街中相談室
添野いのち
今日も今日とてお悩み聞きます
窓から差し込んできた日の光で私は目を覚ました。右手をぐっと伸ばし、手探りでデジタル時計を掴んだ。午前7時48分だった。
「えっ⁉︎」
私は飛び起きた。ヤバい。完全に寝坊した。今日、土曜日は街中相談室の活動日だ。集合は午前8時。ここから徒歩5分の場所にあるとはいえ、間に合う気がしない。
急いでスマホを確認した。やっぱり午前7時48分だった。そして大量の通知。
「聞き逃したアラーム 6:30」
「聞き逃したアラーム 6:45」
「聞き逃したアラーム 7:00」
「聞き逃したアラーム 7:15」
私は朝起きるのが苦手なので、いつも大量のアラームをセットしている。しかし今日はその全てを聞き逃した。
「おいおい、本当にちゃんと鳴ったのか、アラーム⁈」
スマホの不具合だ、きっとそうだ、絶対そうだと自分に言い聞かせながら、急いで髪型と服を整えた。朝ご飯の菓子パンをカバンに放り込み、家を飛び出した。
全力でダッシュして、午前8時。何とか街中相談室に滑り込んだ。
「今日も遅刻寸前でしたね、木村さん。」
小野さんが苦笑いしながら言った。
「はは・・・ごめんなさい。やっぱり朝は苦手で。」
私はカバンを机に置きながら言葉を返した。
「朝が苦手なら、無理して朝早く始める必要もないと思いますが。」
深山さんが言った。私は〈木村 紗枝『街中相談室室長』〉のバッジを付けながら、
「どうしても、朝早く始めたいんだよね。出来るだけたくさん悩み相談に答えられるようにって思って。」
と返した。
ここは街中相談室。私が設立したボランティア組織だ。毎週火曜と木曜の夜と、土曜の朝から夕方に活動している。主な活動は、手紙やメール、LINEで届くお悩みの相談に乗ることと、月1回の〈お悩み相談誌〉の発行。現在はここにいる私、
「小野さん、今日は何件届いてる?」
「メールは1件、LINEは2件の計3件です。」
「深山さん、郵便の方は?」
「4件です。差出人見たところ、4件中3件は1人暮らしのおばあちゃんですね。もう1件はおそらく学生さんです。」
「分かった。とりあえず深山さんはおばあちゃんの手紙の返信をお願い。私と小野さんでメールとLINE、学生さんからの手紙の相談に乗る。」
「了解です。」
深山さんは手紙3通を自分のデスクに持っていった。
「私たちも始めようか。」
「はい、木村さん。」
パソコンを立ち上げ、悩みの内容を確認する。
「LINEとメールは全員、学校の勉強の悩みか。」
「あー、でも今は悩みがちじゃないですか?2月のこの頃は学年末の定期試験の時期ですし。」
1通ずつ、悩みに合わせて丁寧に返事を書く。学校の勉強の相談には、私自身の経験を元に返事を書いている。大学の受験勉強で必死になってた「あの頃」のことを思い出し、その時に上手くいったこと、困ったこと、困ったことに対する反省を元にアドバイスしていくのだ。
2通目への返信を送信し終わった時、小野さんが
「そろそろお昼にしましょうか。」
と声をかけてくれた。時刻は午後1時半。集中していたせいで、お昼を回りかけていたことに気がつかなかったようだ。
「弁当、買ってきましたよ。」
深山さんが私に1つを差し出した。弁当を取ろうと腕を伸ばした時、パタっと何かが落ちる音がした。足元を見下ろしてみると、そこには私のノートと1枚の写真。ノートに挟んでいたのが飛び出してきたようだ。私は素早くノートと写真を拾い上げた。
「その写真って、もしかして・・・」
深山さんが言った。
「うん、
「それって、どういう・・・」
「ああ、小野さんには話したこと無かったね、沙月のこと。」
私は1つ深呼吸をしてから、口を開いた。
「沙月は私の高校の時の同級生で、高校の時の1番最初の友達。沙月は明るくて、私と趣味も合って、休み時間はずっと話してた。部活も一緒で、2年の時にクラスは別々になっちゃったけど、沙月は毎時間私の教室の前に来てくれた。この写真は2年の秋の文化祭の時に撮ったやつ。でもこの直後、沙月が変になったの。」
