伍 (――それならそれで、ブラック・ジャム・ザッツ・ブラード)

 

 少しの間を置いて対峙する二つの影。

 両腕にショベルをひっつけた巨躯と、『カラコン』を爛々と輝かせる痩せ細った女。

 可逆的変色フォトクロミック素材のカラコンが、光による刺激を受けて真紅へと染まっていくのを眺めながら、


「まぁたサイバァサイバァ言ってんだろな」


 サカキは吐き捨てる。感慨もなく。

 コンテナの角を曲がりしな、ぼんやり立ち尽くして早一分。ようやくにしての初動、最後のピーナッツを口に放りいれた。

 カリコリさせながら、独り言つ。まるで関心もなく。


「青い鳥を追っかけんのは確かにチルチルとミチルだとして、パン屑追っかけんのはヘンゼルとグレーテルだろうに」


 自身が追ってきたのは相棒。サカキは眺める。童話の筋も出鱈目でたらめなヒイラギ、その斑目まだらめなありさまを。面倒くさそうに。


 見失わない程度に駆けてきた。小走りで。それも行き止まりへと導くコンテナを右折するヒイラギを見届けるまでの話。したたか背をコンテナに打ち付けた相棒を尻目に、一服まで決め込んだサカキのご登場。もちろん汗なぞ掻いちゃいない。


 殻を捨て手につくカスを払っていると、視線の先でヒイラギが動いた。


「お前がリプリーなら、オレはエイリアン・クイーンだッ」


 両手のスイッチナイフが投射される。


「とはいえ、だ……」二本のナイフは不出来なパワードスーツ、その異様で巨大な両手にさもなく弾かれる。それを最初ハナから承知していたような表情のヒイラギ――と同じくしてのサカキ。言葉を継いだ。


「……あいつが『あれ』を抜いちまった以上、さっさと片付けないとそれこそ収拾がつかなくなるな」


 ヒイラギが抜いた。背中に括り付けていたモノを。

 レッドスケルトンの柄、プラスチック製のそれがなんの気休めにもならないと一見して解るその重量。


 ヒイラギは笑う。狂ったように。


「うはッ、あはァあハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ」


 夜天を仰ぎ、嗤う。あえぐように。


 黒のコートで隠していたホルダー。引きちぎるようにして抜かれたのは、ククリナイフにアーミー使用の凹凸が施された超重量級の一品。〝死の猟犬〟、とっておきの三本の牙。そのうちの一振り。


 通称――〝奈落タルタロス


 支えるのは右腕だけ。トリガラみたいな右腕一本だけ。


 次第に。


 笑声しょうせいは消える。空気エアむ。

 矯声きょうせいは果てる。真白に弾けるオルガズム

 女子供の細腕じゃ持ち上げるのも困難そうなソイツをぶらつかせながら。余韻に浸る。彷徨さまよう視線はおぼろ。程なく獲物――ご馳走メインディッシュ――を捉えて。潤んだ瞳――終わらぬ喜びジョイレイ。ヒイラギ、「ちゃッおー!」地を蹴った。


 仰々しいまでの重排気音を轟かせ。巨躯。両腕を操作――可変――合体。

 二対のシャベル。カムが噛む。

 機械獣のくちばしグラップルを薙ぐ。


 鈍い金属音のまにまに、サカキは歩き始める。

 零れ落ちそうな、ご自慢のヘアースタイルを揺らしながら。

 片手で器用にブックマッチを着火、咥えタバコに灯ったメンソールを温い風に漂わせて。

 ゆっくりとハイビスカスの上を滑る右手は、ジャケットの奥、ホルスターへと差し込まれる。

 黒い塊を取り出したその頃には、金属音の脇を通り過ぎる。


 だいだいの明滅に鈍い色を瞬かせる塊。天使の如き清廉さに、背から生えるのは骨と化した翼。後ろ身の女性の彫像がグリップに刻まれた回転式拳銃リボルバー――S&Wスミスアンドウェッソン M36。

