読者も仲間もいませんが
λμ
孤立無援の戦場記者
アルブ歴一五一九年
遠い雷のような砲声が未だ散発的にオルレーンの街まで響いてくる。かつて王国一の芸術都市と讃えられた優雅な街並みは見る影もない。
五百年の歴史を数えた大教会から細い黒煙が立ち昇り、王国最大といわれた美術館は半ば以上が崩落し、運び出せなかった美術品の多くが敵の将兵に持ち去られた。
都市の構造が古く防衛戦には適さないとして、軍はあっさり撤退を選んだ。街を守れと市民が武器を手にするも、願いは叶わなかった。
軍の見立ては正しかった。
砲撃から身を隠す地下壕は無く、土塊の壁は容易く
教会から広がり街を包んだ黒煙が、神が差し伸べた最後のチャンスだった。業火と熱波と黒煙に紛れて市民の大半が逃げ延びた。残った市民を探すほうが早かったくらいだ。
現に、いま私が隠れている部屋の窓から、最後の市民が吊られるのが見える。たしか、年は十八だと言っていた。素っ裸にされていた。泥と、煤と、青痣と、黒く固まった血と、人の悪意のすべてを一身に浴びせかけられ、風に揺れていた。
「そこまでするか」
口にせずにいられなかった。彼の無謀を止められなかった自分に打ちひしがれている。しかし、私の手はペンを取り、最後の市民の姿を写生している。酷い絵だ。その凄惨さは見るに堪えない。現実であることが許せない。そして何よりも、現実には遠く及ばない画才に苦しくなる。
文なら多少の自信はあるが、絵となるとてんで話にならない。この絶望を、この地獄を、私のペンでは伝えきれない。画才に頼らずとも伝える手段があればと思う。伝えなくともいい日がくればいいのにと願う。
そのためにも、残さなくてはならない。
連中が市民に働いた残虐を、市民が為した抵抗を、私がこの目で見たものを。
描いた絵に、文を添える。
彼が何者であったのか。彼の夢はなんであったのか。オルレーンの崩落しかけた下水道の暗闇に隠れて聞いた話を書き写す。脚色はしない。肩入れもしない。ただ彼が語ったとおりに書き、次に私自身の名を入れ、言葉を残す。
『自らの両手を見よ』
なんてちゃちな言葉だろうか。仲間の記者なら笑っただろう。新人は記者より詩人が向いてるらしいと言った彼の憎たらしい笑顔は、もう瞼を閉じても鮮明に思い浮かべられなくなった。
私は書き上げた記事を懐に隠し、夜を待った。
怯えるだけの長い時間。無駄に命を賭けている。そんな声が聞こえてくる。負けるものかと首を振り、私は敵兵を警戒しながら地下に潜る。下水道に溜まった糞便と饐えた血と肉の臭いに耐え、埋まりかけた管理扉の奥に行く。
オイルの切れかけたカンテラを頼りに、書いたばかりの記事の銅版を削り出す。大きな音を立てると居場所が知れる。あくまで静かに。鼠が骨を
「……これが尽きたら、次はどうしようか」
もはや相談できる相手もいなくなった。なんでもいいさと記者仲間の朧げな幻影が笑う。インクがなけりゃ俺の血で刷れ。紙がなきゃ木だ。どうしようもなけりゃ壁に直接やったっていい。
「ばかな」
私は幻影に苦笑しながら記事を刷り上げた。紙の形になってみれば、なかなかどうして威力を感じる。
こんな記事を書いて、誰が読むと言うのだろう。
また、私の弱気が嘆いた。
敵対している兵士がこれを読むとでも思っているのか。私如きの言葉が彼らの人の部分を貫くとでも思っているのか。
刷り上がった記事を抱え、カンテラを消し、私は深夜に街に出る。必死に足音を殺し、あの手この手で壁に貼り、街に散らし、自作の地図を頼りに隠れ家に戻った。
明け方、通りに響く兵士の靴音で目が覚めた。私は壁の割れ目から覗いた。
兵士が昨夜のうちに貼りつけた記事に気づいた。
すぐに手が伸び、破り捨てた。
周囲に油断なく向けられる目は、私を探しているようだった。
我慢比べだ。
息を潜め、兵士が立ち去るのを待ち、私はペンを手に取る。
「読者も仲間もいませんが」
幻影に言う。めげそうな自分に語る。
「私は書きつづけますよ」
たしかに、詩人のほうが向いているように思う。
読者も仲間もいませんが λμ @ramdomyu
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