「変って?」
小野さんが聞いた。
「何か前よりも暗くなって、休み時間に毎時間来なくなったの。それに、心なしか笑顔が減ってた気がする。私が『最近疲れてるの?大丈夫?』って聞いたら、『うん、全然大丈夫!』って言ってたから、その時はそこまで気にしてなかった。けど、私のその判断は大間違いだった。」
私はイスから立ち上がって、窓から空を眺めて言った。
「忘れもしない、2月16日、午後8時。沙月は、マンションの部屋から飛び降りて、亡くなった。あとで分かったことだけど、沙月はいじめを受けていたみたい。私が変だと感じた、あの秋からずっと。実際、沙月が死んだ時。体には何ヵ所もアザがあったみたい。しかも服で見えなくなるお腹や背中ばかりに。」
2人は何も言わず、真剣な表情で聞いていた。
「私、悔しくて。何でアザに気づいてあげられなかったんだろうって。何で沙月のこと、先生とかに相談しなかったんだろうって。悔しくて悔しくて。1週間、ずっと自分の部屋で泣き続けた。」
「もしかして、沙月ちゃんみたいな子を無くそうと、このボランティアを?」
小野さんが聞いた。
「ええ。あの後、必死に勉強して、大学の心理学部に入って、臨床心理士の資格を取ったの。臨床心理士の仕事をしながら、もっとみんなに近い場所で悩みの相談が出来ないかと考えて、設立したのが〈街中相談室〉ってわけ。」
私が言い終わった後、口を開いたのは深山さん。
「小野さん、実は私も高校でいじめられてて、その時に木村さんに相談したんです。まだ相談室が設立されて半年の時でした。木村さんは自治体にも連絡してくれ、色んな対応をしてくれただけでなく、私の悲痛な叫びも直接聞いてくれたんです。私は木村さんがいなければ、今頃沙月ちゃんと同じところに行っていたかもしれません。だから私も高校卒業と同時に、大学に通いながらここで木村さんと一緒に活動を始めたんですよ。」
私は写真を丁寧にノートから取り出して、沙月の写っている部分を撫でながら、
「誰かがいなくなることは、周りの人も悲しくさせてしまう。だから、沙月みたいな運命を辿る人を無くしたいのももちろん、自分みたいな思いをする人も無くしたいって思ってる。だから私は、〈お悩み相談誌〉や手紙、メール、LINEの文字に載せて、これを読む人、つまり悩みがある人に寄り添いたい。」
と言った。私の左目には、光るものが映っていた。
「・・・私も頑張ります、木村さん。木村さんの思い、胸に響きました。」
小野さんははっきりとした声で言った。
「うん、ありがとう。でもまずは、お昼だけ食べちゃおう。」
私はイスに座り、冷めてしまった弁当を開けて食べ始めた。
食べ終わった後、私は仕事の続きに取り掛かろうとデスクに向かった。後はメールと手紙が1件ずつ。私は手紙の封を開け、ゆっくりと読み始めた。
読み終えた時には、私の顔は引き締まっていた。
「・・・小野さん、深山さん。」
2人は私のただならぬ雰囲気を感じ取ってくれたのか、私の方に歩み寄ってきた。
「急ぐよ。この手紙、いじめの相談だ。」
2人も顔が変わった。
「はい、すぐ児童相談所に連絡入れます。」
「返信、急ぎましょう。」
私は今日も、悩む人のために文字を紡ぎ続ける。
沙月、私のこと見てくれてる?沙月みたいな悲しい思いをした人が、そっちの世界に行っていなければいいけど。沙月にも明日、私の努力と思いを届けたいな。私が今悩んでいる人たちとやりとりをする、この“文字”でね。明日で沙月がいなくなってから17年。出会った時みたいな明るい笑顔で待っててね。絶対、会いにいくから。
街中相談室 添野いのち @mokkun-t
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