 一般的には通称、『チーフ』。チャチな拳銃。短銃身ショートバレルに、装弾数五発の回転式弾倉シリンダー

 その女性向けモデル、サカキに言わせれば通称――〝レディ〟。華奢きゃしゃな令嬢。どこか愛嬌のあるコンパクトな外観。


 黒いマニキュアの施された右手で、〝レディ〟を遊ばせてガンスピン

 やがてその照準を定める。ピタリと。鉄骨の足元に張り付いたコンクリート、剥がれかけの白に向けて。


「こっちとしちゃ、そろそろ終わりにしたいんだよ。いい加減、出てきたらどうだい?」


 明滅に、不穏に揺らめく白。やや距離を置いたそのコンクリートの陰から、小さな吐息が漏れる。


「私としてはもう少し待って欲しかったのですが。何しろあとちょっとで読み終わるところでしたので」


 現れたのは、身ぎれいにも過ぎる男。上下のスーツにパナマ帽、ネクタイから革靴そのすべてが白一色。不浄なんて言葉が入り込む余地もない装い。

 無垢な微笑みを浮かべて、男は文庫本を軽く掲げる。

 『純粋理性批判』――イマヌエル・カント著。


「哲学書なんて、余計に自分を見失うだけだぜ」


 サカキの皮肉に、美しい翠眼すいがんを細めながら、


「実は私もそう思っていたところです」


 男は文庫本を放り棄てる。

 コンクリにむき出しの鉄はクシャ。己が批判されたる哲学者。

 

 目で追うこともせずに、サカキはタバコを左手で口から離す。一瞬たりとも、男から右の銃口を逸らすことなく。そして紫煙まじりに言葉を紡ぐ。


「さっさと本題入りたいとこで、さっさと本題に入れそうなあんたってのは、この件に関しての最大の幸運かもな――メイソン・ビショップ。〝シスター〟殺しの先で巡り合ったのが司教ビショップなんて面白くもなんともない話だがよ、それでも正直、『臆病者には死をフライド・チキン』のイナヅマ〝大佐〟カーネル・サンダースあたりじゃなくてホッとしてるってのが俺の心境さ」


 組織での俗称、〝少佐〟――メイソン・ビショップ

 ここいらでは珍しく、通り名でない二つ名セカンド・ネームを持つ存在。長身に長い手足。彫りの深い顔立ちは、まごうことなき西洋人の容貌。


 彼は、さらとした金髪を整えるようにパナマ帽を被り直して、


「正直言うと、こちらとしては面食らっているところです。あなたたちとは。クロツチ自ら、ということはなくとも〝塵の王ロード・オブ・ダスト〟か〝華葬ブロークン・フラワー〟あたり、ネロの幹部が動くのが妥当と踏んでいたのですが、ね」

 

 涼しげに笑った。


 サカキは苦笑を返す。


「で、ユージン作戦以後、『名無しの英霊ジョン・ドゥ』じゃなく、〝赤ヒゲ〟んとこに居ついたお前さんが今回の首謀者と見てこっちは話を進めていいわけかい?」


 メイソン・ビショップは肩を竦めてみせた。


「トンプソン大尉率いる『名無しの英霊ジョン・ドゥ』はないですよ。大尉は海軍時代から人使いが荒いことで有名でしてね」 


 と、話が転がり始めた矢先、「ちょっと待てッ、どーゆーことだよッ!」金属音のまにまに声が響く。

 サカキが首だけ動かした先で、器用に攻防を繰り広げながらヒイラギがしっかり聞き耳を立てていた。


「ちょっと考えりゃ解んだろうが」サカキは小さく溜息をついて。


「〝シスター〟の『洗礼バプテスマ』。そいつを付加価値オプションにすんなら一番儲けが見込めんのは、武器の卸しが専業の『株式中隊カンパニー』だろ」


 金属音。「じゃあそのために〝シスター〟殺したってのかよ。エセシスターまで用意してッ」金属音。


「それはちょっと違いますよ」メイソン・ビショップは愛想の良い笑みを浮かべたままで、


「〝シスター〟を殺したのは間違いなくアオドリです。私はただその後で、商会カンパニーの利益に繋がりそうな案件を纏める作業に勤しんでいるに過ぎません。あ、ちゃんと社長プレジデントの許可は得てますからね、独断じゃないですよ」


「アオドリ、か」サカキは小さく呟く。そしてメイソン・ビショップの顔をじっと見つめる。


「とはいえ、そのアオドリは死んじまった。真実は闇の中だろ」


 メイソン・ビショップは穏やかな声音で。支障なし、といった風に。


「そこはちゃんと押さえてあるので問題ありません。自分が殺した――と本人が自供してますから」


 銀色に光る録音機レコーダーを振った後で、胸ポケットにしまう。


 それでもサカキは、


「いや、問題はありありなんだよ」


 短くなったタバコを踵で揉み消しながら言った。


「お前の目論見としてはつまり、〝シスター〟殺しはネロの落ち度であり、教会と商会のコラボってな抱き込み商法、新規事業に口を挟まれる筋はないってことなんだろうけどよ」


