あなたのための物語

サヨナキドリ

『マリーの冒険』

『それで、これのどこが面白いの?』


 私は公園で項垂れながら、打ち合わせでの編集の言葉を反芻していた。ながらくボツが続いていた中で、もう一度作劇理論を一から学び直して、持てる技法のすべてを使って現代という時代に突き刺さるテーマを中心に据えて書いた渾身の原稿は、箸にも棒にもかからずにボツの山に一つを加えただけだった。


「小説家、向いてないのかもな」


 ベンチの背もたれに体重を預けて天を仰ぐ。来週までに新しい原稿を仕上げないともう後がないのだけれど、アイデアはひとつも思い浮かばなかった。ふとその時、砂場で遊ぶ2人の子供が目に入った。


(2人だけで?)


 公園に居るのは彼らと私だけで、親らしき人はどこにも見当たらない。姉らしき方はともかく、弟はまだ未就学児に見えて、子供だけで公園で遊ばせるのはあまりに無用心だと思った。


「ねえ、君たち」


 我ながらおせっかいだと思ったが、砂場まで歩いて行って声をかける。すると姉の方が怯えの混ざった顔でビクッと見上げた。


(しまった。これじゃ私が不審者か)


 内心焦りながら、警戒させないようにしゃがんで話を続けた。


「お父さんお母さんはどこにいるの?」


 私がそう問いかけると、彼女は目を逸らしながら答えた。


「お母さんは、どこに行ったのか内緒なの。お父さんは知らない」

(……被虐待児か)


 商売柄、人間観察には慣れている。かと言って、私に出来ることなどないのだけれど。私が小さくため息を吐くと、女の子が手に持っている人形に気づいた。いくらか型落ちの、着せ替え人形だ。砂場に着せ替え人形というのもミスマッチだが。


「じゃあ、その子の名前は?」


 私がそう訊ねると少女は驚いたように目を丸くして、戸惑いながら応えた。


「……マリー」

「じゃあマリーはどうしてこの山に来たの?」


 そう言いながら、私は弟の作る砂山を指差した。女の子は首を傾げる。


「どうして……?」

「私が思うにね——」


 そう言いながら私は砂場に腰を下ろした。それから、即興で作った話を語る。公園で遊んでいた時に持ち主の女の子に落とされたマリー。帰り道を探すけれど、途中でいたずらな猿に襲われて靴を取られてしまう。靴なしで家までは帰れないマリーは、猿たちが住む山に登ることにしたのだった——


 そこまで話して顔を上げると、気がつくと2人が食い入るような目をしながら私の話を聞いていた。2人の目には、さっきまで無かった光が宿っている。いつのまにか日が傾いていた。


「それから、マリーはどうなったの?」

「もうこんな時間だし、続きはまた今度ね」

「私たち、明日も昼から公園に来るから、おじさんも来てね。約束だからね」

「ああ、分かった」


 そう言って私は弟が手を引かれながら帰るのを見送った。


 それから私は毎日公園に通った。マリーの冒険は目まぐるしく場面を変えながら続いた。物語の舞台を砂で作って。砂場から始まったマリーの旅は時間と空間を超えて、月面から産業革命期ロンドンまでさまざまな場所を巡った。2人は、いつしかよく笑うようになった。


 1週間が経って、私は出版社の会議室にいた。ただ頭を下げるために。


「申し訳ありません!原稿は、書けませんでした!」


 正面に座る編集が大きなため息を吐く。


「困るんだよ。書けませんでした、じゃあ。なんでもいいから見せてもらわないと」

「本当に申し訳ありません。私——」


 田舎に帰ろうと思います、と言いかけた私の言葉を遮って編集がいう。


「というか、カバンから見えてるじゃないか原稿。それを見せてよ」

「こ、これは違うんです!」


 言われてビジネスバッグの口が空いていたことに気づく。この茶封筒の中身は、マリーの冒険をまとめたものだった。田舎に帰る前に、彼らに渡しておこうと思っていたのだ。私が遮るのを気に留めた様子もなく、編集はそれを取り上げた。原稿の上を編集の目が走る気配に私は肩を縮めて俯く。


「……児童文学だね。未発表?」

「は、はい」

「面白いよ!すごく!根気よく付き合った甲斐があった!」


 その言葉に驚いて顔を上げると、編集の顔は光っているように見えた。


「いやー、これまでの君の作品は技巧ばかりに囚われていて、誰に読ませたいかがまるで見えてこなかったんだけど、これは明らかに一線を画している。読んだ子供が喜ぶ様子が目に浮かぶくらいだ!歴史に残る傑作だぞ!早速出版の準備に取り掛からないと」

「ありがとうございます!……あ。その」

「どうした?」

「コピーを取ってもらって構わないので、原稿の方を一度返してもらえますか?」


 受け取った茶封筒を手に持って出版社を出る。無意識に歩調が速くなり、気づけば駆け出していた。2人にこれを読ませないと。それから、2人の両親に紹介してもらうんだ。2人の友達として。私に何が出来るかは分からないけれど、大人の友達が居ることは、2人の助けになるだろう。

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