陸 (――ザ・ブラック・アンド・ブラック・エンドロール)


「……すべてはネロの〝老いぼれ犬〟を侮った私の失態です」


 漆黒の夜を行くメイソン・ビショップ。加速のまにまに口からついて出たのは謝罪の言葉。

 小型のスポーツカーはホンダ製のS800。コンテナ街の脇に隠しておいた真っ白で年季の入ったそれを駆り、インカム越しにスマートフォンへと話し続ける。


「残念ながら商談は失敗に終わりました。社長プレジデントにもそうお伝えください。これより私は商会カンパニーに帰還します。〝大佐カーネル〟、お怒りはその後で」


 言い終えて、一方的に通話を切った。

 張りついたような笑み、そこに疲労の色が見え隠れする。それをルームミラーで確認した後で、「やれやれ」と呟いた。


「一筋縄ではいかないものだ。さすがはネロの大番頭、といったところか」


 完全にしてやられたメイソン・ビショップは、


「ネロファミリー相手なら、まだどうにかなった。しかし彼らとは……」


 解っていたからこそだというクロツチの思惑。それを思えば、引き下がらずを得なかった。

 たかが便利屋の位置に固執する二人組に。

 だとして災厄とも呼べる二人組に。


 マチ最強の六人の刃物ヤッパ使い――『六刀輪廻りくどうりんね

 その一人――


「――〝畜生刀バスカヴィル〟」


 そして、かつて殺しに殺しまくった伝説の殺し屋。『神』とも称されたその絶対的な暴威に、最も近いと噂される五人のチャカ使い――『五本指ゴットハンド

 その一人――


「――〝死兆星デス・スター〟」


 たかが便利屋。だとして災厄にして最悪。そんな二人と揉めるなぞ……


「……割に合うはずもない」


 いくら『名前』が売れていたとして、所詮は便利屋。計画が破綻してなお、そんな輩と殺し合いを演じたところでなんの価値もない。


「つまりはそれこそが〝老いぼれ犬〟の本当の狙い。テイよく引き際を促すための。ならそれにこちらが乗るのも必然といえば必然の話、か」


 メイソン・ビショップは乾いた笑い声を上げた。


 三年前の津波に浸された道路は、さながら戦後の焼け野原にも似た。車道と呼べそうもないあぜ道をレトロカーは突き進む。砂利を巻き上げ、スチール缶を踏みつぶして。

 通り過ぎるは、丸型の郵便ポストとホーロー製の看板。トタン屋根は風にきしむ。

 独特のエンジン音。唸り声にも似たその響き。座り心地の悪さと、しかし芯を熱くする心地の良さ。数瞬の間際に浸り、一瞬のうちに覚醒。

 やがて、塗りつぶされた黒が、煌々と照らされた光に切り裂かれていく。それを認める頃、メイソン・ビショップは再び液晶画面をタップする。


 コール音も程なく、


「はい、『帝都ファーマシー』です」


 聞こえてきたのは女の声。

 その声の主に向けてメイソン・ビショップは事務的に告げる。


「コードナンバー、伊の二八。コードネーム、ビショップ」


「お待ちください」と言葉少なに。間もなくして繋がった内線の通話先からは別の女の声。


「こんばんは、ビショップ様。現在ナイトは別の作戦ミッションで席を外しております。どちらにお繋ぎしましょうか」


 メイソン・ビショップは言った。


「〝女王クイーン〟に。直接〝女王クイーン〟に繋いで下さい」


「かしこまりました」


 やがてコール音が止み、


「――いひひ、いひひ、なんて間抜けな顔、いひひ、いひひ」


 インカム越しに嬌声が聞こえる。


 メイソン・ビショップは嘆息して。


「〝女王クイーン〟、聞こえていますか?」


 しかし、


「――いひひ、いひひ、豚みたい、いひひ、いひひ」


 止むことのない嬌声。

 メイソン・ビショップは張り付いたような笑みをそのままに、声を張り上げる。


「〝女王クイーン〟、私です。ビショップです」


 すると、


「そんな馬鹿みたいな声あげなくたって聞こえてるわよォ。いひひ。でェ、アンタはどっちの〝司教ビショップ〟なわけ?」


「この回線を使用できる『側』は決まり切っているでしょうに」やる瀬もなく呟いて、


「――『白』の〝司教ビショップ〟です」


 継いだメイソン・ビショップに、「あ、そ」つまらなそうな女の声。その後でなおさら感慨もなく、


「でェ、計画どーりにいったわけ?」


 その声に、「はい」とメイソン・ビショップは返す。


「プランはベータからシータへと移行しましたが」


 女はそれにも「あ、そ」と生返事を寄越すだけ。

 メイソン・ビショップは続けた。