 その通り、とメイソン・ビショップはにこりと頷く――


 ――だが、サカキは否定する。締めくくりにも似たその所作を。


「ネロのクロツチは俺たちにこう言ったんだ――『すべてを終わらせろ』と。だから解るだろ? つまりお前の前に現れたのが、幹部じゃなく、俺たちだってことの意味が」


 メイソン・ビショップの満ちた余裕に一瞬の陰りが差す。「バカな……」


「ああ、バカバカしいまでに簡単な話さ。お前の企みくらいクロツチはとっくに気づいていたのさ。だからこその話なのさ」


「そもそもの話をにするつもりだというのか。私はさっき言ったはずですよ、社長プレジデントの許可は得ていると。下手をすれば戦争が……」


「だから俺たちなんだろ」サカキが遮った。


「〝シスター〟は死んだ。アオドリも死んだ。真相を知るのはここにいる者たちだけ。そいつらを片付け、録音機レコーダーも処分する。誰がどこで死んだなんてこのマチじゃさもない話。たとえ手下を消されたバルバロッサが喚いたとして、ネロは生贄の山羊スケープ・ゴートとして俺たちの名前を挙げるだけだ」


 笑みは笑みで穏やかなまま。淡々とメイソン・ビショップは言葉を紡ぐ。


「それで、まさかあなたはその地獄行きのレールを逝くつもりじゃないでしょう」


 サカキは小さく笑う。文字通りの苦笑。


「依頼を受けた時点で俺たちには地獄行きの道しか残されちゃいなかったのさ。今さら降りたところで、今度はネロファミリーに命を狙われるだろうよ」


 穏やかな笑みと苦笑。

 それを照らし、揺らめく橙。


 それ以外を塗りつぶす漆黒――それは形無く不定形に、しかし広がり続ける巨大組織の象徴記号シンボル。闇夜の如くどこまでも這い寄る、ネロ


 やがて穏やかな笑みに一筋のほつれが現れ、苦笑はなおも色濃くなっていく。


 逡巡しゅんじゅんの合間に、彼方からの海風。通り過ぎたのは、温い空気に刺した冷やかなもの。金属音の響きは今や遠く。橙の温もりも感じられぬほどの。


 その中で。


「殺し合う、という以外の選択肢は本当にないんですかね」


 先んじたのはメイソン・ビショップ。


「例えば、ネロという脅威と相対できる者の恩恵を受けられるなら、局面は変わるんじゃないですかね。あなたたちが商会に入り、ネロと同じ四人の大悪党が一人、〝赤ヒゲ〟のバルバロッサがあなたたちの後ろ盾バックに付きさえすれば」


「〝足長〟も〝赤ヒゲ〟も戦争は望んじゃいねーよ」


 感情なく吐き捨てたサカキへと、「それは解りませんよ」メイソン・ビショップは満面の笑みを浮かべて。


「出たとこ勝負の運命。そんなレールに乗るような人間が、最後の最後に運を天秤にかけないなんておかしいですよ」


 言いながら、染みひとつないジャケットのポケットから取り出したのは――一枚のコイン。


「表だったら私の案に乗って下さいよ」


 右の親指で弾く。


 だが――。

 

 メイソン・ビショップは笑顔のままで、しかしその頬を一筋の汗が伝う。


 弾かれたコインは最高到達点へと――辿り着くことなく貫かれていた。一発の銃弾に。

 銃声がコンテナの壁に反響する。


「裏も表もなくなっちまったな」


 サカキの声。穏やかな響きと共に、温い夜に溶けゆく硝煙。

 反響の中で、コインは闇の中へと落ちて、転がる。


 銃口に灯った鈍い輝き。それはメイソン・ビショップの瞳のみどりに映り、混じり合い、妖しく変化する――不吉なる星の瞬き。


 メイソン・ビショップは微動だに出来なかった。考えるまでもないことだとしても。

 不可抗力に発生する人間の反射――静止した時間で動く唯一のコイン。瞬間的な意識。生じたかしないかの間際、ジャケットの内側へと滑り込ませるはずの左手すら、ぴくりとも動かせていなかった。

 完全に逸した早撃ちクイック・アンド・ドロウのタイミング。だとして、完璧な精密射撃ブルズアイを披露したサカキにすれば次弾の速度も精度も落ちるのは必至。それが解り切ったことであったとして、メイソン・ビショップは動けなかった。

