最終話

 夏の濃い青空に、煙のようにもくもくと入道雲が湧いている。今日も今日とて、蝉は元気そのものだ。空を見上げながらパイプ椅子に背をもたせる秀平は、額に滲んだ汗を手で拭った。


「暑いなあ……」


 隣に立つ玲子が、うんうんと頷いた。


「でも暑そうにしてちゃ駄目だよ。占い師はいつどんな時でも涼やかな顔をしているものなんだから」

「も、もちろんわかっているとも!」


 秀平はきりっとした顔つきを作った。恐らく自分の思う涼やかな顔なのだろうが、私にはわざとらしく映った。


 秀平は本人なりの精一杯な涼やかな顔で前を向き、道行く人達を眺める。ところが、皆暑そうにして足早に通り過ぎていくのみで、占い師の視線に答えるものは、一人もいなかった。「神ヶ崎シュウの霊感占い」は、今日も当たり前のように、閑古鳥が鳴いている。


 真面目な顔つきを作り続けていた秀平だが、やがて暑さに耐えきれなくなったのかで、すぐにまた締まりのない顔に戻った。おもむろに手元の水晶玉にぴったりと両方の手のひらを這わせる。


「あー冷たい……」

「ちょっと何やってるのよ!」

「いや暑くてさ……。それに暇だし……。玲子も触るか? 気持ちいいぞ?」

「やだ、なんか汚い。お父さんの触ったガラス玉なんて」

「水晶玉だ!」


 むきになって言い返す秀平だが、玲子はいつも通り、気にもとめていない。腰に片手を当て、「だらしない」ともっともな突っ込みを入れる玲子のほうが、秀平よりもずっと大人に見える。


「そんなんじゃ、和也さんにどん引きされるよ? うわ、こんな親父の占い信じちゃったのか、って」

「和也くんはそんな口調で喋ったりしない! あんな良い子なんだから!」

「お父さんは例外だよ」

「どんな理屈だ!」


 秀平も玲子も、和也の名前を出す。ふとその場の空気が、どこか静かなものに変わる。


「……和也さん、今頃どうしているかな」

「そりゃあの世にいて、生まれ変わる準備をしているさ」


 どちらからともなく、親子は空を見上げた。抜けるような青空は、終わりを感じさせない。そのどこかに、和也の姿を、和也の声を探すようにして、二人は空を眺めた。


「会えるかな」

「また歌うと言っていたじゃないか。きっと、すぐに見つかるよ」

「……そっか!」


 玲子は後ろで組んだ手を上に上げて、大きく伸びをした。そうしてから珍しく、父親に対し爽やかに明るくはにかんだ。


「じゃ、わたしそろそろ行くね!」

「へっ?!」

「だってここにいて関係者と思われるの嫌だし」


 すっと玲子の目が細くなる。その眼差しは、真冬のように冷え切っていた。


「心配しなくてもさ、和也さんに対してちゃんと喋れていたじゃない。普通に占いも出来ていたしさ。凄くプロっぽかったよ、和也さんを占っていたときのお父さん」

「あれは、苦しそうな和也くんを見ていたら、どうしても何とかしてやりたくなっただけで……。なりふり構ってられなくなったというか、火事場の馬鹿力みたいなものというか」

「とにかく大丈夫。あの時の調子でやればどんどんお客さん来るってば」


 玲子は頑張ってね、と手を振りながら背を向け、すたすたと歩き出した。守護霊である私も玲子について行き、現場には秀平一人が残される形となった。


 てっきりそのままどこかに行くと思っていたが、玲子は近くにあった自販機の影に隠れた。窺い見る視線の先には、秀平の姿がある。


 不安げにきょろきょろする秀平に、玲子が呆れ混じりのため息を吐いた、そのときだった。


 占い屋の前で立ち止まっていた学生と思しき女が、おずおずと秀平のもとに近寄っていった。あ、と玲子が声を上げる。秀平がはっと目を見開き、腰を浮かせかける。


 女は、青色のパイプ椅子に腰掛けた。お客だ。玲子がぎゅっと、手を握りしめた。


「……頑張れ!」


 私も、同じことを言いたかった。昨夜秀平は、和也に対し、普通に話すどころか、和也の心と向き合い、和也の心の奥深くにまで接した。

 天才陰陽師目線からしても完璧に近い占いをしてみせた。火事場の馬鹿力と本人は言っていたが、そうではない。秀平は、やれば出来る奴なのだ。あの夜の秀平を見れば、悪口を言った奴らは、誰でも黙るだろう。


 さあ、散々な評価を下した奴らに、目にもの見せてやるといい。私は腕を組み、秀平の横顔を見つめた。


「え、えーっと、あの、その、あ、占い、ですよ、ね! は、はい! 占い、占い……。そ、その、あの、私こんなんですけど、でも力は本物の占い師で、あの、強い霊感を持ってまして、あの、まずあなたの守護霊さんと、えーと、お、お、お話させて、い、いただきま、すっ!」


 秀平は、顔を赤くしたり青くしたりしながら、早すぎてまるで呂律の回っていない口で捲し立てた。椅子に座った客は早くも軽く身を引き、立ち上がりかける。


 秀平は「あっ、ま、待ってください、見て下さい!」と大声を上げて引き留めた。何をするのかと思ったら、水晶玉の上に掲げた両手を、物凄い速度でぐるぐると弧を描き始めた。


「見えてきました見えてきました見えてき、あっ!」


 こつん、と手が水晶玉に当たる。勢いに乗って、水晶玉は地面に落ちていく。地表すれすれで秀平が捕まえたのも束の間、手汗で滑りが生まれていたのか。


 水晶玉はつるりと手からすっぽ抜け、ごろごろごろと何処かに遠ざかっていった。ばたばたと慌ただしく後を追いかける秀平を、幽霊でも見たような目で眺めていた客は、すたすたと足早にその場を去って行った。


 ごん、とすぐ隣から硬い音が聞こえてきた。玲子が自販機に頭をぶつけた音だった。私と玲子、双方のため息が重なり合う。やはり、そう上手く事が進むはずがなかった。


 ようやく捕まえたらしい水晶玉を、大事そうに両手に抱えて戻ってきた秀平が、いつの間にか客が消えていることに動揺したのか、また水晶玉を取りこぼしそうになっていた。


 おろおろと辺りを見回す秀平を見ながら、先は長そうだと覚悟を据える。秀平が真の占い師になるには、まだまだ遠そうだ。





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口下手占い師のそばに幽霊あり 星野 ラベンダー @starlitlavender

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