのは中学からの同級生、高校を卒業してからすぐに私たちは故郷をあとにしてこの地に流れ着いた。


 最初は楽しかった、些細なことでも笑い合えたし、喧嘩をしても抱き合えば仲直りするのにも時間は掛からなかった。


 成人式は祝う余裕等なくて、重くて冷たい布団の中で抱き合って寒さを凌いだ。


 彼の誕生日を過ぎ、私の21回目の誕生日が近付いた夏の日彼はこの部屋から姿を消した。


 残されていたのは「ごめん」とだけ書いた小さなメモ紙。



 何が悪かったのだろうか、あの日の喧嘩が原因だったのだろうか?些細な言い争いはお互いを知るためのものだけではなく、別れの前兆だったのだろうか。


 毎晩泣きながら考えた。


 考えても

 考えても

 考えても


 私にはわからなかった。



「彼が、帰って来なくなりました、きっともう二度と帰って来ない」


 溢れる涙を止めるすべなどなくて、頬をつたうまま泣き続けた。



「それで、お腹の子どもはどうするん?いてるやろ?これはおばちゃんの勘やねんけど」


「──わかりません、でも暫く生理が来てないですし──怖くて妊娠検査薬も使ってません」


 本当は自分でも薄々わかっていた。



「ほしたら、とにかく頑張らなアカンな」


「私、自信がありません、お母さんになる自信も、育てる自信だってこれっぽっちもないんです、仕事も出来なくなるし、お家賃だって払っていけなくなるかもしれないし」


スーパーでレジ打ちの仕事をしているが、何時まで仕事を続けられるか分からない。



「その子は誰に頼ったらええんやろな?」


 呟くように言ったその一言が私の心にグサリと突き刺さった。


「家賃なんて、どうとでもなるやん一年くらい待ってあげるし、若いんやからなんぼでもやり直しきくねんで、よおく考えてみい、赤ちゃんはお母さんだけが頼りやねんで」





 ◇◇◇


「ばぁば、ばぁば」

 柚希ゆずきはおばあちゃん子で良い子に育った。


 産まれたての頃は、壊れてしまいそうなくらいに小さくて、泣き止まない時は一緒に泣いた。


 かたわらにはいつも優しいしわくちゃの手があったし、他の住居者からの手助けや、差し入れもあった。


 中学生の頃から好きだった彼が写ってる写真は卒業写真以外は全て処分した。

 若すぎた恋は、あのおせんべいよりもしょっぱいかもしれない。


 でも、柚希と二人で一生懸命生きてきた。


 ◇◇◇




「上の階に越してきた木村です、挨拶が遅れてすみません。良かったらこれを……」


「あら、ありがとうございます、ちょうど洗剤が切れそうだったから嬉しいです」


 腕に抱いている柚希ゆずきがニコニコしながら初めて合う彼に両手を出した。


「ダメよ、ゆずちゃん、すみませんこの子男の人が好きみたいで……」


「私は、風間ゆかです、この子は柚季で、いわゆるシングルマザーです」

 

そのアパートには毎年たくさんのひまわりが植えられていて、その花たちは光のほうを向いて凛として咲いている。


 


 ~おしまい~

(メゾンひまわり参照)


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