 その双眸は、サカキの銃口に――『その時』を報せる予兆にも似た星の瞬きに――釘づけられていた。


 残響の中で、サカキが言った。「――さあ、終わりにしようぜ」


 我に返ったメイソン・ビショップはそれでも余裕綽々に、


「いやはや、何が何でも殺し合いたいなんて、本当にイカレてらっしゃる」


 細めた瞳の端には、潰れた鼻の血にまみれた顔。グズグズと蘇生する女の姿を捉える。


 右の銃口を向けたまま、サカキはのんびりと話す。自身の後方の死人返りネクロマンシーに気づく風でもなく。


「殺し合い? 一方的に俺たちが殲滅するだけだろ。乱撃戦ジャムの必要も、弾詰ジャムる間もなく、よ」


「大したものですが、その自信はどこからくるんでしょうね?」


 メイソン・ビショップの言葉に、「自信?」眉根を上げるサカキ。ご自慢のトサカが微かに揺れる。


「そんなモン、圧倒的優位からくるモンに決まり切ってんだろ」


 メイソン・ビショップは身振りも大きく肩を竦める。


「圧倒的優位とは?」


 空間に固定されたかのような、黒光りする銃口はそのままで。サカキはバカバカしいとばかりに嘆息する。


「お前の時間稼ぎが功を奏して俺の後ろの女が立ち上がれたとしたって、戦線に復帰できる見込みはないし……」


 目を瞠るメイソン・ビショップ。その眉間に照準を定めるように――


「……何が、と問われれば数的優位の他にはねぇよ」


 ――サカキの後方から、新たな銃口が突き出る。


「〝修復人コンサーベイタ〟!?」ヒイラギの頓狂な声が上がり、金属音が止んだ。


 なんとか定めた、といった風に不安定な銃口。細やかな銀線細工も見事な年代物の回転式拳銃ピースメーカー

 ソイツを握るのは、ハードロックなTシャツを着た神経質そうな男。ひとつに結った長髪に、銀縁の丸眼鏡ロイド・グラス。メタルに目覚めたジョン・レノン風。


「いよぉ、パーシヴァル。遅かったな」


 サカキの声に、〝修復人コンサーベイタ〟パーシヴァルは、


「これだけで趣旨を読み解けっていう方がどうかしてる」


 早口にまくしたてる。そして左の指に挟んだメモ紙を放り棄てた。


「なにが――真相を知りたきゃピーナッツを追え、だ。いいか、サカキ。お前が目印代わりに道端に捨てて回ってたのは、ピーナッツの『殻』だ。世の中じゃそれは『ゴミ』って言うんだよ。なら俺が追うべきピーナッツの中身はどこだ? お前の腹ん中か? だったらどうやって追やいいんだ? ぜひとも教えて欲しいもんだな」


 変わらずまくしたてるパーシヴァルに、サカキはメンソールを咥えながら、「ゴミを追えっつったら余計訳わかんねぇだろ」


 と、そこへ擦過傷まみれのヒイラギが駆けて来る。


「なになに、どーゆうこと? なんで〝修復人コンサーベイタ〟がここにいんのさ」


 熱量の低下トーンダウン。完全なる興ざめ。ヒイラギはただ瞳をパチクリと。

 離れた場所には左のショベルを失った〝墓堀人アンダーテイカー〟。それを見留めて、片手で器用にブックマッチを着火。

「ヒイラギ、お前ホント、少しは物事を考えて動けよ」サカキが続けた。


「どうしてクロツチの旦那が俺たちを『ヴァルハラ』に呼び出して話したのか、とか疑問に思わねえかよフツー。自分の息のかかってるトコじゃなくて、なんでヴァルハラなのか、ってよ。そんで、その後で旦那はこう言ったんだぜ――『こっちから近づいて行ったって、二心あると思われちまうのが関の山。みんな逃げ出しちまう』ってな」


