タウマゼインの誘惑

人生

 東のエデン




 人は娯楽がなければやっていけない。

 食べ物がなければ飢え死にするが、エンターテイメントがなければ心が死ぬ。

 エンタメを楽しめなくなった時、人類は機械にとって代わられるだろう、生きた屍にはなりたくないよな――などと、ある人が言っていたのだけど、最後の方の意味はよく分からなかった。

 ただ、エンタメがないと心が死ぬというのは一理ある。


 狭い、と――生まれ育った我が家、エヴァーガーデンをそう感じるようになった頃、私には退屈を紛らわす方法が必要だった。


 家の仕事をして、ご飯を食べたりお風呂に入ったりと生活をこなし――さて、自由な時間。私は何をすればいいのだろう。

 施設の中は見て回って、立ち入り禁止の屋上以外の場所は全て把握している。探検するような未知の空間はなく、映画や小説も、観たい読みたいと思ったものはたいてい消化してしまって、あとは特に興味を惹かないものばかり。

 他の子たちと違って運動する気力も体力もない私は、窓辺に座って外の世界を――この施設の、大きな壁の向こうの世界に想いを馳せるくらいしか時間を潰す方法がなく……。


 暇を持て余すそんな時間は、心を空しくさせる。


 だから私は、物語を考えた。

 それをある日、小さい子たちをあやすために話していると、父が、私にタブレットをくれたのだ。


 タブレット――それはこの施設にいながら、外の世界と、世界中と繋がることの出来る魔法の板。


 父は私に、これで小説を書くといいと言った。そしてそれをネットに投稿してみればいい、と。


 そうして私は物語を書き始めた。

 いろいろ苦労しながら書き上げたお話を、投稿サイトというものにアップロードしたりなんかして。それを読んだ人たちの反応にどきどきしたりなんかして。投稿されている作品に、図書室の小説とは違うときめきを覚えたりなんかして。


 そんな風にして日々を過ごしていたある日、外の世界に――屋敷の外に出ていた大人たちが様々な物資を持って帰ってきた。かつての私や他の子どもたちはそれらに興奮したものだけど、今の私にとってそれは興味深い創作の材料で、他の子たちは物資自体より外へ行きたいという好奇心を高めるものだった。


 ただ、クロは違った。違ったというか、何か思いついたことがあるようで、物資の中からたびたび何かをくすねたり、もらったりして密かに集め、何かを企んでいるようだった。


 ある日、彼が私に打ち明けてくれた計画。

 それは――


「これでハングライダーをつくって、屋上から外に出るんだ」


「何それ……?」


「ハングライダーだよ、知らねえの?」


「そうじゃなくて……。外に出るって……飛んでいくの?」


「屋上は広いから助走距離も確保できるし、」


「でも、屋上は立ち入り禁止でしょ? 鍵かかってるじゃない」


「ふっふっふ」


 と、得意げに笑うクロが取り出したのは、鍵のような形をした何か。


「鍵を複製したんだよ。粘土とかいろいろ使ってさ。これで屋上に出て、そこから飛ぶ」


 クロのつくったハングライダーの出来は分からないけど、それがどういう仕組みで何が出来るのかは知っている。映画で見た。だけど……。

 上の階の窓から見える、どこまでも広がる外の景色。この施設の周囲は森に囲われていて、その向こうにうっすらと街のようなものが見えるけど――クロは、そこに飛んでいこうというのか。森あたりで墜落しないだろうか。仮に飛べたとして、


「帰ってこれる……?」


「さあ……? 分かんないけど、まあなんとかなるだろ。何かお土産持って帰るから、楽しみにしてろよな」


 そう言い残して――翌朝。

 きっと夜に決行したのだろう、その日の朝にはもう、クロの姿は屋敷のどこにもなかった。




                   ■




 屋敷の三階、その窓から見える外の景色には限りがある。

 かろうじて、森の向こうに建物のようなものが見えるという程度だ。

 屋敷には四階もあるのだけど、その窓は「落ちたら危ないから」と板で封じられていて、三階も一部を除いてはそういう処置がされている。以前、鳥がぶつかってきたことがあるらしく、割れた窓の破片で怪我をした子がいるとかで。

 その上の屋上ならもしかすると、もっと遠くが見渡せるのかもしれない。

 屋上にはソーラーパネルとかがあって危ないから入ってはダメだと言われているけれど――


「ねえ、クロ見なかった……?」


 外から帰ってきた一団に駆け寄って訊ねるも、みんな曖昧な反応ばかりする。大人たちはみんな、クロが外に出たことは知っている。私が教えたからだ。捜しに出たはずなのに……。


 外の世界で、何があったのだろう。

 そもそも――どうして、「外の世界」があるのだろう。


 ずっと昔は、この施設が、屋敷が私の世界だった。世界の全てだった。


 でも大きくなって、屋敷には「外」があると知って――外に出ようとこれまで強く思ったこともないし、「外」の存在、そして私たちがこの場所ににも疑問を感じなかった。


 ……どうして、外に出してくれないのか?


 外には、いったい何があるのか――


 クロの部屋を探していた時、鍵の複製に使ったのだろう道具の残骸に隠れて、失敗作らしいスペアキーを見つけた。

 たぶん、一度使えば折れてしまうだろう。


 ハングライダーは見つからなかったけど――双眼鏡なら物置にある。


 屋上に出て、ちゃんと外の世界を見てみたい――そんな衝動が、私を突き動かした。




                   ■




 小説や映画の影響だろう。

 私は一目見て、世界すべてを知った。


 私は――私たちは、守られていたんだろう。


 投稿した小説へ感想をくれたのは、この屋敷の仲間たちみんなだ。


 朝焼けに明らかにされた外の景色は、無人の街を想起させた。

 外にはもう誰も生きていないんだと、私は知った。


 B級ゾンビ映画みたいな現実がずっとずっと、遠くまで。

 どこまでも広がっていたんだ。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

タウマゼインの誘惑 人生 @hitoiki

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