「大手の組織が大半を支配する『物流ルート』。それらとは別の物流ルート開拓には失敗しましたが、『収穫祭ハロウィン・パーティー』の回収及び痕跡の消去は完了しました」


「勿体つけずに、ハロウィンのばら撒きに失敗しましたって言いなさいよォ」非難するように女が言った。

 そんな言葉にもめげずに、メイソン・ビショップは滔々とうとうと話す。


「かつての大国が秘密裏に行っていた超人育成計画。その過程で科学者が作り出したのは、極めて長時間体内に留まり、かつ様々な物質と性質上の同化を果たす薬。アステロイドとその薬を投与することにより、効率的に筋力を作ることが可能となった。面積としてではなく体積としての、より練りこまれた筋肉が。

 何よりもその効能の素晴らしいところは、鍛えていない時でさえ、継続して働き続けるということ。身体を鍛えて筋肉を付けるのではなく、脳で筋肉を作るという発想。脳でイメージされた映像は、情報となり寝ている時でさえ身体の隅々に刺激を伝達し続ける。わずかな筋肉への負加を脳にイメージさせてやれば、後は脳が代行してくれるのだから楽なもの。

 そしてトレーニングさえすれば、体内に留まるそれを介して脳内の神経伝達物質、その一部のコントロールさえ意識的に行えるようになる。脳内で解放のスイッチをオンにするだけで、発生した多量のアドレナリンが痛みすら消しさってくれる」


「いひひ、なに? アンタ、アタシを馬鹿にしてるの? いひひ、なに? アンタ殺されたいの? 今さらそんな話、アンタに聞くまででもないってのォ」


 女は笑う。たかが外れたように。狂ったように。


「いひっ、一度の接種と簡単なトレーニングで、いひひ、数週間は好きな時に好きなだけ『絶頂ハイ』な気持ちを味わえる。科学者が発明した薬を改良した新型ドラッグ――『収穫祭ハロウィン・パーティー』。いひひひ、ソイツで〝シスター〟を調略してェ、新たな物流ルートを教会のもとに敷いてェ、いひひひひ、豊穣の恵みをクソッタレどもにばら撒いてやるのがァ、いひひひひひっ、アンタの仕事だろォが、〝司教ビショップ〟ゥ」


「〝女王クイーン〟のおっしゃる通りです」言いながらもメイソン・ビショップは特に気にするでなく、


「とはいえ、『収穫祭ハロウィン・パーティー』のまで計算に入れてなかったのは、私だけでなく、貴女も、他の『ピース』も一緒だったはず」


 吐かれた言葉に、インカムの奥の興奮が冷めてゆく。それを見留めて、という訳でもないだろうが、間髪いれずにメイソン・ビショップは継いだ。


「超人計画の名残、とでもいうのかは解りません。ただ、人を超えることにしろ、快楽にしろ、人間の最終的な到達点は潜在に眠る欲求を開放したいというその一点に他なりません。我々の見誤りは、〝シスター〟の潜在欲求を金銭なりの欲望と決めつけてしまっていたこと。

 ――それが〝シスター〟の潜在的な願いだったと誰が想像していました?」


 インカムの奥で軽く舌打ち。そして、


「血中に残り続けてはのォ、夢うつつのまにまァ、いひひ、その後悔の果てに〝シスター〟がくたばっちまったってんならそれはそれェ。だからこそ……」


 メイソン・ビショップが遮った。


「だからこそ、のプランベータでしたが、どうやらこのマチは一筋ではいかないようです。物流ルート開拓については残念でしたが、まあ機会はいくらでもあります。次の機を窺えば良いだけの話。今はが今回の件に関与していた証拠と痕跡を完全に消去したということをもって、とりあえずのプランは完遂です」


 流れる景色。覗かせた異形に賑やぐ歓楽街。それをちらと見て、「ただ……」とメイソン・ビショップは付け足す。


「……〝成駒プロポーション〟レディバグはプランの遂行上、処分しました」


 わずかに間をもたせたものの、別段勿体つけるでもなく話した。


「はあ?」憤るような女の声。


「〝司教ビショップ〟ゥ、なにを勝手にアタシの『複製レプリカ』ちゃんを殺してくれちゃってるわけ?」


 今度はわざわざ聞こえるように嘆息して、


「そう思うなら、もう少し使えるようにマトモなトコロは残しておいてくださいよ」


 メイソン・ビショップは嘆いてみせる。とはいえ、微笑んだままで。

 インカムの奥で「いひひ」とキレ気味に女は笑って、


「だってしょーがないじゃない。アタシの可愛いー複製レプリカちゃんたちったら、結局ぶっ壊れちゃうんだものォ。神聖にして崇高なるアタシみたくなりたいってゆーからァ、こっちだって一生懸命にやろうって頑張ってるのにィ」