「じゃあ」真紅の瞳を大きくするヒイラギに、サカキはひとつ頷いて。


「そ、パーシヴァルはヴァルハラに匿われてたってわけ」


「でも、なんでだよ?」


 ヒイラギの問いに、応えたのはパーシヴァル。


「気づいたら〝シスター〟が殺されてたんだぞ。普通は逃げるに決まってるだろが。誰が殺ったのかも解らないのに、おめおめ教会に残れるか」


 丸眼鏡ロイド・グラスの奥でせわしなく瞬く瞳は、定めた銃口のことなど忘れて、巨躯を盗み見る。


 サカキは紫煙まじりに鼻で笑って、「大方、〝墓堀人アンダーテイカー〟の方もそう思ってるだろな」

 へ、と間抜けな声を上げるパーシヴァルを横に置いて、継いだ。


「〝シスター〟を撃ったのはアオドリで間違いない。だとしてメイソン・ビショップ、少なくともあんたには解っていたはずだ」


 長い睫毛が向けられた先で、メイソン・ビショップは「さあ、どうでしょう」と曖昧な返事を返す。サカキは紫煙まじりにやれやれと呟いて、その銃口を下げた。

 呆気にとられるヒイラギとパーシヴァル。その視線を受けながら、サカキは告げる。


「〝シスター〟殺しの真犯人は――〝だよ」


 幾許かの沈黙、その後で。


「なに言ってんだよ、バッカじゃねーのサカキ」ヒイラギが口を尖らせる。


 サカキはそれを無視して、


「なあ、パーシヴァル。最近の〝シスター〟の挙動におかしなところはなかったか?」


「いや、まあ……」ごにょごにょと話すパーシヴァルは、


「……確かにここんところの〝シスター〟は、やけに機嫌が良いなと思ったら、急に思いつめた顔になってたり。感情がやけに不安定だった」


 サカキは小さく頷く。


「およそ神の使徒とは呼べない現状にか、なんなのか。今はもう解らずじまい。それでも〝シスター〟は悩んでたんだろうさ。そして、悩みに悩み抜いた末に結論に行きついた。すべての束縛から解き放たれること、つまりは現世からの解放。早い話が死ぬことにしたってわけだ。とはいえ腐っても聖職者。自分の命を自ら断つことは出来ない。だからアオドリに殺してもらうことにした。お得意の説法か、手の込んだ仕掛けを用意したのか、それももうアオドリが死んじまった以上、結局は解らずじまいだがな」


 パーシヴァルが戦慄くように呟く。「自殺、だったと……」


 サカキはメイソン・ビショップを見据えた。


「あんたは理解していた。いや、予めそうなることを予期していた。すべては初動の速さが物語ってる。寄りすがるべき標を失った巨躯なる子羊を傀儡にするのも、そのためのエセ〝シスター〟を用意するのも、まるでそれを知っていたかのような手際の良さだ」


 メイソン・ビショップは微笑を張りつかせたままで、パナマ帽のツバを直す。


「まあ、いいでしょう。実を言えば教会と商会のコラボレーションについて、〝シスター〟と私は以前からたびたび商談を重ねていました。まあ、〝シスター〟が首を縦に振ってくれることはなかったですがね。そしてその際に〝シスター〟の異常な言動にも確かに私は気づいていました。だが、だからといって、どこに問題があるというのです? もしもの時のために準備していたとして、そして、その準備が功を奏して〝墓堀人アンダーテイカー〟を救ってやれたとして、それは商売人としての活動の結果に過ぎない。そして結果というなら、アオドリが〝シスター〟を殺したという結果も変わりはしない」


 胸ポケットの録音機レコーダーに左手を添えながら、メイソン・ビショップは小首を傾げた。文句を言われる筋合いなぞない、という風に。


「ああ、これでこの話は終わりだろうさ」サカキはそのさまを眺めながら。


 しかし。


「俺たちに『切り札』さえなければな――」


 不敵に笑う。


「サーカーキぃ、切り札ってのは切らないからこその切り札だぜ」


 吼える猟犬の持論を無視して、サカキは告げた。


「――もうすぐマチに〝神父〟が帰って来る」


 温度は確実に変わった。冷えたのか、温められたのか。各々で違うとしたって。


 パーシヴァルはサカキの胸倉を掴み、繰り返す。「マジか、マジでか」


墓堀人アンダーテイカー〟はへたり込み、天を仰ぐ。


 そして、メイソン・ビショップの顔から笑みが消え失せた。


 その後でサカキは念を押すように、「ネロの情報だ。間違いはないぜ」

 すると大ぶりの刃の腹を頬に当てながら、「っとさ」ヒイラギはおずおずと。


「オレらも含めての、関係者も証拠もないまぜた在庫処分バーゲンセールが、クロツチさんのお望みじゃなかったのかよ」


 サカキは短くなったタバコをピンと弾く。


「そいつは最悪の話の、な。俺らが正解のルートを行かなきゃまあそうなってただろうし、旦那的には知らぬ存ぜぬで済ませただろうよ。自分は――すべてを終わらせろ、そうは言ったが連中が意味を取り違えたんだろう。とかなんとか、な」