「壊しちゃ意味がないでしょう」メイソン・ビショップの諌めるような声にも、女、「壊れちゃう方が悪いのよォ」悪びれもせず継いだ。


「でェ、処理班を送ればいいわけ?」


 その言葉に、今度はメイソン・ビショップが悪びれもせず、


「いえ、〝成駒プロポーション〟レディバグはそのまま放置してきました」


「はあ?」再びの女の憤り。


「あの複製レプリカちゃんにはァ、傘下の帝都重工が開発した新型パワードスーツの試作を与えてたじゃない。そんな証拠をわざわざ残すようなマネしてェ、アンタほんとバカじゃ――」


「――ない、ですよ」メイソン・ビショップは言い切って、しかしそばから――いや、バカな話か、と思い直す。自分の判断がバカらしいのか、それともこのマチがバカらしいのか、それは分からずとも。


「このマチでは、それもさしたる問題じゃありません。欠陥だらけの人間がコンプレックスを穴埋めするかのように蔓延する、サイバァかぶれ。〝成駒プロポーション〟レディバグのスーツもその一環として片づけられるでしょう。断言しても構いません。組織の連中が、そこから我々に辿り着くことはまず不可能です」


 演説めいた口上に、既に興の冷めた女の返事。「あ、そ」

 その後で。


「それならそれで新たな物流ルート開拓のプランを練ることねェ、アタシの〝司教ビショップ〟ゥ」


 メイソン・ビショップはやはり嘆息して、


は、使える〝成駒プロポーション〟をお願いしますよ」


 通話を終了する。

 そして、アクセルを踏み込んだ。


 かつて『ユージン作戦』の名のもとに、この地を踏んだメイソン・ビショップ。その頃の階級は五等准尉。

 この地の甘露に当てられた当時の上司が、軍時代のコネクションを活かし築き上げた組織――『名無しの英霊ジョン・ドゥ』。密輸業を生業とするそこに身を寄せず、『株式中隊カンパニー』へと至った男。


『――〝少佐〟だって? 俺より出世したじゃねえか』


 昔の上司――トンプソン大尉の軽口に苦笑いを浮かべていたその男は、『株式中隊カンパニー』の№3として、ここいらではそれなりに顔が売れている。

 表向きとしては、だが。


 男には第二の、そして第三の顔がある。


 別にどの顔でやっていっても良かったのかもしれない。しかし『ユージン作戦』後まもなく、大手複合企業コングロマリットに引き抜かれた男は、その申し出がひどく馬鹿馬鹿しくて、あまりにもイカレていたために『ピース』となることを決めた。つまりは馬鹿馬鹿しくてイカレた計画の一部ピースとなることを。


 『帝都ホールディングス』――『帝都ファーマシー』を母体とする巨大複合企業。たかが一個の製薬会社は、戦後のどさくさと以降の好景気に紛れて一大企業へと成り上がった。


 だが、格言にも然り――長者三代。現社長は、愚かな三代目に危惧を拭えなかった。だから、馬鹿馬鹿しくてイカレた計画を立てた。

 表向きは愚かな三代目でもやっていけるよう、その影となり、実質的に帝都ホールディングスを運営していける真の後継者を作ろうと思ったのだ。

 

 候補に選ばれたのは、二人の愛人との間に現社長が儲けた、二人の娘。


 白の〝女王クイーン〟と、赤の〝女王クイーン〟。


 今は無き大国の科学者から提供された技術。それを用いてどちらが会社により多くの利益をもたらせられるか。

 

 二つの命題。


 『破滅』という名の『救い』は――白に。


 『救い』という名の『破滅』は――赤に。


 それぞれの命題は託された。


 二人の〝女王クイーン〟に。

 二匹のモンスターに。


 そしてメイソン・ビショップは、白の〝女王クイーン〟が描く盤上遊戯ウォーゲームピースとして暗躍する……。











 ここは、つまりそういう場所だ――。











 さまざまな悪党どもが、それぞれに思惑を抱いて跋扈ばっこする。

 金。権力。そして色。さもない欲望にまみれて、呑まれて――≪気だるき一日、生きるだけ≫。


 功徳なんて存在しない日々に――≪くどくど口説く≫。いずれは捨てゼリフだけ残して行き方知れず。そんな毎日。


 ルールを決めないということこそが、ここのルール。そこには当然、統治者も執行者も、聖人も存在しない――≪修道女さま有りがたかりし、アリがたかりしツラの皮≫。


 在るのは悪党だけ。大なり、小なり、とはいえしょせんは、ただの悪党だけ。

 

 そしてワタシはそれを眺める。そういう輩が醸し出す、はち切れんばかりに溢れる感情だとか、間際の命のともしびだとかに微睡まどろみながら。


 大いなる意志。そんな大層なものじゃない。


 三年前、この地を地獄と化したものこそが、言うなれば大いなる意志。

 幾ら人類が進歩しても自然の力には敵わない――≪危機くるかと軽く訊き≫。


 それを証明するかのように発生する第一級自然災害。通称――〝災禍〟。

 二級以上をそう呼ぶ中でも、三年前にこの国を、そしてこの地を襲った特一級のそれは〝大災禍〟と呼ぶに相応しい破滅の力でもって、地上を地獄へと変えた――≪痛いかい、解体≫。


 太平沖のプレートが、急激な、そしてありえないまでの変形を遂げたがゆえに発生したそれは、人知の及ばぬ自然の脅威。その前に人は無力だった。

 ライフラインを麻痺させるほどの大地震。そして後発的に発生した津波により、ここいらも海側は壊滅的な被害を受けた。港町の栄華も今や昔の物語――≪永き世の遠のねぶりの皆目覚め、波のり船の音の良きかな≫。


 とはいっても。

 大いなる意志にすれば、それすら突き刺さった棘を抜くのにも似た行為。異物を吐き出したその結果に過ぎない。すべては結果だ。そして物事は結果こそがすべてだ。

 

 創生。

 

 進化。

 

 滅亡。

 

 すべてが結果であり、結果を導くのが大いなる意志。ゆえに大いなる意志こそが結果ともいえる。


 ならば、結果でなく、経緯にこそ興味を惹かれるワタシは小さな意志でしかないのかもしれないし、そもそもが意志と呼べる存在でさえないのかも知れない。

 

 人はワタシをマチ――と呼ぶ。


 そしてシティ――、とも。


 呼び名には大して意味はない。ワタシの表面で跋扈する悪党どもも、銘々めいめいで自分に名をつける。つまりは区別がつけば良い。それだけだ。

 ただの記号――『悪党』。ワタシの表面で跳び跳ねるのは、そう分類されるだけの存在に過ぎない――≪虫が跳ねても、はねをむしるな≫。


 だが、それでも中には例外もある。その例外たちは、もれなくワタシに微睡みをもたらしてくれる。

 ワタシにすれば、結果へと至るその道程、悪党どもがもたらす、はち切れんばかりに溢れる感情や、間際の命の灯がすべてなのだ。そしてそのためなら、心地よい微睡みを得られるなら、多少の演出だってやぶさかではない。


 犬の遠吠えだとか……。


 冷やかに刺す海風だとか……。


 あの二人もワタシにとっての微睡みを与えてくれる存在だ。


 失った大切なモノを埋め合わせるように、異物で自分の体を埋め合わせたいと願う――女。


 失った大切なモノを探し続けるため、便利屋稼業までしてここに残った諦めの悪い――男。


 彼女の絶望と、彼の失望。もがき、苦しみ、悶える姿は――≪赤裸々に、背キララ≫。

 これからもワタシに微睡みを与えてくれるだろう。

 ワタシがここに在る限り。


 きっと。


 ずっと。


 永劫えいごうに。


 心地よい微睡みが染みこんでいく。


 やがてワタシは、眠り、と呼べるのかどうかも解らない深淵へと降りてゆく――≪サイナラ、祭りは終わりつまらないさ≫。


 心地よい夜が染みこんでいく――。






 更け行く夜にはジャズ。


 しっとりと。

 ゆったりと。


 カンカン帽に揃いの蝶領帯ボウタイ。楽団の演奏は魂に響くソウルフル


 固い木椅子から放たれて、リズムにその身を預ける。


 男も。

 女も。

 回遊魚たちも。

 そして、虫たちも。


 心地よい風が通り過ぎて、冷たいビールを流し込む。


 ここは掃きだめ。

 されどさきがけ


 妄執虜囚もうしゅうりょしゅうの常套句。

 荒唐無稽の惨めな冗談バッド・ジョーク


 ゆえに転調モデュレーション

 思考シンキングなんて捨てて、奔放にスィンギング


 漆黒の空。

 月の無い空。


 それでもカーリーヘアの女はロングドレスを揺らして。


 歌い上げる――私を月に連れて行ってフライ・ミー・トゥー・ザ・ムーン


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◇ロッソ・ネロ◆ 夜方かや @yakatakaya

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