「ズッケーな。だからそんな曖昧な依頼内容だったってわけかよ」


 ヒイラギが口を尖らせ、サカキは「そんなモンだろ」と応じる。


「つまるところ、このマチでやってくってのはさ」


 あわや噛ませ犬にされかけたはずのヒイラギは、すでにそんなことどうでも良くなって、「マチじゃなくて、シティな」


 そんなやりとりにメイソン・ビショップが水を差す。


「どうやら私は〝老いぼれ犬〟の掌で踊らされたらしい」


 ふんと鼻を鳴らすサカキは、


「〝老いぼれ犬〟のクロツチ。実際ありゃあそんなタマじゃないぜ。まあ、そう侮ってくれた方が旦那にすりゃむしろありがたいんだろうがよ」


 メイソン・ビショップは肩を落とす。


「計画倒れとはやる瀬もない話。しかし、手を引かざるを得ないでしょう。〝神父〟がマチに帰ってくるというなら、私が、商会が教会を手中に収めることは不可能だ」


 淡々と。しかし飄々と。降伏の合図のように両手を軽く上げた。


 そのさまを、窪んだ眼窩が見据える。傷つき、生ける屍リビングデッドのように立つ〝墓堀人アンダーテイカー〟。


「メイソン・ビショップ、俺を騙したのか」


 闇のような双眸と交差する柔らかな翠眼。メイソン・ビショップはお決まりの微笑を貼りつけて、


「〝神父〟が戻って来ることを知ったのは、私だって今しがたのこと。私は私の仕事を進めたに過ぎません。〝墓堀人アンダーテイカー〟、道に迷ったあなたがそこに寄りすがるべきものを勝手に見出しただけの話。騙すも何も、最初から私たちはそれだけの関係でしょう?」


 言いながら、胸ポケットから取り出した録音機レコーダーを取り出す。指先から滑り落ちたそれを、白い革靴はコナゴナにする。

 両手は軽く持ち上げたままで――まるで敗北宣言のように。


「とはいえ、真の信仰を取り戻したあなたなら、もう仮初の信仰に頼る必要もないでしょう」


 メイソン・ビショップは小首を傾げてにこりと笑った。

 

 だが――。


「シスター・レディバグ!」


 表情もそのままで突如として声を張り上げる。


 反射的に立ち上がる女。気を付けの姿勢を取るかとらないかの間際、その額に穴が穿たれる。焦点の定まらない瞳を残して、身体は後方へと沈んだ。


 額から立ち昇る硝煙に一瞬、気取られたサカキとヒイラギ。二人が視線を移した時には、すでにメイソン・ビショップの左手は懐へとしまわれている。

 完全なる早撃ちクイック・アンド・ドロウ。しまった――、と思う間すらなかった。


 メイソン・ビショップはパナマ帽のツバを直して、


「アオドリの件も有耶無耶なら、エセシスターの件だって有耶無耶。それでいいでしょう? すべての証拠が失われた今、この事件はこれで完全に終わりです。〝シスター〟アンジェリカの死因は自殺。アオドリは巻き込まれただけで、ネロファミリーは一切関係ない。そして、商会カンパニーは最初からこの件には関与していない」


 言い終えるや、オレンジ色の揺らめきを背に、ゆったりと歩き出す。


 ぼんやりと見つめるヒイラギ、〝修復人コンサーベイタ〟パーシヴァル、そして〝墓堀人アンダーテイカー〟。

 サカキは軽く舌打ち。だが、小さくなっていく白い背中を見送ることしか出来なかった。

 

 しばしの静寂。それを破るように、


「で、どーすんだよこれから」


 ヒイラギが口を尖らせる。


「どうするもこうするも……」ブラブラと揺れるナイフを見ながらサカキは、


「今はまだ――だ」


 大真面目に言った。


「クロツチの旦那の奢りの件は生きてる。飲み明かすっきゃねーだろ、んなモン」


 パーシヴァルと〝墓堀人アンダーテイカー〟の顔を見回して、「お前らも付き合うか」サカキが尋ねる。

 と、ふいに「あっ」と声を上げたのは〝墓堀人アンダーテイカー〟。


「〝神父〟が帰って来るなら『葬儀』の準備をしておかないと」


 嘆息まじりに、「ああそうだな」と応じるサカキ。


≪――サイナラ、祭りは終わりつまらないさ――≫


「この誰とも知れないテントウムシの」


 愛飲するメンソールを咥える。


 そして。


「あと、憐れなアオドリもな」


 ヒイラギも苦いタバコに火をつけた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る